ベルテハムンの魔城(下)
システム:タイトルの(中)を(下)に修正。20240823
カウントダウンが始まった。カチコチというアナログ時計の秒針音を聞いたカナデは手の平にじんわりと汗を滲ませた。ヴィータの望む『ご褒美』というアイテムがまったくもって思いつかない。
そうしているうちにカナデはとうとうフリーズした。ぐるぐると思考を巡らせすぎて頭が真っ白になってしまったのだ。銅像のようにピクリとも動かない。
驚いたアーチボルトは慌ててカナデの両肩をぐらぐらと揺らした。
ーーカナデさん、カナデさん!
ーーあ……。す、すみません。いろいろ考えてたら、息が止まっちゃって……。
ーーそれリアルだと死んじゃうやつ! ……俺らもいるんだからさ、独りで考えこんじゃだめだよ。初見を楽しむ気持ちでいこう。
ーーは、はい。あのですね、ヴィータがご褒美を欲しがってるんです。アーチボルトさん、何だと思います?
ーーう~ん。そうだな……。コレとかどうだろう?
アーチボルトから渡されたのはアイテム化したオーディンの人形と、ルードベキア救出クエストのアイテムである3つの宝石だった。少年ヴィータがルードべキアの魂の守護者ならば、マキナが用意した保険クエストのアイテムが関わっているのかもしれないとアーチボルトは考えたようだ。
だが……少年ヴィータは人形を『可愛らしいね』と言うだけで、宝石については見た途端に怒りの表情を浮かべた。
「馬鹿にしているのか! 」
「そ、そんなつもりはーー」
「そうか……僕をじらして楽しんでいるんだな。趣味が悪いぞ……」
少年ヴィータは被っていたハンチング帽を手に取ると、内側に指を入れてクルクルと回し始めた。眉間には軽く溝ができている。
『ヴィータがイライラしているよ。早くご褒美をあげよう! ヴィータを怒らせると戦闘になるから注意してね』
ポップウィンドウの枠が赤く点滅している。それを見た途端に、バクバクという心臓音がカナデを襲った。この少人数で子ウサギブランを守りながら、ヴィータ戦に突入するなんて、どう考えても無謀すぎる!
プチプチパニックに陥ったカナデはTシャツの胸元をぎゅっと掴むと、大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。
ーーあと5分以内にクリア出来ないと、ヴィータ戦に突入します。アーチボルトさん、シロフクロウの書簡で外に出られないか、試してもらえませんか? 僕は皆さんの移動を見届けてからテレポートします。
ーーう~ん……。カナデさん、時間ギリまで粘ってみようよ。ヴィータが欲しいものって、マキナさんが好きだったものかもしれないよ?
ーーえ? でも……。
ーー気にしない気にしない。駄目でもさ、次に繋がるナニカを得られるかもしれないだろ?
ーーあ……そうか、そうですね。では、マキナさんイチ押しの……。
意気揚々とマキナとお揃いで買ったTシャツをジャジャジャジャーンと陽気な声で広げて見せたが、少年ヴィータは見向きもしなかった。彼は腕組みをしたまま、右足のつま先を浮かしては降ろし、タン、タンという音をリズミカルに鳴らしている。
工房塔の製作部屋に遊びに来たマキナとの他愛もないお喋りをカナデは思い出してみたのだが、ご褒美に繋がる手がかりは思いつかなかった。ヴィータとマキナはもともとは別個人なのだから、あまり結び付けすぎない方がいいのかもしれない。
それならばヒントはオーディン王の人形物語の中に隠されている……? カナデは必死に考えているうちに、ふとした事が脳裏に浮かんだ。
ーーねぇ、ブラン。ヴィータが待ってた人ってマキナさんでしょ? ってことは、このクエストってマキナさんが自分でクリアするために作ったってことだよね。
ーーそう、ですね……。
ーーずっと不思議に思ってたんだけど。マキナさん、レイド戦でヴィータから分離したのに、なんで一緒じゃないの?
ーー分離?
ーー2つの光がブランが造った檻から飛び出したの見たんだ。だからそのうちマキナさんが銀の獅子商会に来るだろうって思ってたんだけど……やっと腑に落ちたよ。ルーさんを助けるためにブランと行動してたんだよね?
ブランは呆れ顔でふぅぅぅぅぅと息を吐き出した。この勘違い勘違い小僧にどこからどう突っ込んでいいのやら、といった雰囲気だ。カナデは不服気にブランを見つめたが、小さな子ウサギは何も言わず、オオクマネコが斜め掛けにしているベビースリングの布の中にもぞもぞと潜ってしまった。
まただ……。カナデはそう思った。ブランは肝心なところで、いつも口を閉ざしてしまう……。だが、『喋ってはいけない』というデバフが働いているのかもしれないとも考えた。この世界のモンスターヒエラルキーの頂点に立つ剣王ブランが子ウサギ姿に変化してしまうという異常事態が発生しているのだから。
ーーあ、分かった。ここで待ち合わせしてたけど、マキナさんが遅れてるってことだね。待たずに勝手に突入しちゃってごめん! まさかヴィータがご褒美ちょうだいなんていうと思ってなかったんだ。すっごく申し訳ないんだけど、ブラン……マキナさんに連絡してもらえないかな?
カナデの早口トークは子ウサギ用ベビースリングの布に跳ね返され、パラパラと零れ落ちた。大理石の床に虚しさと恥ずかしさが合わさった弾丸が転がっている。カナデは口をへの字にぎゅっと結んだ。
オオクマネコの柔らかい毛の胸元で、小さな白い耳がぴょこぴょこと動いた。
ーーカナデ、戦闘になっても勝てばいいんです。
ーーそうだけど……。マキナさんが作ったクエなら聞いた方がよくない?
ーー初見は攻略本を見ずに進めることをオススメします。
ーーでも取り返しがつかない系だったら……。
いますぐ穴を掘って隠れたい、そう考えてしまうほどカナデは不安に押しつぶされそうになっていた。自分の浅はかな行動のせいでルードベキアを助けることが出来なくなったらと思うと、胸の奥がぎゅうと痛くなる。耳から侵入した時計の秒針の音はカナデを責め立てているように響いた。
ーーねぇ、ヴィータが欲しがっているものって、テラリウムなんじゃない?
ベガがポロリと零した言葉を聞いてカナデは顔を上げた。オーディンの人形から始まった連続クエストは大型アップデートで追加されたNPCをリレーしている。その中に、少年ヴィータが含まれていてもおかしくない。
ーーパキラの居場所が分かれば何とかなるんですけど……。
スマホのメッセージアプリを見つめていたカナデはがっくりと項垂れた。いつもなら3秒以内にくる返事が無いのだ。という事は……スマホを見る余裕が無いほど忙しいのだろう。
ーーカナデさん、ジェネラルに聞いてみたんだけど、パキラさんはルルリカさまのクエストフィールドにいるそうよ。でもイベント会場と同じでスマホが繋がらないから連絡が取れないみたい。
ーー連続クエストを進めている真っただ中じゃ、仕方ないですね。それなら……。
カナデはクルリと振り返り、背後で焦りを募らせる仲間に申し訳なさそうな表情を向けた。
ーーすみません、今から僕がすること、見なかった事にしてください。
ブランは可愛らしい額に皺を寄せたが、アーチボルトたちは静かにこくりと頷いた。そして彼らは一度でも目にした物なら、何でも作り出すことが出来るグランドマスターの能力『アイテムコピーキャット』を目の当たりにした。
ファンタジー的な眩い光を発することなく、ましてや簡易製作台で作業することもなかった。ただ握った拳を開いただけで電球型の『テラリウム』が出現したのだ。
アイテムを作り出せるという点ではミミックの王ハルデンにも同じようなスキルがある。剣王ブランや暴食の女神クイニーにもだ。彼らは己のデータバンクにあるアイテムを作り出せる。だが、カナデとは大きな違いがいくつかあった。
魔力を消費することと、『帰属』という縛りを超えられないということだ。
ブランは子ウサギ用ベビースリングから頭を半分だして、ふぅぅぅと長い溜息を吐いた。
ーーゲームバランスが無茶苦茶ですね。
ーー見なかったことにしてって言ったじゃん。
ーーまぁ、こうなってくるとモラルの問題、になりますかね。
ーーブラン、そんなこと言ってる場合じゃないよ。緊急事態なんだからっ。
ーー今回限りにして下さいよ、カナデ。
『しょうがないにゃぁ』と言った感じの口調を耳にしつつ、カナデは短い髭を揺らすブランの顔をじっと見つめた。こんな瞳を以前にも、いやもっと遠い昔に見たような気がしたのだ。母親でも父親でもない……あの人はーー。
「なんて美しいのでしょう……」
貴婦人が白い頬をピンクに染めたて『ほぅ……』と感嘆の息を漏らした。少年がハニカミながらティーテーブルに置いた髪飾りをそっと手に取り、うっとりと眺めている。1本の枝に鳳蝶が止まっているというシンプルなものなのだが、飾りの蝶は本物と寸分違わず、今にも羽ばたきそうだ。
「あまりの見事な出来栄えに、溜息しかでませんわ」
「アリアがたくさんの蝶々を見せてくれたからだよ」
「ご要望であれば、いくらでも蝶たちを呼びよせますわ。このようにーー」
アリアと呼ばれた貴婦人は薄黄色の髪に髪飾りのように乗っていた漆黒の羽の蝶をしなやかな指先に移した。蝶の大きな羽が明るい日差しに照らされて七色に光っている。思わず目を奪われてしまうほど、艶やかだ。
「初めて見る蝶だ。すごく、きれい……」
「この蝶は闇夜を飛び、星々を羽に閉じ込めるそうですよ。そのため、このように日差しを受けると宝石をちりばめたように輝くのだとーー」
「それなら、このキラキラ1つ1つがお星さま? 」
「正式名は宵闇蝶ですが……その昔、とある国の殿方が愛する女性に、この蝶を贈って結婚したことから、縁結蝶とも呼ばれるようになったそうです」
「とてもステキなお話だね」
「はい。縁起が良いと好まれる方が多いようです」
「母上も、そうなのかな。僕は鳳蝶が好きだって聞いたから、この髪飾りを作ったんだけどな……」
紅茶をティーカップに注いでいたアリアはティーポットをそっとテーブルに置いた。少年は黄金の枝にとまった蝶をじっと見つめている。
「これを見た母上は『気持ち悪い』って……言ったんだ」
今にも涙が零れそうな瞳を見られないように少年は俯いた。
「本物に近すぎたのかもしれません……。ーーもう少し装飾品らしくするというのは、どうでしょうか? 王妃様はピンクダイヤモンドがお好きですから、蝶の羽にあしらえば、とても素敵になりますわ」
「ピンクダイヤモンド? この間、アリアが付けていた指輪の? 」
「はい。あれよりも、もっと素晴らしいものをすぐに用意したしますのでーー」
笑みを浮かべていたアリアの顔が急にサッと青ざめた。少年の小さな手の平に宝石が湧き出てきたからだ。アリアは慌てて両手で覆い隠し、小さく首を横に振った。
「いけません、このようなことをなさっては! 」
「どうして? 髪飾りの蝶々と同じだよ? 」
「創作と複製は同じではありません。これは理を捻じ曲げる行いです。この世界を創造された神王様が悲しまれます。そして私も……悲しいです」
「もうこんなことしない。ごめんなさいアリア、泣かないで……」
アリアと呼ばれた貴婦人は両手を広げると、優しく微笑みながら胸元に飛び込んできた少年を抱きしめた。
カナデの頭上に大きな疑問符が何度も浮かび上がった。切羽詰まっている状態であるにも関わらず、なぜアリアという女性の顔が浮かんだのだろうか。まったくもって自分自身が理解できない。どこかで読んだ本の一節な気がする……タイトルはーー。
『いやいや、今そんな事は重要じゃないよね? 制限時間見てみ。残り時間1分切ったよ? 』
取り合えずカナデは脳内で独りツッコミした後に、テラリウムを覗き込んだ。小さな実をつけた小さな樹木がキラキラと輝いている。ここまで育ててくれたパキラには感謝しても感謝しきれない。きっと少年ヴィータも満足してくれるはずだ。
「ヴィータ、君が欲しいのはコレだよね? 」
「は? 何のことだい? 」
しかめっ面のヴィータの前でカナデは狼狽えた。諸手を挙げて喜ぶはずだと思っていたからだ。一気に下降したカナデのテンションは、足元に掘られた深い深い穴の中に潜ってしまった。
そんなカナデにお構いなしにヴィータは吠えるように文句を垂れている。
「いつまでこんな馬鹿げたやりとりをすれば気がすむんだよ……。君がこんな酷いやつだとは思わなかっーーいや待てよ……。お前……僕の待ち人じゃないな? 」
声を荒げたヴィータはカナデの両手に乗ったテラリウムを叩き落とした。ガラスが割れると同時に、パキラが育てた小さな樹木が大理石の床で砕け散った。コロコロと転がった小さな果実たちはあれよあれよという間にシュウウと音と立てて腐り……静かに消えた。
そしてカナデだけでなくアーチボルトたちの眼前にもポップウィンドウが開いた。怒りに燃えるヴィータを背景にしてーー。
『怪物退治の英雄ヴィータがあなたを討伐対象にしました』
システム:次回のアップ予定日は8月23日です。
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