剣ヶ峰
システム:セリフなどのプチ修正。20240617
システム:0が1こ足りなかったので修正。20240622
荒れ狂っていた吹雪が嘘のようにピタッと止んだ。疑似太陽に照らされた白銀の世界が美しくきらめき、上空を羽ばたくオオワシの瞳にもはっきりと映るほど青く輝くシュプールが浮かび上がっている。それはタルルテライの街から頂上に向かって伸びていた。
街道のようなものだが、他フィールドと違ってモンスターと遭遇する。そのためアーチボルトたちは慎重に歩みを進めていた。やんごとなき理由により、できるだけエンカウントを避けたかったからだ。
「アーチボルトさん、ストップ。200メートル先にモンスがいるよ。巡回かもですっ」
「サンクス、エンリ。こちらでも肉眼で確認した。あれはアイシクルベビーだな」
「うわっ。全身トゲトゲのやつですね……。攻撃が可愛くないから好きじゃないですぅ」
「ははは、俺もだよ。高速で転がって来る上に、氷の棘を飛ばしてくるからね」
「ダガーで殴ると弾かれちゃうしーー。あっ、こっちには来ないっぽいです。向かって左に移動し始めました」
「オーケー。ゆっくり進もう……」
決して消えることがない2本の線を登っていけば、やがて分岐点に辿り着く。三角屋根に白フクロウが止まった郵便ポストが目印だ。そのフクロウからはポーションやスクロールなどのアイテムを購入できるのだが、ヘルムダインにしかない『書簡』という特殊なアイテムも売っていた。
ポスト投函によって発動するもので、投函場所で復活する『いきる! 』は万が一の時のための保険として必須だった。その他、タルルテライの街に帰還する『またね! 』や、購入したフクロウがいる地点にファストトラベルできる『ほうもん』は非常に重宝された。
だがこれらはヘルムダインから他の街に移動すると……インベントリから消えてしまう。分かっていたこととはいえ……アーチボルトたちは非常に残念だと思わざる得なかった。ゲーム会社を呪う言葉が各々の頭に過ぎったのは言うまでもないのだが、エンリだけポロリと心の声を漏らした。
『ばっかじゃないのっ。なんでこんな仕様にしたんだヨ!? 』と。
第1のチェックポイント、白フクロウがいるポストはモンスターとエンカウントしなければ30分ほどで着く距離である。その分岐点を右に進み、15分ほど歩けばアーチボルトたちが目指していた山小屋に辿り着く。そこはプレイヤーが安心して休憩できるエリアであり、モンスターは侵入できない。街でしか出来ないとされたログアウトも可能だった。現在は機能していないが……。
鶴姫の狂気的な甲高い笑い声が響き渡ると、ポストの三角屋根に止まっていた白フクロウが『来い』と言っているかのように羽をばたつかせ始めた。白フクロウがいる場所に安全地帯エリアを示す緑の魔法陣がはっきりと浮かんでいる。
「こんな近くまで来ていたのにーー」
アーチボルトは唇を嚙みしめた。ラスボスが第1形態から第2形態に切り替わるときのBGМが聞こえる……そんな気分になった。しかも禍々しさを強調するいや~なやつだ。
パソコンやコンソールゲームと違って、VRシンクロゲームはイベント発生時等以外で音楽が流れることはない。だがスマホの音楽アプリで購入したミュージックデータを聴くことはできた。もちろん、書籍と同じで現実世界のスマートフォンにデータを送れる。
リアルもゲームもお気に入りの音楽とーー。
そんなキャッチコピーが街のあちこちで宣伝され、大音量垂れ流し散策が流行ったこともあった。グリフォンの牙のメンバーも類に漏れず、『爆音を轟かせて苦情がきた』話はいまでも笑い草になっている。
ふとそんな記憶が蘇った自分おかしくて、アーチボルトは思わず鼻で笑った。現実逃避したい気持ちの表れだったのだが、アーチボルトの表情の変化に鶴姫は顔を曇らせた。唇をぎゅっと結び……両腕の鎌で研ぐような音を鳴らせると、真っ黒な瞳をオオクマネコの胸元に向けた。
「まずい! 」
アーチボルトは反射的に駆けだした。だが時すでに遅し……2つの鋭い刃先がオオクマネコの身体を貫いたーー。
「名を貰ってもこんなものか、白いウサギ。貴様のせいで、この人間の魂は砕かれたというのに、まだ顔も出さぬとは……。臆病者になったものだな」
鎌は切り刻むように振り下ろされている。何度も、何度も、何度も……しつこいぐらい何度も。鶴姫は怒りにまかせて長剣で斬りつけるアーチボルトをかるく振り払い、恍惚とした笑みを浮かべた。
「さぁ、出てこい……。かの者はどこにいる? さっさと指し示せ! 」
プレイヤーの身体が砕け散るときのエフェクトのようなキラキラと輝く光がオオクマネコを包んでいる。鶴姫はベビースリングのように斜め掛けしているオオクマネコの布を剥ぎ取るために、背中から生えた両腕を伸ばした。
「なんだこれは!? 」
目的を達した喜びから一転、鶴姫は顔しかめて怪訝そうに首をかしげた。どうやっても布を掴めない。それどころか、自慢の鋭い鎌がオオクマネコの身体をするりとすり抜けている。よく見ると……自分自身が薄っすら透けていた。
獲物を捕らえていた白い捕縛糸も消えさり、オオクマネコはドサッと落ちた。エンリとベガは受け身を取って転がり、ラフレアは十字の模様を雪の上に描いた後に臨戦態勢を取った。
形勢逆転と言ってもいいだろう。鶴姫は慌てたように下僕を探したが、眼球に翼をつけた8本脚の小型モンスターはどこにもいなかった。彼女は驚愕の表情で空見上げた。
「おい、これはどういうことだ? 」
プチッ。緩衝材のプチプチを潰したような音がした。かと思うと鶴姫の姿は掻き消え……、『イタタタタ』と言いながらお尻を擦るカナデがアーチボルトたちの目に映った。
「あ、急にお邪魔してすみません。ルルから聞いて……ませんよね。実はさっきまでガンドルの連続クエストをやってて、クリアした後に映画をーー。あっ、しまった。ネタバレご法度でした。今のは無しで……えっとーー」
カナデの必死すぎるだろ的な状況説明をチームグリフォンの牙の面々は静かに聞いていた。いいや、どちらかというと唖然として言葉がでないのかもしれない。頭上に『・・・』が書かれた吹き出しが浮かんでいるかのような表情で、突如現れたカナデを見つめていた。
「それでルルがーー。アーチボルトさん、聞いてます? 」
アーチボルトの返事は大きな笑い声だった。へたへたと座り込んでいたエンリも笑いが堪えきれなかったようで、お腹を抱えている。
「ねぇ、さっきの音、聞いた? 『プチッ』って! やっば、笑いがーー。カナデさんのお尻、すっごっ。あはっ、あははははっ」
「やだもう、エンリちゃん。カナデさんに失礼よ。ふっ、ふふふふ」
口元を両手で隠して笑うベガの後ろで、腕を組みながらうんうんとラフレアが頷いている。
「剣ヶ峰に立たされていましたが、素晴らしい勝利でしたね。いやぁ、いいもん見ました」
「全世界が感動! 最強尻伝説、救世主カナデ物語っ。にゃんってなぁ。うひゃひゃひゃ」
起き上がる気力がないのか、それとも猫型を作っているのかオオクマネコは雪にぱたんと倒れたまま青い空を見上げている。カナデは何が何だか分からず、困惑顔を浮かべた。
「一体全体、どういう状況なんです? 」
「笑いが止まらなくて申し訳ない。カナデさん、本当にありがとうございます。おかげで我々は助かりました。『強尻』という称号を贈らせていただきます」
「えっ、称号!? えっと……ありがとうございます? 」
キョトンとするカナデに『素直すぎぃ』と言いながら、エンリがハグをしたのを皮切りに、ベガ、ラフレアも抱き着いた。彼らは『ありがとう』繰り返し、薄っすらと涙ぐんでいた。さらにアーチボルトとオオクマネコも加わり、照れくさそうに笑うカナデを中心にした団子状態はひとしきり続いた。
「フィールドボスのニセモノ!? NPC化したプレイヤーじゃなくて? 」
カナデの声が山小屋のロビー内を駆け抜けた。ヘルムダイン名物『お手軽ワッフル』に齧りつく寸前で、口を開けたまま固まっている。アーチボルトの代わりに状況説明していたラフレアは『そうだよね。そうなるよね』と言いながら苦笑した。
「できるだけ早くマーフさんにレポートを送る予定なんだけど……。カナデさんは何か気が付いた事とかないかな? 」
「僕は……お尻で何か潰しちゃった感覚しかないです……。まさかモンスターだったとは……」
「あははっ。ナイスクリティカルヒップだったね」
「ぶはっ。ラフレアさんはミンミンさんと同じ属性だったんですね」
「おやおや? それはオヤジギャグ世代ってことかな~? 」
ラフレアは麦わら帽子のツバを手銃でクイッと押し上げると、『くふふっ』と含み笑いをしながらドヤ顔ポーズをキメこんだ。プレイヤーらしからぬ登場をしたカナデを気味悪がることなく、囲炉裏テーブルを囲むベガと同じく、温かい眼差しを送っている。
「あら? カナデさん、メープルシロップが手にーー」
「あ。だ、大丈夫です。ベガさん、自分で拭き……」
吸い込まれそうな深紫の瞳の向こうにカナリアが見えた気がした。金髪のポニーテールが静かに揺れている。優しくて強くて、愉快なことが大好きだった彼女は……いるけどいない。なぜかそんなことをふと思って、涙をぐっとこらえた。
「カナデさん? 」
「す、すみませんっ、じっとみちゃって、そのーー。僕の知ってる人にベガさんか似てるなぁって思って……」
少しうつむいて恥ずかしそうにしているカナデに、エンリが両手で指差しポーズをしながらニヤリと笑った。目をキラリと輝かせている。
「それはナンパでよくあるやつじゃね。カナデちんはベガ姉さんを狙ってたのか~」
「ちょっ、エンリさん、ちがっ」
「ってか女性恐怖症、治ったんだね。姉さんの手、めっちゃ握ってるしぃ」
カナデはベガの手を慌てて離した。濡れタオルを受け取ったつもりだったのに、白くてしなやかな彼女の手を握っていた。
「ふあっ。ぁああああ! ごごごごめんなさい、ベガさんっ。セクハラするつもりはーー」
「告白されるのかと思って、ドキドキしちゃいました。ふふふ」
軽いジョークであることは、カナデは理解していた。それなのに顔は熟れたトマトのように赤い。神ノ箱庭はゲームゆえに美男美女プレイヤーが多いが、和風の衣装を着こなすベガはその中でも華があり、見目麗しい。
銀の獅子商会の受付嬢カレンが『推しプレイヤーなんですっ』と言うのも頷ける。
あれは確か……マップアプリの仕様でカナデが悩んでいた頃だ。昼休みに相談にのってくれたカレンがおにぎりを頬張るカナデにファイルを開いた。
「あのね、これを前から見せたかったの。カナデさん、ほらここ! 」
「あっ。ベガさんだ! これってーー」
カナデが目にしたのはエンダ商会が発行したニュースペーパーだった。タイトルは『教えてそのキャラメイク! 美しすぎるプレイヤーたち』である。
「当時は写真を撮るアイテムが無かったので、イラストなんですけど、ご本人にそっくりで素敵でしょ? 」
「うんうん。ーーあれ? でもペンって……銀の獅子商会でしか使ってないんじゃ? 」
「これ、うちの商会も1枚噛んでるの。リアルで絵師の仕事をしてるプレイヤーさんが、マーフ団長と前団長のリディさんが開発したペンで描いたのよ」
「この似顔絵、マジックペンだけで描いてるの!? 凄い……」
「ですよね? そして私は……ビビッときちゃいましたの」
「う、うん? イラストを描いた人に? 」
「いいえ、ベガさまの美しいお姿に!! 今でもこのイラストは私に癒しを与えて下さっています。そして先日、我が銀の獅子商会本部にベガさまがいらっしゃったときはもう……昇天しそうでした……」
感嘆の息を漏らしたカレンの頬は桜色に染まっている。受付嬢カレンはマーフがこまごまと性格設定した生粋のNPCである。それだけでこんなに感情豊かになるなんて信じられるだろうか。カナデはプレイヤーが融合したのではないかと疑っているが、まだそれらしい証拠は何も見つかっていない。
「あっ、カナデさん。今の話、マーフ団長には言わないで下さいね。受付嬢が1プレイヤーを贔屓するのはご法度ですから」
「うんうん。お口チャックしとくね。カレンさんがグリフォンの牙推しってこと。それとベガさんだけじゃなくて、アーチボルトさんとスラリーさんにも首ったけなんですよね」
「スラリーじゃなくて、スラッシャーさんです! 間違えちゃ駄目ですよっ」
ぷぅと頬を膨らませたかと思うと、カレンはハッとしたように右手人差し指を唇に当てた。『シーッ』と言いながら、警戒するように辺りをキョロキョロしている。
四季折々の花々が咲き乱れる中庭には、カレンとカナデ以外には誰もいないようだ。だが今日は午後一から来賓予定が入っている。銀獅子カフェから中庭を抜けて本部に来ることもあるため、言葉には十分注意しなければならない。
カレンはポケットから取り出したミニチョコをカナデに手渡すと、木製のベンチからすくっと立ち上がった。
「そろそろお昼休憩が終わるので行きますね」
「うん。カレンさん、製作のこと、また相談してもいい? 」
「もちろんですわ。カナデさんは、私いち推しの職人ですからっ」
「受付嬢は贔屓しちゃいけないんじゃなかったの? 」
「マーフ団長には秘密で! カナデさん、写真をありがとうございます。大事にしますねっ」
手を振るカレンはとても嬉しそうにベガの写真を見つめていた。ヴィータ戦終了後にポラロイドカメラで撮りまくったやつの1枚だ。カレンは颯爽と戦うベガの写真を欲しがっていたが、膨大な動画データから切り抜くのはさすがに時間的に無理があった。
「カメラマンNPCのようなドローンを作って置けばよかったのか」
そう思い付いたのは食事会が終わった後だった。そして出来上がったのが、直径5ミリほどの球体に小さな羽が生えた『ドローンバエちゃん1号』である。名称はミンミンのアイデアで、どうやら蠅と映えをかけているらしい。
この山小屋のロビーでも『ドローンバエちゃん1号』は羽音を立てずに飛んでいた。ミジンコ寝するオオクマネコはもちろん、美女独特のキラキラオーラを放つベガも激写済みである。所有者のアーチボルトに頼めば写真はもらえるだろうから、カレンに見せればきっと大喜びすることだろう。
ベガの手を握ってしまったことは……絶対に口に出せないが……。羨ましさを通り越して泣き出すカレンを想像したカナデは、気まずそうな表情を浮かべた。
沈黙鳥がくるくると舞い、大きな古い時計からゲーム時間の18時を知らせるボーンボーンという音が響いている。
「カナデさん、そんなにお気になさらずに。ね? 」
「あ、いえ。……はい」
「ところで、子猫ちゃんは? いつも帽子のようにちょこんと頭に乗っていたのに」
「あ~……それが……ビビとは別行動してるんです。ハルデンと何かしてるみたいで、この間会ったときは、すんごい悪い顔で笑ってました。あはは……」
「では今頃、おふたりで悪巧みしているのね。うふふ」
穏やかに微笑むベガとの会話は飽きなかった。これが通常のゲーム生活だったなら、どんなに良かっただろう。いつも思うことだ……。カナデは複雑ながらも幸せな気分に浸った。
「あ! ワッフル食べてる場合じゃなかったっ。ブランは? 」
カナデが声を上げた途端、緩やかに燃えていた炭が静かに崩れたーー。電球のフィラメントが切れてしまったかのようにベガたちの表情が暗い。ただならぬ雰囲気を感じる……。
「あの、ここでブランと待ち合わせしてたんじゃ? 」
「……それはーー」
ベガは暖炉前にいるアーチボルトに目を移した。彼は『一撃入魂』の文字がプリントされたTシャツとクロップドパンツというラフな格好で、手触りの良いムートンのラグにどっかりと座っていた。
囲炉裏テーブルではしゃぐ仲間たちの話に加わることなく、傍でスゥスゥと寝息を立てるオオクマネコの猫毛をもさりながら、暖炉の炎をじっと見つめている。ベガは少し迷いを見せつつも、静かに口を開いた。
「ルルさまは我々の状況を心配して、カナデさんを送って下さったんですね……」
「もしかして、ブランに何かあったんですか!? 」
「ブランさまはーー」
言葉を紡いでいた口をベガはきゅっと結んだ。テーブルの一点に視線を置いたまま微動だにしない。どう説明しようか悩んでいるようだ。しばらくすると彼女はおもむろにアーチボルトの元に向かった。
「アート、充電はもうよろしいかしら? ブランさまのこと、グリフォンの牙のリーダーである貴方からカナデさんに話した方がいいと思うの」
「あぁ、そうだな……。ベガ、コーヒーを2つ、管理人に頼んでくれないか? 」
アーチボルトは弱々しい笑みをカナデを見せると、ムートンラグの自分が座ってる右隣をポンポンと叩いた。
システム:次回のアップ予定日は6月21日……我がハッピーバースデー前日であります! (n*´ω`*n)テレ。今年は家族におめでとうって言ってもらえるといいな(遠い目)
チームグリフォンの牙は、アーチボルト、スラッシャー、ベガの3人が結成しました。神ノ箱庭にはクランやチーム登録をする場はありませんが、仲良しプレイヤー同士でチームを作り遊ぶことは常でした。夏のアップデートでチーム概念が組み込まるーーという噂がありましたが、ゲーム会社の手から離れた今、どうなったのかは……誰にも分かりません。




