ニセモノ
システム:誤字脱字等の修正。20240524
3つの時計を5分おきに止める。でもまだ起きない。スマートフォンのアラームが鳴った後に、やっとのそのそと布団から這い出してから、ゲーミングパソコンとモニターをОNにする。枕を抱えながら寝ぼけ眼でニュースを眺めるのが毎朝のルーティン。
ただし月曜日と木曜日にはゴミ出しが追加される。今日は前回出しそびれた分に加え、金曜日から昨夜までゲーム三昧で溜まりにたまった不要物を捨てなければならない。その量、45リットルゴミ袋3つ分。
朝にゴミ置き場までもっていくという作業はこの上なく面倒であるが……、このままだとネットニュースで見たようなゴミ屋敷となってしまう。それだけは避けなければならない。大きなあくびを1つ……天井に見せた後に、かかとが無いスリッポンシューズを履いて玄関を開いた。
左斜めにあるアパートの外階段はごしごしと目を擦るまでもなく鉄骨の錆主張が強い。先日、滑りやすくて危ない件を不動産屋に訴えてみたものの、雨漏り時と同じようにけんもほほろだった。大家が対策を講じる気配はない。
やるせない気分のまま、足を踏み出し階段を降りるとーーすべてがスローモーションと化した。異世界や別世界に移動する前触れ……ではない。前のめりの状態で、宙に浮いている。
どうやらピンチによって脳が覚醒したというか、活性化したようだ。状況を一瞬で把握してすぐに考えたのは、家賃値下げ交渉だった。証拠写真と記録があるのだから国民生活センターに相談すれば聞く耳を持つだろう。それでも駄目なら、もうすぐやってくる賃貸更新をせずに引っ越しイベントに突入しよう。
およそ0.00001秒でスッキリまとめた後に、脳内会議を開いた。
「このままだとやばいよな」
「階段転落して死亡……そんなニュースに流れるんじゃね? 」
「そしたらこの階段は修繕されるかも」
「いやいや、どこかの組織みたいに事が起きてからーーってのはどうよ」
「あのさ、ゴミ袋を下に投げれば? 」
「あぁ、なる。クッションってか」
「おぅいぇい」
「後は神に祈るのみ」
「無宗教だけどな」
「それを言うなや……」
「ほんではレッツアクション! 」
冷静かつ的確に……ぱんぱんに膨れた45リットルが3つ、階段下に投げ出された。あとは頭を守って、受け身を取ればいい。カップ麺の容器が潰れた音が聞こえると同時に、生ごみが飛び散った。
吹雪は相変わらず鶴姫のスキルによって吹き荒れていた。だがオオクマネコの瞳には美しい銀世界が広がっている。剣王ブランの眷属スキルが緊急発動したおかげだ。単なる板となったエアジェットスケートボードを肉球に貼り付けて雪を滑るオオクマネコは楽し気な笑みを浮かべる余裕さえもあった。
それが今……時間が全てゆっくりと流れている。3メートルほどの高さからダイブしたのにも関わらず無傷だった階段転落事故と同じように。
あの時と違うのは両手にパンパンに膨れた45リットルゴミ袋が無いことだ。あったとしても、深さ数10メートルはあるだろうと思われるクレバスに投げ込んだところでどうにもならない。
雪山に出来たその裂け目は逃げ出した地点を中心に、円を描くように走っていた。幅はゆうに5メートルはある。
「戦闘テリトリーの境目か? めんどくせぇな、おいっ」
ベルテハムンに出現するフィールドボス鶴姫は最強×最悪と言われているが所詮、クリーチャーだ。痛覚が導入されたVRシンクロゲームで、ゲーム会社がプレイヤーを追い詰める仕様を導入するとは思えない。ということはーー関係ない何者かが介入している?
「ヴィータ戦で散々『おかしい』って言いまくったけどさ。好き勝手に仕様変更できちゃう相手に、俺らプレイヤーはどう立ち向かえばいいん? ずるくね? 」
「なんだかなぁ。どんだけブランが欲しいんだよ」
「だよねだよね~」
「鶴姫のように洗脳する気かな? 」
「だろうな。でも真の目的は……」
「なぁなぁ、それよりこの状況をどうにかするのが先じゃね? 春の大感謝祭イベントでとった風船、使えないかな? 」
たくさんのオオクマネコが話し合う最中、机の端からぴょこっと小ぶりなオオクマネコが顔を出した。左手を大きく振っている。右手には7つの色とりどりの風船を括りつけた象牙色の輪を持っていた。
「良いアイデアだけど緩やかに下降するよね」
「でもさでもさ。シュトリナーガを~」
「それって、全職使用可能の武器だっけ? 」
「海洋神殿ボスがドロップしたやつだな」
「うんうん。それを~」
「あっ、分かった! 」
「なるほど。アリオリハベリだな」
「面白い。試してみる価値はある」
エアジェットスケートボードのパワーは復帰するどころか、重力に任せて肉球から離れつつあった。このままだと打つ手無しで真っ逆さまにクレバスに落下する。
「死んでもプレイヤーは始まりの地で復活する。だけど、俺は死んじゃいけない。絶対に。だから諦めるもんかっ」
スマホから取り出した『ふわふわ風船』の持ち手を掴みながら、オオクマネコは三又の矛『シュトリナーガ』を構えた。初めてこの瞬間に触ったというのに、いつも使っているかのように手に馴染んだ。普段はヴァイオリンや弓を使うバード職なのにだ。
オオクマネコはふっ……と笑みを零すと大声を張り上げた。
「一瞬の閃きがーー世界を、進化させる!! 」
オーディンの人形がヴィータ戦で言っていた言葉だ。彼女が魔具師ルードベキアであることを確信づけるセリフだとマーフは嬉しそうに笑っていた。その後もオオクマネコは頭上に雷が落ちたような衝撃を忘れることが出来ず、ルードベキア作のヴァイオリンを愛でながら想いを馳せた。
シュトリナーガがクレバスの切り立った壁面に向かって飛んでいる。……刺さるわけがない。少し考えれば分かることだ。この世界はそんなことが出来る仕様ではないのだから。脳裏の片隅にいたオオクマネコが不安気な表情を浮かべて、うつむいた。
「やっぱりこんなの無茶だ」
小さくつぶやく彼のふわふわ毛の頭を誰かが撫でている。そんな感覚を覚えて顔を上げるとーーブランの声が耳元で響いた。
「確かに……大抵は大きな壁に阻まれるでしょうねーー。だけど気にすることはありません。強い想いがこの世界の仕様に変化を与えるからです」
「そうそう、自分を信じるのが大事なんだよ」
ブランだけでなくオーディンの人形もすぐ傍にいるような暖かさを感じた。彼らはシュトリナーガに指を差して嬉しそうに笑っている。
「ほら、やっぱり刺さった! ブラン、大成功だっ」
「ルー、まだですよ。油断してはいけません。あの柄に足を乗せてからが本番なんです」
「大丈夫さ。ここからの策はちゃ~んと考えてるよ。ね、オオクマネコさん」
冷たい氷壁に突き刺さったシュトリナーガの柄が針のように見える。だが、そんなのまったく問題なかった。オーディンの人形にポンと軽く叩かれた背中が勇気を奮い起こし、熱く燃えたぎっている。オオクマネコの身体は自然と動いた。
「大好きな、推しのために! 」
右足の肉球が三又の矛の柄に触れた。叫び声とは真逆で蝶がふんわりと花びらに乗るように静かだった。オオクマネコはすかさず両足に鉤爪を装着すると、お宝探しクエストで入手したクリスタルツルハシを両手に持った。
「はっはー! 行くぜ、パワフルターボ!」
冷気を放つ絶壁をオオクマネコが軽やかに登っている。まるで何かのイベントかテレビ番組でタイムアタックをしているかのようなスピードである。このまま行けば鶴姫の戦闘テリトリーを難なく脱出できるだろう。ここに阻む者はいないのだ。
ーー本当にそうなのだろうか?
何事も問題なく順調に進んでいるというのに、なぜふとした瞬間に『疑念』が生まれるのか。さらに尻尾が掴まれたような感覚が『恐怖』を呼んだ。
ーー絶対に何かいる!
いったん止まって周囲を確認した方が良いような……しない方がいいような。もやもやがシュークリームの皮のように膨れ始めている。しばらくの間、我慢していたが、とうとう好奇心エッセンスが入ったカスタードが詰められてしまった。
壁面にピタッと張り付いていたオオクマネコはそっと振り返りーー。小さな悲鳴を上げた。
鶴姫が3尺の白刃『備前長船長光』を携えた姿はSNSでファンアートが多数投稿されるほど人気だ。強さが下方修正されてからは、ひと目見ようとプレイヤーがベルテハムンにこぞってやってきたこともある。
だからと言ってターゲットをランダムで選ぶ『ランタゲ仕様』の鶴姫は甘くはない。パーティは『盾』『回復』『火力』の最低でも3人は欲しいところだ。挑発スキルが効きにくいため敵対心を稼ぐのが非常に難しいとされている。だが、パラディンスキル『聖なる鎖』で引き寄せるとなぜか簡単に維持できた。
これはチーム『グリフォンの牙』の団長アーチボルトと副団長スラッシャーが戦い最中に気が付き、チームで何度も検証して判明したことである。その後、パッチやアップデートが来るたびに確認しているが、修正はされていない。
「守りが堅いパラディンとDPSが高い火力がいればごり押しできると思うんだよねぇ。アート、試してみないか? 」
杖持ちウィザードのスラッシャーはそう言って、笑いながらアーチボルトをペア狩りに誘った。結果はーー時間はそれなりにかかったが討伐は成功。スクロールと回復アイテムを使い切り、心身ともに疲れ切って大の字で倒れこんだのは良い思い出になっている。
だからといって再度やりたいとは思わない。チームメンバーにねだられたとしてもだ。
クリアできたのはハンタークラスの中でも最強火力を誇るウィザード職であり、最高のダメージを叩き出す立ち回りができるスラッシャーと組んだからだ。チート級の杖を持ち、レジェンド装備を身に着けていたということもあるが、彼のようなプレイヤーはなかなかいない。
アーチボルトは武器を持たない鶴姫を前にして、思わずスラッシャーが駆けつけてくれることを願った。共に戦ってくれていたら、どんなに心強かったことか。そう感じるほど戦況は芳しくなかった。
盾乱舞で眩暈を与えることができず、逆風神による吹き飛ばしや麻痺も通じない。その上、アーチボルトを守る四方のシールド『大神の鎧』を、鶴姫はいとも簡単にカマキリの鎌のように変形させた両腕で砕いてしまった。
「亜種とか、変異型とか、そんなレベルじゃなさすぎるだろ。どんだけ仕様変更してんだよ」
「お前は文句が多いのぉ……。お望み通りに戦ってやってるというのに」
「それで貴女はどちら様ですかね。憑依したプレイヤー? ゲーム会社のGМ? それとも……ヘイブン研究所の関係者かな? 」
「……坊や、良くお聞きなさい。世の中には、知らなくても良いことがたぁんとあるんだよ」
ケラケラと嘲笑う鶴姫の顔はとても、とても醜かった。狂気に満ちた瞳、歪んだ唇……。本来の清楚な美女のイメージの欠片もない。多くのファンが見たら失望することだろう。
「好奇心旺盛な年頃なんでね。それは難しいかな」
「人間如きが……」
鶴姫は舌打ちをすると、着物を突き破る勢いで背中に生やした2本の腕を前方に伸ばした。間一髪で防いだアーチボルトの大楯を牙のような爪で引っ掻き、ヒルのような口がついた手の平から毒々しい緑の液体を撒き散らした。雪を溶かす音が不気味に響き、肉が腐った臭いが立ち込めた。
盾で攻撃を凌げるなら、まだ時間は稼げる。仲間が逃げ切れば自分たちの勝ちだ。アーチボルトは諦めることなく、仲間からの合図を待った。
「万が一、万が一ですよ? アーチさん、豆うさちゃんが使えなくなった場合はどぅします? 」
「そうだな……そういう状況の時ってスマホも使えないよな」
神妙な面持ちのラフレアの前でアーチボルトはう~んと唸った。このゲームでの連絡方法は主にスマホ頼りだ。ギルドや酒場にある掲示板にメモを貼り付けることもあるが、フィールドから街に移動しなければ使えないのは不便である。
「はいは~い! エンリに妙案が浮かびました~」
「ほう? 」
「戦国太子ってアニメのコラボイベ覚えてます? 」
「なりきり衣装が一時期流行ったやつか」
「そですそです。で、その時の限定アイテムに『狼煙』があったんですよっ。お遊びアイテムなんですけど。なんと、赤、青、黄色、白の4色の煙を出せるのです! 」
エンリはジャジャーンと言いながら手筒花火のようなアイテムを取り出した。1度きりではなく何度でも使えるらしい。煙が見える距離は最大で20キロメートル。アーチボルトはエンリの説明を聞きながらスイッチを押した。
「こんなものがあったのか。この煙はどのくらいの時間、出てるんだ? 」
「15分ですっ」
「使えそうだが、エンリ以外は……持っていないようだな」
「エェ!? 皆さん、買わなかったんですかっ。こんなに面白いのにぃ」
しばらくの間、エンリは残念そうにがっくりと肩を落としていたがーー。ぱっと顔を上げて、ニカッと歯を輝かせるスマイルを見せた。せっせとスマホから『狼煙』取り出して、アーチボルトたちの前に並べている。
「にひひ。実はストックを持ってたり~するんだなコレがっ。皆んなが忘れた頃に売って儲けようとした残りなんですけどね。カナリイッパイアルヨ……」
「ぶはっ。OK、買おう。いくらだ? 」
「さっすが団長! 毎度ありっ。1個1500ゴールドでどうっす? 」
「もう手に入らないんだろ? そんなに安くていいのか? 」
「チームメンバー価格でっす! ってか……50個あるんで。ハハハ……」
遠い目をするエンリにアーチボルトは人数分をチーム資産で購入すると言って、60万ゴールドを渡した。あれから何度かテストを重ねて決めた使用ルールは、安全地帯到着は『青』、救援要請は『黄色』、目的地発見は白。それからーー。
『赤』は危険。つい先ほどまで、アーチボルトから1メートルも離れてない場所で噴出していた煙だ。ここに来てはいけないという意味である。もうもうと15分、猛吹雪に負けず立ち登り自己主張を続けていた。モンスターが起こす環境災害の影響は受けないのはありがたい。これなら仲間の合図を見逃すこともないだろう。
しかし青煙はまだ1つも目にしていなかった。鶴姫がニセモノゆえに想定よりも戦闘テリトリーが広いのだと容易に推測できる。焦りは禁物、苛立ちは相手の思う壺だ。アーチボルトは余裕しゃくしゃくをかました。
「生意気な小僧め……。四肢を引き裂いてやろうか。それとも毒で苦悶の表情を浮かべるさまをゆるりと眺めてやろうか」
「ははは。まるで百鬼夜行に出てくる醜い妖怪だな。笑えない」
「闇を照らす宝石と言われた私を、醜いだと? 」
我を忘れて大楯に怒りをぶつける鶴姫をアーチボルトは冷めた目で眺め、言葉のはしはしを克明に記憶した。こんな時でもマーフに送るレポートのことは忘れていない。この鶴姫の記録が今後に役に立つ可能性がある。
しばらく観察を続けていたが、急に攻撃がピタリと止んだ。
「ふっ……。ふふふ……アッハッハッハ! 残念だったな。私の勝ちだ。小僧、上を見ろ」
鶴姫の背中から生えた手が差し示した先には……白糸でぐるぐる巻きにされたエンリがいた。眼球に翼が生えたモンスターが細い脚で運んでいる。彼女だけではない。ベガも、ラフレアも同じように捕獲されていた。
そしてオオクマネコも……。しょんぼりとうなだれる彼を見たアーチボルトは色を失った。
システム:転落事故のエピソードは実体験です。打ち所がわるければ死んでいたかもしれません。階段を降りる時は慎重に……。
次回は6月7日にアップ予定です。




