俺の屍を超えてゆけ(下)
獣王ガンドル連続クエストの悪夢のような初見がパキラの記憶の引き出しから転がり落ちた。3日前の体験だったのだが、ほんの3秒前に起きた事のように思い出せる。凶暴性がほとばしるオーラを立ち昇らせた狼の怪物はーーとても恐ろしもあり……美しくもあった。
恐怖のあまり感覚がマヒしていた。と言われればそうかもしれない。しかしながら思うに……大空に向かって咆哮する巨大な狼が月光を受けて煌めく、ファンタジー的な光景に心を奪われない者はいないはずだ。パキラは鼻息を荒くして、力説した。
「と、いうわけで、もう……ほ~んと、あの時は『ごめんなさい』を何回唱えたことか。そもそもだけど~、30分以内で美しき獣王さまを討伐しろなんてさ、無理っしょ。見惚れて終了になるって」
「パキラ大丈夫? 感覚おかしくなってない?」
「あはっ。心配ご無だよ、カナデ! 至って正常っ」
「う、う~ん……」
「それにそれにっ、ユーリさんとっ、アイシャさんのおかげで獣王好感度合計がマックスになったじゃない? どんな展開が待ってるのかすっごい楽しみなんだよね。むふふふ」
そう言いながらもほんのちょっぴり……パキラは変化した獣王ガンドルを見ることが出来なくなるのは残念な気がした。ゾクゾクする怖さがありながらも、心臓メロキュンドキドキバッキューン的な感覚を覚えたからだ。
「獣王と勇者パキラが手を取り……新たな世界で私の物語が花開く……かもネギ! ぐふっぐふふふふふ」
パキラは天井を見上げて、恍惚の表情を浮かべている。『戻ってこ~い』と言うスタンピートとカナデの声はまったく届いていない。ミニミニパキラがガンドル人形を掲げてクルクルと踊る姿を妄想ワールドで繰り広げていた。だが急にハッとしたうようにスマホを取り出し、画面を叩き始めた。
「もしかしたら他の連続クエも好感度が関係してたのかも……」
クリア済み一覧にあるミミックの王ハルデンの連続クエストを見ると、好感度がタイトル下に記載されていた……。剣王ブランのピックポケットも同様である。文字が小さかったため見過ごしていたと気付いたパキラはーー。
「あはは……。ミミックの王クエ……好感度0でやってたわ。クエ受託からの報告のみで、接点がほとんどないから仕方ないって言えば仕方ないよね。そして、剣王ブランは哀しみのマイナス123っ。マジか……」
にっこり笑顔を見せているが、ザクッと力強くチョコレートケーキにフォークを刺している様子から……パキラのモヤットはかなりのようだ。それでも驚きが隠せず目を丸くしたカナデに可愛らしさアピールをするのは忘れていない。左手を頬に当てて、少し首をかしげて困り顔を見せた。
「ねね、カナデぇ、マイナスって何? って思わない? そんなんでよくピックポケットをクリア出来たなって、正直、自分でも思う。次ってルルリカかクイニーよね? 両方とも3ポイントしかないんだけど、次の連クエもパーティメンバーのーー」
「連続クエストは全てモンスターNPCの好感度がキモになってるってことだねっ。攻略に繋がる話をありがとう、パキラ」
不安を解消するように滑らかに回っていたパキラの舌が止まった。陽だまりのような笑顔を浮かべるカナデに見惚れて、ぼうっとしている。今すぐ彼に抱き着きたい。恋慕と欲情が沸々と湧きあがる……。パキラは椅子から立ち上がり、おもむろに彼の背中に豊満な胸を押し付けるとーー。
「頭上から聞こえるピコッピコッという連続音に……。って、痛っ。ピート何すんのよ! 」
「恥ずかしい心の声を漏らしてんじゃねぇよ! 豊満な胸って盛り過ぎだろっ! 」
「そ、そのピコッとハンマー、秋の大運動会イベントのジョークアイテムだよね? 懐かしいなぁ。あはっ、あはははは……。ええっと……。ユーリさん、お待たせして申し訳ありません。耳よりな情報をお聞かせいただけますか? 」
パキラはきりりとした顔で、組んだ手をテーブルに置いた。拳サイズのハンマーでピコピコと背中を叩かれながら。
「い、今の話、ユーリさん、マジですか!? 」
「はいマジですよ、カナデさん。裏技だそうです」
「好感度がクエストに何らかの影響があるらしいことは、パキラの話から推察できましたけど。数値によってマルチシナリオゲームのように分岐するなんて……信じられないです。どこからの情報です? 」
「実は……ソース元はルルリカさまなんです」
温かい陽射しの中でそよ風が吹くカフェテラスに驚きの声が響き渡った。精霊王ルルリカは今までの記憶全てを失い、幼子同然になってしまったと思われていたからだ。しかもイヤイヤ期真っ盛りで、特定の者以外とは喋らず、にこりともしない……。
そんな印象が強い彼女から、どんな方法でユーリが情報を聞き出したのだろうか。かな~り興味がそそられる。
「どうやってルルリカからそれを? 」
目をぱちくりさせるカナデからの問いに、少し困ったような表情をユーリは浮かべたがーー。少しずつ……ぽつりぽつりと事の次第を喋り出した。
「うわっ、あれ? ここは……? あ、ガンドルさん!? 」
「んあ? ユーリ! ここはルルの隠しダンジョンだぞ。どうやって入ったんだ? 」
ガンドルにキョトン顔を向けた後、ユーリはキョロキョロと辺りを見回した。広大な畑で手拭いを被った茶葉イタチたちが談笑しながら、キャベツの収穫作業をしている。
ユーリは岩壁の方から聞こえる楽しそうな子どもの声を聞きながら、のんびりと釣りをする老茶葉イタチを不思議そうに見つめた。
「……ヨハンさんの調査依頼で、かつてシュシュの森だった砂漠に来たんです。そしたらキャベツモンスターが走っているのが見えて……。追いかけたら穴に落ちちゃいました。で、気が付いたらここにーー」
「なんだそりゃ。何かの童話みたいな話だな」
「あはは……。俺もそう思います。えっと、ガンドルさんはなぜここに? 」
「それはだなーー」
「かくしてかくして! るるをかくしてっ」
クマ耳がついたフードから銀髪を覗かせた幼子がユーリの裾の長いアウターを掴んだ。彼女はユーリの脚に身を隠してちょこんとしゃがむと、走って来た方角を覗った。花畑に続く道で茶葉イタチの心之介がもふもふの毛皮を揺らして何かを探している。しばらくすると彼は大滝の方へ走って行った。
彼女は心之介とかくれんぼを楽しんでいたようだが、目の前の花々に興味が移ったようだ。小さな手で楽しそうにぷちぷちと茎を折っている。
「え。ええっ!? ル、ルリリカさま? 」
「……? あ。ゆぅりっ」
ぱっと腕を広げたルルリカを見たユーリはすかさずささっと彼女を抱き上げた。まさか名前を憶えていてくれていたとは思いもよらず、さらに腕から伝わる小さな暖かさに感動して瞳を潤ませた。
この熱き萌えは絶対にメモアプリに書き留めるべし! ゆーりはもうしんぼうたまらん的なへにょへにょ顔を浮かべ、そう心に誓った。
「ルルリカさまが、俺をここに呼んで下さったんですか? 」
「ゆぅりは、がんどるのおともだちだから」
「はぅっ。ありがたき幸せ……。感動の涙が溢れて何も見えません! 」
ドンッ! テーブルに力強くコーヒーカップを置く音が響いた。幸せオーラを漂わせるユーリの隣席でアイシャが眉毛をピクピクと……痙攣させている。
「何それ……。そんなことがあったなんて聞いてないんだけど? 私だって愛らしいルルさまに会いたいのに……。ユーリ、ずるい」
「隠していたわけじゃーーいや、ガンドルさんにしばらく黙ってるように言われてて……ごめん。で、この時に『心之介のお願い』っていう茶葉イタチクエストが発生してさ。クリア報酬がななんと聞いて驚け! ルルさまの好感度っ」
「報酬が好感度!? アイテムじゃなくて? 」
アイシャが驚くのも無理はないだろう。大型アップデートで追加された好感度システムについては謎だらけのままだった。街のNPCだけでなく、どうやって好感度を上げるのかまったく分からないダンジョンのモンスターにまで導入されている理由は憶測を呼んだ……。
銀の獅子商会からは好感度システムの攻略冊子は発売されていない。ガンドルファンクラブ会長のユーリと副会長のアイシャが情報ギルドの所属しているのだから、何かしらの情報はキャッチしているはずーー。しかしマーフはそこの事に関しては沈黙を貫いていた。
秘匿しなければいけない理由があるのだろうと推察される。気にしながらも素知らぬふりをするボーノたちと打って変わって、パキラはズバリ直球をユーリ本人に投げつけた。
「で、ユーリさん、好感度ポイントと引き換えにすんごいスキルが貰えるって噂、ホントなんですか? 」
「あははは! パキラさんド直球ですね。今まで誰も突っ込んでこなかったのに」
「だってだって、めっちゃ気になるじゃないですかぁ。好感度ポイントゲッツの気分上げにも繋がるしぃ」
テーブルに両手を付いて身体をグイっと前に出したパキラは興奮したようにふんふんと鼻を鳴らしている。だがユーリは『その件はまた今度』と言ってゆっくりとチルドカップに刺さったストローに口をつけると、さっさと本題に入った。
「その1、パーティの好感度値を最大にした状態でガンドルさんから『対決』以外のクエストを発動させる。その2、そのクエストを進行しつつ……ルルリカ好感度値を最低でも100上げる。というのがルルリカさまから聞いた攻略です」
「ってことは、隠しダンジョン『茶葉イタチ村』に私も行けるんですか! 」
嬉しさのあまり『いやっほぉ!』と叫んですぐに、パキラは意気消沈して小さくなった。パーティを組んでクリアすればメンバー全員がその場で報酬を獲得できるため、茶葉イタチ村ダンジョンに足を運ぶ必要がないと言われたためだ。
茶葉イタチ村のセキュリティ上の理由から、クエストの受諾はユーリ以外は出来ないようになっているらしい。さらにディスティニーが途中参加するかもという話を聞いて、パキラの表情はどんよりと曇った
コンクリート詰めされたミニミニパキラが真っ暗な海に放り込まれ、妄想ワールドは闇のような黒1色に変わった……。
「あの……ディスティニーさん、これから来るんですよね? 土下座して謝った方がいいでしょうか」
「いやいやパキラさん、土下座って……。ディスさんはレイドパーティの人数が増えたら参加するかもってことだから、今日は来ないです。それよりも大事なこと忘れてますよね」
「なんでしょう? 」
「好感度値が1500必要なんですよね? 俺とアイシャで860増えたけど、100越えが後3人いはいないと駄目じゃないかな」
「ぁああああああ!? えっ、うそ、もうバッチリだと思ってました。どどどどどどうしよう! 」
足りていると思ってすっかり安心しきっていただけに、パキラの動揺は激しすぎるほど激しかった。思い返せばカナデやスタンピートだけでなく、ボーノたちもずっと何か言いたげな顔をしていた。パキラは情報ギルドを出入りするプライヤーの顔を次々に思い浮かべ、次々に×マークを付けていった。
「ユーリさん、ファンクラブの人にお願いするとか出来ないですか! 」
「それが……ガンドルさんと直接交流してるのって俺らだけで、他の人は隠れファン状態だから好感度は高くないんですよ」
「じゃあもしかして詰み!? 詰みですかぁあああ!! 」
パキラはテーブルに突っ伏したかと思うと、はっとしたような表情を浮かべた顔を上げた。
「獣王好感度街頭インタビューしてくる! 」
「ちょっ、待ったパキラ! 」
「止めないでカナデ……。勇者パキラは戦わないといけないの」
その場にいるメンバー全員の脳裏に『何かのスイッチが入った!? 』という言葉が浮かんだ。そんなことはもちろんパキラは知る由もない。彼女は軽く握った拳を小刻みに震わせ……目を潤ませている。
「この世界の平和を守るために、私は立ち上がる。どんな苦難が待ち受けていようとも、どんなに時間がかかろうとも……ひとりひとりに『獣王好感度値』を聞いて、必ずや1500マックスにするわ! 」
「え~っと、パキラ? その心意気は素晴らしいと思うよ。でも僕に心当たりがあるから、少し待ってもらえる? 」
「ありがとうカナデ、おかげで私のやる気パワーがほら、こんなに満ち溢れてーー」
笑顔で両腕を広げたパキラがピタリと止まった。リモコンの巻き戻しボタンをぽちっとおして、カナデの台詞を冒頭から聞き直している。そして目をきゅるんと丸くした。
「ん? 心当たりが……あるですって!? 」
「たぶんだけど、ユーリさんが驚くぐらい好感度が高いんじゃないかな」
「うっそ、だれ? だれだれだれ!? 」
「明日のお楽しみってことにしようか」
「そんなぁ、気になるぅぅぅ」
そんなわけで次の日の午前10時。笑顔で合流した件のプレイヤーを見たパキラはーームンクの叫びのような表情をすると、自然かつ流れるような動きで……平伏ポーズをキメた。この出来事はその後、コロシアムに通うプレイヤーの間で語り草になった、とかならなかったとか?
システム:次回のUPは3月22日の予定です。




