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神ノ箱庭  作者: SouForest
第4部~ふたりの王~これは私の物語
148/166

脱出劇(中)

システム:ラクガキ挿絵「バインミー」を追加。20241011

 カナデたちが小田切を捕らえてから30分もしないうちに、サザーランド伯爵邸周辺はプレイヤーでごった返した。横に5人並んだ行列は正門を抜けて左に……さらに蛇のようにぐねぐねと曲がって屋敷の正面入口に続いているーー。


 緊急ログアウトゲートがプレイヤー進入禁止エリアのどこかにあることは、小田切が現れる前から推測していた。しかし今の今まで、情報ギルドのみならず誰も発見できずにいた。ミミックの王ハルデンに頼むという手もあったが、膨大な住居エリアをしらみつぶしに探してもらうのは流石に気が引けた。


 緊急ログアウトゲートを探しは諦めるか、優先事項の順位をもっと下げた方がいいかもしれない。情報ギルドの会議室でそんな話をした直後ーーマーフの元に小鴉隠密郵便が届いた。差出人はもちろん、ハルデンだ。


「誘き寄せるだって!? おっと……」

「マーフさん? 」


 目を丸くしたのはホワイトボードに文字を書いていたヨハンだけでない。ボーノやアイノテ、そしてミンミンもキョトン顔で口を左手で押さえたマーフを見つめていた。そしてキャラクターデータロック前のカナデもだーー。


 マーフの顔からサーッと顔から血の気が引いた。ほんの短い言葉だったが、カナデの父親ならすぐに気が付くに違いないとマーフは思った。こちらの有効な手立てをことごとく潰すだけでなく、何かを仕掛けてくるかもしれない。さらに無関係のプレイヤーたちを追い詰め……。


 ヨハンやボーノの声が聞こえなくなるほど、最悪のシナリオがマーフの脳裏を埋め尽くした。その時のマーフは『電池切れの玩具のようだった』と、後日ミンミンが笑いながら言った。それほど、放心していたらしい。マーフはほんのり顔を赤く染めならが苦笑した。


「恥ずかしながら、あの時は頭が真っ白状態でした。データを改ざんして下さってありがとうございます。」


「にゃふふふ。何でも出来ちゃうびびにお任せにゃんっ」

「ではビビ、この問題はどうしましょう? 」


 肩にビビを乗せたマーフは小田切の額に表示された数字を凝視した。商人のスキル『鑑定眼』を使っているがーー。


「う~ん、やっぱりプロパティが開かないな……」

「ははは! プレイヤーのスキル如きでそうやすやすとーー」


「黙れ! お前らのせいで、どれだけの多くの人が苦しんだと思うんだ!! 」


 怒りパワーが込められたマーフの拳が振り下ろされる前に、小田切が耳をつんざくほどの悲鳴を上げた。ポタポタと雫が落ちる音が聞こえると同時に、室内に鉄が弾けたような匂いが漂った。赤い水溜まりには 小田切の右太ももに鋭い爪を食い込ませた小鴉ケイトリンが映っている。


 すかさずビビは美しく剥がされた皮膚で怯えるように振るえる数字に、肉球を押し付けた。


「この数字のインクデータは……銀の獅子商会にあるマジックペンと同じだにゃ! ケイトニャンお手柄だにゃん」


「流石です! カナデさん、これは今すぐにでもーー」


「はい、マーフさん! あちらにバレないうちに出来るだけ多くの人をリアルに帰しましょう! 」



 急に慌ただしく動き始めたカナデたちに小田切は焦りを覚えた。強制的ログアウト時間はまだ1時間以上も先だ。小田切は悔しまぎれにカナデを蹴ろうとしたが、その左足を小鴉に突かれた上に、右耳を子猫に噛みつかれてしまった。


 天井から垂れた鎖に手を繋がれた状態では痛みで流れる涙すら拭うこともできない。小田切は口惜しさで唇を震わせ、復讐心を燃え上がらせた。


「お前ら、ログアウトしたら……見てろよ……」

「強制ログアウトを待ってるにゃん? 」


「な、何の、ことだ? 」

「その設定はさっき解除したにゃん。ざぁんねんっ」


「お前、単なるナビゲーターじゃないのか!? 」

「シーッ……騒がないで、いい子だから」


「俺の質問に応えろ! 化け猫めっ! 」

「しょうがないわね。少し、おねんねしてなさい……坊や」


 小田切は催眠術か魔法をかけられたかのように瞼を閉じると、ガクンと頭を前に倒した。一糸も纏わぬ身体は手に繋がれた2本の鎖に支えられ、力なくだらりとしている。彼の背中に飛び乗ったビビは錆色の耳は横にピンと張って、大きな目を糸のように細めた。



 ログアウトゲートに続く長い長い列の先頭付近に、以前情報ギルドに怒鳴り込んだ女性新聞記者の姿があった。興味本位でログインしてしまった者たちと同じように、今か今かと笑顔で待ちわびている……。かと思いきや、人混みからちらちらと覗く情報ギルドメンバーを悲し気に見つめていた。


 ーー正直、リアルに帰れるのは嬉しい。だけど……私はこのまま帰っていいの?


 複雑な心境を胸中で渦巻き……息苦しくなった女性は少し、うつむいた。人のざわめきが波となって押し寄せてくる。このままでは溺れてしまう……そう思って顔を上げると、4桁の数字を叫ぶ声が耳に届いた。


 情報ギルドメンバーであり、新進気鋭の職人として有名になりつつもあるカナデの声だ。さらにもう1人の声が屏風の向こうから聞こえるが、聞き覚えがなかった。毎日のように情報ギルドに押しかけて、手伝いをしていたというのにーー。


 女性はがっかり感を隠すことなく表情に出すと、今にも飛び出しそうな屏風の虎からゲート前に目線を移した。


 そこにはプレイヤーをゲートに誘導する情報ギルドメンバーたちがいる。彼らの様子が気になり、女性はつま先立ちをして目を凝らした。マジックペンで手に数字を書きこむ青髪で軍服姿のマーフまでは、あと数メートル。……胸が高鳴り、頬と首筋が熱くなったーー。


 そしてもうすぐ自分の番になると分かった瞬間ーー。彼女はスッと列から離脱し、マーフに駆け寄った。


「私、やっぱり残ります」


「エリカさん、やっとチャンスが来たんです。だから何も心配せずにーー」


「いいえ、先に帰るなんて出来ません。マーフさんの傍にいさせて下さい……」


 エリカは組んだ手をぎゅっと握りしめて、グレー色の瞳に薄っすらと涙を浮かべている。教会で祈りを捧げるように膝を付いた彼女の前でマーフは静かにしゃがむと……微笑みの貴公子らしい優し気な笑みを彼女に向けた。


「私もエリカさんと離れるのは寂しいです……。いつも情報ギルドで元気をもらってましたからーー。でも……私と一緒に残るのは駄目です」


「どうして……? 確かに私はこのゲームの初心者だし、情報ギルドのお手伝いも大したことは出来ないけど、私はもっとマーフさんと一緒にいたい……。マーフさんの役に立ちたいんです! 」


「エリカさん……」


 マーフは泣き出したエリカの手を取って立たせると、頬を伝う雫を白いハンカチでそっと拭った。周囲からの好奇な眼差しを気にすることなく、穏やかな表情で三つ編みを両肩に垂らすエリカをじっと見つめている。エリカは吸い寄せられるようにマーフの胸に飛び込み、しっかりと抱き着いた。



 ちょこっと取材して、すぐにログアウトすれば問題ない。上司にそう言い聞かされて、エリカは会社で用意されたVRシンクロヘッドセットを被って、世間を騒がす『神ノ箱庭』にログインした。今までゲームに興味がなく、コントローラーに触るどころか、VRシンクロゲームというものがあることすら、ごく最近まで知らなかったというのに。


 もちろん、この仕事を断ることも出来たのだがーー。駆け出しの記者であったエリカは高みに上るチャンスだと考えた。ゲームの世界に閉じ込められたプレイヤーの取材だけでなく、何らかの特ダネになるような情報を手に入れさせすれば、百円ライターと自分を揶揄する連中の鼻を明かすことが出来る。


 エリカはメラメラと記者根性を燃やし、驚異的な記憶力を生かして取材して回り情報を頭に詰め込んでいった。そして夢中になりすぎた彼女は上司が言った『ちょこっと』という時間を超えてしまった。いつでも帰れるようにとスマホに表示していたログアウトボタンは、あと少し……あと少しだけと思っているうちに、綺麗に消えていたのだ。


 心は今にも消えそうな蠟燭の灯に成り代わり、震える身体は雨に打たれる捨て猫のようだった……。あの時の絶望は今でも忘れることは出来ない。目からは涙がとめどなく溢れ、エリカは膝を抱えて自分を罵倒した。


 ーーもう現実の世界に戻れない。


 覆いかぶさった土砂を指で必死で掘っているような気分だった。エリカは当たり前のように自暴自棄になり、やり場のない怒りを情報ギルドでぶちまけた。心の奥底で間違っていることは分かっていた。彼らを責めても意味は無い。それなのに……感情の歯止めがきかなかった。


「どこもかしこも暗闇……。これからどうすればいい? ねぇ、教えてよ! 」


「エリカさん、ルフランの閃光という小説を知ってます? 『晴れぬ暗闇などない。恐れるな、輝く光は手元にある。我々は、まだそれに気が付いていないだけだーー』老騎士ジュヌーンの台詞なんですけどね、壁にぶつかる度に……私はこれを思い出すんですよ」


 お日様のようなマーフの笑顔が脳裏に焼き付き、これが『恋の始まり』だったとエリカが気付くまで時間はそうかからなかった。



「私、マーフさんが好きなんです! 」


 エリカの告白がサザーランド伯爵邸の一室に響き渡った。カナデは屏風の向こうで目を丸くし、ヨハンは手に持っていたマジックペンを指から滑り落した。いつかこんな日がくるだろうと思っていたが、いざ耳にすると気恥ずかしいものがある。


 しかもこんな大勢の前でだ。数字書き込み係をしていたボーノとアイノテも、ドラマティックなシーンが目の前で繰り広げられるとは想像だにしていなかった。ログアウトゲートに向かって並んでいたプレイヤーたちも同じだ。息を飲んでラブストーリの展開を見守っている。


「エリカさん、私の事を思うならば……。私のために、この世界で起きた全てをリアルの人々に伝えてくれませんか? これはプレイヤー情報のみならず、全ての情報を一言一句たがわず記憶できるエリカさんにしか出来ません」


「私にしか……出来ない……? 」


 マーフの瞳に映る自身の顔を、エリカはじっと見つめた。忙しい日々を送りながらも、マーフはゲームのイロハを知らぬエリカを見捨てることはなく、何かと気にかけてくれていた。一桁レベルの自分が情報ギルドを手伝いたいといっても嫌がられるだろうと思ったが、そんなことはなかった。


 受付担当のイリーナの補佐役を任され、メンバー総出で歓迎してくれた。鬱屈した精神状態にならずに、今まで楽しく過ごせたのはーー情報ギルドとマーフのおかげだ。エリカはマーフの頼みを聞きたいが、傍から離れたくないというジレンマに陥った。


「でも、私は……」 


「我々の間に巨大な山がそびえ立ったとしても、互いに掘り進めれば……再び会うことができるーー」


 その言葉にエリカはハッとした。マーフが好きだと言った本の一節だと気が付いたからだ。エリカはふふふと笑みを零し、そっとマーフの頬を右手で触れた。


「城に飾られた鎧、63ページ7行目……」


「さすがエリカさんです。ーー星降る国の姫騎士よ。闇に支配されたこの空に白銀の虹を架けてくれまいか? 我が国の民のために、そして私のために……」


「マーフさんたらズルい! リザード王『タッカ』の台詞を使うなんて……」

「エリカさんも王道恋愛ファンタジーは好きでしたよね? 」


「……もう! 本当に酷い人っ! 」


 右手に重ねられたマーフの手のぬくもりを感じながら、エリカは流れそうな涙をグッと堪えた。


「タコ公園でお喋りながらバインミーを食べようって言ったの、覚えてます? お店に並ぶのが苦手だから、いつも買うのを諦めて通り過ぎちゃうけどーー」


「ふたりなら楽しく待てる……でしたよね? 」


「プラネタリウムに水族館、それからショッピングに行く『よくばりデートプラン』も? 」


「ええ、もちろん。楽しみにしてます」

「絶対ですよ? 約束を破ったら承知しないんだからっ」


 エリカはマーフの首元に手を回してぎゅっと抱きしめると、青い髪に隠れた耳にキスをした。マーフのリアルネームに溢れんばかりの愛を囁きながら……。


挿絵(By みてみん)

システム:イケメンすぐる微笑みの貴公子マーフがモテないわけがないのです。猛烈アタックを受けながらも優しく回避することは今までも会ったことでしょう。たぶん……。

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