来訪者(下)
馬で移動という状況に小田切はすっかりご満悦だった。最初は有無を言わさず神ノ箱庭に潜らされたことに不満たらたらだったが、これは役得だったかもしれないと思い始めていた。観光したい気持ちが沸々と湧いて仕方がない。
資金はなくともGМスキルの街移動を使えばあちこちに行くことが出来る。街中では警察官NPCを頼ればなんとかなるだろう。
そんな楽しい観光を思い描いている矢先に、オープンカフェの白いテーブル席で佇むクイニーが眼に入った。静かにティーカップを口につけるクイニーの背後には、鋭い眼光を放つ護衛らしき人物が立っている。男はパラディン職のマーチンで、スナイパーライフルを抱えている女はレイラだ。
馬から降りた小田切は喉をごくりと鳴らし……『プレイヤーとの戦闘も厭わない』という雰囲気を漂わせる2人と暴食の女神クイニーを緊張した面持ちで見据えた。
「やぁクイニー。俺はーー」
「貴方は招かざる客です。分かっていらっしゃる? 」
クイニーはにっこりと微笑んだかと思うと戦闘テリトリーを展開した。赤い線で描かれた魔法陣が小田切を威嚇するように点滅している。
歓迎されないだろうと思っていたが、いざ敵意を向けられるとさすがにくるものがある。小田切は悲し気な顔を見せつつ、ジャケットのポケットに右手を突っ込んだ。解き放たれた錠剤のようなステルスドローンは風景に溶け込み……真っすぐクイニーに飛んでいった。
その様子をこっそりスマホに確認した小田切は微笑んだ。
「……クイニー、そんなに邪険にするなよ。俺は戦いに来たわけじゃない。すこ~しだけ話をしたいだけだ」
「戯言はお止め下さいませ」
クイニーはクジャク羽の扇子をバッと広げて顔を隠してしまったが、小田切は怯むことなくクイニーの向かいの席にどっかりと座り、テーブルに頬杖をついた。
「喜んでクイニーになったくせに、そんな態度は無いんじゃないか? あんたも、後ろにいる奴らも、俺らに命運を握られてるって理解してる? 」
「……ご用件は? 」
「オーディンの人形と書庫の場所を教えてくれ」
「申し訳ござませんが、分かりかねます」
「そんなことはないはずだ。あんたと人形は旧知の仲でーー」
「人形はヴィータ兄様のところにいますわ」
「おいおい、見え透いた嘘は止めろって」
小田切の見下したような意地の悪い笑い声はクイニーをうんざりさせるのに十分だった。彼女は小さな溜息を吐くと、閉じた扇子で目障りな何か叩き落した。錠剤のようなものが石畳に食い込み、プスプスと小さな音を立てて煙を立ち昇らせている。
「ス、ステルスなのに……なんで!? 」
「残念ながら、私には丸見えでしたわ」
含み笑いをするクイニーとは裏腹に小田切は青ざめた。いつの間にか、クイニーの背後にいたはずのレイラがスナイパーライフルの銃口を首に突き付けている。慌てて戦闘スキルを探そうとしたが、そんな暇はなかった。
瞬く間にマーチンに腕をとられーーねじ伏せられてしまったのだ。石畳に叩きつけられた顔がヒリヒリと痛み、痛覚があるゲームであることを恨んだ。そして街移動スキル逃走しようとしたその時、聞き覚えがある声を耳にして顔を上げた。
「マーチンさん、遅れてすみません。時間稼ぎありがとうございます」
「いえいえ、カナデさん。クイニーさまのおかげです」
カナデの時間稼ぎという言葉を聞いた小田切はハッとしたような表情を浮かべた。隠し部屋に仕掛けられていたトラップは部外者を撃退するというよりも、捕獲を狙ったものだった。まさかと思いつつも、『神ノ箱庭の管理者を捕らえるための罠』という考えを否定することができなかった。
「カナデ、お前わざと自分のデータをロックしたな!! 」
「ええ、そうですよ。貴方が来るのを首を長くして待っていました」
小田切はしたり顔のカナデと羽扇子で顔を隠したクイニーを睨みつけ、奥歯を噛みしめた。
それから数分後、暴食の女神クイニー『緊急防衛クエスト』がお菓子の街アマリアに出現した。通常の防衛戦と同じく、アマリアにいるプレイヤーなら誰でも参加可能だ。参加ボタンを押せばミニマップが視界の右上に表示され、敵キャラが赤いマーカーで記される。
「プレイヤーに変身したスパイを無傷で捕まえろだってさ」
「へぇ……。いつもと違うんだな」
「スパイって何人いんの? 」
「リーダーと部下を合わせて5人って書いてあるね」
「ねーねー、タッチするだけの方がポイントを稼げるっぽい」
「まじでか!? ほんじゃ、俺がウィップ使って転ばせてーー」
「待った! 怪我させたり、倒しちゃうと大幅減点されるみたい」
「ってことは、地味に追いかけて、お触りってか? 」
「みんなで追い込み漁すればよくね? 」
ポイントを効率的に稼ぐ方法はあっという間にプレイヤーたちの間に広まった。5VS大勢という、追いかけられる者にとってはかな~り不利な状況である。だがそれにも関わらず、スパイは脚のスピードもさながら、スキルやアイテムを次々に駆使して逃げ回っていた。
さらにマップに記されたマーカーが時々消えてしまうことがあった。時間にして3分ほどで、その間はどこにいるのか分からない。投網グレネードを手にしたプレイヤーたちは予期せぬ事態に翻弄された。
そんな最中、獣王ガンドルはチョコレート色の屋根にいた。変化の指輪でプレイヤー姿になった彼は路地裏を走る人物を見つめている。
「頭上に花丸マークアリっと。うひひひっ。見ぃつけたぁ……」
颯爽と飛び降りたガンドルは獲物のコートのフードを指で引っ掻けて引き寄せると、バランスを崩した獲物の腕にユーリから渡された手錠をかけようとした。だがその瞬間、スタンガンのバチバチという音が響き、ビリビリ痺れて動けないガンドルの眼前で獲物は悠々と逃げ去った。
「くちょぅぅ! 小賢しいことしやがってっ! 」
「ガンドルさん、怪我させてないですよね? 」
「だいじょうび、だいじょうび。爪を出さないようにタッチしたっ! そこはちゃ~んと気を付けてる。ほらほら、皆んなにもポイント入ってるっショ」
パーティを組んでいればポイントは共有される。ガンドルは耳にへばりついている豆ウサギをなでなでしながら、ミニマップ下にある数字を目を移した。身体に触れると3ポイント、腕を掴むと10ポイント。手錠をかければなんとーー。
「50ポイントだったのになぁ。ざ~んねんっ」
「ガンドルさん、メアリ通りにあるカフェ入枝って分かります? アイシャとそこに向かってるので合流しましょう」
「お、ちょうどめっちゃ近くにいるなう」
「マップに赤マーカーが表示されたら、皆んなで向かうってことでヨロです」
「おっけぇ。うひひ、ま~さか、この俺ちゃんがクイニーの緊急クエストに参加できるなんてなっ。たっのしぃぃいいっ! 」
その一方で小田切は現在の状況に頭が追い付かず『何なんだ』と脳裏でつぶやき続けていた。クッキーの壁に背中をつけて辺りを警戒しつつ……ウエハースで出来た箱の後ろでしゃがんで周囲に誰もいないことを確認している。
「なんで俺がプレイヤーに追いかけられるんだ? なんでこんな目に合わないといけないんだよ……。それなりの手当てを貰わないと割に合わないっすよ、春日さん」
執拗に追いかけて来るプレイヤーたちの行動は不可解かつ不気味だった。武器を使って攻撃してくることこともなく、痛いと叫べば躊躇する。かと思えば、投網グレネードを投げつけーー動きを封じた小田切の背中や腕をぺたぺたと触った。
いら立ちがピークに達した小田切は鬱憤を晴らすかのようにクッキーの壁に拳を叩きつけたーー。ピシピシ……という亀裂が入る音が聞こえ、小田切は何事かと頭上を見上げた。3階建ての建物が崩れ始めている。
「な、なんで!? ふざけんなくそがっ。ぁあああ、もう! 」
パラパラとクッキーの塊が降る中、慌ててGM特有の街移動スキルを発動した。しかしーーマーチンの捕縛から逃げだした時と同じように見えない柔らかい壁にぶつかり、小田切はタルト広場にごろごろと転がった。
「なんで街移動スキル使ってんのに、他んとこに行けねぇんだよっ」
「やっぱここにキタコレ! 予想的中っ! 」
「他のスパイと同様、学習能力ないなぁ」
にやにやしながら顔を覗き込むプレイヤーたちに驚いて、小田切は小さな悲鳴を上げた。よく見れば周囲に人の壁が出来ている。彼らは茫然としている小田切の頭や肩をペタペタ触り、クスクスと笑った。
「もう観念しちゃった? 」
「案外と根性無しだな」
小田切はカッとなって髪の毛をくしゃくしゃするプレイヤーの手を叩いた。スパイではなくGMだと言いそうになったが口をつぐんだ。そんなことを言ったら最後、プレイヤーから何をされるか分かったものではない。
強制ログアウトの時間まではまだ1時間以上もある。カナデたちだけでなく、プレイヤーと不毛な追いかけっこをしながら、その時間まで待つなんて到底無理だった。さっさとスタッフ専用ゲートを使ってゲームの世界からおさらばしたい。
それしか考えられなくなった小田切はスモークグレネードを足元に落とすと、人の壁に開いた穴に飛び込んだ。
お菓子の街アマリアの全体マップをノートパソコンで見ていたマーフが不敵な笑みを浮かべた。ビビが言った通り……黄色い星アイコンがマップの方々に出現している。どういう仕組みなのか皆目見当がつかないが、その黄色い星の1つに赤い花丸マークが移動しているのが確認できた。
「こちらマーフです。花丸の目的地はサザーランド伯爵邸のようです。恐らくあと10分ほどで、屋敷の裏口に到着するかと」
「こちらカナデ。テレポートで先回りします」
「カナデさん、花丸は窮鼠猫を嚙むタイプかもしれません。くれぐれも気を付けて下さいね……。ボーノさんたちは計画通り、花丸の進路を塞がないようにプレイヤーの誘導をお願いします」
マーフは豆ウサギからの『ラジャー』という声を聞きながら真っ白なティーカップを手に取った。ひと口飲むとイチゴジャムのやさしい甘味と香りが口に広がり、緊張しっぱなしだった心がほぐれていくような暖かさを喉の奥に感じた。
さすがクイニーが淹れたジャムティーである。本当はちょっぴりウォッカを入れたかったのだが、さすがにそれは情報ギルドのメンバーに申し訳ない気がした。マーフはプレミアムな気分に浸りつつ、計画成功のフラグが華麗に立つ姿を想像した。
「順調に物事が進むと気分がいいですね」
「思ったよりも相手が単純だったってことかしら」
「これも全て、お代官さま、のおかげです」
「いやだわ越後屋、私はお茶を淹れただけよ? 」
楽し気な笑い声に包まれたカフェテーブルの周囲にはプレイヤーは誰1人としていなかった。マーフの心を不安にさせるほど静かだ。
「……クイニーさま、奴らに反旗を翻したことがバレたら御身が危なくなりませんか? 」
「そうね……。何にせよ、それはどのみち時間の問題だったから……今更言っても仕方ないわ。それよりも、ここにあの男が来なかった事を最大限に利用した方がいいと思うの」
クイニーはいつものように優しく微笑んでいたが、首元に手を置く仕草は憂いを帯びているように見えた。内心では恐怖と戦っている……マーフは少しうつむき、胸元のシャツを左手で握りしめた。
ヴィータ戦の結末を聞いたクイニーが倒れたとマーチンから連絡が来た時、マーフは慌てて彼女の元に走った。すぐさま近くにある銀の獅子商会の店舗を療養所として改装し、その後も足蹴く見舞いに行った。クイニーは感謝の言葉を述べていたが、なぜかマーフにはNPCらしい会話から逸脱することがあまりなかった。
そしてある日、マーフはレイナを通じて手紙を受け取った。恥ずかしいから誰もいないところで1人で読んでくれと言う伝言付きだ。不思議に思いながら開いた手紙は一件すると、単なる季節のあいさつ文と服飾品のおねだりに見えたが……。
中途半端に段落を変える書き方がとても不自然だったーー。
「これ、もしかして冒頭を縦読みにするのか? 嫌、違うな……語尾か! 私、の、首、にーーと、う、蝶、き。……盗聴器!? 」
思い起こせばクイニーはカナデの話になると話題をすり替えることが多々あった。連続クエスト関連も然り、笛吹ヴィータやオーディンの人形については一切口を閉ざしてしまう。
何かを気にしているかのような不可解な行動……。その謎が盗聴器のせいだったとは思いもよらなかった。そしてその続きにはーー『ばくだんあり』と綴られていた。マーフは想定外すぎる内容に愕然とした。
青空を気持ちよさげに飛んでいた小鴉のケイトリンがマーフの肩に止まった。小さくカァと鳴き、マーフの顔に頭を擦りつけてる。隠密郵便で運んだ手紙と荷物をマーフの脳内にインプットしていのだが、可愛いペットが主人に甘えているようにも見えた。
微笑ましい光景にクイニーも頬を緩めている。マーフはそんな彼女にニッコリ笑顔を向けながら、テーブルに静かに箱を置くと、ゆっくりと蓋を開けた。
「クイニーさま、うちのお抱えパティシエからの差し入れです」
「まぁ、嬉しいわ。後でお手紙を書くから届けて下さる? 」
「もちろんです」
「ありがとう、マーフ。あっ、切り分けるのは少し待ってちょうだいーー」
チョコレートで美しく滑らかにコーティングされたザッハトルテをクイニーは美しい芸術品を愛でるように見つめた。食するのは恐れ多いと言わんばかりの表情を浮かべて、何度も感嘆の声を上げている。
そんな風にクイニーがザッハトルテにうっとりしている間にーー暴食の女神クイニー緊急防衛クエストの終了サイレンが街中に響き渡った。
残念そうな顔をするプレイヤーはそれなりにいたが、ほとんどは溜まったポイントをクイニーの報酬品と交換できるエメラルドの果実を手に入れて嬉しそうにしている。らいなたん商店の周囲はいつも以上に人の波が押し寄せ、通りはすぐさま賑やかになった。
「冒険者の皆さまが楽しんで下さったようで、嬉しいわ」
「クイニーさま、ご助力ありがとうございました」
「マーフ、カナデに伝えてくれる? ……私が協力できるのは今回だけだと」
「……承知しました。でも私とはまた会ってくださいますよね? 」
「もちろんよ。銀の獅子商会の新作の帽子を、楽しみにしているわ」
マーフは深々とクイニーにお辞儀をすると、花丸が逃げ込んだサザーランド伯爵邸に急いだ。
システム:ユニークNPCである暴食の女神クイニーは笛吹ヴィータと同じように、プレイヤー以外の者に倒される、または破壊されるとリポップしません。データはバックアップされているため新たな器を用意すれば復活可能ですが、果たしてそれは……彼女なのでしょうか。




