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神ノ箱庭  作者: SouForest
ユグドラシルを求めて。
135/166

ヴィータの心臓(下)

 天井を見上げると満点の星々が瞬いていた。時折り、2等級ほどの明るさの星がスーッと空を駆け抜け、虹色のカーテンから三日月が恥ずかしそうに顔を覗かせた。いつの間にかぼんやりと光っていたランタンはパチパチという耳障りの良い音を立てる焚火に変化しーー倒木に座るマキナのTシャツを照らしている。


 銀髪の少女は切り株に置いてあった枝を手に取り、枝先に刺さったマシュマロを炎で焙り始めた。はたから見るとキャンプ場にいるようだ。牢獄内だというのに、拷問どころか拘束されることもない。


 なにゆえに……こんなにくつろげる空間になっているのか? マキナは不思議でならなかったが、その疑問は木製のカップを手に取ってすぐに察することができたーー。


「なるほど……。全て、ルー好みってやつか」

「えっ? 血なまぐさい装飾はパス! とは言ったけど? 」


「ふ~ん……。随分と、ブランに愛されてるんだな」

「あはは。彼はオーディンの人形の騎士だからね」


「人形の騎士……ね」


 マキナは面白くなさ気に鼻で笑い、木製カップから立ち昇るアールグレイの湯気を吸い込んだ。


「そういやオーディンの人形ってさ、キッズモデルやってた頃の総司に似てるよな」


「何言ってんだっ、ぜ~んぜん似てないでショ! ってか、なんで今その話するかな……」


「雑誌が発売される度に、叔母さんから送られてきたのを覚えてるよ。妹が『そうちゃんが着てる服が欲しい』って、よく親父にねだってた。まだ大事にとってあるんじゃないかな? 」


「うげっ。女児向けのヤツなんだから捨てていいのに……。あん時は父さんが所属するモデル事務所にノセられてーー。じゃなくて、黒歴史暴露ストップ! 」


「ブランに話して無いのか? ストレートの長い髪が良く似合ってたのに」

「言えるわけないじゃんっ。それにあれは、ヅラだ! 」


 ルードベキアが慌てて出した枝にはちょうど良い焦げ目がついたマシュマロが刺さっていた。マキナは勝ち誇ったような笑みを浮かべーーマシュマロに齧りついた。



「マキナそろそろ……」

「ん~……もう少し待ってくれないか。ここも時間の流れが外と違うんだろ? 」


「そうみたいだけど……。会話はログに残るから余計な話は無しだぞ」

「ははは、分かったよ。なぁ、ルー。あの秘密基地はどうなるんだろうな」


 今日という日が来るまで何度も何度も話し合い、準備をしてきたが、皆目見当がつかないことが1つあった。それは……ヴィータというキャラクターが消滅すると、桜の森と広大な海が広がる仮想空間も消えてしまうのか? という問題だ。


 マキナだけでなく、ルードベキアからもーーしんみりした空気が流れた。


「やっぱ無くなっちゃうよね。桜森のヴィータも……」

「たぶんだけど……ヴィータはルーが書いた本に移動するんじゃないかな」


「そうだといいな」

「きっとそうだよ。ーーところでルー、どの作戦でいくんだ? 」


「カピバラ満載プラン、マキナ保険付き」

「あぁ、うん。Kプランな」


「それとマキナ、ラクガキ帳と救済措置ノートくれ」


 ルードベキアはそう言いながらすくっと立ち上がり、マキナの眼前で両手を広げた。


「あれを見られるのは恥ずかしいんだけど……渡さないと駄目? 」

「うん。マーフにお詫びとして持ってくから出して」


「う……。そうか、そうだよな……。代わりに謝っておいてくれないか? 」

「僕も同罪だよ。ルルリカを覚醒させるために様子見してたからね」


 表紙にマジックで救済措置と書かれたスケッチブックをルードベキアはパラパラとめくった。それぞれのページに、レイドメンバーのイラストと所持している装備や身体的特徴などなど……設定資料のように描かれている。


 そして何ページ目かで手を止めた。


「ブランやガンドルの分も準備してくれてたのか……」


「当り前じゃないか。ヴィータにやられるなんてことはないだろうけど、万が一ってやつがあるかもしれないと思ってね。もちろん、ルルリカのもあるぞ」


「これ蘇生回数は1回きり? 」


「いいや、3回までいける! ようにしたんだが、記憶の定着障害が起きる可能性は無きにしも非ず……。そんなわけで、出来るだけ死なないようにと、言っといてくれ」


「オーディンの人形は無いんだな」

「そのことなんだが……。何度描いても、消えちゃうんだよ」


「ハルデンやクイニーは? 」

「そっちも同じ」


「ユニークNPCはNGなのか」


「たぶんね。慎重に行動するようにしてくれよ。この先、何が起こるか分からないからな」


「何とかなるよ。データは常に書庫にバックアップされてるからね。ーーいざとなったら、閲覧机に飾ってあるクマのぬいぐるみに入るさ。マキナも使っていいぞ? 」


「要らぬ! 」

「遠慮しなくてもいいのに。これなんかどうだ? 」


 ルードベキアはさっきフィールドで拾った鮫縫いぐるみを、マキナの頬にグイグイと押し付けた。『皆んなに愛されるぞ』と言って、意地の悪い微笑みを零している。


「ルー、からかうなよ。俺は物語通りに、人形の右手に移行する」


 マキナはルードべキアの身体を引き寄せて、向き合う形で膝に乗せた。しばらくの間、ビックリして大きく見開いたサファイアブルーの瞳をじっと見つめていたが、白い頬を右手のひらで包み込み……。小さな唇に親指を押し当てて、ゆっくりと……撫でるように動かした。


 いつになく艶っぽい表情のマキナにルードベキアは焦りを募らせた。今までかなり誤魔化して来たのだが、今回は身動きができずーー万事休す状態だ。こんな時は体格の違いを恨めしく思う。


 どうやってスルーすべきか、ルードベキアの脳内で会議が始まった。泣くか、叫ぶか? それともスキルを使って応戦するか? どれもすぐさま却下された。オーディンの人形の危機をブランが察知したら、月下牢獄が解かれてしまう……。


 それはどうしても避けなければならなかった。なぜならーー月下牢獄のおかげで怪物ヴィータがマキナに戻ってるからだ! 石のように身を固くしたルードベキアは心の中で『南無さん』と唱えた。



「キュー! キュー! キュー! 」


 激しい動物の鳴き声が沈黙を破った。さらに地面をダンダンと鳴らす音が響き、唖然とするマキナのTシャツが『楽は苦の種苦は楽の種』という文字が歪むほど引っ張られた。


「羽ウサギ? いつの間にこんなにいっぱい」

「おめぇら、なにしでんだ? はやぐ作戦ば進めねぇと、しばくぞゴラ 」


 ここぞとばかりにスッとマキナから離れたルードベキアの前に、蝶ネクタイをつけた羽ウサギが腕に抱えた巨大な砂時計をドンと置いた。さらに、眼を釣り上げてマキナの脛をバンバンと叩き、流れ落ちる砂を指差した。


「制限時間が迫ってんだがら、はようせぇ」

「も、申し訳ない」


 マキナは立ち上がって羽ウサギにぺこりと頭を下げると、左手を首元に置いた。ルードベキアにきまり悪そうな顔を見せている。


「ルー、ごめん。さっきは……ちょっとふざけ過ぎた」

「う、うん……」


「その……これでやっと、ヴィータは解放されるな。彼はずっと苦しんでた」

「ヴィータは……この世界から消えちゃっていいのかな」


「むしろ、いたら駄目だろ。見境なく何でもかんでも食い荒らすようなモンスターになっちゃったんだから。ヴィータはルーが書いた幸せな結末の世界で生きていくのが……1番良いんだよ」


「……そうだね」


 ルードベキアは複雑な心境のまま、審判を下される罪人のように頭を垂れて膝をついたマキナの前に立ちーー彼の右肩に左手を乗せた。


「そんじゃぁマキナ、ちゃっちゃとやっちまうか」

「あっと、10秒待って! いや、5秒! 」


「往生際悪いな」


「パソゲームでもさ、痛くないのにダメージ受けると『痛い』って叫ぶじゃん? 痛覚オフにしてっけど、なんていうか……気持ち的にそんな感じで、その……分かるだろ? 」


「え~……」



 歳が近い親戚だったせいか、マキナとルードベキアは幼い頃から仲が良かった。自宅が近ければ、毎日外で遊んでいただろうに、残念ながら電車で1時間かかるほど距離が開いていた。簡単に会えない距離を彼らはオンラインゲームで縮めた。


 ボイスチャットをしながら夜通し遊び、両親に怒られたのは今では良い思い出になっている。大人になってからも、パソコンやコンソールゲームで同じゲームをするのは当たり前で、気の置けない戦友だった。

 

 VRシンクロゲームが流行り出した時はギャルゲーやエロゲーよりも真っ先に、アクションマルチゲームを手にした。その頃は2時間で接続が切れる仕様で、いつもボス戦の真っ最中に落とされることが多かった。それでも彼らはモニター越しではなく、バーチャル世界で現実のように会えるのが楽しかった。


「そういえば、熟れた雌豹ってエロゲーやってたよな」

「ばっ、ちょっマキナ! それをここで言わないでくれよっ」


「あれって、どうなんだ? かなりいい? 」


「そりゃぁ、バーチャル空間で好みの美女とにゃんにゃんできるからーー。何言わせるんだよっ。ほら、砂時計ヤバイヤバイ。うさちゃんも、お怒りモードだ! ちゃっちゃとヤるぞ! 」


 恥ずかしさを隠しているのか、ルードベキアは笑い声を上げるマキナの肩をガクンガクンと揺らした。だがしばらくすると……顔をくしゃくしゃにしてうつむいてしまった。


「ルー、どうした? 泣いてるのか? 」

「泣いてない……」


「今生の別れじゃないんだから、笑ってくれよ」


 ルードベキアは無理やり笑顔を作ると、膝をついてマキナのおでこを押し付けた。泣きたい気持ちを悟られないように……。マキナは愛おしそうに、銀髪の少女の背中にそっと手を回した。


「またあとでな、ルー」

「……ありがとう、悟兄さん」


 マキナの白いTシャツに、白い右手がするりと差し込まれた。手のひらに包まれた心臓は出会いを喜ぶかのように脈打っている……。ルードベキアは躊躇うことなく、力を込めてそれを握り潰したーー。

 

 そしてマキナは……幸せそうに微笑みながら、この世界から消え去った。


 ルードベキアの足元に落ちた人形の右手に、ぽたぽたと雨粒のような涙が零れ落ちた。これで良かったのだろうか。いや良かったんだ……。ルードベキアは自問自答をつぶやき、しゃがんで右手を拾い上げた。


 手首から切り離されたそれは、『手』というよりもブロック玩具やプラモデルのパーツのように見えた。試しに右手首にぺたんと付けてみたが、元に戻ることはなかった。1つのアイテムとして独立してしまったらしい。ルードベキアは地べたにペタンと座り込み、鼻をすすった……。


「ブランと……書庫のガーデンテラスに行きたいな」


 ーーいいですよ。書庫に行ったことが無いので楽しみです。


「ゴードンがね、スイーツ作りにハマちゃったみたいでさ……。食べきれないほどあるんだ」


 ーーもしかして、銀獅子カフェに卸してません?


「小鴉経由でマーフに大量に送ったことがあったかも……」


 ーーランドルに滞在した時に、マーフさんから頂いたザッハトルテが非常に美味で、料理人の名前をを聞いたことがあったんです。でも教えてもらえなくて……ずっともやもやしてたんですけど、もしかして……。


「ザッハトルテはゴードンの十八番だよ」


 ーー名パティシエにお会いできるなんて光栄です。手土産は茶葉イタチ村の朝摘み茶がいいでしょうか。それともランドルの紅茶店の……。


「僕もランドルに行きたい……。屋台で買い食いしたり、ぶらぶら歩いたり……」


 ーー行きましょう。どこへでもお供しますよ。


「ブラン、早く会いたいよ。ここは嫌だ……」


 ーーすぐに迎えにいきます。だから、独りで泣かないで下さい。


「うん……。待ってる……」


 膝を抱えてグスグス泣いていたルードベキアは、ふと暖かい光を感じて天井を見上げた。星が瞬いていた夜空にぽっかりと穴が開き、疑似太陽の光が差し込んでいた。月下牢獄の格子がゆるやかに天井から溶けるように消え、光の粒がルードベキアに降り注いでいる。


 眩しくて細めた目に、背中の羽をパタパタと動かして空に昇っていく羽ウサギたちが映った。光の中を泳ぐ彼らはまるで……神の使いのようだ。親指を立ててウインクをしていなければだがーー。

システム:ルードベキア(林総司)の子どもの頃がちょっぴり明らかになりました。モデル業の父親の影響でキッズモデルをしていましたが、撮られるよりも撮る方に興味を持ち始め、フォトグラファーになりました。


-----おまけ「崩れゆく箱庭の理」-----


 苑田は神妙な面持ちで、上司である森本健一に話しかけたが『少し待ってくれ』と言われてしまい、今現在、キーボードがカタカタ鳴る音を静かに聞いている。しばらくすると、森本はデスクチェアを回転させて、ドリンク専用テーブルから、アイスコーヒーをとった。苑田が話し出すのを笑顔で待っている。


「すみません、実は……ソウルデータ定着実験の経過観察で、不可解な現象が起きてましてーー。死刑囚のソウルデータを定着させたイベントダンジョンのモンスターが、一般フィールドをうろついてるんです。姿はプレイヤーには見えてないようなので、今のところ実害はないんですけど……」


「ダンジョンから抜け出して、うろついているのか? それは確かに不可解だな」

「はい、幽霊のような姿で散歩している感じです」


「人間と融合させた影響かもしれないな……」

「原因究明は、格ゲークイーン木田さんにお願いしています」


「格ゲークイーン? 来たばかりなのに、もうそんな異名がついてるのか」


「ファイティングラッシュのアーケードゲーム機を設置することを条件に、彼女はここに来たそうです。寝る前に1時間やってるって言ってたんで、この間、対戦をお願いしたら……ぼろ負けしました……」


「そ、そうか。木田君が格闘ゲーム好きだったとは知らなかったよ」


「もうホント強くてーー。おっと、話をずらしてすみません。それで幽霊モンスターの件ですが、イベント会場を封鎖しているせいで不具合が生じている可能性が高いようです。試しに入口を3日間ほど解放してみようと思うのですが、良いでしょうか? 」


「そうなると、複数の会場を同時につなげるってことになるな」


「はい。融合モンスターはニューイヤーとバレンタイン、サマーフェスティバルの3つだけなので、少しずつ入口をずらして調整すればなんとかなるかと。露店については全て閉店させます」


「それなら問題ない。よろしく頼むよ」

「後日、木田さんから結果報告をしてもらうようにします」


 苑田はそう言って部屋から出ようとしたが、急に何かを思い出したような顔をして、くるりと振り返った。


「今度の土曜の夜に、延び延びになってたスタッフ歓迎会やるので、絶対に出席してくださいよ! 」


 分かったを2回繰り返した森本健一に、笑顔を返した苑田は足早にその場を離れた。2次会はカラオケにするか、それともゲーム大会にするかを悩みながら。


See you next week.

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