ヴィータの心臓(上)
「苑田さん、大変です! 神ノ箱庭の監視システムが全てシャットダウンしました! 」
新人スタッフ春日良晴の焦り声を聞いた苑田洋二は砂嵐が流れるパソコンモニターに唖然とした。
「どういうことだ? まさか外部からのクラッキング!? 」
「違うようです。これは……」
「くっそ! 小田切さん、ナンバー1から4の箱庭をーー」
「ネットワーク遮断して、落としました! 」
「了解した。こいつ駆除するぞ! 」
忙しくキーボードを叩きながら、苑田は舌打ちを鳴らした。画面の砂嵐が消えたと思ったら、笑みを浮かべた笛吹ヴィータがトランクケースをポイポイと投げる様子が映ったからだ。
やがてトランクから這い出した艶やかな黒い羽をもつ害虫が画面内をカサカサ歩き始め、スピーカーからは笛吹ヴィータの笑い声が流れた。苑田たちは必死にウィルス駆除を試みたが……モニター画面は瞬く前に蠢く黒のみになってしまった。
「あぁ……マジかよ」
「ヴィータと融合した人物って、ハッカーなんですか!? 」
「いや、こんなこと芸当ができる知識なんて、中条悟には無いはずーー」
「そ、苑田さん! これ……」
「くそっ! 人形も関わってるってことかよ! 」
モニター画面には黒1色から一転して、桜の大木が映し出されていた。美しく咲き乱れる満開の花と……ハラハラと舞う花びらーー。そして可愛らしい銀髪の少女が手を振り……あっかんべーをしている。
苑田は憎々し気にその映像を眺めた。
ほんの少し前まで、ナンバリングのカナデたちがヴィータ相手に奮闘する様子を、新しく加わったスタッフーー春日と吉田、小田切ーーと楽しく鑑賞していたというのに……。
「あいつら、どうやってこんなことを? 小田切さん、監視システム以外はどうなってます?」
「今ちょうど確認してたんですが、問題ないようです」
「それなら、カナデオリジナルのデータは回収できますね。それから、人形の書庫にアクセスして、個人情報をサルベージして下さい。それを読めば、今回の件をどうやったか分かるはずです」
そう言われてすぐさまオーディンの人形の書庫にアクセスした春日は……訝し気な表情を浮かべて首をかしげた。ヴィータ本のデータ更新日は今日の日付になっているがーー。
「たったの3ページ? しかも、今日アップデートした内容がどこにもない……。マキナの本は……えっ!? 苑田さん! 」
室内で「はぁ~」という複数の大きな溜息が混ざり合って響いた。苑田は「頭を抱える」という読んで字の如くのポーズをした後に、髪の毛をくしゃくしゃ掻きむしった。
「プレイヤーの個人データがまるごとごっそり無いって、ありえないだろ」
「カナデオリジナルのデータには、ハルデンが書庫に個人情報がたんまりあったという記載があったんですけど……」
「書庫管理人を通じて調べられないか? 」
「そ、それが……」
春日は青ざめながら、モニターに映った書庫管理人ゴードンの台詞を指差した。爽やかな笑顔を見せているゴードンの吹き出しにはーー『プレイヤーの個人情報書籍化反対』と書かれている。
「ちくしょう! 書庫システムも乗っ取られてたのかよ!! いつからだ? こんなことなら、人形を常に監視しときゃよかった……」
老人たちが望むレイブンシステムの構築に忙殺されて、実験場の管理を疎かにしたことが今更ながら悔やまれた。素人のデータロックなど、いつでも解除できると甘くみすぎていたのだーー。
「あ、あの、すみません、苑田さん。人形の情報収集システムは未だに稼働したままなんですよね? それなら、多大な情報が集まった人形が書庫化しているか、どこかに本物の書庫があるんじゃないでしょうか? 」
怒りで頬をピクつかせていた苑田は、はっとしたように顔を上げた。
「春日さん、小田切さんと一緒に、書庫の場所を特定して下さい。なる早でお願いします。吉田さんは、ナンバリングの箱庭が無事か確認お願いします。ーー俺は森本さんに報告してきます」
ガラス張りの壁の向こうに見える中庭ではアニマルセラピーとして飼われている柴犬が気持ちよさそうに昼寝をしていた。さっきまでいたピリピリと緊張した空気が流れる空間とは打って変わって、穏やかだ。苑田は笑みを零したが、すぐさま表情を暗くした。
「どうにかして書庫をサルベージしないと……」
神ノ箱庭に潜って、オーディンの人形を捕らえた方が早いような気もした。森本からログインの許可が下りればの話だが……。憂鬱な気分で報告するとーー森本から意外な言葉が返ってきた。
「カナデオリジナルのデータが得られるなら、監視システム復旧と書庫の件は後回しでかまわない。それよりも、レイブンシステム構築とソウルデータシステムを優先してくれないか」
「えっ。ですが……神ノ箱庭に、設楽会長の奥さんを送るんですよね? 」
「まだ2カ月の猶予がある。いざとなったら……ナンバリングを使えばいい。カナデ1がいる箱庭が良いかもしれないな。あれは穏やかな性格だから」
「あっ。えっと、すみません。カナデ1は……ヴィータ戦であっさり負けちゃいまして。その……」
「データなんだから、巻き戻せばいいじゃないか」
感情の欠片もない物言いをする森本に、苑田は小さな違和感が芽生えた。ーーオリジナルのコピーとはいえ息子には違いないだろうに、単なるデータ扱いをするなんて……。思わず、そう考えてしまった。だが苑田も……同じ穴の狢に違いなかった。
苑田は暗い声で返事をして、うつむいた。
「どうした苑田。実験前にバックアップはとってたんだろ? 」
「はい……」
カタカタとキーボードを叩く音を聞きながら、苑田は森本がいる部屋を静かに退出した。いろいろ思うことはあったが口に出すことはできなかったーー。苑田は来た道を真っ直ぐ戻らずに、吸い寄せられるように中庭に続くガラスの扉を開けた。
「やぁ、今日も可愛いね。元気かい? 」
頭を撫でられて嬉しいのか、柴犬ケンタはしゃがんだ苑田に身体を摺り寄せ、勢いよく尻尾を振っている。苑田はーー癒しを感じながらも、自己嫌悪に陥ったような……苦しそうな表情を浮かべた。
神ノ箱庭のシュシュの森近くのフィールドでは、相も変わらず鮫型モンスターがぽこぽこと生まれていた。彼らは頭上に表示された『エンデュランス』という名称が重なって読めなくなるほど、月下牢獄に群がっている。ついさっきまで、仲間が貪り食われていたのを忘れたのか……怪物ディータを解き放とうとしているようだった。
しばらくするとーー牢獄を形成している者を消せば良いと感づいたのか、エンデュランスたちは剣王ブランに牙を向けた。
「……やつらも馬鹿じゃないってことですかね」
「ブラン、そんなこと言ってる場合かヨっ! アレが出てる間はステータスがすんげぇ低くなっちゃうんだろ? 」
「そう、ですね……。ほんのちょっぴり、ピンチかもしれません。私を守って頂けます? ガンドルさん」
「あったぼうよ! 俺に任せとけってのっ」
「頼もしいですね。ルーが牢獄から出てくるまで、よろしくお願いします」
「よっしゃぁ! ボーノ、マーチン、アーチボルト、こっち来い! ブランを守るぞっ」
威勢のいい『了解』という声が通信アイテムーー豆ウサギーーから流れた。ブランを囲む陣形を取った各チームは初期の頃よりもステータスが倍になったエンデュランスに斬りかかりーーブランは輪の中心で神兎剣を操りながら、不安そうに白くて長い耳をピクピクと動かした。
月下牢獄内は暗闇に包まれていたが、中心にはキャンプでよく見るようなランプが浮かんでいた。怪物ヴィータの変化が解けたプレイヤーマキナと、銀髪の少女をほのかな光で照らしている。
「仕掛けの設置ありがとマキナ。大変だったろ? 」
「あはは。ほんのばかしね。ステルスゲーやってるみたいだったよ」
「急に頼んでごめん。ちょっといろいろあって……」
「気にすんな。クリア後の爽快感を感じてるから問題ない。悔しがるあいつらの顔が拝めないのが、少し残念だけどな」
マキナは時代劇の悪代官のようなニヤニヤ顔を見せながら、大きな笑い声を上げた。合唱するようにルードベキアの声も響いている。
「ざまぁみろ、くそ野郎! 豆腐の角に頭ぶつけちまえってんだっ」
「その気持ち分かる。分かるが……ここでの会話、ブランに筒抜けなんじゃ? 『ルー、言葉遣いが悪すぎますよ』って、後で言われるぞ」
「うぐっ。ブランの物まね上手いな……」
「ところで、なんで急に心変わりしたんだよ。書庫の番人に転職して、プレイヤー時代の身体を作るってあんなに息巻いてたのに」
「えっ。あぁ、うん。ブランとの話し合いの結果、いろいろ作戦内容が変わりまして……」
ルードベキアは小さな声でごにょごにょと語尾を濁して、マキナに愛想笑いを見せた。
事後報告NGと言うブランとの極秘会議はいつも、彼の球体テリトリー内だった。ーー最近のブランは小姑のように口うるさい。剣王ブランはオーディンの人形のためなら何でもするという設定は、どこ吹く風のようだ。人間とNPCが融合した弊害なのかもしれない。
ルードベキアは足取りが重いと感じつつも……美味しい紅茶と茶菓子の魅力には逆らえなかった。そうその日はーードライフルーツをたっぷり使ったフルーツティーと紅茶シフォンケーキがテーブルに並べられ、最大級の好物を目の前にしたルードベキアは満面の笑みを浮かべていた。
「口の中に広がる紅茶の香りと、甘さ控えめ生クリームのハーモニー……至福! こういう時ってさ、この世界は最高! って、つい思っちゃうんだよねぇ」
「ほう? リアルと変わらないと思いますけど? 」
「いやいや、リアルだとさ……食べた分だけ、しっぺい返し食らうじゃん? 」
「健康を気にするタイプだったんですね。ジムに通ったりしてました?」
「あぁ、リハビリでーー」
ルードベキアは最後まで言葉を続けることなく、顔を曇らせた……。思い出をかき消すように、シフォンケーキと紅茶を忙しく交互に口に入れている。
「ところで、このシフォンケーキ、ランドルで買ったのか? 」
「いえ、ルルリカキッチンで私が作りました」
「ぶほっ。げほっ、げほ……」
「むせるほど驚かなくてもいいじゃないですか」
「いや、意外過ぎて……」
「では、ユグドラシル奪取会議を始めます! はい、拍手~」
「唐突だな」
「はい拍手! 」
「あ。はい……、パチパチパチ」
「前回、持ち帰った件はどうなりました? 」
「レイドモンスターの件はマキナが創作することになったよ。中ボス2体ぐらい出すとか言ってた」
「どんなモンスターになるか、知らされていないんですか? 」
「それが……ラクガキ帳を覗き見したのがバレちゃってさ。全て書き終わるまで教えないって言われた……。あとドロップ品については確認中らしい」
「で、ヴィータ討伐後の進行については? 」
「う、う~ん……」
「まさか、変更しないつもりですか!? 何度も言いますが、私は承服しかねます」
ルードベキアの真向かいに座るブランの目がより一層、険しくなった。毎回、ルードベキアはこの件を持ち帰るといって誤魔化していたのだが、そろそろその手は通用しないと言いたげだ。さらに視線の攻撃は激しくなり、ルードベキアはとうとう観念したように言葉を零した。
「……ブラン、僕はーー」
「絶対にダメです。従兄のためとか、プレイヤー皆んなのためとか……そういうの、虫唾が走るんですよ」
「でも、プレイヤー全員がログアウト出来るようにするにはーー」
「なぜルーが、犠牲になる必要があるんです? 」
「犠牲じゃないよ……。この身体が無くなるだけだ」
「意味が分かりません。剣王ブランの気持ちは? 」
「いなくならないよ? 精神体っていうか、データになるっていうか、幽霊のような感じなっちゃうけど」
「でも書庫から、出られなくなるんですよね? 」
バツが悪そうにルードベキアはティーカップに目を落とした。蝶の透かし彫りの柄が付いたティースプーンでくるくると液体をかき混ぜている。
「ブラン、僕のリアルは……30歳のおっさんなんだ。違和感がありすぎてさ、もうこの姿でいるのが嫌でたまらないんだよ」
「だからといって、こんな計画を立てるなんて酷すぎます。私もあなたの歯車の1つでしかないんですね」
「それは違う! 歯車は僕だ。僕なんだ……。僕はカナデのために創られた舞台を動かす歯車の1つでしかない……」
「そういう物言いは止めて下さい。ルーは私の大事なーー」
「僕はブランが守るべきオーディンの人形じゃない!! 」
長い銀髪が揺れるほどルードベキアは声を荒げた。それなのにブランは涼し気な顔で紅茶を口に付けている。……沈黙という名の鳥がしばらくの間、静かに空を飛び続けた。
「その姿で言っても、説得力がありませんよ」
「……中身が全然違うって言ってるんだ」
「それは私も同じです。本来の私……いや、俺は引きこもりの弟を持つ18歳の高校生で、剣王ブランとはまったく違うーー。俺の個人情報は書庫で見てるだろ? 隠さなくていいよ」
「ご、ごめん……」
「俺は魔具師ルードベキアのファンだったから、こんな形だけど、話ができて嬉しいと思ってるよ。見た目も可愛いし」
「か、可愛いって……」
「そんなに照れるなよ。抱きしめたくなるだろ」
軽く右目でウインクをしたブランはすくっと立ち上がりーー戸惑うルードベキアを抱き上げた。
「えっ、いや、ちょっ……。あっ、でっかい兎だと思えばいいのか」
「ぶはっ、あははは! そういうところが、俺もブランも気に入っているんだよ。年上の男だって分かってるけど、そんなの関係ない。全てをひっくるめて俺はーー」
「うわああっ。待った、待ってくれ。その続きは言わないでくれ」
「ええっ? 映画みたいな良いシーンだと思うんだけどなぁ」
「ぼ、僕の心臓が持たない……」
「俺の想いを理解できました? 」
ファイヤードラゴンが飛び出したんじゃないかと思うほど顔を赤く染めたルードベキアが無言でこくこくと頷いている。ブランは優しく微笑み、銀髪の少女をふんわりと抱きしめた。
「では計画の修正をして下さいね。次回の会議を楽しみにしていますよ」
「……オーバーヒート。シャットダウン……シマス」
ルードベキアは『ぷしゅ~』という蒸発音を出して、くたくた人形のようにぐんにゃりと折れ曲がった。
システム:牢獄デスマッチ! はありませんでした。あったとしても、プロレス技が得意なマキナの勝ちでしょうねぇ。いやいや、ルードベキアは銀髪の少女のままだから、さすがにマキナはそんなことは出来ないかw




