イミフよ、イミフっ
小さな泉で竹茶碗を洗っていたパキラは手を止めた。アイテム補給をしているアタッカーチームのメンバーたちを羨ましそうに見つめ……自分もシュシュの森にいるのになんで? とつぶやいている。雑用しかやらせてもらえない状況に納得がいかないようだ。
「私だって戦えるのに……。イミフよ、イミフっ」
「パキラさんっ」
「うわっ! 三郎さん!? び、びっくりした……」
「茶碗を洗って下さって、ありがとうございますっ」
「いま丁度、終わったよ。他にやることある? 」
「今は特に……。ところで、イミフって何です? アイテムか何かですか? 」
「え。え~っと……」
「もしかして魔法!? 」
「そんな凄いものじゃないから、気にしないでっ」
パキラは竹茶碗を入れた籠を持ってそそくさと歩き出したが、ガクンとよろめいた。振り返ると、ぴかっと電球が輝いたような笑顔の三郎がパキラのスカートの裾を掴んでいた。
「分かりましたよ、パキラさん! おまじないですねっ」
「えっ。あ~……。バレちゃったかぁ……」
「うわぁ! 何のおまじないです? 最近、茶葉イタチ村では守り札や、おまじないの類が流行っているんですよ。ぜひ教えてくださいっ」
三郎はくりくりした愛らしい瞳をきらりと輝かせた。かなり興味津々な様子だ。彼の純真な心がパキラの身体中にぐさぐさと突き刺さった。
ーーそんなきらんきらんした瞳で見つめないでっ。困ったな、なんとか誤魔化さないと……。
パキラの頭上では妄想からポンと生まれたミニミニパキラが『どうするどうする? 』と言いながら、その場をウロウロと行ったり来たりしている。
「あ~、う~ん、実は……由緒正しき、ケモ神様からの伝承でぇ……」
「ケモ神様っ!? うわぁっ」
「内緒なんだけどぉ……。しょ、勝利を導くーー」
語尾をごにょごにょと濁して、パキラは三郎から目線を外した。気まずそうにへらっと笑っている。三郎はふわふわの毛に包まれた頬に両前足でぐにっと押し当てて、嬉しそうな声を出した。
「勝利祈願なんですね。じゃあ、俺もおまじないしますっ」
「うあっ、待って! これは誰にも聞かれちゃ駄目だめなの」
「あっ……。さっき、パキラさんのおまじないを聞いちゃいました。ごめんなさい……」
「いいのいいの。問題ないから気にしないで」
少し間を開けた後、パキラは少しかがんで、三郎に真顔をずいっと近づけた。
「ーー三郎さん、絶対に、誰にもいないところで、やってね」
「は、はひっ」
三郎は両手で口を押えて、頭上の茶芽を揺らしながらマーフたちがいる本部から、そ~っと離れた。周囲をキョロキョロと見渡している。しばらくして木の根っこを見つめてしゃがんだが、ひょっこり顔を出したキャベツ精霊たちに驚いて、尻もちをついてしまった。
その様子を一部始終観察していたパキラは素直に信じている三郎に引け目を感じつつ、腑に落ちないという風にマーフに視線を移した。『ずるい』という言葉が胃で膨らんでいるような気分になっていた。そしてとうとう……悶々とした思いをぶちまけるために、戦場に戻ろうとしていたボーノの前に立ちはだかった。
「ボーノさん、私も戦いたいです! 」
「申し訳ないけど、最初に言った通り、パーティ枠が無いんですよ」
「非戦闘員の方と入れ替われませんか? もしくは、今、戦闘に参加していないディスティニーさんとかーー」
「……パキラさん、諦めてください。レベル50に満たないアタッカーは必要ないんです。急いでるんでーー」
「待って、ボーノさん! 」
ボーノにしがみつこうとするパキラの腕をスタンピートが掴んだ。パキラの目をじっと見つめて静かに首を横に振っている。パキラはまだ何か言いたそうだったが、スタンピートはグレーエリアとは反対方向に引っ張り、忙しい本部から無理やり遠ざけた。
「パキラのサムライ職レベルは45だろ? スキルレベルもそんなに高くないんだから、足手まといにーー」
「そんなことない! じゃあ、イリーナさんは? 」
「イリーナさんは補給用の店舗を設置してるじゃないか。それとオペレーター兼、緊急伝令係も担ってるんだ」
「でもさ、シーフのレベル、高くないでしょ」
「知らないのか? イリーナさんのシーフ職はレベル50だよ。隠密、俊足のスキルレベルもカンストしてる。俺より凄いよ……」
「でも、でも! そもそも、なんで戦えないマーフさんがいるのよっ」
「はぁ? 何言ってんだ。マーフさんは戦えないんじゃなくて、作戦指示するから戦わないんだよ」
「そもそも職人クラスがリーダーって、おかしくない? 」
「それ差別発言だぞ。職人クラスはハンタークラスの各職と違って、すべての武器を使えるんだから、戦闘は普通にこなせるじゃないか」
「……でもハンタークラスよりDPS劣るじゃんっ」
食物を詰め込んだリスのように、パキラはプクゥと頬を膨らませた。こんな状況でなければ可愛い仕草かもしれないが……。スタンピートは呆れ顔で溜息を吐き出すと、諭すように喋り出した。少しきつめの口調でーー。
「パキラ、俺らは戦力外通告受けて、参加拒否されたってこと、忘れてないか? パキラがごねたから、マーフさんが雑用係として、ここに来る事を了承してくれたんじゃないか。現場にくれば何とかなるとか、思わない方がいいよ」
「でもピートはパーティに入ってるじゃん! なんで私だけーー」
「俺はシーフ職だから、イリーナさんの補助ってことで、参加することになったんだよ。パキラのシーフ職のレベルは、まだ30にもなってないだろ? 」
「……そうだけどさ。私だって役に立つのにーー。いいよもう、1人で戦いにいくからっ! 」
「何言ってるんだよ……。皆んなに迷惑かかるだろ? 」
「自己責任で行きますぅ。ピート、前を退いて! 」
「我がまま言うなら、帰れ!! 」
スタンピートの怒鳴り声が森に響き、森の奥から戻って来た三郎がびっくり顔を浮かべた。パキラはやかんのお湯が沸騰したような怒りをあらわにして、スタンピートを睨んでいる。今にもつかみ合いの喧嘩が始まりそうな雰囲気だ。
イリーナはちらちらとパキラとスタンピートの様子を窺っていたのだがーー。滅多に怒らないスタンピートが声を荒げたことに困惑していた。腕組みをして、どうしたものかと悩んでいると、自分の名を呼ぶルルリカの声が聞こえた。
「ちょっといいかしら」
「あ、はい。ルルリカさんっ」
「あのねーー」
ルルリカの話を聞いたイリーナはすぐさま駆け出し、火花を散らす2人の間に無理やり身体をねじ込ませた。さらに挨拶するように右手をスッと挙げて、ミンミンのようにニカッと笑った。
「はぁい、そこの彼女! イリーナお姉さんのお手伝いをしない? ルルリカさんにね、荷物を受け取りに行ってきて欲しい、って頼まれたの。パキラちゃんは三郎さん以外の茶葉イタチと面識があったよね? 」
「あります! ぜひ手伝わせてくださいっ。私、茶葉イタチのハナちゃんと仲良しなんですよ! すっごく可愛いんですっ」
「おっ、いいなぁ。会ってみたいっ。大きな金木犀の樹の下で太郎丸さんと権左さんと会うことになったよ。知ってる? 」
「知ってます! 太郎丸さんは村を守ってる見回り衆のリーダーさんです。権左さんは心之介君のお兄さんでーー」
パキラはムッとしているスタンピートを無視して、明るく元気に茶葉イタチの可愛さを語りーーニコニコ笑顔のイリーナと手を繋いで待ち合わせ場所に向かった。
ソファのひじ掛けにゆったりもたれていたルルリカは三郎が持ってきた冷茶でのどを潤した。39度ほどあったであろう体温は下がったがーーだるさや眩暈は残ったままだった。
「美味しい……。三郎、ありがとう」
「本当に大丈夫ですか? 俺、ディの旦那を呼んできますよ」
「駄目よ。彼は私たちのために、いいえ……この世界のプレイヤーのために戦っているの。私は彼が羽を休められるように、この森を守らないと……」
「ルルリカさま……」
三郎は竹茶碗を両手で包むように持つルルリカを見つめた。彼女は微笑みを湛えているが、体調が万全でないことはすぐに分かった。じわっと滲み出た涙を拭き取り、鼻水をズズっと啜った。
ルルリカは腰まで伸びた長い銀髪をサラサラと流して身を起こした。身体からは黄金色のオーラが溢れ、小さな光の粒が流れ星のように森の隅々まで飛んでいる。彼女の眷属である精霊たちはキャベツ姿から、蝶のような薄羽をつけた愛らしい小人に変わっていた。絵本に登場するような妖精に少し似ている。
ファンタジーの世界に入り込んでしまったーー。そう感じたのは本部にいるマーフだけではない。凍結グレネードを取りにきたカナデや、ヨハン商店に弾丸を買いに来たレイナも、思わずほう……と感嘆の声を漏らした。
スタンピートも例外ではなく、白孔雀と見まがうルルリカの美しさにぼうっと見惚れている。
「なんて綺麗なんだ……」
「この小さな星が森を修復し、外敵から守っているの」
「上手く言えないんですけど、凄すぎて、ファンタスティックで、涙が出てきちゃいそうです」
「ふふふ。スタンピートさんたらーー」
「ルルリカさまっ、何か欲しいものとかあったらーーうがっ!? 」
背中につねられたような痛みを感じてスタンピートは振り返った。そこには不機嫌そうなパキラが立っていた。早く受け取れと言わんばかりに、小瓶をスタンピートの眼前に出している。
「ピートまで、NPCに様付け? これ権左さんからの預かりもの。ルルリカに渡してくれってさ」
「もう帰ってきたのかよ」
「すぐに帰ってきて悪かったですね~。ーーNPC如きにデレデレしちゃって、みっともないよ」
「なんだよそれ。ルルリカさまが、お前に何かしたか? 」
「はぁ? ……そうと、したじゃない」
「パキラ……?」
「私を殺そうとしたじゃない! 忘れたの!? 」
パキラはフーッと威嚇する猫のような目つきでスタンピートを睨んだ。あの時の恐怖は今も忘れていない。そう言いたげな様子だ。
「確かにそんな事があったかもしれないけど、その後はカナデの約束を守ってずっと森の奥にいたし、今は俺らに協力してくれてる。キャンペーンボスなのにだぞ」
「そして、レイドが終わったら、プレイヤーを襲うモンスターに戻りましたとさ。フンッ」
底意地悪く鼻を鳴らすパキラにスタンピートは絶句した。パキラはいかに自分がひどい目にあったかをつらつらと喋り続け、モンスターNPCを庇うなんて気が知れないと捲し立てている。会話する気が失せてしまったスタンピートは……押し黙った。
「ーー私が言ってること間違ってないよね、ピート? ……黙ってるイコール、肯定的だって受け止めるよ」
「えっ、違っーー」
「違うなら、私が納得するような意見をさーー」
「パキラさん、今の今まで謝りもせず……私……」
ルルリカの言葉が2人の間に滑り込んだ。彼女は精霊たちの手を借りてヨロヨロと立ちあがり……両手を胸に添えてゆっくりとパキラに頭を下げた。
「あの時はどうにかしていました。パキラさん、乱暴なことをしてごめんなさい。心から、謝罪します……」
「えっ。いや、その」
「許してもらえないと分かっていますが……私は……」
「あーっ、もう、いいです。もう謝らないで! それじゃっ」
パキラは無理やり作ったような笑顔を浮かべて、その場からそそくさと逃げ出した。激しい憎しみで顔を歪まていたルルリカが、なぜこんなに変わってしまったのか……理解できない。小さな声でぼやいきながら、竹茶碗を洗った泉の前でしゃがんだ。
「私は被害者なのに、ずるいよ……。性格ブスだったくせに見た目も変わっちゃうしっ。カナデに執着してなかった? 何なの? 絶対にディスティニーさん、騙されてるってば」
泉をじっと見つめていたパキラは……指で何個も波紋を作った。水面に映る顔がぐにゃりと歪み、背中から、すぅっと……何かが顔を出した。1体、また1体と増え……透けた身体でパキラにまとわりついている。
自分以外に何かが泉に映りこんだような気がして、パキラは振り返った。しかし誰もいない……。見えてたならば、ショコラダンジョンにいたキューピッドだと気が付いただろう。彼らは薄気味悪い笑顔を浮かべ……『イミフよ、イミフ』とパキラの耳元で囁き、ケラケラと笑った。
システム:おまじないという言葉は知っていますが、やったことがなかったので調べてみました。
紙に願い事を書いて塩で清めて燃やすとか、呪術っぽくてぞわぞわします。物を使わない呪文まじないもあるようで、失せ物を発見できる「あとみよそわか」ってのを見つけました。
「これを唱えてもっかい確認してみな」っていう意味らしい。法話から、おまじないとして使われるようになったんですかねぇ。
他にも願いや恋が叶う呪文が……。誰もいないところで唱えると書いてあったので、きっとパキラはマイルームでぶつぶつとつぶやいている。に違いない!




