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神ノ箱庭  作者: SouForest
神が作りし箱庭
123/166

箱庭の神々

「森本所長、設楽会長がお越しになりました」

「もうそんな時間か……」 


 キーボードを打つ手を止めた森本健一は背もたれ付きの黒い椅子を回転させた。開発室(仮)という札がついた扉の前で、長い髪を夜会巻きにした女性が立っている。彼女は膝上20センチのぴったりとしたスカートから惜しげもなく太ももを晒し、胸元が大きく開いたシャツからは胸の谷間をちらつかせていた。


 ふくよかなバストとヒップが非常に魅力的な彼女は普段から身体のラインを強調する服装を好むようだ。何かあるとセクハラと訴えられる御時世の、ちょっとした目の保養……そう思えれば良かったのだが。健一は獲物を捕らえようとする蜘蛛の危険な毒巣にしか感じられなくて、うんざりしたような表情を浮かべた。


 彼女の名は坂本朱美。仕事はもちろんのこと、何でもそつなくこなす理想の秘書と言われている。実のところ、設楽が送り込んだ間者である。だが健一はあえてそのまま放置していた。報告されて困ることや隠し事など特にないのと、プロジェクト以外のことを朱美がやってくれるおかげで、仕事に没頭することが出来ているからだ。



「それにしても……いつも私を呼びつけていた会長が、自ら研究所に来るとはね。要件について坂本君は何か聞いてるかい? 」


「急用……とだけ伺っております。詳細については森本所長に直接、お話したいとのことです」


「重要案件ってことか……」


 トリリアントカットされたブルートパーズのようなコアが映っているモニターを横目で見ながら、健一は大きな溜息を吐き出した。ーー欲望に塗れた世界のデータだというのに……かくも美しいものか。目をしかめて椅子から立ち上がり、朱美が差し出したネクタイを首に巻き付けた。


 現実世界の『死』と引き換えに移り住む新たなデジタル世界は着々と作り上げられていた。今現在は富裕層の老人たちのみだが、いずれは神ではなく……人間の手によって小説や漫画でもてはやされる異世界転生が、誰でも容易く出来るようになるだろう。



「森本さん、ソウルドールの調整で実験体が必要なんで、ついでにおねだりしてもらえませんかね」


 猫がしがみついているような手持ちがついているマグカップでコーヒーをすすっていた苑田洋二が人懐っこい笑顔を浮かべた。彼は少し前に神ノ箱庭の開発チームから、健一に引き抜かれたゲーム開発プログラマーだ。


 引き抜きの話を聞いた時の苑田は研究所の仕事をかなり訝しんでいた。給与は3倍以上になると言われても、外界と隔離された場所で制裁が厳しい守秘義務が課せられる仕事なんてまともじゃない……。そう思って断ろうとしていた。


 しかし、苑田は秘書だと紹介された坂本朱美を見た途端ーー『行きます』と言って、すんなりと契約書にサインしてしまった。甘い砂糖菓子にまんまと釣られたわけだが、苑田は現在の環境に満足していた。


 引っ越してすぐに苑田はヨーロピアンブランドの家具や最新家電が揃っている部屋に驚きの声を上げた。『家具は全て処分するように』と言われたのはこの事だったのかと。ずぼらな自分は掃除が大変だと思ったが、洗濯と一緒に専用スタッフが仕事に出てる間にやってくれるため生活において不便さを感じることはない。


 唯一不満があるとすれば……休日に独りで外出できないことだ。だがそれも、コンシェルジュの付き添いか朱美と一緒ならば許可が下りるため、段々と気にならなくなった。今では朱美との外出が楽しみでしょうがない。


 すまし顔の朱美にちらりと目を向けた苑田は左手でぽりぽりと頭をかきながら口を開いた。


「動物実験でソウルデータの定着が確認できたんで、今度こそ大丈夫ですよ。会長は渋い顔するかもしれないですけど、早めに次の段階に移りたいんでーー」


「そうだな、私もソウルドールは早く完成させたいと思ってるよ」

「あの説得材料として、このレポート、持ってって下さい」


 苑田はネクタイを結び終わった健一に青い書類袋を手渡してすぐに扉前にいる朱美の方に身体を向き直した。耳をぴんと立てた子犬が尻尾を振っている様子が重なって見えるほど、満面の笑みを浮かべている。


「朱美さん、ランチ休憩なんだけど、ご一緒しません? 銀座で有名な菓子店ファントムのキューブショコラを手に入れたんですよ。コンシェルジュの木田さんのオススメでーー」


「苑田さん、ごめんなさい。今日はちょっと忙しくて……。森本所長、急ぎましょう」

「あ、あぁ、そうだな」


 健一は背中をぐいぐいと朱美に両手で押されながら、肩をがっくりと落とす苑田がいる部屋を後にした。



 応接室に入った健一を設楽のボディガードである如月がジロリと睨んだ。『警戒』というオーラを飛ばして威嚇している。健一とは幾度となく会っているというのに、緊張感が解かれることはないようだ。


 そんな如月とは違って、護衛を兼ねた秘書の田中はフローラルで柔和な雰囲気を漂わせていた。クルマの運転手である鹿島と同様に空手有段者らしい。敵が多いためか、設楽はどこに行くにも彼らのような護衛を引き連れている。


 一般人には関係ない。健一はそうと思っていたが自身も楽観視できない状況になりつつあった。


 ちょうど2日前に、世間を騒がせている『VRシンクロゲーム神ノ箱庭』関係者の名前と住所、顔写真がインターネットで拡散されたからだ。殺害予告めいたものはまだ発見されていないようだが、外出先でナイフを突き立てられるかもしれないかと思うとゾッとする。健一は緑茶を淹れ直す朱美から視線を外して、汗ばんだ首元に右手を当てた。


「設楽会長、ご用向きは何でしょうか? 明日の定例会が待てないほどの案件ですか? 」


「あぁ、そうなんだ……。急遽、森本君に相談がーー」


 設楽は言葉を綴ろうとしていた口を閉じた。朱美が長机にお茶を置き終わるのを待っているようだ。彼女の大きく開いたブラウスの胸元から覗く豊満なバストを満足げに眺めている。久しぶりに会った恋人に向けるような熱っぽい視線を感じた朱美が顔を上げると、設楽は目の前にいる健一を気にすることなく、朱美の手を握った。


「久しぶりだね。最近、君に会えなくて寂しいよ」

「設楽会長、ご無沙汰しております。奥様はお元気でいらっしゃいますか? 」


 眉をピクリと動かした設楽はにっこりと微笑む朱美の手を粗雑に放した。サッと後ろに下がる朱美に興が削がれたと言わんばかりの表情を見せたかと思うと、大きくて長い長い溜息を吐き出したーー。


「実は家内が入院してね。持って半年らしい……」


 驚きが隠せない健一の様子に、設楽は眉を落として悲しげな瞳を浮かべながら言葉を続けた。


「そこで森本君、いますぐにでも家内を箱庭(ヘイブン)に送って欲しいんだ」


「お待ちください。まだ会長の箱庭(ヘイブン)は半分も出来てません。奥様どころか誰も転送することは難しーー」


「そんなことを言ってる場合じゃないんだ! 」

「お気持ちはお察ししますが、現状では……」


「森本君、私はね……いろんな女と浮世を流したが、家内とは別れようとは思わなかった。彼女には苦労無く、いつも笑顔でいて欲しい。それほど大事にしているんだよ」


 堂々と数多の女性との浮気を暴露する設楽に健一は言葉を失ったが、そのことについて、どうこういう気にはなれなかった。問題はそこではない。


「お客様を安全に移動する保証は、まだ確立されていません……」


 息子の奏をゲームの世界である箱庭に転送できた理由を科学的に解明している途中だった。デジタル世界の構築と動物での実験している段階であるため顧客を転送するのは憚られた。


「無理を言っているのは分かっている。私の箱庭(ヘイブン)が駄目なら、デモンストレーションで使った神ノ箱庭に送ってくれ」


「しかしーー」

「何度も同じことを言わせるな! 家内を助けたいという私の気持ちを汲んでくれ」


「……奥様は……転送について、ご納得いただいているのでしょうか? 」


「いいや……。普通に人間らしく逝きたいと言いおった。何が人間らしくだ!! 私の気持ちも考えず……ひどい女だ……」


 設楽は目頭を押さえて、ぐっと涙を堪えているーー。彼の後ろにいるボディガードたちに心情を汲み取れと言わんばかりに睨まれた健一は組んだ手に力を入れた。


「設楽会長、神ノ箱庭は()()()として稼働中です。決して安全とは言えません。奥様が危険に晒される可能性があります……」


「それはプレイヤーとして行った場合の話だろうが。危険に巻き込まれないボディを用意したまえ」


「……転送についても、先ほど申し上げたように確実とは言えません。それならば別件で進めているソウルドールに入って頂いてーー」


「あれは駄目だ! 」


 大声を出すと同時に、設楽は手に持っていた杖でドンーーと床に大きな音を立てた。


「私が知らないとでも思ってるのか! あのようなおぞましい物に律子を入れるなどーー冗談じゃない! 」


「会長、あまり興奮されるとお体に触ります」


 設楽の傍らに座った朱美はしなやかな白い手を彼の手の上に重ねた。設楽は少し落ち着きを取り戻したが、朱美から内密に報告させた実験結果を思い出して顔をしかめた。


 冬眠しながら理想の箱庭(ヘイブン)に転送されるのを待つーーソウルドール計画。人体を魂ごとデータに変換してコンピューターに転送保管するという構想に、設楽はもろ手を挙げて後押しをした。動物実験を経て、死刑囚を使った実験に期待を寄せていたのだが、転送して数日後に囚人たちは発狂してしまった。


 冬眠システムが上手く作動しなかったのが原因だった。その後、保管されたソウルデータを箱庭の既存NPCを融合させることに成功したというレポートが定例会で発表。朱美は設楽に『森本はシステムの安全面についてぼかしているが、暗礁に乗り上げている』と報告している。


「森本君が箱庭の『創造神』だとすると……出資者ある私は何だと思うかね? 」

「それは……」


「君をも超える『最高神』じゃないのか? そのことは、理解しているな? 」


「はい……」


「では家内が不自由なく暮らせる身体と環境を用意したまえ! 」

「……承知しました。最善を尽くします」


 曇り顔をする健一とは裏腹に設楽は安堵の笑みを浮かべた。自身はすぐに行くことはできないが、あちらの世界で妻は楽しく待っていてくれるはずだと信じて疑っていない。そして……この森本健一は自分に逆らうことなく、全て用意すると確信している。


「自宅看護準備が整い次第、鎌倉の家に妻を戻すつもりだ。葬儀用のダミーの手配もしているーー。田中、そっちは大丈夫なんだろうな? 」


「お任せ下さい。ご指示通りに動いています」


 パリッとした紺のスーツ姿の田中は無表情のまま黒革のカバンからタブレットを取り出すと、画面に3Dプリンターで骨格を作る作業をしている生中継を映し出した。健一に『見ますか? 』と言ってにやにやと笑っている。設楽が首を軽く横に振ったところを見ると、あまり気分の良い画像ではないようだ。


「順調なようだな。警察と医者についても手は打ってある。森本君、期限は2カ月だ。進捗状況は随時、報告するようにーー。頼んだよ」


「……はい」



 ため息という曲の二重奏が開発室に響いている。健一と共に朱美も戻って来ると思っていた苑田の空虚な心を表す音に、暗く沈んだ健一の唸るような『ふぅ』という声が重なり、今にも室内に雨が降り出しそうな雰囲気だ。


「苑田君、すまない。ソウルドールの件なんだが……とても言い出せる状況じゃなかった」


「……いいえ、こちらこそすみません。明日、定例会がありますし、大丈夫です。あの……やばそうな案件だったんですか? 」


「……2カ月以内に、箱庭に人を1人、転送することになった。しかもそのためにボディを作らないといけない」


「2カ月以内!? プレイヤーじゃ、駄目ってことなんですか? 」

「我々が行っている実験に巻き込んでしまうからな」


「あぁ……そっか、そうですね。会長絡みってことは要人ですよね……」


「設楽会長の奥様なんだ。長期滞在になるだろうから、プレイヤーのキャラクターデータを基本としたGMデータも使えない」


「もしかして会長は、箱庭にNPCが追加ができない件、知らないんですか? いや、分かってて無理いってるのか……」


 『神ノ箱庭』を用意したサーバーに移動させた際に、健一は実験のために新たなNPCキャラクターを追加しようとしたことがあった。しかし不具合なのかなぜか出来なかった……。原因は未だに不明のままだ。


「ということは、既存NPCに転送するってことかぁ……。あ、モンスターなら追加オッケーになりましたよね。可愛らしいの作りましょうか? 」


「モンスターか……。不自由なく安全に暮らせるボディと環境が作れるならいいが、万が一……プレイヤーに狩られる状況になると、非常にまずい」


「うっ……。ーーでは、大型アップデートで追加したあのキャラクターはどうですか? まだ誰とも融合してないですよね」


「あれかーー」


「ルルリカのように改良すればいけるんじゃないですか? 出現予定のダンジョンにいるキャラだし、環境や設定はいじれますよ」


「あのNPCを使うのは、あまり気が進まないが……。設楽会長の要望に応えるにはその手しかないか……」


「来週から一気にスタッフが増えるんですよね? それなら俺の仕事も楽になるんで、この件すぐにとりかかりますよ。昼めし食ったらですけどね」


 苑田は歯を見せてニカッと笑うと、白い扉を開けて足早に研究室の外に出て行った。残された健一は……5枚あるモニターと向かい合い、12歳の頃に撮った奏の写真を手帳から取り出して憂鬱そうな表情を浮かべた。今にも涙が零れそうな瞳で悲し気に見つめている。


「奏……箱庭にいるお前は本当に私の息子の奏なのか? それともAIが作り出したデータなのか? 」


 モニターの1つに満面の笑みを浮かべた奏がオーディンの人形と手を繋いで草むらを走っている様子が映し出された。暴食の女神クイニーがミミックの王ハルデンの宝箱から出したピクニックセットを広げ、笛吹ヴィータが奏たちを呼んでいる。駆け寄った奏は笛吹ヴィータに飛びついて、嬉しそうに声を上げて笑った。


 別のモニターでは奏がオーディンの人形と燃える炉の前で語らい、その隣にあるモニターでは冬景色の中で奏が笛吹ヴィータとスノーボードを楽しんでいた。5枚あるモニターに映る12歳の奏は各々、頭上に白い文字でナンバリングされている以外は、どれも変わりが無い。


「自分が求めた理想通りの奏たちがいるというのに……この喪失感は何なんだろうな」


 奏の笑い声を耳にした健一は顔をしかめーー全てのウィンドウを静かに閉じた。愛する息子から逃げるように……。

システム:森本健一は様々な箱庭を作るために現実世界で奮闘しています。そのためカナデが暮らす神の箱庭を訪問することがなく、苑田が作った監視カメラシステムで観察するのみになってしまいました。


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「ビビ……父さんが来なくなってどのくらい経ったかな……」

「会いたいにゃん? 」


「うん。なんで神の箱庭をこんな風にしてしまったのか聞きたいし、皆んなを解放してもらいたいって言いたいけど……家族として普通に話したい」

「メールは送ってるにゃん? 」


「返事がこないんだよ。『会いたい』って、いっぱい送りすぎたかな? 」

「重いって思われて、無視されてるかもにゃん? 」


「えっ、そうなの? 親子でも難しいね……」

「あっ。ごめんにゃ。恋人同士での話だったにゃ」


 ビビは開いていた恋愛小説の本を慌ててパタンと閉じると素知らぬ顔で本の上に鎮座した。


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