記憶を失ったクイーン
システム:精霊王ルルリカのイメージのラクガキ挿絵追加。20230609
精霊たちの切なる祈りが、荒れ果てた大地で朽ちかけていた樹木に魔法の花を咲かせました。虹色に輝く花弁の真ん中に銀糸のような髪をたなびかせたルルリカが座っています。肌を露出しない清楚な白いドレスに身を包み、威厳に満ちた輝きを放っていました。黄金の瞳をそっと開けた彼女は手を掲げて白銀の弓を作ると、暗い天に向かって銀の矢を撃ちました。
ルクレシア創世記より。
視界のウィンドウに表示させた一節を読み終えたルードベキアは小さなため息を吐いた。シュシュの森に辿り着いた時は、オーディンの人形との約束が果たせる。そう思っていたのに……。
「貴方が獣王ガンドル? 会えて嬉しいわ。大きなお耳がキュートね」
「えっ、キュート? そ、そうかな? へへへ……じゃなくて、お前が精霊王ルルリカなのか? 」
「そうよ? 貴方と違って頭上に名称が出てるでしょ。ねぇ、どうやって消したの? 後で教えてくれる? 」
「いいけど……。ホントにホントに、ルルリカ? 」
「しつこいわね、何なの? 失礼よ」
「いや、だってさぁ。どう見てもその姿は俺が知ってるルルリカとはーー」
ルルリカはガンドルの話を最後まで聞かずにプイッと目線を外すと、銀髪の少女の前で両膝をついた。木漏れ日のような眩しい笑顔を浮かべている。
「こんにちは、お人形さん、貴女もいるなんて凄く嬉しいわ。剣王ブランさまは一緒じゃないの? 」
ルードべキアは自分を『お人形』と呼ぶルルリカをじっと見つめた。オーディンの人形を本当の名前を知っているはずなのに、どうして……。違和感はそれだけではなかった。物語に登場するルルリカの姿とは違って、彼女の髪はエメラルドグリーンのボフヘアで、瞳は新緑の葉のような色をしていた。
ついさっきまで、オーディンの人形と共にルルリカに会える嬉しさで胸が高鳴っていたというのに、2つの心は同時にしゅんと萎れてしまった……。
「本当に……ルルリカ? 」
「お人形さんまで疑ってるの? 私はカナデのために作られたキャラクターで、この森の精霊たちを守ってるのよ。ーーお人形さんはカナデの親友なんでしょ? 私とも仲良くしてね」
「う、うん」
「それにしても、想像していた以上に……可愛いわ。このままずっと眺めていたい……」
今にもハート型のビームが飛び出してきそうな緑色の瞳と艶やかな唇にルードベキアは目を奪われた。クイニーを百合の花に例えるなら、ルルリカは野山にひっそりと咲いた大輪の牡丹と言えるだろう。今の自分がオーディンの人形ではなく、プレイヤーのルードベキアだったら良かったのに……。そう思わずにいられなかった。
早鐘を撃つ心臓を両手で押さえながら、ルルリカに見惚れていると、『私の願いを叶えて! 』という大きな赤い文字が視界のウィンドウ群を遮るように表示された。
「あ、あの、ルルリカ……」
「なぁに? 」
「僕を見て、何か思い出さない? 本当の名前とか、お、親子関係とか……」
ルードベキアは少し下を向いて、右手で左の親指をぎゅっと握った。プレイヤーの誰かと融合したとしても、そうでなくても……絆は消えないはずだ。祈りに近い想いを胸に抱いて、ゆっくりと顔を上げた。
しかしルルリカは……困り顔をするだけで、期待した言葉を紡ぐことは無かった。
銀髪の少女がルードベキアの心の奥底で泣き叫んでいる。足元に出来た涙の池の中で藻掻きながら、懺悔の言葉を並べていた。胸が張り裂けそうになるほど悲痛な声を出している。ルードベキアは天に向かって伸びていた白い華奢な手を取って、彼女と自分の額を合わせた……。
ーー分かっているよ。どんなに君が会いたいと願っていたか……。だから、そんなに悲しまないで……。
ルードベキアはルルリカの首元に飛びついて抱きつくと、どんどん大きくなる少女の声に重ね合わせるように……口を開いた。
「お母様、やっとお傍に戻りました」
パンッ。ルルリカの目から飛び出した小さな星が弾けた。途端に暖かい陽射しを受けていた牧歌的な森の風景は砂嵐に掻き消され、悲鳴を上げる間もなく真っ暗な闇がルルリカを包んだ。倒れ込んだ彼女の耳にチリチリという鈴の音が響いている。やがてその音は徐々に小さくなり……何も聞こえなくなった。
「ここはどこ? 何にも見えない、怖いよ……」
不安が津波のように押し寄せている。重力を感じない真っ暗な世界に恐怖を感じて、涙がこぼれ落ちてきた。ついさっきまで、インデンの街の畑エリアにいたというのに、これも大型アップデートによる不具合なのだろうか……。
「こんなの、素敵な未来じゃない! うわぁぁん! 」
大声で泣き喚いていると、星のような光が暗闇で動いているのが見えた。誘うようにゆらゆらと揺れている。
「誰かいるの? お願い助けて! 」
ゲーム会社の救助NPCが来たと思って走りだしたが、返事がないことに恐怖を感じて足を止めた。もしかしたら、あれは漫画で読んだような巨大な提灯アンコウの光で、近づくとパクりと食べられてしまうのでは……。ホラー的な考えが脳裏を駆け巡り……手足が小刻みに震えた。
怖いという文字が身体を侵食している。耐え切れなくて、自分自身を両手で抱えながら座り込んだ地面は氷のように冷たくて、砕けた心に追い打ちをかけた。
「う、ううっ……。寒い、怖い、寒い、怖い……誰か助けて……」
ふと、小さく丸めた背中に暖かさを感じて、強く閉じていた目を開いた。右肩からグレープフルーツぐらいの大きさの光が二の腕を滑って眼前にふわりと浮かんでいる。不思議に恐怖は感じなかった。
「暖かい……」
見つめているだけで手足が温まった。これはイベントダンジョンに必ず配置される共済スタッフのようなNPCなのだろうか? そんなことを考えている最中に、光はぷるぷると震え始めた。
「ど、どうしよう、消えちゃう!? 」
オロオロしていると、それは銀色のふわふわな毛をもわっと生やしてーーハムスターのような丸くて黒い目を開いた。ぱちぱちと瞬きをしながら、こちらをじっと見つめている。
「か、可愛い……。撫でても、大丈夫かな? 」
そっと伸ばした右手が触れる直前に、柔らかそうな毛の間からぽこんっと西洋タンポポが飛び出した。花びらからは星型の光が飛び出している。びっくりして大きく開けた目に飛び込んだ星はキラキラと輝きながら、ぺたんとあひる座りした膝を明るく照らすと同時に、ほのかな熱を発していた。
身体全体がポカポカ温まり、荒れ狂いそうだった不安の海は穏やかな水面になった。だが、この暗闇空間から抜け出す方法はまだ分からない。猫のように膝に擦り寄ってきた不可思議で奇妙な生き物を撫でながら、独り言をつぶやいた。
「私……死んじゃった? 」
急に悲しくなって、頬から涙が伝った。王子様に見初められた貧乏な町娘のように、くそみたいな人生から抜け出して、幸せで素敵な未来がいつかやってくる。そう信じていたのに……夢物語は所詮、夢……どんなに願っても、叶うことはない。そんな現実を突きつけられて、やるせない思いが膨れ上がった。
「ここはゲームの世界じゃなくて……地獄なのかも。私はずっとここでーー。ぐすっ、ぐすっ……」
「サクラコ……。サクラコ……」
ゲームのキャラクター名ではなく、自分の本当の名前を呼ぶ声に驚いて、キョロキョロと暗闇を見渡した。何も見えないが、誰かが優しく抱きしめてくれている……そんな感覚を覚えて涙を拭いた。
「誰? どこにいるの? 」
「サクラコの膝にいます。私は……光王ルルリカ、貴女の半身です」
「半身? 」
「……ごめんなさい。慰めの言葉が、思い付きません」
光王ルルリカと名乗った丸い毛玉は黒い瞳を悲しそうに小さくすると、タンポポの綿毛でサクラコの頬を慰めるように撫でた。サクラコは背中を丸めながら、鼻をすすっている。
「……やっぱり、あのGМの言葉は嘘だったんだね。大丈夫、気にしてないっよ! ……だって、いつもそうだったから、慣れてるもん。ーーお母さんは、桜子のためにとか言ってさ、可愛いお洋服をくれた後は必ず……臭い息を吐くおっさんたちのとこに連れて行った」
「嫌だって抵抗すると、鼻血が出るまで殴られた。逃げようとしたこともあったんだけど、お母さんに抱きしめられて『良い子ね』って言われると……もっとお母さんに褒められたい、優しくされたい……なんて思っちゃってさ。馬鹿だよね……私……」
ぶわっと溢れた涙が止まらない。堰を切ったように大声を上げて泣き出すサクラコに光王ルルリカがふわふわの毛を摺り寄せている。ルルリカの気持ちが心に触れたのを感じたサクラコは半身という言葉の意味が理解できたような気がした。
「ありがとうルルリカ。もう、いいの……。さっき、分かっちゃったんだ」
サクラコが指を差した暗闇の中にガラスが割れた欠片が回転しながら浮いている。電車のつり革に握っている男性がスマートフォンでニュース読んでる光景が映っていた。
「女児売春斡旋と死体遺棄の疑い……。VRシンクロゲームをしている12歳の娘に買春目的の男をあてがい、衰弱死させた後は遺体を山中に埋めて逃走ーーだってさ。私のお母さん、指名手配されてるみたい。笑っちゃうよね」
「あんなお母さんでも、私は大好きだったの……。なんでかな? 変だよね。でもお母さん……救急車を呼ぶどころか、動かなくなった私を……山にーー」
「サクラコ……」
「ルルリカ、生まれ変わったら幸せになれるかな? 」
「ええ、もちろんよ。貴女の美しい魂は私を優しく包んでいるもの」
「ありがとう……。少し元気でた、かな。えへへ」
切ない表情を浮かべたサクラコは暗闇しか見えない空間を見つめた。吐き出す息が白くなるほど空気が寒々としている。生まれ変わる前に訪れる場所にしては何も無さすぎる気がした。ここは一体どこなのだろうか。
「……ねぇ、ルルリカ。最初は死後の世界なのかと思ったけど、それにしては何だか変だよね」
「ここは……神ノ箱庭のキャラクター制作スペース。私と融合した貴女がデジタルの世界に行く前の空間です。そして今まさに……開発者が私の設定と容姿を書き換えようとしています」
「えっ? なんでそんなことするの? 」
「自在にコントロールするためだと思います……。もうじき、光王ルルリカは消えて、新しいルルリカが誕生するでしょう。その前にサクラコとお話が出来て良かった……」
「そんなのひどい! ダメだよっ。ルルリカが消されないようにするにはどうすればいい? 」
「ここからはどうすることも……」
「そんな……」
「しかし希望は捨ててはいません。きっと私の愛娘が私を蘇らせてくれるでしょう。しかしこの事は、開発者に知られてはいけません」
「妨害されちゃうのね……。分かったわ、ジップロックにーーじゃなくて、えとえと、金庫にこの記憶を入れて鍵をかけるよ! 」
「ふふふ。ありがとう、サクラコ。……どうか、攫われたヴェロニカを取り戻して下さい」
「えっ、攫われちゃったの!? 誰に?? 」
怪しい人に心当たりはないかと聞こうとした時、脳裏に光王ルルリカの愛娘ヴェロニカの愛くるしい姿が浮かんだ。彼女は薔薇が咲き誇る庭園で手を振っていた。だがほんの少し目を離した隙に……煙のように消えてしまった。
皇女が攫われたという叫び声が耳の奥で響いている。
ルルリカの心とシンクロしていたサクラコは……絶望に打ちひしがれ、苦しくなった胸を押さえた。
「……ルルリカ、約束するよ。私が探し出す。絶対に! 」
サクラコの腕の中で、毛玉のルルリカは嬉しそうに頭上のタンポポを揺らした。そして何もない真っ暗闇に希望の光を蒔くように綿毛を飛ばすと、身体から大きな光を放った。
「ルルリカ? だ、だめ! だめだよ、消えないで! 」
「サクラコ……。またいつか……会いまーー」
「ルルリカ待って! ルルリカ! ルルリカ!! 」
はっとしたように顔を上げたルルリカを、頬をピンクに染めたオーディンの人形が見上げている。少女はグリーンのオーガンジードレスを掴んで、ベロニカ・クレーターレイクブルーが咲いたような青い瞳を心配そうに潤ませていた。
「急にフリーズしたように止まったから、ビックリしたよ。大丈夫? 」
「ええ……。ーー早く見つけなきゃ……金庫を……」
「金庫? 」
「何でもないわ。……心配してくれたのね」
ルルリカはそっと抱き寄せた少女の顔を左手で包むと、ビスクドールのような頬に口づけをした。突然のラッキーシチュエーションにルードベキアは目を白黒させていたが、優し気な瞳で微笑むルルリカの胸にコバンザメのようにへばりついた。
ーーこれは役得ってやつだな。本来の目的と違うけど、ルルリカ……良い。やっぱ、僕は男だなぁ。あはは……。
幸せそうな笑みを浮かべるルードベキアがそんな考えている一方で、ガンドルは非常に羨ましいという表情を隠すことなくアヒル口っぽく、ぐにゅっと唇を突き出した。
「いいなぁ……。俺もルーちゃんと、ちゅっちゅいちゃいちゃしたぁい」
「ほう……その口、縫ってあげましょうか? 」
「うげっ。ブ、ブラン!? 」
ガンドルはあたふたとしながら、黒いオオカミの耳にへばりついている豆ウサギをパッと右手で覆った。
「盗み聞きは良くないぞっ」
「何言ってるんですか。私が球体外部をタブレットで見られるって知ってますよね? それに『豆ウサギでお喋りしたいから欲しい』と言って、だだをこねた挙句……通話回線を繋いだままにしてたのはーーガンドルさんですよ」
いつもと違うブランの低い声にぎょっとしたガンドルは耳を掴んだまま振り返った。銀色の球体を背中に乗せたアゲハ蝶の周辺にーー100ほどのブランの神兎剣が浮いている。それらは刀身を軸にして踊るように回転した後に、ガンドルに切っ先を向けた。
「ふわっ! ブラン、ホントごめん。もう絶対に冗談でも言わないっ。ーーそ、そろそろ、ルルリカと楽しい対戦タイムをしようぜ? な? そうしよ? 」
システム:おまけです。
ルードベキアがアゲハ蝶に乗ってシュシュの森に移動する道中にひと騒動ありました。睡眠デバフによって、芝桜が咲く峠で眠りこけてしまったのです。『起きる時の合言葉』にも応えず、スヤスヤと寝る少女をガードするために、ガンドルがブランの球体テリトリーの外に出ました。しかし……。彼は呑気にも、摘み取った小さな花を少女の銀髪に乗せて遊び始めました。
長閑なひと時が流れる中、たまたま近くに立ち寄ったプレイヤーに見つかりーーあっという間に人だかりの輪が出来てしまいました。ガンドルはいつでも彼らを引き裂けるように、銀の爪を伸ばしています。
花びらが風に舞う美しいこの場所で血なまぐさい戦いの火蓋が切られるのかと、プレイヤーは誰しも震えあがりました。その一方で、ずんずんと突き進み、ガンドルに話しかけるプレイヤーがいました。彼は明るい声で『手打ちそばを持ってきた』と言っています。
ガンドルは以前、仲良くなったユーリだとすぐに気が付き、手招きをしました。ピクニックをしているかのように楽しそうにしている様子を見たプレイヤーたちは、各々、スマホを取り出すとーー。『差し入れです』と言って、お菓子や果物をガンドルに差し出しました。
気持ちよく眠っているオーディンの人形の傍には、可愛らしいクマやウサギの縫いぐるみが添えられました。プレイヤーたちは愛でる視線を少女に向けています。パシャパシャという音に気付いたガンドルの目に、カメラマンNPCとカメラのシャッターを切るマーフの姿が映りました。
周囲では情報ギルドのボーノが率いる精鋭部隊が雑踏整備をしています。マーフはガンドルに『ブランから連絡を受けてすぐに、写真館でカメラマンNPCを雇った』と言いました。どうやら、写真を使って新しいグッズ商品を作ろうと企んでいるようです。
食事を終えたガンドルは観客に見守れながら、眠れる銀髪の少女と一緒にカメラに収められました。
「俺ちゃんのかっちょいいポスターが、街中に貼られる日も近いな! 」
See You Next Week




