それからどうなった?(中)
システム:ルードベキアの視界がどうなっているのかというイメージのラクガキ挿絵を追加。20230513
大型アップデートで追加したキャラクターだけでなく、既存NPCを使って人間と融合させる実験を続けているのだろうか。ふとした思い付きにルードベキアはゾッとして血の気が引くような感覚を覚えた。疑い出したらキリがないが、茶葉イタチたちの豊かな感情にも疑念を感じざるを得ない。
考えすぎであって欲しい……。そう願ってすぐにカナデを見たルードベキアは、はっとしたように表情をこわばらせた。
ーープレイヤーを既存NPCに変えられるスキルをカナデが持ってるじゃないか。ということは……カナデのデータを手に入れた者なら同じスキルが使える!?
そんなことができる人間は1人しかいない。ルードベキアはゲームプログラマーからマッドサイエンティストに成り下がった相手を思い浮かべて唇を噛んだ。推測が正しければこの世界に囚われたプレイヤーの人口は少しずつ減っている……。
ーー拉致監禁何でもござれ。『箱庭』とはよく言ったものだな。単なる実験場じゃないか。胸糞悪い……神にでもなったつもりかよ。
カナデを通して情報が筒抜けになっているのは気付いていたが、そこまでは考えが及ばなかった。知らず知らずのうちに神ノ箱庭に異世界転生させられた彼らの魂はログアウト不具合が解消された時はどうなるのだろうか。無事に現実世界に帰れるのか? それともこのまま……。
ーー防衛と対策とリアルの身体を取り戻す方法と……。あぁ、くそっ! 自分のこともまだ解決していないのにっ。
ルードベキアは……止まっていた時計の秒針が急速に動き始めたのを感じた。
「ルー、何か心配事でも? 」
視界にあるウィンドウの1つにブランのアップが映った。ルードベキアの顔を心配そうにのぞき込んでいる。
「あ……。えっと、特に何もないよ」
「……貴女は嘘が下手ですね」
「うぐっ。ほ、ほんとに無いってっ」
「本当に? 」
「ブラン! カナデのマイルームでお茶会する話をしてたんだろっ? 絶品アップルパイも良いけど、ハルデンがつくるデザートも美味いぞ」
オーディンの人形の騎士である剣王ブランに誤魔化しは通じない。と言った風に、ブランはにこにこと笑みを湛えながら、新しいお茶を淹れ始めた。イチゴとリンゴのドライフルーツティーの香りが銀髪の少女の鼻腔をくすぐっている。
ーーこのお茶、僕が好きだっていったやつじゃないか……。
リアル年齢30台の男が、自分よりもずっと年下の男性に気遣われているなんて……。ルードベキアは現実世界の自分と照らし合わせて、不甲斐なさを感じた。悶々としていると、視界にボーイズラブ展開のイラストが映し出された。
ーーぬあっ。ない、ないないないないっって! オーディンの人形っ、いや、ヴェロニカ! 僕をからかうのは止めてくれ。しかもこれ、元カノの美樹ちゃんと別れる原因になったBL本の表紙じゃないか……。あの時、勝手に彼女の本を読まなければ……ううっ、後の祭りか。
ルードベキアが錆色の子猫を撫でながら、コロコロと表情を変えている。カナデはビスクドールような白い肌が紅色に染まっていく様子を心配そうに見つめた。
「ルーさん、顔が赤いですけど、体調が悪いんじゃ? 」
「うえっ。いや、問題ない。全然、元気! ほんとまじでっ」
「それならいいんですけど……」
ブランの過保護菌が感染してしまったのか!? そう思うぐらいカナデが心配そうな表情を浮かべている。ルードベキアはおでこ置かれた白いふわ毛を生やした手をどけて、白い歯を輝かせた。
「カナデ、ハルデンにキャラメルリンゴのパウンドケーキを作ってくれって伝えてくれないか? めっちゃ美味かったから、また食べたいんだ」
「あのケーキ、僕も大好きです。お店で売っても良いんじゃないかと思うぐらい美味しいですよね。ブランにもぜひ食べてもらいたいです」
ブランは屈託のない笑顔を向けるカナデを眩しそうに見つめた。
「ミミックの王ハルデンが作るケーキですか……。オーディンの人形を宝物庫に入れた彼と会うのが、とても楽しみになりました」
「ぶほっ、ゲホゲホーー。ちょっ、ブラン。ゲホッ、ゲホッ」
「ルー、大丈夫ですか!? 火傷してません? 」
口に含んだお茶を吹き出したルードベキアの顔を、ブランが慌てたようにハンドタオルで拭いた。同時に少女の濡れた服をスキルで綺麗に元通りにしている。
カナデというと……生活用品を自然に取り出し、洗濯スキルを発動したブランに驚いていた。ーーではなく、神兎剣を侍らすブランが脳裏で暴れていた。
ーーま、まさか……ハルデンと戦うつもりなのか!?
オーディンの人形の書庫に保管されている『オーディン王の人形物語』にはブランとハルデンがひと悶着あったという記述はない。
リディはミミックの王ハルデンについては、書籍を読むまで何も知らなかったと言っていた。ウエストバッグに入っていた手帳には『ダンジョンで出会ったプレイヤーにクエストを配布するキャラクター』としか記載されていなかったらしい。
現在出現しているユニークNPCとキャンペーンボスの相関図を作ろうとしたこともあったが……禁書エリアにある関係者の書籍は相変わらず、どのページも黒い線で塗りつぶされている。そのためオーディンの人形と物語に登場していないブランの関係や、ガンドル、ルルリカについては宙に浮いてしまっていた。
さらにタイトルにあるオーディン王は存在しているのかさえも分からない。カナデはバラバラになったピースがはまらない気持ち悪さを感じた……。
カナデが困惑した表情を浮かべた途端に、オーディンの人形の情報収集システムが強く反応した。ルードベキアの視界を邪魔するように黒い文字が映画のテロップのように流れているーー。知りたくないのに……オーディンの人形が音声読み上げソフトのように脳裏内で声を出していた。
ーー毎回思うけど、ホントこれにはうんざりするな……。
今のカナデの感情もだが、データ化されたプレイヤーたちの苦しい想いの全てが……オーディンの人形の書庫の地下にあるデータバンクに蓄積されている。このスキルはルードベキアがオーディンの人形としてランドルの街に行く前から、人間が息をするかの如く発動していた。何度も停止させようと試みてはいるが、いまだに成功していない。
ミミックの王ハルデンの宝物庫にいる時、黄金のベッドに寝転がりながら、なぜこんなスキルがあるのか不思議に思っていた。だが……白い紙に腰を落ち着かせるように文字が並ぶさまを見て、ゲーム会社が作った情報収集システムだと理解した。プレイヤーの心情までもデータ化するなんて……どうかしている。
幸いなことにオーディンの書庫にある膨大なデータはゲーム会社に渡ってなかった。ログインしていたプレイヤー全員がログアウトできない不具合が発生した後、インターネットが切れたからだ。それでもルードベキアは安心できなかった。
ルードベキアはランドルの街のヘルプセンターに秘匿されていた『オーディンの人形の書庫』を発見すると、自分からデータが流れないようにアクセス回線を遮断した。しかし……そのせいで行き場がなくなったデータは膨れ上り……ルードベキアの身体と精神を徐々に蝕んでいった。
新しい蓄積場所を作らなければいけないということは分かってたのだが、秘匿できる場所もその方法も分からなかった。解決方法が見つかるまで我慢すればいいと考えている最中、助けようとしたヴィータに攫われーーマキナがいる仮想空間に放り込まれた。
マキナは茶のコートをなびかせて、銀縁眼鏡を左手でクイッとあげたルードベキアを見た途端に、笑いながら涙腺が崩壊したんじゃないかというほど泣いていた。従弟を殺してしまったと思ってたのだから、仕方がないかもしれない……。
再会を果たして喜んだのも束の間、ルードベキアはマキナの代わりに筆を執った。それはヴィータを救うために『オーディン王の人形物語』の結末を変えるというものだった。そうすればヴィータの暴走は止まり、マキナは解放される。ヴィータの言葉を信じたルードベキアは寝食を忘れて書き続けた。
草原しかなかった世界に寄せては返す波の音が響いている。ルードベキアはノートパソコンのキーボードを叩いていた手を止めて、海が見える窓に目を移した。ドクロの旗を掲げる海賊船の上を白いクジラが楽しそうに雲と戯れている。その様子を眺めながら、眼鏡を右手で取ってズキズキと痛むこめかみを左手で抑えた。
「ルー、どうした? 」
「ちょっと眠気が……。それよりマキナ、今やっと最後の部分が書き終わったよ」
「すぐに読ませてくれ! 続きが気になって仕方なかったんだっ」
「マキナのノーパソにもう送ってあるよ」
マキナはキッチンカウンターにある椅子に座ると、ノートパソコンのパネルを颯爽と開いた。しばらくの間、真剣な表情で画面を見つめていたが、ほっとしたように息を吐き出し嬉しそうに微笑んだ
「いいね。これならヴィータは満足するんじゃないか? 」
「そうだといいんだけど」
「俺は物語なんて書けないから助かったよ。オーディンの人形を攫ったのは、彼女に執着しているだけだと思ってたけど、本当はルーをここに連れてくるためだったのかもな」
「そう……かも……ね……」
フローリングの床に落ちた銀縁眼鏡がカツンと音を立てた。顔上げたマキナの背後で、ルードベキアが両手で自身の身体を抱えながら震えている。
「ルー!? 」
慌てたように駆けよったマキナは椅子からぐらりと床に落ちるルードベキアを受け止めた。
「おいっ、大丈夫か! ルー! ーーなんだこの黒いやつ……文字? 」
「ご……めん。隔離され……ここ、なら……大丈夫だ……おもっーー」
黒い文字の列が狼煙のようにルードベキアの身体からゆらゆらと幾つも立ち上っている。マキナはここに来てすぐにルードベキアから相談を受けたことを思い出して青ざめた。
「これって……ルーが言ってた収集データなのか!? 」
本人がその場にいなくても勝手にデータを集まって来るなんて、とんでもないシステムだ。マキナはルードベキアのために新しい蓄積場所をこの仮想空間に作ろうと奮闘していたのだが上手くいかず……まだ何も準備できていない。
「いますぐにランドルの書庫を解放するんだ! 」
「だ、めだ……。あいつに……データが……」
「総司、何言ってんだ! このままじゃ、現実世界に帰る前に、お前自身が壊れちゃうじゃないか。くそっ、どうすればーー」
「にい、さん……ヴィータに……」
「ヴィータ!? そうか、彼なら……。総司、何としてでも、俺が絶対に助けてやるからな! 」
マキナは医者である父の別荘に似た建物から飛びだした。ヴィータがいる桜が咲き乱れる森は、いつもならそんなに気にならない距離なのに……今日はやけに遠く感じる。『急げ』という気持ちとは裏腹になかなか先に進まない。
いら立ちを感じながら走っている最中に、いたずら好きな花の精霊たちがまとわりついた。遊んでほしそうにマキナの髪や服をほうぼうに引っ張っている。
「止めてくれ、急いでヴィータの所にいかないと駄目なんだ。そうしないとルーが! 」
「ルー? 」
「るぅ!? 」
「るー!! 」
何かを感じ取ったのか花の精霊たちは泣きそうな表情を浮かべて、慌てたようにマキナの腕を取った。彼らは桜が咲き乱れる中心まで全速力で飛びーー長い穂のような花序を垂れ下げた藤の大木の傍にマキナをそっと降ろした。
「お前たちもルーのことが心配なんだな……。ありがとう」
花の精霊たちに見守られながら、マキナは紫色の花房が咲き乱れる下でソファにゆったりと座っている男の前に立った。彼は膝に乗せた銀髪の少女と同じように目を閉じている。
「ヴィータ、俺に力を貸してくれ。頼む……もう1人のルードベキアを助けてくれ……」
ヴィータと呼ばれた男はマキナの呼びかけに応えることなく、こんこんと眠り続けていた。緊急事態なのだから、無理やり揺さぶって起こしてもいいだろうか。だが、何か問題が生じたら……そう思うとなかなか行動に移せない。
どうしたものかと考え込んでいるマキナの耳にパサリという音が届いた。小さなリングメモ帳がピンク色の絨毯に落ちている。さらにヴィータの金髪を隠していた帽子がマキナの足元に転がった。
「強い風は吹いていないのに……。いや待てよ、もしかして……」
メモ帳と一緒に拾い上げた帽子をパッと頭に被せた途端に、マキナは目を大きく見開いた。ーーヴィータの様々なスキルが身体中に駆け巡り、何をどうすればいいかが脳裏に刻まれていくのを感じている。
「ヴィータ、そしてもう1人のルードベキア……ありがとう」
マキナは被っていた帽子をヴィータの頭に乗せると、感謝を込めて深々と頭を下げた。そして顔を上げてすぐに、握りしめていたメモ帳の中にオーディンの人形の書庫を作り上げた。
「あはは……。あんなに出来なかったのに、こんなに簡単だなんて笑っちゃうな」
半笑いしながら、今までヴィータを認めずに拒否してたことを後悔した。彼を理解しようと努力すれば手を取り合って、本来の敵に立ち向かえたかもしれない。その心が伝わったのか、眠るヴィータの口元がほんのりと緩んだ。
テレポートで瞬時に帰ったマキナは、すぐさまルードベキアと書庫をUSBコードを差すイメージで繋いだ。途端に繭のように彼の身体を包んでいた黒文字は消え去り、ルードベキアがゆっくりと目を開けた。
「ルー、頭痛がするとか、気持ち悪いとかないか? 吐き気とかは? それともーー」
「ありがとうマキナ。大丈夫、スッキリしてる。だけど、ものすごく眠い……から、話は、後で……」
マキナに抱えられたルードベキアはスースーと寝息を立てている。マキナほっとしたような表情を浮かべながら、目頭を押さえた。
「ははは。良かった……本当に、良かった……。幸せそうな寝顔しやがって、ラクガキでもしとくか」
マジックで第三の目を額に追加された頃、ルードベキアはマキナが作った書庫の中を歩いていた。そこは広々とした空間にパソコンがずらりと並んだサーバールームのようだった。後日、マキナは急場凌ぎだったからと説明していたが、本当は書庫のイメージが湧かなかったからだと思われる。
ルードベキアはひんやりとした空気を吸い込みながら、ちかちかと点滅しているランプを眺めた。
「ヴィータの手帳のように情報が混在しすぎてるな。この中には対抗手段の情報があるかもしれないのに……。マキナに反対されそうだけど、この上に書庫を作るかーー」
システム:なぜヴィータが『オーディン王の人形物語』結末を変えたいのか……。それについては頃合いを見て、外伝として出す予定です。




