第1章 8
◇
エリアーナは空間切断を解除。再び真夏の容赦ない日差しが三人を襲う。人々に見られたらまずいので、無論翼や輪っかはしまっている。
空間切断が行われていた場所から幸いな事に、川原家の場所は近い。
歩いて十分程度で、住まいのマンションに到着した。
川原が住むマンションは高層階の角っこにある優良物件だが、家族はあまり仕事でおらず、川原が一人でいる時間が長い為、有効活用できておらず、宝の持ち腐れといえる。
川原は内心、自分から誘っておきながら、心臓が跳ね上がる程に緊張していた。
今思えば、始めて同年代の異性を家に上げる事になる。
幼馴染みの加藤は俺の頃の川原を嫌っており、お邪魔した事は無い。
「ま、まあ。こんなところだけど・・・・・・」
「いえいえそんな事はないですよ。失礼致します」
川原渾身の謙遜を軽く躱し、優雅で煌びやかな礼儀正しい所作で家の中へ入る。
「・・・・・・失礼します」
言わないとまた妹に怒られると予測したのか、心がこもってないが、
口には出した。
「どうぞ。リビングの方に座って下さい。今冷たい物出しますので」
そう言いながら、川原がダイニングへと案内する。
アリーシャは、物珍しそうな表情で家をきょろきょろ見回しながらついて行く。
一方エリアーナは、警戒心強めな表情をしながら家の中を見回す。
川原が促すままに、姉妹はダイニングの椅子に並んで腰掛けた。
グラスに氷を入れて麦茶を注ぎ、二人の前に差し出した。
「粗茶ですが・・・・・・」
「いえいえそんな事はありません。すいません、いただきます」
安物のグラスでさえ丁寧に扱い、まるで茶道の見本かのように麦茶を喉へ流した。
「おいしいです。颯太さん。ありがとうございます」
喉がカラカラだったのか、既にグラスの中身は空になっていた。
その隣で、エリアーナはまだ警戒心の瞳を解くこと無く、グラスを見つめていた。
「あの、何もやましいものは入ってないので・・・・・・」
「そうだよおねーちゃん! 颯太さんのご厚意に失礼だよ!」
妹が言うならと、まるで意を決するように麦茶を飲む。
こちらも妹同様に喉が渇いていたようで、喉を鳴らしながら麦茶を胃に収めた。
エリアーナはグラスを置いた後、やってしまったと言わんばかりの表情をしていた。
「おねーちゃんも、結構喉渇いてたんだね・・・・・・」
「いや・・・・・・私は・・・・・・」
姉の必死の抵抗が、やせ我慢をしているようにしか見えない。
「その・・・・・・良かったらもう一杯飲みますか?」
「よろしいんでしょうか?」
「うん。まあ、麦茶だったら、いくらでも作れるし」
「そうすか・・・・・・では、すいませんがいただきます」
「うん。どうぞ」
川原はアリーシャのグラスにお茶をそそぐ。
「あの・・・・・・おねーさんの方はどうしますか?」
妹に注いだなら姉にも注ぐべきかなと、川原なりに気をきかせたが、
「・・・・・・私はもういい」
視線を横に向きながら、拒否の意を示した。どうやらまだ素直になれないようだ。
そんな姉を、もうおねーちゃんたら・・・・・・と言いたげな目でアリーシャは見ていた。
そして、一段落終えたところでーー
「あの・・・・・・すいません颯太さん。大変おこがましいお願いなのは分かっていますが・・・・・・シャワーを貸していただけませんか」
「・・・・・・あ、そうだよね。ごめん気が付かなくて。自由に使ってよ。玄関入ってすぐ左に部屋があったと思うけど、そこ僕の姉の部屋だから衣類も自由に使って大丈夫だよ」
「・・・・・・よろしいのでしょうか?」
「今、姉は大学に通うために一人暮らしをしているから」
「本当にすいません。お言葉に甘えます」
川原の方にお辞儀をしてから、姉の部屋へと移動していくアリーシャ。
そうなると、必然的に川原とエリアーナだけの時間が流れる。
どういう空気かと言えば、今から川原が説教を受けるかのようだ。
エリアーナは、腕を組みながら川原にメンチを切るばかりで、言葉を発しない。
その空気に耐えきれなくなったのか、川原の方から話を切り出した。
「あの・・・・・・なにか・・・・・・?」
「お前・・・・・・本当に変わったみたいだな」
再度それを確かめるように、声の圧力を落としながら話す。
「うん・・・・・・そうみたいだね」
川原は昔の自分の人格が記憶にあれど、今の自分はそれとは違くなっている。
本人がまだ自分を受け入れられない反面、エリアーナも半信半疑なご様子だ。
「てっきり意味の無い演技かと思ったが、今までの様子を見ている限り、どうやらまんざら嘘でもなさそうだな」
そう言って、エリアーナは川原が素で俺から僕になった事を認めた。
「うん。こうなってしまった以上は、受け入れていくしかないんだけどね」
愛想笑いを浮かべながら麦茶を一口。その様子に、エリアーナは溜息を吐く。
今の川原と話してもペースが乱れて、どこかやりづらそうだ。
俺の頃の川原と会話していたほうが、彼女らしさが映えていたようにも見える。
「ま、お前が本気で私達の事を助けてくれたのは分かった。でも、私はまだ全面的にお前を信用したわけじゃない」
「うん。まだ出会って日も少ないし、しょうがないよね。それに、人間は嫌いだって言っていたしね」
エリアーナは威嚇のつもりで言ったが、僕の川原が放つまったりした空気の前ではそれさえ緩くなってしまい、霧散してしまう。
このやりずらさに疲れてしまったのか、酒を飲んだ後のように溜息を吐きながらおでこを手の平に乗っけた。
ちょうどそんなタイミングで、着替えを選んだアリーシャがやってきた。
「颯太さん。着替え適当に選ばせていただきました。すいません、シャワーが浴びられるのはどちらですか?」
「あ、ごめん。説明して無かったね」
川原は椅子から立ち上がって、バスルームへ案内し、シャワーの使い方を教えた。
レクチャーを終えて帰って来た川原と入れ変わるように、エリアーナは、バスルームへ続く洗面所の前に腰掛けるなりあぐらをかいて腕を組み始めた。まるで座禅をしているようにも見える。
「あの・・・・・・何を?」
川原は恐る恐るエリアーナに聞いた。
「さきほど言っただろう。お前の事をまだ全面的に信用していないと」
「いや・・・・・・別に覗くような真似はしないよ? それにバスルーム鍵かけられるし」
と、川原なりに説明したが、まるで大きな石のように、ぴくりとも動く気配を見せない。
アリーシャは、姉がそうする事を分かってて、あえて一緒に入ろうと誘わなかったようにも思えてきた。
一度自分の中で信念が定まると、てこでも動かないのがエリアーナである事は、川原も重々承知している。妹の事になるとなおさらだ。
「本当に大切なんだね。妹の事が」
「は? 何を言っているんだお前は? 世界にたった一人だけの私の可愛い可愛い妹だ。そうに決まっているだろうが! お前だって姉の事が大事じゃないのか?」
そう問われて、川原は頬を軽く引っ掻く。
「うーん。どうなんだろうなぁ、もう全然会ってないから、そういった気持ちが分からなくなってきてる気がする」
「なんだそりゃ。いいか、一つだけ忠告しておいてやる。もしアリーシャを泣かせたり、傷つけるような真似をしてみろ。私はたとえお前が善人でもアリーシャが養護しても執行猶予はない、地獄に叩き落としてやるからそのつもりでいろ!」
「・・・・・・善処します」
弱々しく言うと、エリアーナはふんっと呟きながら鼻を鳴らした。
「あの・・・・・・一つだけ聞いてもいいかな」
「・・・・・・まあ、麦茶も貰った礼ぐらいはしてやる。んで、なんだよ?」
めんどくさそうに溜息を吐きながら、エリアーナなりの妥協を見せる。
先ほどまでの行動を総合しても、まだ美人が崩れ落ちていないのが凄い。
「どうして・・・・・・人間を嫌うの?」
「・・・・・・そんなの簡単な話だ。私が人間を嫌いだからだ。それ以上でもそれ以下でもない」
結局、まともに取り合ってくれる気はないようだ。
「さて、質問は終わりだな。お前のくれた恩に私は答えた。それでいいだろう?」
これ以上、エリアーナに聞いたも無駄だと分かった川原は、何も無いと言って会話が終わった。
「うん。ありがとう・・・・・・」