第1章 29
◇
自然風も吹かない、夏の日差しも当たらない。
そんな空間切断の中はひやりと冷たかった。
アカリの放った二つ目の質問が、そんな風に染め上げたといってもいいだろう。
静かでずしりと恐怖心を煽る言葉を、アリーシャもたまたま聞いたようで――
「じょ・・・・・・冗談だよね? アカリちゃん。流石にそんな事しないよね?」
完全に、アリーシャはその発言に恐れ戦いている様子。冷や汗が頬を伝う。
「あちしはちょーぜつに本気だよ?」
アカリの顔は、サイコパスな殺人鬼の顔をしており、軽いように聞こえる言葉が本心であると、否応なしにひしひしと伝わってくる。
「・・・・・・なるほど。そういう事だったのね・・・・・・」
「え? 何? どういうこと・・・・・・?」
相変わらずの置いてけぼりをくらい、戸惑いを見せる川原。
本来なら、そんな幼馴染みに溜息を零すのだが、流石にそんな精神的余裕はないようだ。
「エリアーナさんをハンマーで殴った見せしめは本命じゃない。本命は・・・・・・治療するために翼を出さざる得ない状況を作る事」
「そう。ネタバレは取っておく物だけど、先にばらすのも醍醐味ってものだよね。教えてあげる――天使から翼を奪うことは最重要禁忌事項に含まれるほどの重罪。もしこれを犯す者あれば、犯した方も翼を失うってね――」
「あ、あなた・・・・・・そんな事をしてまでアリーシャを蹴落としたいのかしら? 正直あなたという存在の天使性を疑うわ」
「そーね。確かにそうかもしれない。はっきりいってアリーシャ。糞邪魔だし」
「でも、聞いてると君も翼を失う事になるんでしょ? 共倒れじゃないか?」
「そう。でも今回は〝罪使を相手にしているのだから〟ケースが変わってくるんだよおにーさん」
「罪使なら、翼を失わせても罪に数えられないと言いたいのかしら?」
「いーや。普通に罪使にそれをやってもあちしは最重要禁忌事項に触れる事になる。でも、罪使が必死の抵抗を見せて反撃してきたという事にすれば、話は変わってくる」
「・・・・・・正当防衛を利用する気のようね」
「そうそうそれそれ。正当防衛ってやつにすれば、あちしは仕方なくやったと見なされて、禁忌には当たらない。でも、あちしだって本当はこんな事する予定なかったんだよ。ムカついたから、仕方なくやるだけなんだよ」
恐い。
強面の不良が襲ってくるよりかの何倍も恐い。
それだけの恐怖感を植えつけるアカリの調子の外れた言い方。
今回は、こういった形で今に至るが、もともと〝アリーシャの翼を失わせる〟事を前提に計画を練って今日という日を迎えたに違いない。
「アカリちゃん・・・・・・嘘だって言ってよ。こんなの、卑劣で残酷で残忍で非道きわまりないよ」
彼女は再び、泣きそうになり、ここままでは失禁までしてしまいそうな程だった。
「ちなみに・・・・・・翼を失うと彼女は、アリーシャはどうなるのかしら?」
「そうだったね。そういえば、まだ問題の正解を言っていなかったね」
無音が刹那の間。空間を支配する。タイミングを見てアカリは正解を言った。
「翼を失うと――彼女は死ぬ」
あまりにもそのまま過ぎる答えに、逆に誰もすぐさま反応を示す事が出来ずにいた。
そんな沈黙を切り裂き、一早く言葉を発せたの川原であった。
「し、死ぬって・・・・・・」
言葉の意味を確かめるように、呟く。
「あ、でも安心しておにーさん。死ぬって言っても本当に死ぬわけじゃ無いよ。〝天使としての大事な機能が死ぬ〟だけだから」
「え・・・・・・でも・・・・・・そんな事をしたらアリーシャは」
「うん。二度と天衣力を使えなくなって天使じゃなくなる」
「そんな・・・・・・」
才能を潰される事は死ぬことと同じ。
創造神から天使としての役割を得た者が、その機能を奪われる事は生きる意味を無くしたのと同じ
「それで・・・・・・仮に天使が機能を失えばどうなるのかしら?」
「・・・・・・自我を持たないただの生きた空っぽの何かになる」
「何それ・・・・・・よく分からないよ」
「おにーさん。天使っていうのは。元は空っぽなの、そこに創造神様が天使という名前の心を入れてくれて始めてあちし達のような存在が生まれるの。翼ってものはその心と同調しているといってもいいくらい重要な部分。だからそれを失うと生きてはいるけど空っぽになるの」
「まるで・・・・・・植物状態みたいな感じね」
「そうそう! 植物状態がしっくり来るかも。流石おねーさん。良いところで欲しい言葉をくれて助かるよ」
「あなた・・・・・・本当に狂っているわね。そんな事をして心が痛まないのかしら?」
「んー。どうだろう。痛まないと言えば嘘になるかもしれないけど。あちし、一度天使が翼を失うとどうなるのか見てみたかったんだぁー」
悪魔だと思った。幼女の皮を被った狂気の悪魔。
自分の欲を満たすために他者を蹴落とし、興味の為なら、禁忌にも平気でその手を血で染め上げる――。
ぞくっと冷たい舌が背中を嘗めるような感覚がして、二人は恐怖で震え上がる。
「ア、アリーシャ。早く逃げないと!」
川原が首を巡らせながら言った。
「わ、分かっています。でも今治療を中断したらおねーちゃんが!」
「どう? 別に逃げるならあちしは止めないよ? 自分の命を取るか、姉の命を取るか――あちし、以外と寛大な部分があるから、好きな方を選ばせてあげてもいいよー」
「この・・・・・・外道」
肩を怒らせながら、加藤がツインテールの幼女を睨めつける。
アカリの提示した選択肢は、あってないようなものである。
エリアーナが必ず妹を見捨てないのと同じように、アリーシャも必ず姉を見捨てる事はない。
そんな姉妹の絆を利用した冷酷非道なやり口――。それだけアリーシャという存在を嫌い、邪魔だと思っているという事だろう。
万事休す――そんな言葉が当てはまる局面。
幼馴染は、煮え切るような怒りと、圧倒的絶望からなる恐怖感が感情に同居している。
「じゃー。そういう事だから。バイバイ。アリーシャ。天使じゃなくなっても元気でね」
これでもかという程の笑みを乗せながら、ハンマーを一閃。
その一振りで全てが終わるかに思えたが――
なんと、見えないバリアのようなものが、その一撃を防いで見せた。
「はぁ?」
アカリは、何が起こったか一瞬理解する事が出来なかった。
だが、場の状況を見ると、それはすぐに分かった。
「おねーちゃん!」
エリアーナだ。アリーシャの献身的な回復によって多少は息を吹き返したようだ。
そして、自らの生命をぞうきんのように絞りながら、手を伸ばし空間切断を生成する為の天衣力を捻出していた。
「へぇ――。あの一撃を食らってまだそんな力が残ってるんだ」
アカリが感心する反面。エリアーナはその代償とでも言うのか、荒々しく喀血をする。
「おねーちゃん・・・・・・どうして・・・・・・?」
アリーシャが涙声を出すと、エリアーナは瀕死の瀬戸際ながら言葉を絞り出す。
「あり・・・・・・がとうな・・・・・・アリーシャ。少しは楽になった」
「今はお礼なんて言ってる場合じゃないでしょ! おねーちゃんの馬鹿」
「ああ・・・・・・アリーシャの言うように・・・・・・私は馬鹿だよ。でもな・・・・・・馬鹿なりに私は体張っておねーちゃん・・・・・・やってんだ。私は・・・・・・自分より、アリーシャの方が大事だ。だから、今たとえこんな状況でも、妹を守らなければ・・・・・・いけないんだ」
「おねーちゃん! 私だっておねーちゃんの事大好きですごく大事だよ! だからこんなところで死ぬなんて嫌だよぉ!」
「・・・・・・ありがとう。私はどうなろうが・・・・・・必ずアリーシャの罪を無かった事にしてみせる。だから、今は逃げるんだ・・・・・・」
「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!」
大粒の涙がアリーシャからこぼれ落ちる。
川原と加藤は、悔しくて溜まらなかった。
自分達が天使じゃないから――
自分達は人間で、非力な存在だから――
天使を助けたつもりでいただけで、実際は何も出来ていなかった――
川原は血が出そうなほどに拳を握りながら、まっすぐな瞳でアリーシャを見た。
「アリーシャ。どうすればあいつを止められるんだ?」
「颯太・・・・・・さん・・・・・・?」
涙腺で霞んだ視界の中に川原を映す。その感情は上手く見えていないようだが、口調からかなり怒っている事が窺える。
「ええ。そうね。出来れば私も教えて貰いたいものだわ」
川原と加藤は同じ気持ちだった。
ただ指をくわえて悲惨な現状を見る事なんて、二人には耐えられる代物ではなかった。
「くっだらね――!」
アカリは、吐き捨てるように言いいながらタバコをふかす。
「そういう友情ごっこがムカつくってんだよ! これ以上あちしのイライラを加速させないでくれよ。たとえ人間でも本気で殺すよ? おにーさん。おねーさん」
殺すの辺りからまるで鋭利な刃物のような冷ややかさを孕んだ口調だった。
アカリの目を見れば分かる。本気だ。
エリアーナに一発お見舞いしたように、アリーシャの背中の翼を刈り取ろうとしたように、もう冗談では済まされない領域まで達している。
「お前ら・・・・・・馬鹿か! そんな方法・・・・・・ねぇよ! いいから・・・・・・逃げろ!」
言葉を発する事さえ苦しそうなエリアーナが二人の身を案じる。
「「・・・・・・・・・・・・」」
幼馴染みコンビは、その声を無視して、アカリを睨めつける。
「お、おい・・・・・・馬鹿野郎! 本気で・・・・・・死ぬ気か」
最後の忠告のように、声を絞り出しても、結果は変わらなかった。
「エリアーナさん」
そう言ったのは川原であった。
「僕は・・・・・・きっと後悔すると思うんです。目の前で苦しんでいる人がいるのに何も出来なかった。どうやら、僕は天使の力を使っても記憶が消えないみたいですし、後悔の念はずっと僕の心を蝕んでいくと思います。だからこそ、そんな事がないように、今僕らも、僕らなりに出来る事を精一杯やりたい。そうしないと・・・・・・〝誰の心も救えない〟」
「ええ。そうね。颯太の言う通りね。正直言ってかなり胸くそが悪いわ。こんな危機的状況を放っておいて逃げろですって? それこそ馬鹿じゃないかしら? それとも、今になっても私達が勝手に二人を巻き込んだとでも言うつもりかしら? 仮にそうだとしても、颯太と私は好きでここに立っているの! 二人に何かがあったら悲しい。友達なんだから当たり前じゃない!」
「颯太・・・・・・さん。燐さん・・・・・・」
アリーシャの涙腺が止まる事を知らない。二人の気持ちの強さに、心が蛇口を破壊したのかもしれない。
アカリは荒々しく、タバコを煙を吐き捨てる。
「だーかーらー。ふざけんなって言ってんだよ! あームカつくムカつくムカつく。いいか! そんな二人助けようとしたところで、何もメリットなんてない。下手すればずっと天界から付け狙われる危険性だってある」
そう言うと、アカリの総身をまるで風のように光が集約していき、地面が悲鳴を上げ始めた。
「今度は、本気の本気でとどめを刺してあげる。下手な空間切断なんてまるで紙切れになるようなね!」
迫力が圧倒的に違う。まるで世界の終焉のようにさえ思える。
その一撃で地球が破壊されると実感させるほどの迫力がハンマーを包み込む。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
アリーシャは、姉にかけている回復の手を一旦止めた――
「ア・・・・・・アリーシャ・・・・・・?」
その行為に純粋な疑問を抱くエリアーナ。
「あの・・・・・・颯太さん・・・・・・燐さん・・・・・・」
更なる圧倒的な絶望を前にして、名を呼ばれた二人は首を巡らせる。
アリーシャは目を伏せながら言葉を紡ぐ。
「・・・・・・本当は、こんな事しちゃいけないのは分かっています。きっとお二人にもかなり怒られると思います。でも〝きっとこうする事でしか〟現状を打開する事は困難だと、私・・・・・・勝手に判断しました。今の私の天衣力じゃ、戦い向きではないですので」
川原と加藤は、アリーシャの言葉に要領を得ず、疑問を抱く事しか出来ずにいた。
だが――アリーシャの言葉の意味を唯一理解した存在があった。
「お、おい。アリーシャ・・・・・・まさか」
「うん。おねーちゃん。そうだよ」
優しく微笑みかけるように、アリーシャは答えて見せた。
「馬鹿! そんな事したらお前の天衣力は――!」
アリーシャの回復もあってか、更に息を吹き返したエリアーナ
「おねーちゃん。今の原因が私にあるのなら・・・・・・私は天衣力なんて持たない方がいいと思う。それに、この力は〝今を助ける〟為に私が持っていただけかもしれないから・・・・・・」
そう言うなり・・・・・・アリーシャは立ち上がって二人の前まで肉薄する。
「アリーシャ。今からでも遅くない。辞めるんだ・・・・・・!」
姉の必死な声。だが、アリーシャの微笑みはまだ解かれる事が無く、くるりと姉の方を振り向いてから、一言。
「私――始めて悪い子になってみようと思う。ごめんね――おねーちゃん」
基本的に妹の言い分、やりたい事を否定しない姉。
アリーシャからしたら嬉しい事だっただろう。始めて姉妹らしい会話が出来た一瞬だったから。
だが――状況が悪すぎた。もし、違う展開であったなら、もっと感慨深いものとして受け入れられたかもしれない。
くるりと再び、二人に正対すると――アリーシャの総身がまばゆい程の輝きで満たされる。
ゲートをくぐる為に天衣力のほとんどを支払った筈のアリーシャからは考えられないほどの凄まじくも幻想的な光景であった。
二人は、そんなアリーシャの姿に、言葉を失っていた。
まるで、神様を見ているかのようであった。自然と心に温もりが満ち溢れる程の。
「あの・・・・・・颯太さん。燐さん」
優しく包み込むように、二人の名前を呼んだ。
「今のうちに謝っておきます。――本当にごめんなさい」
きっと、〝これ〟を二人に行う事が出来たのは――この現状を親身になってどうにかしたいと思ってくれたからであった。アリーシャはそんな二人の気持ちに応えたかった。自分に出来る事が何かを絞り出すように治療を行いながら考え抜いた――。
その結果、〝これ〟である。
アリーシャの総身を包む凄まじい燐光は、まるで憑依するかのように、二人に移った。
光は益々大きさを増して、二人が見えなくなった。
そして、まるで霧が晴れるように、光の輝きが薄れていく――。
最初に、姿が見えたのは、加藤であった。加藤は自分の体を確かめるように色々と触る。
だが、変化はなかった。
「アリーシャさん。今、何をしたのかしら?」
「今・・・・・・私の持てる天衣力を二人に授けたのですが・・・・・・どうやら上手くいかなかったみたいですね」
どうやら、賭けに失敗してしまったようだった。
「なんだよ・・・・・・脅かしやがって・・・・・・」
アカリは、肩透かしをくらい安堵していた。
「猫だましもそこまでだよ。今度こそ――天使として死ねっ!」
姉の治療をアリーシャの背中の翼が仕舞われる前に、アカリがハンマーを振り下ろす。
今度こそ、正真正銘の終わり――かと思われたが、
きぃぃぃぃぃぃぃっぃん――。
甲高い音を鳴らしながら、再び見えないバリアがハンマーを防いだ。
「おねーちゃん!」
「いや、違う! 今のは・・・・・・私じゃない!」
「え? じゃあ誰が――?」
今度は、川原サイドの光が解かれていく。
そこにいたのは加藤と同じように何も無かったように思われたが――
「・・・・・・え?」
加藤は、驚きのあまり、声の出し方を忘れたような声の出し方をする。
「そ、そんな・・・・・・まさか・・・・・・」
自身の天衣力を授けたはずのアリーシャさえも、その姿に驚きを隠せないでいた。
そこにいたのは――
天使の姿を顕現させた、川原颯太――本人であった。




