第1章 1
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人は、伝承の中で語り継がれた摩訶不思議な存在を目の当たりにした時、それを信じる事が出来るのだろうか?
たとえば、天使とか。
人の形をしているが、荘厳なまでに美しく、まるで微睡みのような神秘的存在。
その姿を目の当たりにした時、真実と受け入れられるのか、はたまた夢を見ていると現実逃避に走るのか・・・・・・それは実際に起こらないと分からないのもまた事実。
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今、授業に耳を傾けつつも、川原颯太は退屈と言わんばかりに校舎へ目を向ける。
グラウンドでは他のクラスが、たたきつけるような炎天下の下、ランニングを敢行中。
自分は冷房にあたりながら、人ごとのように大変だなぁと思いながら睥睨する。
川原が授業に集中出来ないのは、歴史を理解する能力が欠如しているからだ。
いや、厳密には天使が関わる歴史上に伝承と言うべきなのか、どうなのか。
現代日本より遙か昔。
関ヶ原の闘いや本能寺の変と言った有名な歴史上の出来事に、天使の姿が確認されているという伝承がある。
だが、それはあくまでそう語り継がれているだけの話で、確信があるわけではない。
その眉唾物の授業を聞いて、天使がいた事に胸躍らせるものもいれば、川原のように、んなわけないと簡単に切り捨てるものもいる。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、歴史担当の高木が教科書を静かに閉じた。
「これで一学期の授業は全て終了だな。夏休みだからってあんまり羽目を外すなよ。後、川原は後で職員室に来るようにな」
そう言い残して、高木は教室を後にする。
やっと解放されて明日から休みだと、燥ぐ生徒が多々いる中、川原は特にそういった感情を表に出すこともなく、まるで作業ロボットように帰り支度を粛々と始める。
「呼ばれちゃったね、颯太」
そう声をかけて来たのは真田雪松という川原のクラスメートだ。
中性的な顔立ちに丸眼鏡が特徴で線も細いが、背が高く、気さくな性格で人気が高い。
「まあ・・・・・・いつもの事だしな」
そっけなく突き放すように語る川原。
根暗で、起伏が薄い表情がべたりと貼りついている為、愛想や人相ははっきりいって良くない。
なので、クラスメートに噂されるのも日常茶飯事である。
「颯太は、本当に天使が信じられないんだね」
「まあ、眉唾程度にしか思ってないからな」
「そこ、思ってないじゃなくて、思えないんでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・」
川原はその指摘に言葉を返す事が出来ないでいる。
確かに、川原は歴史を理解する能力が人より欠如している分、天使という存在が信用出来ない。
それを言ったら、普通に歴史上の人物にも同じような事が言える。
だが、川原が欠如している理解力は、何故か〝天使に関する事象〟のみに限定される。
なので、昔からテストでは残念な事に、歴史の科目だけ赤点を取っている。
他の教科にも天使の出来事が絡んでいるだろうけど、歴史の科目だけなのは、天使の登場を示唆する伝承が、おおよそ歴史に盛り込まれているからかもしれない。
「なあ、雪松。お前は・・・・・・」
「ん? 天使を信じるかって?」
「・・・・・・・・・・・・」
自分が言おうとした事を先回りされて、あっさりと口を噤んでしまう。
真田は、一度腕を組みながらうーんと呻って、顎に手を置きながら、考える仕草を見せる。
「僕は信じるかな。でないとこうして教科書で紹介する事もないし。仮にこれが颯太の言う眉唾だったとしても、実際に存在していたら面白そうじゃないかな?」
「そうか? まぁ、どうせいないと思うけどな・・・・・・」
「そうだよね。颯太はそうだよね。でも、もし、本当に天使を信じられる日がくればいいね」
「・・・・・・そんな日は一生訪れないと思うけどな」
「ははは・・・・・・そういえば、颯太は夏休み中どうするの?」
「別に・・・・・・どうせ補習だろうから。それ以外の予定も別にないし」
「ははは・・・・・・相変わらずだね、颯太。去年と一緒だよ、それじゃあ」
「おまえが言える事じゃないだろ。今回も部活が恋人だろ?」
「ははは・・・・・・そう言われると弱いなぁ。今年も合宿とか普通に入ってるかな」
真田は、その長身痩躯の姿からはあまり想像出来ないが、陸上部に所属しており、やり投げを主戦場としている。ちなみに川原は帰宅部である。
「そうか。まぁ、頑張れよ」
「また颯太は人ごとみたいに・・・・・・まぁ、他人事か。うん、頑張ってくるよ」
「・・・・・・おう。じゃあ、俺、職員室行って説教受けてくるわ」
「うん。そっちも大変だろうけど、頑張ってね」
学生鞄を肩にかけると、そそくさと川原はその場所から離れて行った。