第39話 シナリオ6 追憶の旅・火 温泉街の熱血漢① イブリス視点
学校の授業が終わり、俺は帰り支度を行っていた。
「イブリス。今日もバイトか?」
「ああ」
「そうか。たまには一緒に遊びたかったんだがな……」
「すまん。また今度誘ってくれ」
「おう。……バイト、頑張れよ!」
「サンキュ。また明日!」
友人と毎度のやり取りを終え、俺はカバンに必要な物を詰め込み教室を飛び出した。
靴を履き替えてダッシュで校門の外へ。
「来い!」
呼びかけに応じて現れた召喚獣は、Bクラス召喚獣・熱泉鰐。先日の召喚祭で得た相棒だ。
全長3メートル程度のワニに飛び乗ると、俺の意思を察し召喚獣は移動を開始。
短い脚を高速で動かし、俺が全速力で走るのと同じくらいのスピードで家に向かって走りだした。
町の中心近くにある学校から、山に向かって緩やかな上り。今は周囲に人も多いが、家に近づくにつれて人気は少なくなってくる。
舗装された道が途切れ土の道に変わったところでワニは道を外れ、林の中の獣道を走り出した。
行く手に川の音が聞こえるとすぐに渓流が現れる。
「飛べっ!」
「!!!」
俺の掛け声に応じてワニはジャンプ。
幅10メートルほどの川を飛び越えた。
飛び越えた先にあるのは俺の実家。この温泉街で最も古いことだけしか自慢することがない、オンボロ温泉宿だ。
「ただいま」
宿の入口をガラっと開き中へ。脱ぎ捨てた靴はそのままに、目の前にある受付の前の廊下を進む。
「イブリス!勝手口から入れっていつも言ってるでしょ!」
「はいはい」
受付の奥に座っていた母親の小言を聞き流しながら奥へ。
申し訳程度に従業員用という表示のある扉を開くと、そこには生活感満載の景色が広がっている。
家族が生活するエリアだ。
「ただいま。じいちゃん、ばあちゃん」
「…………」
答える声はない。
じいちゃんもばあちゃんも数年前に亡くなった。鴨居の上の二人の写真だけがこちらを見ている。
通学用の鞄を放り出し、別の鞄を拾い上げる。
バイト用の制服が詰まった鞄だ。
一息ついて180度方向転換。
入口へと向かう。
「イブリス、どこに行くんだい?」
「バイト!」
「ちょっと待ちなさい!」
母親の静止を無視して家を出る。
まだ何か言っているようだが、構わずにワニに飛び乗った。
王国南部に横たわる険しい山脈、その中の小さな盆地にあるこの町には、王国屈指の温泉街がある。町の中心には南から北へ向かって川が流れておりその川を中心に町が形成されている。
俺の家の前を流れる幅10メートル程度の渓流は、王都まで連なる大河の支流の一本だ。
王都からやって来る旅行者は、川沿いの街道を南下してくる。
川沿いにはいくつもの温泉旅館が立ち並んでいるが、その中でも俺の実家は最も上流に位置している。
最も南側、かつ標高の高い場所だ。
自然豊かといえばよく聞こえるが、実際は旅館迄の道も未舗装で、交通の便が良くないため
客の入りはよくない。
1000年前から旅館を開いているというのが死んだじいちゃんの口癖だった。それは嘘だと思うが、この町で最も古い旅館だというのは本当らしく、伝統だけはあるので、時々もの珍しさでやって来る客もある、程度の小さな旅館。
俺はそんな旅館の跡取りだ。
そうこうするうちに俺は一件の旅館に到着した。
俺の家とは比べ物にならないほどの大きさと近代的な設備。
ワニから降りた俺は、従業員用の勝手口から中に入る。
「お疲れ様です!」
「「「お疲れ様です」」」
忙しそうに働いている皆さんは俺の挨拶に元気に声を返してくれた。
従業員用通路を歩いていると、仲のいいおばちゃんに声を掛けられた。
「イブリス、今日も来たのかい?」
「うん。サイゴさんはどこ?」
「若旦那なら今は宴会場にいるよ」
「分かった!ありがとう」
おばちゃんにもらったアメちゃんをポケットに入れつつ、更衣室へと向かう。
更衣室についた俺は鞄からバイト用の服を取り出した。
「…………」
帽子、鼻あて、タイツ、赤と白のシマシマの上着とスボン。
全てを身に着けると、目の前の鏡には一人のピエロが現れた。
「ヨシ!」
気合を入れて宴会場へ向かう。
宴会場は50畳程度の畳敷き。座布団が規則的に並べられ、その8割以上に温泉客が座っている。
前の方にはステージ。そこには一人の男性が手品を披露していた。
従業員用の入口から入り、ステージ脇の幕の中、手品をしている男性の傍へ。
男性が行う見事な技をしっかりと目に焼き付ける。
「ありがとうございました!」
手品を終えた男性が戻ってきた。
「サイゴの兄貴、お疲れ様!」
「イブリス。来てたのか」
俺が話しかけた大人の男性はサイゴさん。
この温泉ホテルチェーンの若旦那だ。
「今日はバイトの日ではなかったはずだが……」
「自主錬に来たんだ。本物を見るのは何より勉強になるからね」
昔兄貴に言われた言葉を返す。
「そのやる気は買うけど、ご両親にちゃんと許可は取ったのかい?」
「取ったよ」
兄貴は俺の顔を見てから小さく息を吐いた。
きっと俺の嘘なんて見破っているんだろう。
「じゃあ、見せてもらおうかな」
「よしきた!」
その場でいくつか練習の結果を見せる。兄貴はいくつかのアドバイスをくれた。
「これで、この秋祭りの舞台に出るんだ!」
「うん。イブリスもなかなか上手になった。いいところまで行けると思うよ」
「兄貴にはかなわないけど、俺がコンテストで入賞すれば俺んちも知名度上がると思うんだ!」
「なぁ、技術を身に着けるのはいいと思うし、イブリスの気持ちもわかるが、もっと堅実な方法を取った方がいいと思う。知名度を上げることも重要だが、経営を改善するにはそれだけは難しい」
兄貴の忠告は理解できる。でも……
「今の俺にはこのやり方しか思いつかないんだ。じいちゃんばあちゃんが残してくれた家を守るために、俺も何かしたいんだ」
「……そうか……」
「若旦那!」
兄貴はまだ何か話そうとしていたようだったが、タイミングよく仲居さんがこちらに向かってきた。
「今晩の夕食の件で料理長が相談があるとの事です」
「分かった、すぐに行く。……では、イブリス。練習頑張れ」
兄貴は宴会場から移動。調理場へ行ったのだろう。
俺は幕の下りたステージで一人練習を続けた。
その後、夜遅くに帰った俺が母親に怒られたのは言うまでもない。
イブリス君は12才。人間の男の子です。
この世界には労働基準監督署はありません。




