サーカスのテント
「ねねね、サーカスのテント、外から見るだけでも、してきていいかなあ?」
街に買い出しに出てきて、まず昼食を済ませると、おずおずとみんなを伺う。
公演は見られなかった…というか、1年の間に見たことになっているので、せめて外からちらっと見るくらいはしたいのだ。
先を歩くユウが、こちらを振り向いた。
「おー、ありゃすごかったもんな、もう一回見たいのはよくわかるぜ!」
「ぷいぷいっ、ボクだってあれくらいできますよっ、今日からボクの特技は火の輪くぐりですからね! 残念ながら、おうちに火の輪が常備されていないから、お見せできないだけですっ」
アンタローがユウの頭の上で、小声で喋っている。
マグが思案するように、首元のマフラーを巻きなおした。
「ならば効率を重視して……買い出しはユウとオレで済ませるか……本当ならオレ一人で買い物と行きたいが……どうしても荷物持ちが必要な量になるからな……。ルグレイ……ツナを頼めるか?」
「はい、もちろんです。お任せくださいナツナ様、私はもう、この街の地理はしっかりと把握しておりますからね」
ルグレイが、張り切るように頬を朱に染めて、しゃきっと背筋を伸ばしている。
「それなら……夕方くらいに……あの中央時計塔の前で集合……でどうだ?」
「わあ、ありがとうマグ!」
反対されることも覚悟していたので、素直に喜んでしまう。
マグは、晴れ空色の目を細めて微笑んだ。
「リュヴィオーゼへの冒険が……どのくらいの期間になるか……わからないからな……しっかりニヴォゼを楽しんで来い」
マグは、いつもの調子で私の頭をポンポンと撫でてきた。
私はその腕に額を擦りつけたくなったが、人通りがあるので我慢する。
「……すげえ…!!」
唐突に、ユウが通りの向こうを見ながら、何かに反応している。
なんだろう、と思ってみんなで目を向ける。
「!」
ユウが見ていたものが何なのか、すぐにわかった。
すごい、全身鎧だ!!
あんなの着て歩ける人なんて、ホントにいるんだなあ…!
人ごみの中に混ざると、ひときわ異様な姿として映る。
しかし、頭一つ分大きいから目立つ、というわけではなく、マグと同じくらいか、もう少し低いくらいだ。
鎧を着ていることを考えると、むしろ中の人の背丈は、低い方ではないだろうか。
そんなことを考えながら、ついついじっと見てしまう。
あれっ、よく見ると、ひとりで歩いているわけじゃないのか。
その全身鎧の人は、隣を歩く少年と、何か会話をしているようだ。
会話と言っても、兜をかぶっているので、口は見えない。
が、隣を歩く少年の方を見ながら歩いているので、何かを話しているんだろうなということだけはわかる。
あまりに鎧の人のインパクトが強いので、隣の少年の印象がかすんでしまう。
線の細い、まだ大人になる一歩手前、という感じの、男の子…かな?
女の子と言われても納得できるような、中世的な顔立ち。
薄茶色の目と髪の、優し気な感じの人だ。
なんというか、人様の事情に対してこう思うのは失礼なんだけど、ミスマッチな組み合わせだなあ、と思ってしまう。
「いやあ、マサカリか、渋い武器選ぶなあ…!」
「そっちか……」
ユウが注目していたのは、どうやら鎧の人の背負っている武器の方らしい。
マグが、ある意味で大物を見るような目線をユウに向けている。
「すごいですね、身体強化系の魔法を使っていると見受けられます。日常的に使い続けられるとは…」
ルグレイも、別の視点で驚いているようだ。
「ぷいぃ…固そうです……みなさんが兜をつけていなくてよかったです…」
人の頭の上に乗るのが大好きなアンタローが、しみじみと言っている。
「やはりニヴォゼは大きな街だな……普段はなかなか見られないものも……見ることができる……ツナのいい刺激になる」
マグですら、微妙に私と違う感想だ。
こんなに受け取り方が人それぞれになるとは思わなかった…。
個性って、あるんだなあ。
「そうですね、やはり世界は広い。ナツナ様、今日はたくさん、色々なものを見ていきましょうね…!」
ルグレイが、マグの言葉にやる気を出している。
「うんっ、今日はよろしくね、ルグレイ!」
私は笑顔で頷いた。
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「ナツナ様、今日は私とデートになりますね」
ルグレイが、にこにこしながら私を見てくる。
「ルグレイそれ、デートって単語を使ってみたかっただけだよね…?」
「バレましたか。人生で初めて使ってみました」
ルグレイは、ちょっと嬉しそうに頬を染めている。
「地上は楽しいですね、初めてのことだらけです。なんて、何度も同じようなことを言っていますね。私ももう、1年もこちらに居るのですから、いつまでも旅行者気分ではいけませんね」
そう言いながら、ルグレイは、サーカステントまでの道のりを、迷いなく誘導していってくれる。
「大丈夫だよ、わたしに比べたら、ルグレイはすっかり地元民みたいな足運びになってるもの」
「ああ、それはそうですね。私もマグ様も、ナツナ様にはあまり街を歩かせませんでしたから…。申し訳ありません、せっかくの外の世界なのに。いけませんね、姫様ももう成長なされたというのに、つい過保護になってしまいます」
「あははっ、マグに比べたら、ルグレイはずっとマシな方だよ」
「そう…かもしれません。マグ様には、色々な意味で、敵わないな…とよく思ってしまいますから。私はよくマグ様と買い出しにご一緒させていただくのですが、適度に息抜きをさせていただけるんです。時折、マグ様を気配りの化身のように感じる時があります」
「化身って…!」
ちょっと笑ってしまう。
「いえ、本当です。ユウ様もですが、私には見習いたいところばかりで、お二方の傍に仕えられることは、人生で二番目の幸運だと思います。…あ、見えてきましたよ、サーカステント」
角を曲がると、通りの先に大きなテントが見える。
一番目の幸せが何だったのかを聞きたかったが、タイミング的に聞きそびれてしまった。
「わあ、思ったより…じゃなくて、記憶にあるより、大きく感じる…!」
ついつい初見のような反応をしそうになって、慌てて正す。
「そうですね。最初は獣臭がして、一体どういうことなのかと戸惑いましたが、今ではそういうものだと認識しております。やはり今日は平日ですから、公演をしている様子はありませんね」
ルグレイは残念そうに、テントの前で足を止めた。
「あの…でも、ぐるっと一周だけ、してみていい…?」
控えめに隣を見上げると、ルグレイはニコニコと快諾してくれた。
「もちろんです。せっかくここまで来たのですからね。ぐるっと一周なんて、前回はやりませんでしたし。いい具合に人通りもありませんので、ぜひご一緒させてください。その前に、ナツナ様、結構歩きましたが、お疲れではありませんか?」
「あ…ちょっとだけ。じゃあ、一周が終わったら、休憩してもいいかな?」
「はい、そうしましょう。マグ様も、おそらくそれを見越して夕方集合にしたのでしょうね。さすがと言いますか…」
「化身だもんね、化身」
二人で笑いあった。
私は物珍し気に、サーカステントの丈夫な布地をしげしげと見ながら、ぐるっと歩いて行く。
チケット売り場も空だし、客寄せか何かの野外ステージも、今は誰も居なくて静まりかえっている。
「今日はお休みなのかな?」
「そのようですね。もっと道具の手入れや練習などをしているイメージがありましたが、確かにどんな職業にも休日は必要ですからね。ですが、ゴミなどは散らばって居ないところを見ると、ちゃんと定期的に掃除などはされているようです」
家では掃除係のルグレイは、すっかりそういう視点になってしまっている。
ぐるっと歩き続けて、通りの裏側にまで来ると、テントの裏口周辺に柵がしてあり、いかにも関係者以外は立ち入り禁止な空気を醸し出していた。
「うわあ、秘密の場所って感じだね…!」
つい小声でルグレイに言うと、ルグレイは微笑ましげに私を見てくる。
「そうですね、きっと普段でしたら、こちら側は立ち入り禁止のロープが張ってあるのでしょうね。私もこちら側を見るのは初めてです。あの賑やかさを思い出すだに、今のこの静けさは不思議な感じがします」
ルグレイも心なしか小声だったので、ダメなことをしている感じがして、ドキドキした。
というか、待って、このドキドキは、疲れから来るやつだ…!
思ったよりも、ぐるっと一周の距離が長い…!!
「ル、ルグレイ、ちょっと、待ってもらっていい…?」
「あ…! そうですよね、私もこんなに円周が長いとは思っていませんでした、申し訳ありません、二人きりで歩けるのが嬉しくてつい…!! 少し休みましょう…!」
とはいえ、座れる場所もなかったので、私は立ち止まって、前のめりに膝に手をついた。
ルグレイは、おろおろしながら私を見守っている。
その時、サーカステントの裏口から、一人の男の人が顔を出した。
「おや、驚いた。お客さんかい? …気分でも悪いのかな?」
顔を上げると、どこにでも居そうな、ぱっとしない感じの男の人が、心配そうにこちらを見ている。
「あ、申し訳ございません。休日のサーカステントが物珍しくて、ついぐるっと一周をしていたところ、連れ合いが思った以上に疲れてしまいまして」
ルグレイが、疲れている私の代わりに、慌てて背筋を伸ばして、男の人に対応している。
「ははは、なるほど。よくわかるよ、いつもと違うものは、普段近づけない裏側まで見てみたくなる。前にも子供がこっそり覗きに来ていたりしたんだよ」
どうやらよくあることだったらしく、男の人は特に不信感を抱かず、なんてことないように笑ってくれた。
「そう言ってもらえると助かります。一瞬、物盗りと疑われることを覚悟してしまいましたから」
「いやいや、中にあるのはサーカス用の道具ばかりで、盗るものなんてなんにもないからね、そこは心配ご無用さ。それに、そんなに可愛いお嬢さんを連れた泥棒なんて、今のところ見たことがないからね」
そう言って、男の人は器用にウインクをしてきた。
よくよく見ると、愛嬌のある猿顔で、笑うとチャーミングな人だな、という印象だ。
「しかし、ただの疲れ…ということなら、お嬢さん、中で少し休んでいくかい?」
「え、いいのですか?」
ルグレイは、渡りに船と言わんばかりに食いついた。
「ただし! サーカスの裏側を見るのは、少人数であるほど望ましい。お兄さんにはここで待っていてもらうことになるけど、それでも構わないかい?」
「!」
ルグレイの表情は、究極の選択を突き付けられたような顔だった。
その間にも、男の人は、判断材料となる情報を並べていく。
「ちなみに、僕はクラウン。ああ、名前じゃなくて、職業さ。いつもは化粧を塗りたくっているから、サーカス関係者だと言ってもなかなか信じて貰えないのが悩みかな、ははは。今日が休日なのは、ズバリお兄さんの推理通りなんだけどね。僕は無趣味だから、檻の中の動物たちの餌やり係に、いつも任命されてしまうんだ。さすがに動物の腹具合に、休日なんてないからね」
「檻の…! 休憩場所は、危なくないのですか…?」
ルグレイが、ハラハラしながら聞いている。
「ははは、もちろんさ。部屋はちゃんと分けてあるよ。いくら団員と言っても、公演終わりで興奮している動物たちと、同じ休憩部屋だと気疲れしてしまうからね。そうだ、せっかくだから、お嬢さんだけに、僕の手品を見せてあげるよ。手品って、客寄せには使えるけど、大舞台だと地味になるから、なかなか披露するチャンスがないんだよねえ」
「!」
今度は私が反応してしまった。
しかし、ここで私が乗り気な姿勢を見せたら、ルグレイが自分の意見を飲み込んでしまうので、ぐっと我慢した。
どきどきしながら、ルグレイの横顔を窺う。
「さて、無理強いはしないけど、どうするんだい?」
クラウンの人…いや、クラウンも、ルグレイの様子を窺う。
ルグレイは、視線を時計塔の方に向けた。
街の真ん中にある高い塔は、どこから見ても時間を教えてくれる。
「…では、30分だけ、休憩をお願いできますか? 申し訳ありません、なにぶん、過保護な性分でして…それ以上離れ離れになるのは、心配で仕方なく…! もちろん、貴方を疑っているわけではないのですが」
「ははは、わかっているさ。この街は治安がいいとはいえ、荒っぽい連中がゼロかといえば、そうでもないからね。まあ、闘技場のおかげで、みんないい具合の息抜きができているから、うまい作りだとは思うよ。もちろん、息抜きで言えば、サーカスも負けてはいないけどね」
そう言って、クラウンはまたウインクをした。
ルグレイは、つらそうに私を見てくる。
「ナツナ様、では、しばしのお別れとなりますが…!!」
「ルグレイ、心配してくれてありがとうね、元々はわたしの体力が無いせいなんだから、気に病まないで?」
ルグレイは、私の言葉に涙目になっている。
なんだか、ルグレイを置いていくことに罪悪感すら感じてくるよ…!!
「決まりかな? それじゃお嬢さん、こちらへどうぞ」
土壇場で私がまだ迷っていると、クラウンはさっさと裏口の中へと入って行った。
私は焦って、クラウンの背中と、ルグレイの顔を見比べる。
どうしても一歩を踏み出せずにいると、ルグレイが促してきた。
「ナツナ様、私のことはお気になさらずに、どうぞ手品を楽しんできてください…!!」
「ルグレイ…! ごめんね、30分したら、すぐに元気に帰ってくるからね!」
なんだか今生の別れのような空気になってしまいながら、私はクラウンの後を、ふらふらとついていく。
テントの中に入る前に、一度ルグレイの方を振り返ると、まだ心配そうにこちらを見ていた。
私は小さく手を振って、テントの中へとお邪魔させてもらった。
<つづく>




