日常回帰
それから数日経っても、フィカスから音沙汰がなかった。
晩御飯の時間にもやってこないので、よほど忙しいのだろうなと、いつもその結論になった。
ちょっと前までは毎日顔を合わせていた相手なので、私はなんだか落ち着かない気持ちになる。
他のみんなもそう感じているようだった。
あのアンタローでさえも、たまにフィカスのことを聞いてきたのは驚いた。
襲撃の影響で、畑はつぶれてしまい、庭に残ったのはルビーオレンジの樹だけだった。
それもあって、さすがに食料が尽きてきたため、みんなで街に買い出しに出たりした。
おかげで、私は久々にデューへ手紙を出すことができた。
今回の手紙は、今までとは一味違う。
なぜかというと、屋敷の住所を書き込めるからだ!
私はうきうきしながら、デューへと現状報告をした。
次の日、砂漠がどうなったかの様子を見てみたいと私が言うと、みんなでちょっとだけニヴォゼの外に出てみることになった。
門番さんは、フィカスと共に居た私たちのことを覚えており、案外すんなりと外に出られた。
「うわーー、風がからっとしてて、夏って感じの気候なんだね、こっちは」
砂漠の容赦ない暑さは引いていたが、草原を撫でるように吹き抜ける風は初夏のものだった。
東大陸は、春と冬で、こっちの西大陸には紅葉樹林もあるということなので、夏と秋を担当しているのかもしれない。
「俺らの村では春夏秋冬があったんだけど、大陸では大体一定なんだな、季節って。いやー、でもこれは気持ちいいな、駆けまわりたくなっちまうよ」
ユウがしみじみと呟く。
ルグレイも頷いた。
「感慨深い光景ですね、これは。微力ながら協力できたことを光栄に思います」
「この様子なら……多少貴族が減っても大丈夫そうだな……」
マグもなんだかんだでニヴォゼのことを気にしているらしい。
ほとんど散歩とも言えるお出掛けを終えて、帰り道に門番さんに少し話を聞いてみることにした。
「それがなんと! 昨日、草原の方に雨が降っていたんだよ。雨なんて、他大陸の話には聞いていたけど、この目で見るのは初めてだったからね、門番の仕事を投げ出して、あの雨の中に飛び込んでみたい、なんて初めて思ったよ」
門番さんの居るところは、ニヴォゼに張られた結界の内側なので、雨は浴びられなかったらしい。
「そりゃいいな! 他に変化があったりしたのか?」
ユウはいつものように、人懐っこい笑顔を向けて情報収集を続ける。
「どうも、西の紅葉樹林のほうから、生き物が少しずつ移住してきているみたいでね。先日ここを通った商人が、兎を見かけた、なんて興奮気味に教えてくれたよ」
ユウはそれを聞いて、牧草にしてよかっただろ、と言いたげな顔で、こっちを振り向いてブイサインをした。
「まるで違う大陸になってしまったみたいだって、酒場では連日大盛り上がりさ。これもフィカス様のおかげだねえ」
門番さんは、自分で自分の言葉に頷いている。
ユウは門番さんにお礼を述べると、そのままニヴォゼの街の中へと歩き、みんなで帰路を行く。
「順調みたいでよかったね!」
私はにこにことルグレイの方を見ると、ルグレイも同じような笑顔で、「はい」と頷いてくれた。
「オレたちも……フィカスを待ってばかりもいられないからな……明日になったら……本格的にニヴォゼの観光でもするか……バザールやサーカスや……行ってみたいところがたくさんある」
マグの言葉に、私たちは同意の頷きをする。
するとタイミングよく、その日の夜にフィカスが屋敷を訪れてきた。
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「フィカス!」
「フィカス様!」
「ぷいぃっ、フィカスさん!」
「会いたかったぞ、お前たち」
フィカスは感無量といった風に、普段は言わないようなことを開口一番で言ってきた。
アンタローが、ぷいぷいと嬉しそうにフィカスの頭に上りに行く。
「フィカスさんフィカスさん、ボクが運転して差し上げます!」
「アンタローに出迎えられるとはな、お手柔らかに頼むぞ」
フィカスは少しくすぐったそうにしている。
「なんだそれは、パスタか…? 俺も食うぞ」
そしてずかずかと食卓に入ってくると、亭主関白よろしく、どっかりと椅子に着く。
今日の晩御飯は、ルグレイに捏ねるのを手伝ってもらって、うどんにしてみた。
鶏肉を使った、お醤油…というか、めんつゆベースの鴨南蛮だ。
醤油系のお料理って、大体めんつゆを使えば美味しくなるという偏見が、私にはある。
今日も私の創造魔法が唸って、めんつゆ生成魔法というものを開発した。
フッ、またくだらぬものを出してしまったな…。
しかしお箸がないので、みんなフォークで食べている。
私は各自の皿に、温泉卵状にした卵を入れて、そこにうどんを絡めて食べてもらうのをオススメしていた。
変わった味わいだが悪くないという評判だったが、うどんはつるつると入るので、特にマグが食べやすさを気に入っていた。
うどんは、リアルでも前から挑戦してみたいと思っていたので、作り方はいろいろなレシピを見ていたし、実際にうどんをこねる動画も5つくらい見ていた。
しかし、どうしても最後の一歩を踏み出す勇気が持てなくて、実際に打ってみたのはこれが初めてだ。
たぶん、お料理上手な人には、この勇気が持てない、という部分は理解ができないんだろうなー…。
実はクレープも、同じ理由で踏み出せないでいる。
だってああいうのって、不器用な人がやると、皮が破れそう以前に、均一に焼け無さそうなんだもの。
そんなことを考えながら、ルグレイと一緒に慌ててフィカスの分を準備すると、フィカスは面白そうに食べていた。
「ナっちゃんの作る飯は、飽きそうにないな」
初めて打った麺は、量の配分がわからずに、結局大量にできてしまっていたのだが、フィカスのおかげですべて消費することができた。
「それよりフィカス、結局あれからどうなったんだよ!」
フィカスが食べ終わるのを待って、ユウが前のめりに聞きに行く。
フィカスはおつゆまで飲んで、椀を置いた。
「ああ、報告が遅くなって悪かった。ちと俺の見通しが甘くてな、思ったより時間がかかってしまった」
「珍しいな……フィカスが見誤るとは……」
マグが言うと、フィカスは唸る。
「ああ。予想外だったよ。怪しいと踏んでいたのは3人居たんだが、まさかその3人ともが共謀していたとはな。道理で襲撃を強行したわけだ。俺にはつくづく犯罪を犯すやつの思考が読めないようだ。しかしお前たちのおかげで、多少貴族を減らしてもよくなったからな。強気に行けたのは大きかったらしい。無事牢に放り込むことで解決ができた」
なるほど、首謀者が3人居たから、襲撃者の量もあれだけたくさんになってたのか…。
「ということは、緑化で魔力の節約はできそうな感じだったの?」
私の問いに、フィカスは何を言っているんだと言いたげな顔を向けてきた。
「節約も何も、大助かりだったぞ。何せ気候から変えたんだ。こっちはいい意味で予想以上だった。報告によると、雨も降り始めたそうでな」
「聞いた聞いた、しかも動物も食料を求めて来てるんだってな!」
ユウが嬉しげに相槌を打つ。
アンタローは今寝ているんだろうなと思って目をやると、案の定、難しい話が始まった瞬間に、アンタローはすやっとフィカスの頭の上で寝こけている。
「ああ。ここからニヴォゼは変わるぞ。ついでに牧場主も募集して、他国から牛や羊を取り寄せることにもなった。なにせ、砂賊も魔物も居なくなったのだからな。そのうち、草原に羊飼いの姿が見られるだろう。ただ、南のヴァントーゼには、香辛料などの面で頼らなければならんからな。あちらはあのままの気候で居てもらうことになりそうだ」
「……嬉しいですね。私は、ずっと変わらない天空の国で生きてきましたから、こんな風に国単位で躍進を遂げる姿を見ることは初めてです。こんなにも、胸が躍るものなのですね」
ルグレイが、興奮に頬を染めながら、実感を込めて言った。
フィカスは、改めて私たちの顔を見渡した。
「すべて、お前たちのおかげだ。2年かかると思っていたものが、ひと月もかからずに解決するとはな。だが……。同時に、寂しくもある。もう少し、時間をかけてくれてもよかったのに、とな」
フィカスは口をつぐんだ。
私たちも、シンと押し黙る。
「というわけで、次の依頼を持ってきた。ちなみに、今回の働きの褒賞は、この家にしようと思う。全員、心行くまでここで暮らすがいい」
私たちは、予想外の言葉に、ぱちくりとした。
フィカスは、私たちの様子に、ゴーグルの奥で意地の悪い顔を向けてきた。
「なんだ、返品でもしたいのか? それともよもや、爵位の方を望むのではないだろうな? ダメだぞ、俺はお前たちにそういったものとは関わりを持ってほしくないんだ」
「いや、お前の足早な展開に……思考が付いて行ってないだけだ……」
マグが半眼でフィカスに言う。
「ははっ、性急なのは性分だ。許せ」
フィカスは、一瞬だけ私に目を向けた。
本当に囲い込もうとしているな、と、私は笑ってしまった。
「ちなみに、砂賊のアジトから金品は徴収できたし、お前たちの襲撃を指示した貴族からも家財は没収しているからな、別途で当面の生活費くらいは出そう。観光を楽しむといい。お前たちの働きを思えば、あまり見合っている額とは思えんが。まあ、変に肩入れしていると勘繰られたら困るのでな。我慢してくれ」
「それはわかったけどさ。次の依頼って?」
ユウの言葉に、フィカスは満足げだ。
「次の話に行くということは、褒賞は受け取ってもらえるようだな、安心したぞ。次は、ユウ個人に依頼だ。ユウ、お前、闘技者として闘技場に出ろ」
「はあ? なんだよ、いきなり…」
私たちは、ビックリしてユウの方を見る。
「テコ入れの一環だ。これでユウが優勝できたなら、八百長はなかったということだ。そこの経営者が若干怪しくてな。話の流れから、そいつも貴族だと予想はして貰えるだろうが。金で成り上がった貴族でな。魔力は持っていないが、少々王宮に金をばらまいて口利きを要求している節がある。いい機会だから掃除対象かどうかを把握しておきたい」
「お前…人にもうちょっと自分を大事にしろっつっといて…!?」
「何、お前の実力なら致命傷を負ったりはしないだろう? 信頼をしているんだ、信頼を。ああ、危ないからナっちゃんは応援もなしだ。なるべく闘技場には近寄らないように」
「ええ…!? 応援くらい危なくないよ…!」
「いけませんナツナ様、不埒な輩に目をつけられたらどうするのですか。ユウ様のことはマグ様に任せて、私と一緒に留守番をしましょうね」
ルグレイが、言い含めるように言ってくる。
「ルグレイが、そういうなら……」
私はしぶしぶ頷いた。
「もうユウの参加は……決定事項として進んでいるのは……どうなんだ……?」
マグがユウを窺う。
ユウは、大袈裟にため息をついた。
「ま、仕方ねーな。頼られちまったからには、やってやるよ! ちょうどひと暴れしてーなって思ってたところだしな!」
ユウはしぶしぶ言っているつもりなのだろうが、表情が全然喜びを隠せていない。
フィカス自身も、ユウのわかりやすさに笑みを隠せない様子だ。
「これで膿を出し切ったら、あとはティランにニヴォゼを任せて、お前たちと冒険をする予定だ。リュヴィオーゼ跡地の方に案内してやる。あそこは結構面白い景色があるからな」
「うわあ、楽しみ…! ニヴォゼの観光もね、これからだから、楽しみなんだよ!」
私の言葉に、フィカスは残念そうに息を吐く。
「本当は、ニヴォゼの中も俺が案内してやりたいんだがな…」
「いえ、無理もありません、王が城下に降りられるとなれば、ひと騒動有りそうですしね」
ルグレイが察して言うと、フィカスは首を振る。
「いや、その辺は大丈夫なんだ。普通に俺は普段から城下をウロついているし、声を掛けられる程度で終わる」
「なんだ、フィカスらしいっちゃらしいな」
ユウはその光景を想像して、笑っている。
「単純に今の時期は忙しいというだけでな。ギルドにも植生と生態調査系の依頼を出さなければならん。一日でも早く、俺は現状のニヴォゼを把握したいのでな。貿易の品目も徐々に変えていく必要があるかも、まだ検討中だ。どうだマグ、手伝わないか?」
「……めんどくさい」
マグは興味のないことにはテコでも動かない。
フィカスはその返答を予想していたらしく、「だろうな」と言って終わった。
「ではフィカス様とは、また当面はお会いできなくなるのですか?」
ルグレイが心配そうにフィカスを窺うと、フィカスは首を振る。
「馬鹿を言え、これ以上お前たちの顔が見られなくなるのはつまらん。ここからはまた、夕食時に邪魔をさせてもらうことになるだろう」
「となると……観光も夕飯時までには切り上げなければならないな……また少しずつ……生活ペースを作っていく必要がありそうだ」
マグは、考えこむ程度には、フィカスと交流を続けたいんだろうな、と思った。
ユウも頷く。
「だな。俺も早速明日闘技場の方にエントリーしに行かなきゃだし、ツナの晩飯楽しみにしてるな。またあれ作ってくれよ、ピジャってやつ!」
「ピジャ? なんだそれは、俺も食うぞ」
即座にフィカスが反応する。
ピザってそのまま使うのが申し訳なかったので、ピジャって名前にしたけど、耳で聞くと間抜けな響きになってしまった。
今更だが、パスタがあってピザがないという辺りが、いかにも私が書いた小説世界という感じで、メチャクチャだ。
ちなみに今日の晩御飯は、ウドゥンって紹介をしておいた。
あー…お米があれば、菜食のフェザールでも食べられるのに…。
パンってなんだかんだでミルクを使ったり、バターを使ったりと、動物性たんぱく質があるんだよね。
まあ、少量ならそこまで負担はないんだけど。
しかし、お米の作り方なんて、水田がどうのというぼんやりとした感覚しか知らない。
うう、記憶力のいい人がうらやましい、私はもっと興味をもっていろいろと調べながらリアルを過ごしておくべきだった!
「じゃあ、観光はユウの試合とかがない日に一緒にやろうね!」
瞬く間に決まった今後の予定にうきうきしながら、私はにこにこと告げる。
みんなで頷いた。
その時だった。
いきなり、信じられないことが起こったのは。
<つづく>




