迎撃準備
「あまつぶとあずみ、帰ってったよ」
朝食の席に座りながら、戻ってきたユウが唐突に告げた。
「えっ、挨拶できなかった…!」
急な話に、私たちは驚いた。
「おそらく……互いに情が移らないようにしているのだろう……精霊は長生きだろうからな」
マグは、テンテンとテーブルの上をウロついているアンタローに目を向けながらそう言った。
「フィカス様は、目的を果たされたのですか?」
ルグレイが、パンをちぎりながらユウに聞く。
「ああ。砂漠の中で、多人数が隠れられそうな地形の場所を、あずみに聞いてたよ。まあ、砂賊狙いなんだろうな。んで、討伐隊を結成して、ちょっくら行ってくるって話になってたな」
「まだ魔力も回復しきっていないのにか……? 忙しい奴だな……」
マグが、若干心配そうに言った。
「そうなんだよなー。俺も手伝おうかって言ったんだが、かなりパーセンテージは低いけど、ツナに何かあるかもしれないから守ってやれって言われた」
「えっ、どういうこと?」
私が思わずユウに聞くと、答えたのはルグレイだ。
「もし、砂賊と繋がりを持つ誰かが上層部に居た場合、討伐隊の動きを見て、危惧を覚えるでしょう。掴まった砂賊が、自分と繋がりを持っていた、と自白することをまず恐れますね。そして、その時のために、切り札を用意しておく必要が出てきます。本来ならば、狙われるのはティラン様が妥当でしょう。しかし、王宮で王弟を攫うなど、容易なことではありません」
マグが、ルグレイの言葉に頷いた。
「なるほど……そこに、都合よく……王の想い人である……ツナが現れたわけだ……しかも、街外れに居を構えていて……襲撃があったとしても、バレにくい……まるで釣り餌だな。不埒な輩から見れば……自らの幸運を疑わないだろうが……」
「って、話だけ聞いてると、絶対やるやつじゃんそれ。なんでフィカスは確率は低いなんて言ったんだ?」
ユウが首をひねると、またマグが応える。
「フィカスには……自暴自棄になるヤツの気持ちが……基本的にわからないのだろう……。どう考えても効率的ではないことを……どうしてやるのか……そこが想像できない……。フィカスは常に……王の道を歩んできたのだろうからな……」
「そうなりますね。ですが、我々でフォローをすればいいだけのことです。たとえ襲撃があったとしても、ユウ様とマグ様なら、返り討ちにできるでしょう。私も微力ながら、力になります」
ルグレイの言葉に、ユウが笑った。
「何が微力だよ、よく言うぜ、俺は初対面ん時のルグレイの迫力は忘れられねーなあ」
「そ、それはもう言わないでください…!!」
ルグレイが、顔を真っ赤にして俯いた。
その時、テーブルをウロついていたアンタローが、マグが大事に取っていた目玉焼きの卵の黄身を、ちゅるんと口の中に入れていく。
「お前……!?」
「ぷいぃいっ、好き嫌いなんてダメですよマグさん、ボクが片付けて差し上げますっ」
「いいだろう……珍しい味の鉛弾を食わせてやる……感想が楽しみだな?」
「やめてマグ!」
私は銃を抜こうとするマグの片手にしがみつく。
「マグ様、私の目玉焼きをお食べください、まだ残ってますから…!!」
「すまねえルグレイ、俺が早食いなばっかりに、お前にだけ負担を…!!」
ルグレイもユウもわーわー言って、朝からバタバタしてしまった。
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今日はまだフィカスが融通してくれた食料の残りがあるので、買い出しに行く必要もなく、各自手早く家事をこなして、なんとか隙間時間ができるようになった。
私たちはリビングに集まって、襲撃があった時のための迎撃準備の話し合いをすることになった。
「とにかく、襲撃はある、と仮定して話を進めてみましょう。準備をしておくに越したことはありませんからね。ユウ様、フィカス様のご予定は聞いていますか?」
ルグレイがユウを窺う。
「ああ、何でもフィカスは、元々は緑化でサンドワームとかが活性化すると踏んで、今日出発できるように隊を編成していたらしいんだ。けどそっちはあずみのおかげでなんとかなったから、予定が大きく変わって、砂賊退治になった。砂賊ってのは、妙なプライドがあるらしくって、例えば物語に出てくる海賊が海から出たがらないのと一緒で、砂賊は砂漠にコダワリを持ってるらしい」
「なるほど……つまり緑化で最も被害を被るのは……南にあるという、ヴァントーゼの集落か……あちらはまだ砂漠だからな」
「そうそう。他にもポツポツと小さな村が散在してるとかで、とにかく早めに行動したがってたな。だから、もう討伐隊を連れて宮殿を出発してるんじゃねえかな。馬の隊だって言ってたし。ただ、今日に夜襲するとして、帰ってくるのは、明日の夜遅くか、明後日の朝…ってことになるらしい」
ユウは、マグに頷いた。
ルグレイは、思案気に顎に手を当てる。
「なるほど、となると、砂賊と繋がりを持つ貴族か何かが居たとして、今日の討伐隊の出立は、寝耳に水の情報となりますね。かなり焦って動き出すでしょう。しかし、私の予想では、今夜は流石に、向こう側の準備が足りていないものと思われます」
「オレも同意見だ……ツナを殺さずに生け捕る目的なら猶更……人質として成立させるくらいに……スムーズな計画で捕らえる必要がある……来るなら明日の夕方以降か……夜中だろう。……人数もそろえる必要が……あるだろうしな」
ルグレイとマグの言葉に、私はちょっとドキドキと緊張してきた。
ちなみにアンタローは、難しい話が始まった瞬間に、私の膝の上ですやっと眠りについた。
ユウが不満げに、頭の後ろで手を組む。
「つっても、後手に回るしかないってのが腹立つなー。そんなん絶対襲撃ん時に窓とか割れる流れじゃんな。なんでそいつらの勝手で俺らの住処を荒らされなきゃなんねーんだよ。ツナが無傷なのは当たり前として、なんとか家の傷も最小限で済ませたいなー俺は」
ユウはもうすっかりこの家に愛着がわいているらしい。
しかしそれは私も同じなので、同意をした。
「じゃあ、わたしが狙いなんだから、わたしが外でうろうろすればいいんじゃないかな?」
私が自分を指さしながら言うと、マグが「却下だ」とすぐに否定をしてきた。
「ツナ、あまり軽く考えるな……まあ、ツナは闇家業のことを知らないし……オレも知らせていないから仕方がないが……『人質が、呼吸さえしていればいい』……と考えるヤツラだったらどうする……とにかくツナに接触をさせる気はない」
「そ、そっか…」
そこまで厳しい世界だとは思っていなかったので、私は私の軽はずみを恥じた。
「そう…ですね。では、今夜を捨てて、明日の拠点防衛に集中させていただけるなら、私に一案があります」
「おっ、なんだよルグレイ、頼もしいな、どうするんだ?」
ユウが、ちょっとワクワクしながらルグレイに問うた。
「簡単なことです。私が明日、夕方から一日中見張りをすればいいのです。昨日、精霊のあまつぶ様と、あずみ様に、多少魔力の使い方をレクチャーしていただきました。おかげさまで、少しだけ、芸を覚えることができました。見ていてください」
ルグレイは、手の平を見せるように、片手を上げる。
バチ、と、ルグレイの手の平に、小さな雷が走った。
それを、ソファーで囲んだテーブルの上にある、紅茶のカップへ向ける。
パチパチ、パチパチパチッ―――
すると、紅茶のカップをドーム状に包むように、小さな雷のフィールドが展開された。
何度もチカチカと光って、物凄く痛そうだ。
「うおお、すげえ、バリアーか…?」
「ユウ様、指先でそれに触れてみてください」
「ええ?」
ユウは一瞬戸惑ったが、しかし「ルグレイがそう言うなら」と、あっさりと人差し指で触りに行った。
バチンッ!
物凄く大きな音がして、私はびくっと肩を跳ね上げた。
音と共に、紅茶カップを覆っていたシールドが解ける。
「ユウ、大丈夫!?」
「あ、ああ……いや、それが、覚悟してたよりも痛くはねーな、バチっとは来たが…ひょっとして、静電気か?」
ユウは、雪の街フリメールでさんざん静電気に悩まされていたので、すぐにその単語が出て来たらしい。
ルグレイは、にこにこと笑って頷いた。
「はい。見た目と、音だけは派手にした、微弱な電流です。知らずに見ると、物凄くダメージを食らいそうな感じがしますよね。これを、屋敷を覆うように展開させます。裏家業のプロであればあるほど、リスクを嫌いますからね。見た目だけですので、それほど魔力消費もないのですよ」
「しかし……突破してこようとする輩は……出てくるだろう……一日やそこらでかき集めた連中だから……さほど精鋭も居ないだろうが……」
マグが言うと、ルグレイはまた頷く。
「はい。もちろんこれだけではありません。私がずっと庭に立って見張りをする、その背後にだけ、人一人が通り抜けられる、シールドの穴を作るのです。すると、誰もがこう思います。『あの見張りを倒せば、さしたるリスクもなく、屋敷に侵入できそうだ』と。万が一、人数を頼みに私を突破するとしても、その不埒な輩は、玄関を通って大広間から入る、という侵入方法を、自然と選ぶでしょうね」
「なるほど……侵入経路を……誘導するわけか」
マグの言葉に、ルグレイは微笑んだ。
「そうなると、ユウ様が迎え撃ってくれますよね?」
「ああ、もちろんだ! ツナの守りは、マグに任せればよさそうだな」
「わたしは、なにもしなくていいの…?」
ルグレイに聞くと、彼はお日様みたいなオレンジ色の目をほそめた。
「そうですね、ナツナ様は安心してお眠りください、と言いたいところなのですが…。我儘を許していただけるならば、二階の窓から、私の背を見守っていてくださると、とても嬉しいです。やはり私も男ですからね。ナツナ様に、いいところを見せたいなと、そう思ってしまいます」
ルグレイはそう言うと、はにかむように笑った。
「! 見守るよ、わたし、目を離さないよ!」
「ありがとうございます。誰の指令かを聞き出すために、積極的にトドメを刺すことはしないつもりですが……多少、刺激的な光景になりそうなのは、お許しください、マグ様」
「そうだな……教育的に考えれば……難しいところだが……宵闇に紛れてもらうことを……祈っておこう」
紛れる?
と、一瞬わからなかったのだが、たぶんマグは、血飛沫のことを言っているのだろう。
そうか、そこまで考えてなかった、一応覚悟をしておこう。
「おっしゃ、だいたい決まったなー。そんじゃ、今日は明日のために準備だな」
「待て、ユウ。襲撃時間は……お前の勘では何時だ?」
マグの言葉に、ユウはちょっと考える間を開けたが、すぐに答える。
「俺だったら、現地についてから、2時間後だ。バリアーみたいなものと、微動だにしないルグレイの様子を見て、焦って痺れを切らす。合図としては、陽が沈むとほとんど同時だな。おそらく、烏合の衆だろうからな。そういう、ざっくばらんな合図しか決めないはずだ」
「ルグレイ……ユウの勘は、よく当たる」
マグの言葉に、ルグレイは感銘を受けたように瞬きをした。
「さすがです、ユウ様。しかしそうなると、私が微動だにしない、という条件を守らなければなりませんね、プレッシャーです。……なんて」
ルグレイは、冗談めかして笑うくらい余裕があるようだ。
確かに、襲撃者が居るとしたら、私たちが感づいているなどとは夢にも思わないだろう。
アドバンテージは私たちの方にあるようだ。
「しかし、時間的な目安ができたのはありがたいですね。早々に済ませて、ナツナ様の湯浴みの準備をしたいものです」
「ちなみに俺の勘だと、片付いた頃に、フィカスが来るな。アイツなんだかんだで心配性だからなー」
ルグレイの言葉にユウが返しながら、立ち上がる。
「んじゃ、今日は二倍薪割りやっとくかー」
「ツナ……明日の晩御飯は……手早く終わらせておく必要がある……オレが作ろう……」
「うんっ、じゃあ今日は頑張るね…!」
ちゃかちゃかと役割が決まっていく。
怖いような、ほんの少しだけ、楽しみなような。
この感覚は、知っている。
台風が来る前の、あの感じだ。
ルグレイは、明日のために魔力を回復させておきたいということで、今日は早めに寝ることになった。
私も、翼を出すのは今日までで、明日は仕舞っておかなければならないと念押しされた。
寝る前に、ぐーっと翼を伸ばして、ほんの少しだけ満月を過ぎた月を見上げる。
本当はバルコニーに出たかったが、襲撃の下見のために誰かが来る可能性もあったので、大人しく雑魚寝布団に横になる。
ユウとルグレイの方からは、早くも寝息が聞こえた。
「ツナは昔から……空ばかり見上げていたな」
不意に、隣で寝転んでいるマグが言ってきた。
「そうだっけ?」
私はきょとんと聞き返す。
あ、ひょっとして、あれかな。
背景がぼやぼやしていたのが気になって、よく色んな方向に目を向けていた気がする。
もうそんな、ぼやぼやしていた時代があったのが、遠い昔のように感じる。
「なんだ、自覚はなかったのか……。今思うと……ツナは空に帰りたかったのかもな……」
マグは、寂しげな顔をしていた。
違うよマグ、帰りたかったのは、空じゃなくって…。
そう思ったが、それ以上考えるのはやめておく。
「わたしの居場所は、ここだよ。ユウと、マグと、アンタローと、ルグレイと、フィカスのいる、この地上だよ」
私はマグの腕に、スリスリと額をこすりつけて、マーキングをする。
マグは、いつものように私の髪を撫でた。
「オレは……自分で思っているよりも……身勝手な人間だったようだ……。そういう返答に……喜んでしまう……。ツナが深く付き合ってきた人間は……それに加えて……デューとティラン、セージやハイドを無理やり入れても……たった9人……狭い世界だ……広い世界への冒険に誘ったくせに……オレはツナが……オレの居ない世界へ踏み出すことを……恐れてしまう」
「マグ…?」
「時折……ツナを大事にする方法が……わからなくなる……。ツナ……窮屈じゃないか……? 我慢をさせてしまっていないか……?」
月明かりに照らされたマグの表情を見ると、不安でいっぱいの顔をしていた。
私は驚いてしまって、しばらく、喉に何かがつっかえたように、黙り込んでしまった。
その後、慌てて喋り始める。
「マグ、違うよ、マグ。わたしが昔、マグにお母さんみたいだって言ったのは、お母さんの代わりをしてほしいからじゃないよ。誰も、誰かの代わりになれない。マグは、マグでいいんだよ。マグだけが思う、望んだ通りのことをしていいんだよ。わたし、本当に嫌だったら、嫌って言えるよ。一緒に居たいから、一緒に居るんだよ?」
どうしても、こういうときに、散らばった言葉になってしまうのがもどかしい。
「マグ、ごめんね、不安にさせてたなんて、気づかなかった。わたしは幸せだなって思うことばかりで、それがマグに伝わってるって、勝手に思い込んでた。どうすれば、伝わるのかな…? わたしばっかり、勝手に魔力の匂いをつけて、落ち着いてて、でも、マグがどうやったら落ち着くかなんて、考えたことがなかった。甘えてばかりで、ごめんね」
マグは、じっと、私の言葉を聞いていた。
「……大丈夫だ。もう、伝わった……だから、泣かなくてもいい……」
マグは、泣きそうになっている私の目を、そっと手の平で押さえて、閉じさせてくる。
「……。うまく言えないが。ツナが、ツナの内側で思っていることを喋ると……オレは、それだけで、幸せになれる……ようだ。ツナも、そのままでいい……。……うまく、言えないが」
「……ほんと?」
「ああ。これからも……ツナの内側の声を……聞かせてくれ。不安に思ったことでも……なんでもいい……楽しいことばかりじゃなくてもいい……言いたくないことは……言わなくてもいいが……ツナの言葉を聞くのは……好きだ」
「…マグは、わたしが生きてて、喋ってるだけで、喜んでくれるみたいで、うれしいな」
視界はマグに塞がれてしまっているので、表情は見えなかったが、ふ、と、笑う気配がした。
「自覚はないんだろうが……ツナもオレに……似たようなことを言ってくる」
「そうかな…そうかも。マグの言葉は、やっぱり夕陽みたいな色をしているよ…」
次第に、眠気がやってくる。
「もう寝ろ……明日はきっと……忙しい」
「……ン」
なんだか、どこかが満たされた気持ちで、眠りにつくことができた。
<つづく>




