真夜中の邂逅
翌日、ニヴォゼのざわめきは、街外れにある屋敷の方まで聞こえてきた。
何か、お祭りでもしているかのように、わーわーと騒がしい感じだ。
私たちは遠くから聞こえてくる喧騒に顔を見合わせながら、「喜んでいるのかな?」と意見を交換し合う。
小麦粉があったので、ドライイースト発生魔法を創造し、お昼御飯にピザを作ったら、みんな物凄く気に入ったらしく、晩御飯も具を変えたピザになった。
ケチャップがないため、トマトピューレから作ったので、物凄く時間がかかったが、ちょっと報われた気になった。
ユウは鳥の照り焼きと卵の具が一番気に入って、マグはシーフード、ルグレイはマルゲリータなどの単純な具のものを気に入っていた。
でも、みんなの気持ちはちょっとわかる。
私も、ピザは大学の時に初めて食べたのだが、こんなにおいしいのかと感動したものだ。
個人的には、もうちょっとクリスピーな生地が好きなんだけど、あれは失敗すると焦げそうだからなー…。
パイ生地にも挑戦してみたいが、残念ながらパイ生地の作り方は、流石に空では覚えていない。
あずみとあまつぶは、午後にはすっかり元気になり、アンタローが「お姉さんお姉さんっ」と庭に懐きに行っていた。
ルグレイも、魔力の使い方で思うところがあったのか、精霊二人に色々と聞きに行っていた。
少しずつ生活のペースも掴み始めてきて、これならそのうち冒険に出かけられそうだな、という話で盛り上がった。
しかし、私の冒険ギルドデビューは、まだまだ許されなかった。
結局フィカスは来ないまま夜になり、私たちはまだ魔力が回復しきっていないルグレイのために、早めに眠りにつくことになった。
なぜか、私は夜中にふと目を覚ました。
窓の外を見ると、まだ満月と言ってもいいくらいの月が見える。
周りを見ると、みんなぐっすり眠りについている。
眠りの浅いマグですら、この家に来てからは、快眠をしているようだ。
ちょっとだけ、外に出て見てみたい気分になったので、バルコニーに通じる大きな窓を開けて、ツッカケを履いて、外に出る。
空を見上げると、ぐーっと翼を広げて、伸びをした。
そこからふと視線を下ろして、私は悲鳴を上げそうになった。
誰か立ってる!!?
見ると、庭に、真っ白い上等な衣服を着て、何かの模様の書かれた白い面布をつけている、どう見ても怪しい人が、突っ立って私の方を見上げている。
庭の隅っこには、あずみとあまつぶが体を寄せあって眠っているので、何かをされたわけでもなさそうだ。
しかし、なぜか、私はその人を、怖いとは思わなかった。
……?
じーっとその人を見下ろす。
面布越しなので、顔は見えない。
しかし、私は小さく声をかけた。
「フィカス……?」
その人は、明らかに動揺した仕草をした。
「…よくわかったな?」
なんとなく、フィカスだとわかった。
たぶん、私が魔力の匂いをつけているせいだ。
あれかな、マーキングみたいなものなのかな?
この人が、私の縄張りの内側に居る人だと、なんとなくわかる感じがする。
ひょっとして、目が覚めたのも、フェザールの弱いテレパシーのようなものが作用したのだろうか?
なんとなく、誰かに呼ばれて目が覚めた気がしている。
「どうしたの、こんな時間に。…ううん、待ってて、そっちに行くね」
話し声でユウたちを起こしてしまってはかわいそうなので、私はそのままバルコニーの手すりに足をかけ、バッと翼を広げて飛び降りた。
「!」
フィカスは咄嗟に手を広げ、ふわりと私を受け止める。
「わっ!? ちゃんと着地できたのに…!」
「あ、ああ…そうだったな」
フィカスは背が高いので、私は地に足がつかず、だらんとぶら下がっている。
「………」
しかしフィカスは、そのまま私を下ろさずに、じっと見つめてきている。
妙な沈黙が流れた。
「フィカス…?」
私は首をかたむけ、怪訝な顔を向ける。
その時、少しだけ風が吹いて、フィカスからアルコールの匂いを感じた。
「……酔ってるの?」
「いや、酔ってはいない。少し、気分がいいだけだ」
「それ、酔ってるって言うよね…?」
「ははっ、そうかもな」
そのまま、またプツリと会話が途切れる。
少し様子がおかしい気がして、私は話を続ける。
「…その恰好、どうしたの?」
「くだらん式典があってな。これはニヴォゼの王の正装だ」
「正装のまま、こっちに来たの?」
「ああ。酔い覚ましに黒天を走らせたら、気が付けばここに居た」
「いつから?」
「さあ。だが、ナっちゃんが出てきたときは驚いた。起こすのも忍びないし、どうしようかと思っていたところだったからな。運命的なものを感じるな」
「…やっぱり、酔ってるよね?」
「かもな」
フィカスは笑ったようだった。
しかし、一向に私を地面に下ろす気配がない。
「フィカス……。何かあったの?」
ちょっと心配になってきたので、問いかける。
フィカスは、ためらいがちに、「ああ」と言った。
「先日、ナっちゃんに叱られたからな。酒の力を借りて、母ときちんと話をしに行ってきた」
私は驚いて、黙り込んでしまった。
フィカスは構わずに話を続ける。
「洗いざらい、全部話してきた。父の企みから、ティランを守るために選んだことだと。母は驚いていた。てっきり俺が、王位欲しさに父を殺したと思っていたらしい。今度は俺が驚いたよ。王位なんて面倒なもの、望んだこともなかったからな」
フィカスは、一度言葉をちぎった。
「俺はなぜか、母が俺の考えを、正しく理解しているものと、思い込んでいた。そのうえで怒っているのだと。そうではなかったことがわかり、失望したような、安心したような、妙な感じだ。だが、考えてみれば、母がそう考えるのは、当たり前だったんだ。いきなり愛する夫を失った、ただの女なのだからな。正常な判断ができるはずもなかった。俺を憎んで当然だった」
「……。誤解は解けた…?」
「ああ。解けたと思う。だが、だからと言って何が変わるわけでもないがな。たぶん、俺と母の間に空いたこの距離は、もう埋まることはないだろう。ただ、俺を憎まずによくなったことは救いだと、それだけは告げられた。きちんと話せてよかった。ナっちゃんのおかげだ」
「そっか…。…よかったねって、言ってもいい?」
「ああ。言ってくれ」
「フィカス、よかったね」
私は、いつもよりも近い距離にあるフィカスの頭を、ぎゅっと抱きしめた。
フィカスは驚きで、少しだけ体をこわばらせた。
私はそのまま、フィカスの砂色の髪を撫でる。
思ったよりも、固い毛質ではなかった。
フィカスも、そのまま大人しくしている。
「ナっちゃん、俺は、欲しいものは何でも手に入れてきた。時々アンタたちのことが、欲しくて欲しくてたまらなくなる瞬間がある。ナっちゃんは元より、ユウも、マグも、ルグレイも、アンタローもだ。アンタたちは、俺のことを王ではなく、フィカスという一個人として見てくれる。呼吸が楽だ。ずっとあの輪の中に浸っていたい」
私は相槌も打たずに、ただフィカスの髪を撫で続けた。
「だが同時に、俺が手に入れては駄目だという思いが、色濃く浮かぶ。アンタたちには、王族なんてもののシガラミからは無関係な場所で、自由に暮らして居て欲しい。なのに俺は、暇さえあれば、アンタたちをどう囲い込もうかと、謀略に思いを馳せている。俺が最も遠ざけておきたい物の渦中に、俺自身がアンタたちを放り込もうとしてしまう。気が狂いそうだ、なんとかしてくれ」
フィカスからは相変わらずアルコールの匂いがするし、とても饒舌だった。
きっと表情を見ても、面布に阻まれて、今フィカスがどういう顔をしているのかはわからないだろう。
私は少し考えて、結局フィカスを抱きしめたまま、ゆっくりと話し始める。
「フィカスは、好きにしていいんだよ。ただ、みんなのことを信じればいい。ユウはああ見えて、あんまり流されないんだよね。自分で嫌だと思ったことは、絶対にやらないし、やりたいと思ったことには乗っかるよ。マグは、注意深いから、フィカスの言う謀略っていうものもちゃんと見極めて、その上で伸るか反るかを判断するよ。ルグレイは、私の好きなことなら何でもやらせてくれるように見えるけど、ダメなことはちゃんとダメって言ってくるよ」
「あと、アンタローは何も考えてないから大丈夫だよ」と言おうとしたが、なんとなくやめておいた。
フィカスは、黙って私の話を聞いていた。
しばらくの沈黙の後、ようやく口を開く。
「そうか。好きにしていいと言われると、…気が楽になるものだな」
「……ン」
「ナっちゃん。ナっちゃんは、どうなんだ。ナっちゃんは、俺の傍に居たいと、望んでくれるのか?」
今度は、私が黙り込む番だった。
「……。少なくとも、お別れになるのは、嫌だなって思うよ。でもね、…でもね、フィカス」
私はフィカスの肩に顔をうずめる。
「でも、なんとなく、わかるの。いつか、お別れが来るって。だから、せめて、それまでは、一緒に居たいよ。ホントはずっと一緒に居たいって、ユウにもマグにもルグレイにも、言って欲しい。でも、無理だって、どこかで知ってるの。だって……」
(だって私は、この小説を、途中までしか、書いていないのだから)
そう言いそうになって、ぼろっと涙がこぼれた。
途中で書くのをやめた物語。
いつか終わりが来るまでのカウントダウンを、私は見ようとしなかった。
いつまで、みんなで一緒に居られるんだろう。
いつまで、みんなで一緒にこの世界を旅できるのだろう。
思い出せないし、思い出したくもない。
胸が張り裂けて、このまま死んでしまうのではないかと思った。
私はじっと、嗚咽をこらえるようにして、フィカスに体を預けて泣いていた。
「…ナっちゃん、大丈夫だ。少しナーバスになっているだけだ。俺はアンタが望むなら、どこにも行かない。傍にいる努力をし続けよう」
今度はさっきまでとはあべこべで、私が髪を撫でられた。
「だからナっちゃんも、俺たちの傍に居続ける努力をしてくれ。俺たちには翼がない。アンタにどこかへ飛んで行かれると、もうお手上げなんだ。たとえ空の向こうにアンタの居場所があるのだとしても、どうか、お互いの望みが一致している間は、行かないでくれ」
私には、返事ができなかった。
しかしフィカスも、私に返事を求めなかった。
しばらく頭を撫でられていると、うとうとと眠気がぶり返してきた。
フィカスは私の耳元で、「おやすみ、ナっちゃん」と呟く。
そこで、私の記憶は途切れた。
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「まったく……油断も隙もないな……」
話し声がして、パチッと目を開ける。
「そう言うな、流石にそのままリビングに一人で放置もできないだろう。言わば不可抗力だ」
私は目の前の光景にぎょっとした。
マグがフィカスに銃を突きつけ、フィカスはホールドアップしている。
フィカスはリビングのソファーに腰かけていて、私はフィカスの膝枕で寝ていた。
「つっても、滅茶苦茶びびったぜ、ツナが居ねーと思って1階に降りてみたら、いきなり怪しい奴がリビングで寝こけてんだからさ」
ユウがぶーたれている。
ユウは普段のみつあみをする暇がないくらい慌てていたらしく、珍しく髪を下ろしている。
よく見れば、ルグレイもフィカスを取り囲んでいた。
「考えてみれば、合鍵を持っているのはフィカス様しか居ない、とは思うべきでしたが…。結果的にはナツナ様が無事でよかったです」
私は目をこすりながら、むくりと起き上がる。
「ごめん…寝ちゃってた…?」
「いや、ナっちゃん、俺が悪いんだ。夜中に起こすような真似をしたのだからな」
フィカスの言葉に、マグはため息をついて、銃をホルスターに仕舞った。
「まあいい……ツナは気を許した相手には……懐いてしまうからな……。本来ならもっと外の世界の……いろいろな人間と関わるべきだ……ということを考えると……少なすぎるくらいだ……大目に見よう」
そう言いながらも、マグの眉間のしわは消えない。
「今何時くらいなの…?」
私はまだ頭の芯が寝ぼけていて、全然噛み合わない会話をしてしまった。
しかし、ユウは全然そういうことを気にせずに、答えてくれる。
「いつも俺が起きる時間、つまり、6時だなー。マグもルグレイも、俺が『ツナが居ねえ!』っつったら飛び起きちまってさ。アンタローはまだ上でぐっすりだが」
アンタロー、マイペースな奴め。
「しかしフィカス……正装で来るほど……何か急用があったということか……?」
マグが、私とフィカスが座るソファーの対面に座ると、ユウもルグレイも腰かけていく。
「いや、酒を飲んでな。酔い覚ましに黒天を走らせていたら、ついここへ来てしまった。窮屈な式典に耐えると、何故だかお前たちの顔が見たくなる。不思議なものだ」
「式典…ですか? そういえば、昨日は街の方が騒がしかったのですが、何かあったのですか?」
ルグレイが、きょとんと聞き返した。
フィカスは少し考えこむ。
「…そうだな。まあ、大体終わったし、話すか。昨日は、国王、つまり俺の生誕祭だったんだ」
「えっ、誕生日だったの!? それならそうと言ってよ、お祝いしたのに!」
私が驚くと、今度はユウとマグが驚いた。
「誕生日って、祝うもんなのか?」
「え…?」
びっくりしてユウに目を向けると、マグが話し出す。
「そういう風習があるのは……本で知っていたが……オレたちの村では……誕生日は、呪いが受け継がれる日でもあるからな……めでたいとは言い難いんだ」
「あ…そっか、ごめん…。ルグレイは?」
「私は7人兄弟の末っ子でしたからね、祝うほどのものではない、という立ち位置でした。そして私自身もそう思っておりました」
「そっか…そういうものなのか…。じゃあ、年を取るのって、どうカウントするの?」
「新年がきたら、一個年を取ったなーって感じだな」
ユウの答えに、なるほど…となった。
フィカスも頷く。
「俺もカウントはそんな感じだな。ゆえに、俺は27のままだ。新年にお前たちと共に年を経る気でいる。しかし、くだらん行事だと思っていたが、今回は役に立った」
フィカスは、満足げにソファーにゆったりと背を預けた。
マグが問いかける。
「どういうことだ……? 街に出るなと言ったのと……関係があるのか?」
「ああ。あの日俺は、前もって国民の前で、ある発表をしていたんだ。『西大陸の神、アオラエストからの信託を受けた。国王の誕生祭に、祝福を授けると。それが成ったなら、ニヴォゼには更なる発展が約束されるだろう』とな。そして俺の生誕祭である昨日、国民は砂漠に芽生えた緑を見て、歓喜に打ち震えた…というわけだ」
「うわ、自分でやったことなのに、神さんの仕業にしちまったってわけか」
ユウが若干引いている。
「まあな。だが、これが最も混乱の少ないやり口だった。そして俺は昨日、民の前でこう宣言した。『この祝福を受けて、まずは砂賊の壊滅を約束しよう』とな。こんな神がかったことをされたわけだ、大騒ぎだったよ」
「しかし、フィカス様の晴れ姿だったわけですから、若干見てみたくはありましたね」
ルグレイが、残念そうに言う。
フィカスは、困ったように笑った。
「俺は何故だかお前たちに、王としての姿はあまり見られたくないんだ。正直、こんな正装姿も見せるつもりはなかった。しかし、黙っていたのは悪かったな、許せ」
フィカスは相変わらず、尊大に謝罪した。
そして、立ち上がる。
「さて、ナっちゃんも起きたことだし、俺は宮殿に戻るとしよう。あずみがまだ居るうちに聞きたいこともある。とりあえず、庭を借りるぞ」
言うが早いか、フィカスはさっさと外へと歩き出す。
「おー、じゃあ俺が見送ってやるよ、フィカス!」
ユウはなんだかんだでフィカスに懐いているようで、一緒についていく。
「まったく……朝っぱらから元気だな……オレも朝食を作るか」
マグも、のっそりと立ち上がった。
「ナツナ様はまだ眠いのではありませんか? 少しお眠りになってはいかがでしょうか」
ルグレイが微笑んでから、マグの手伝いをしに、キッチンの方へと歩き出した。
「……ン。そうだね、ちょっとだけ…寝るね」
その背に声をかけると、ソファーの肘置きに、こてっと頭を預けて横になる。
夜にフィカスと話したのが、まだ夢の中の出来事のように感じる。
だけど、よくよく考えたら、この世界に居ること自体が、夢のようだと、かつてそう思ったことをふと思い出した。
夢なら醒めないで欲しいと、初めてそう思った。
<つづく>




