ルグレイ
次の日、朝ご飯を終えると、アンタローを頭に乗せたフィカスが、試しにクルーザーのエンジンをふかした。
「…よし、行けそうだな。が、少し心もとない。ヴァントーゼに寄るのはやめて、このまま直接ニヴォゼに向かいたいが、どうだ?」
フィカスが一同を振り返る。
船旅を一番嫌がりそうなユウが、渋々と頷いた。
「まあ、事情が事情だからしゃーないよな。俺は賛成。明日には乗り物が動かなくなってました、なんてオチは避けたいしな」
マグも私もルグレイも、異論はなかった。
「よし。心配するなユウ、ここからなら、速度を上げれば夜にはニヴォゼに着く。もう後のことは考えなくてもいいからな、全速力でもいいくらいだ。あと少し辛抱してくれれば、それでいい」
「ぷいぃいっ、仕方ありませんね、ユウさんのために、ボクもたくさん粒を吐きますよっ」
アンタローがフィカスの上でぴょんと跳ねる。
ユウは、微妙な顔をした。
「く…っ、俺が辛抱できねーガキみてえな流れになってる…!」
「大丈夫ですよユウ様、そういうところもお可愛らしいです」
ルグレイがニコニコと追い打ちをかけて、ユウは毒気を抜かれたように、ガクリと項垂れた。
「ああ、だが、話しておきたいことがある。全員、甲板に出るのは少し待ってくれ」
フィカスは早速クルーザーを発進させながら、前を向いたまま述べる。
全員、何事かと船室の椅子に座り込んだ。
「俺は一時的にパーティーに加入させてもらっていたわけだが、ここまで随分と楽しませてもらった。ルグレイの加入で、ナっちゃんの守りが厚くなったことだし、俺が居なくても大丈夫だという目算はできたな?」
私は驚いて、フィカスの背を見る。
いや、しかし、最初からそういう話だったはずだ。
今更驚く方が、話が違う。
「フィカス、パーティーを抜けちまうのか?」
驚いたことに、残念そうな声を出したのは、ユウだった。
ふと隣を見ると、マグも引き留めようかどうしようかと悩んでいるような顔をしている。
「ははっ、なんだその声は。惜しんでくれるのか? 嬉しいじゃないか」
フィカスは前を見たまま笑った。
ちなみに、アンタローが定期的にもろもろとフィカスの頭の上で粒を吐くので、若干それは気になっていた。
「が、話はここからだ。詳しい話はニヴォゼに着いてからするが、俺はここから王室周辺のテコ入れをやろうと思っていてな。父が死に、俺が王位を継いだゴタゴタで、そこまで手が回っていなかったのが現実だ。あとで話すが、魔力持ちの貴族共を冷遇するわけにはいかん事情もあってな」
「わかります。ジェルミナールでも、魔力持ちというだけで、どんな嫌な輩でも優遇されていますから」
ルグレイが頷いた。
「ははっ、どこも変わらんか。さて、マグよ。お前たちの当面の目標は、金を溜めて拠点を持つことだったな?」
私は驚いてマグを見る。
いつの間に、そういう話をしていたのだろうか。
「ああ……長い人生だ……拠点を持ってみるのも悪くないからな……ツナにはいろいろな経験を……させてやりたい」
「マグ様…」
なぜか私よりも先に、ルグレイが感動している。
「で、提案だ。お前たち、ここから2年間、ニヴォゼに居を構えてみる気はないか? 家はこちらで用意しよう。褒賞も支払う」
「!!!」
私たちは、驚きで言葉を凍り付かせた。
マグだけは、冷静さを保って、フィカスに質問をする。
「褒賞……とは、どういうことだ? そのテコ入れというものと……関係があるのか……?」
「さすがマグだ、やはり大臣に欲しいな。膿を出すために、少し演技をしようと考えている。そこに、お前たちの協力が必要なんだ」
「??」
ハテナを浮かべている私たちに、フィカスは続ける。
「俺は視察先で出会ったナツナという女性に骨抜きにされた。ニヴォゼに呼び寄せ、街外れに住まいを与え、足しげく通い続ける。ニヴォゼの狼も、恋情の前には形無しの腑抜けとなった…と、貴族共に思わせるわけだ」
「え、わたし!?」
驚きすぎて、頓狂な声を上げてしまう。
「さて、何か腹に一物を持っている連中が…もし、居るとするならば。これが好機だと思うだろうな。俺の目を盗んで、何をしでかしてくれるか……今からぞくぞくするよ。最高のパターンは、砂賊との繋がりを露見してくれることだが」
フィカスは暗い笑い声をあげている。
「とまあ、そういう展開に持っていきたい。二年もあれば足りるだろう。どうだ? ああ、もちろん、ナっちゃんたちは何もしなくていい。冒険でも何でも、好きにやってくれていい。俺も時々顔を覗かせに行くだけだ。このまま別れるのは名残惜しいからな。一石二鳥を狙わせてもらうわけだが。ただ、一番負担が行くのはルグレイになる予定だ」
フィカスの言葉に、思わずルグレイを見てしまう。
ルグレイは頷いた。
「そうでしょうね。そういう輩が居た場合、まず間違いなく、何らかの意図をもって、ナツナ様に接触をしかけてくる者が出てきます。つまり、門番が必要なんです。実際にナツナ様がお部屋にいらっしゃらずとも、私が対応さえすれば、ナツナ様はそこにいることになります。冒険に出るにしろ、私は留守番になりますね。しかし、これが最も、ナツナ様が安全な状態になる一手でしょう。ご安心ください、賄賂を受け取って偽の情報を流すくらいの腹芸はできます」
ルグレイが頼もしげに微笑んだ。
「すげーな、貴族社会……」
ユウがげんなりしている。
「フィカス……オレたちが断れば……お前はどうする?」
マグの問いにも、フィカスは想定内というように笑った。
「色よい返事が聞けるまで、口説き続けるだけさ。家はもう、ティランに用意させてある。地下道を通してあるから、見張りにバレずに出かけることも、いざという時の脱出口にすることも可能だ」
「ほとんど決定稿じゃないか……まったく」
マグは、仕方がないなと言いたげに、口元だけで笑う。
「でも楽しそうだな、俺らはツナの家族設定なのか?」
ユウがちょっと面白そうにフィカスへ問うた。
「そうだな、兄二人に、使用人が一人でいいだろう。どこぞの貧乏貴族の令嬢だが、両親を亡くして、兄二人が遺言を重んじて妹を守っているわけだ。さしもの俺もなかなか手を出せずに、毎週同じ日に花束を持って通い続ける。食卓に飾られた花が枯れる日はないだろう」
さんざん恥ずかしい設定を積んでいる私が言えた義理じゃないが、微妙にフィカスの考えた設定が恥ずかしいので、異を唱えたい気持ちはあった。
でも、そうなるとフィカスとお別れになるのかな…と思うと、言い出せないでいる。
「ナツナ様。何かお悩みのようですが、私としては、賛成です。同じ家で暮らせるなんて、ナツナ様との関係をやり直せるチャンスを与えられたようで、……胸がいっぱいです」
「ルグレイ…」
ルグレイは少し涙ぐんでいるようで、私もジーンとしてしまった。
「まあ、反対をさせる気はないが、そういうわけで、少し考えてみてくれ。俺からは以上だ」
ユウとマグは、顔を見合わせている。
やがてユウは、私の方を見た。
「同じ場所に留まるのは、初めてじゃない。だけど、あの時とは違って、今はツナが起きて、笑ってくれている。それだけで、俺にとってこの滞在は価値がある」
「ユウ…」
「ツナ……オレも……ツナと本当の家族のように……暮らしてみたい……練習のつもりで……やってみないか?」
「マグ…」
私はもじもじとして、それから勢いよく頷いた。
「うん、わたしも、みんなで暮らしてみたい! フィカスとも、お別れしたくない!」
「よし、決まりだな。ああ、気が変わりそうになったらいつでも言ってくれ。いくらでも条件を加えて口説きなおそう」
フィカスは上機嫌でそう言った。
「えー、なんだよ、もうちょっと粘ったほうが条件が良くなったのかよ」
ユウが冗談めかして笑う。
2年間、ニヴォゼで…。
……。
う、うれしいかも!
「でも、わたし、貴族の令嬢なんてできるかなー」
照れたように言うと、フィカスは大袈裟にため息をついた。
「王族が何を言っているんだ…。まあ、ナっちゃんは見た目だけ見れば儚げで麗しいからな、大丈夫だろう。万一中身がバレたとしても、俺は見るからに女の趣味が悪そうだからな、周囲も納得する」
「待って、どういう意味かな?」
私は笑顔でフィカスに問うた。
「ナツナ様、少し外の風に当たりませんか?」
「…えっ」
「この流れで?」というタイミングで、何故かルグレイが声をかけてきた。
「それは、別に構わないけど…」
「では行きましょう」
ルグレイはにこにこしながら、先に船室を出て行く。
「やれやれ、ルグレイに助けられてしまったな。いい従者じゃないか」
フィカスは一度だけ振り向いて、ルグレイの背を見る。
あ、なるほど、私とフィカスが言い合いになる流れを止められたのか。
それでもルグレイを褒められたことは素直に嬉しくて、私は頬を緩めながら船室を出て行った。
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「ナツナ様、こちらへどうぞ。日傘というには少々みすぼらしいですが」
手すりがひしゃげたりして、まだ戦闘の跡が残る船のデッキにて。
ルグレイはそう言いながら、片手でマントを掲げて、私が入れる日陰を隣に作った。
私は遠慮がちに、すっぽりとその傘の中へと入る。
「ありがと…。ルグレイって、紳士的なんだね」
隣を見上げて礼を述べると、ルグレイは微笑んだ。
「とんでもありません。いつか姫様を外に連れ出せたら、こうするんだ、ああするんだと、何度も思いを重ねてきましたからね。まだまだ、この程度では気遣いが足りないくらいです。ああ、でも、長年思い描いてきた夢が今、叶っているのですね…感慨深いです」
ルグレイは、油断をすると涙ぐみそうになっているようで、慌てて視線を上げて前を向く。
お日様みたいなルグレイのオレンジ髪が、陽の光を浴びて、本当にお日様になったようだった。
「わたしも、ルグレイと一緒に外に出られるなんて、夢みたい」
一緒に前方の水平線に目を向ける。
「あの部屋にはね、空はあったけど、お日様はなくて。ルグレイが読んでくれた絵本で、初めて知ったんだよね。空には太陽っていうものがあるって。心も体も、明るく照らしてくれる明かりなんだって」
ルグレイは、私が何を言い出したかわからず、不思議そうにこちらを見下ろした
「でもね、その時から、わたしにとって、ルグレイはお日様だったよ。ルグレイが居たから、わたしの心は照らされていたよ。…あの頃は、喋るのが下手だったから、うまく伝えられなかったけど…」
「…やめてください。泣いてしまいます」
ルグレイは、ぐっと何かを我慢するように、また前を見る。
私はじっとその横顔を見上げた。
昔よりもがっしりと背は高く、まるで別人のようなのに。
それでも、こういう時に昔の面影を感じてしまう。
不思議な感覚だった。
「フィカス様も、ユウ様も、マグ様も、とても素敵な方々ですね。ナツナ様がたどり着いたのが、あの方々の腕の中で、本当に良かった…」
「うんっ。でも、今日からは、ルグレイも一緒だよ…! たくさん、楽しいことしようね! 何か、やってみたいこととか、ある?」
私の問いに、ルグレイは首をかしげる。
「すみません、私はナツナ様の騎士になることで頭が一杯でしたから、あまり他の欲求を抱いたことがないのです。ナツナ様のお傍に居られるだけで、とても幸せです。ですが…そうですね。強いて言うなら、地上の食事を楽しんでみたいです。食事は唯一、私の心を癒してくれた娯楽でしたから」
「わあ、そうだよね、美味しいものって、幸せになれるよね…! 好き嫌いとかは、無いの?」
「はい。怪我や病気に屈しない体を作ることが当面の目的でしたので、栄養になりそうなものは何でも食べました。昨日いただいた、干し肉と乾燥豆のスープや、今朝いただいた、甘辛く炒った干し魚とビスケットも、私にとってはとても物珍しく、刺激的でした。旅の食事というものは、貴族の食事とは全然違うのですね」
「ユウはもう、食べ飽きたって言ってたけど、なんだかんだで食べてるから、きっと慣れてくるとまた違った感覚になりそうだよね!」
「そうですね、私の舌が冒険者寄りになっていくのかと思うと、それだけでワクワクします。ナツナ様は、相変わらず木の実や甘いものがお好きなのですか?」
「うんっ、たくさんは食べられないけど、こっちではリンゴ以外の木の実もたくさんあって、味の変化があって面白いよ!」
「そう…ですね。あの部屋には、リンゴの木しかありませんでしたからね。私も三食差し入れるわけにもいきませんでしたし…」
ルグレイの表情が翳ってきたので、私は慌てて言う。
「あのね! オカリナ、ちょっとだけ、上達したんだよ! ニヴォゼに着いて落ち着いた頃に、ルグレイに聞いて欲しいなっ」
ルグレイは、私の気遣いを感じたのか、ゆるく破顔した。
「ええ、もちろんです、毎日聞かせてください」
ルグレイは本当に幸せそうで、私も幸せをおすそ分けして貰えた気分だ。
また、二人で水平線を見る。
「…ところで、この湖は、随分と大きいのですね」
「…え?」
「やはり地上は天空とは違い、なにもかもが広いのですね。魔法陣を通ってこちらに来た時、ブルー様がマーク設定していたナツナ様の魔力反応があまりにも離れていて、気が遠くなりそうでした。しかも大きな湖が横たわっていて休憩も取れませんし、体を鍛えておいてよかったと、あれほど思ったことはありません」
「ルグレイ、空の上には、海がない…?」
ルグレイはきょとんと私を見る。
「海…ですか? 聞いたことがありませんね。この大きな水は、海というのですか?」
自分で聞いておいて何だが、そりゃそうだと思った。
「空の上…どんなところ?」
「あ…そうですね。ナツナ様は、外に出たことがないのですから、わからなくて当然です。……。…ですが、知らなくてもいいことなのかもしれません。もうナツナ様は、空に帰ることはないのですから」
ルグレイは、柔らかく微笑んだままだ。
私も、微笑み返した。
「…そうだね。ルグレイは、兄弟が居るって言ってたけど、心配とかはされないの?」
私の知る兄弟と言えば、フィカスとティランくらいなのだが、ティランの方が、離れ離れになったら大騒ぎしそうな感じなので、一応聞いてみる。
まあ、ブルーとジューンと私みたいに、冷え切った家族関係もあるのかもしれないが。
「それは大丈夫ですね。私は7人兄弟の末っ子で、末弟としてそれなりに可愛がられた記憶はありますが、兄や姉たちはもう、家族を持って自分たちの暮らしをしていますからね。元から私の入る余地はないのです。私も姫様にべったりでしたし、兄弟間でそこまで美しい思い出もありません」
「7人兄弟…!? す、すごいね、名前を覚える時点からもう、大変そう」
「いえ、貴族では普通ですよ。子が多ければ多いほど、魔力持ちが増えるのですからね。縁組みを上手く使えば、家同士が繋がりを持て、家系の強化になりますし。要するに、弾数ですね」
ルグレイの口調は、自虐でも何でもなく、さっぱりとした、当たり前のことを言う時のものだった。
そういうものなのか…と、私は貴族社会の感じを知った気になる。
「私は姫様と年が近かったこともあり、世話役に選ばれたようです。長男でも次男でもない私にはもう、べラルゴ家での役割はありませんでした。なのに姫様は、いくらでも代わりが利く私のことを、ルグレイルグレイと、とても慕ってくださって…。姫様には、私しかいないのだと、実感できました。それが、どれほど救いだったか、姫様にはおわかりにはならないのでしょうね…」
ルグレイは、とても暖かな目を向けてくる。
ルグレイの瞳の色も、日の光のように輝いていた。
「姫様が、先程私のことを太陽と称したように。おれも、姫様のことを、雲間から射した唯一の光のように、思っていましたよ」
「ルグレイ…」
私がジーンとしていると、場違いな声が割って入る。
「おーい、ツナ、ルグレイ、トランプやろうぜ!」
暇を持て余したユウが、船室から顔を出した。
よく見ると、ユウの服は夏服使用になっていた。
確かに気候は暑く、私も上着を脱いだほどだ。
鎧のルグレイは暑くないのだろうかと見上げたが、ユウの言葉に楽しそうに顔を輝かせていて、全く平気そうだ。
「トランプ…? 聞いたことはありますが、やったことはないんですよね。面白そうです。行きましょう、ナツナ様」
ルグレイは私の頭上をマントで覆ったまま、促すように歩き出す。
「うんっ、あのね、いろんな遊びがあって、面白いんだよ! 今日はたくさん遊ぼうね!」
私はうきうきと声を弾ませてついていく。
やっぱりまだどこかで夢みたいに思えて、ルグレイの居る光景がすぐに日常になってしまうのが、ちょっと勿体ない気すらした。
<つづく>




