都心に咲く花
「なあフィカス、この街にはどれくらい滞在するんだ?」
次の日、朝ご飯を終えてから、宿の部屋で狼男のユウが質問をする。
吸血鬼のフィカスは私の方に目をやった。
「そうだな、西大陸までの中間地点のつもりで、補給に立ち寄っただけだからな。ナっちゃんさえよければ、明日にでも出発しようと考えていたが」
「あっ、わたしもそれで大丈夫だよ!」
だってなんかこの街、知ってるし。
お風呂に入れなくなる生活に戻るのはツラいけど、ここに留まってもあんまり大きな発見が無さそう。
「そうか……ならば今日は夜になる前に……買い出しをすませておく……必要があるな」
「うええ、また船での生活に逆戻りかあ」
ユウはイスに凭れた。
「言っておくが、俺なんてずっと運転だからな? まだ自由に動けるユウは楽な方だぞ」
「ぷいぷいっ、そうですよユウさん、ボクだってずっとフィカスさんを運転しているんですよ!」
「アンタロー…そんな風に思っていたのか…」
フィカスがちょっと寂しそうだ。
「悪い悪い。となると、マグが食料を補給してる間に、俺はオモチャ屋的なとこにでも買い出しに行くかー。ツナ、一緒に行くか?」
「いや、待った。ナっちゃんのセンスだと、何を買われるかわからん。ユウだけで行け」
フィカスがいきなり私を貶めてくる。
「もーー、フィカス、人聞きの悪いこと言わないでっ」
「じゃあナっちゃん、試しにかっこいいと思う言葉をちょっと並べてみてくれ」
「カッツバルゲルとバルディッシュ!」
「よし。ユウ、船旅を縮める方法ならある」
フィカスが露骨に話をそらし、ユウが早速「どんな感じなんだ?」と食いついた。
えー、かっこいいのにな、濁点の響き。
「いきなりニヴォゼに行くのではなく、ヴァントーゼを挟むという手があるなと思いついてな。ヴァントーゼは、ニヴォゼから南に下った場所にある。あそこはニヴォゼよりもよほど砂漠らしい場所だからな、数日見ていく分には面白いだろう」
「砂漠……か」
ミイラ男のマグが難しい顔をしている。
それを見て、フィカスは付け足した。
「そう敬遠するものでもないぞ。俺は意外に、東大陸の方を暑いと感じたな。西大陸の暑さはカラっとしているから、存外快適なんだ。まあ、いざという時はナっちゃんに暑さを防ぐ魔法でも作ってもらうか」
「ええっ? ……でも、そうか、そういうふうに、日常で便利に使うっていう手があるんだね。なんとなく、いざって時にだけ使うものかと思い込んでたよ!」
「いや、ツナ……本来ならばそれが正しい……。が、今はフィカスも居るからな……守りが厚いうちに……魔法の練習をしてみるのは……いい手かもしれない」
マグが思案気にそう述べる。
「じゃあ、とりあえずはそのヴァントーゼに寄ってくって線で行くかー。やっぱ途中で陸に上がれるのは俺的には嬉しい」
ユウが言うと、マグも頷いた。
「買い出しの件も……了解だ。フィカスとツナは……どうする?」
「俺も買い出しの手伝いをするべきなんだろうがな。悪いが、運転のストレスを晴らさせてもらうぞ。ナっちゃん、俺とデートだ」
「えーー、また…?」
私が複雑な顔をすると、マグはピクリと片眉を上げ、
「アンタロー、フィカスについていってやれ」
「ぷいぷいっ、了解しました! まったく、フィカスさんはボクが居ないとウドの大木なんですから!」
アンタローは、ぴょんぴょんとフィカスの頭に上っていく。
「やれやれ、気を使ってはもらえないというわけか。まあ、いいだろう。それにしてもナっちゃん、アンタローにあまり悪い言葉ばかりを教えるべきじゃないだろう」
「えっ、ソイツのそれは天然物だよ…!」
私は無実を主張したが、信じて貰えたかどうかは微妙なところのようだ。
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ヤーシブは、騒がしい街だった。
忠犬の銅像の前の広場では、特設ステージが唐突に用意されており、そこで仮装をした人たちがラップバトルをしている。
なんていうか、私の偏見が溢れていて、申し訳ないというか…。
いや、ここはヤーシブ!
フィクションだからね! 架空の出来事・人物・舞台なんだから!
「花火、楽しみだな」
隣を歩くフィカスが、街の風景ではなく、私の方を見ながら笑いかけてきた。
アンタローは、フィカスの頭の上で興奮気味に、街の様子を吟味している。
「えっ、フィカスも花火とか好きなんだね? 王族って、そういう派手なことはもう見飽きているのかと思ってたよ」
「どういう偏見だ…? ニヴォゼは古い王室だからな。政も古く、厳粛なものが多くて、肩がこる」
「そっか…。フィカスは、他の道を行きたいと思ったことはないの?」
私が首をかたむけると、フィカスは前を見る。
「…ないな。父を殺めた以上、ここで足抜けをするのは卑怯だろう。父は、民は国のためにあるという考え方だったが、俺はその逆を行っている。そういった意味では、好き放題ができて楽しんでいる。それに、見ればわかると思うが、結構自由にしているからな」
「あははっ、確かに。ティランのおかげだね!」
「ああ。ニヴォゼに着いたら挨拶してやってくれ、ティランもナっちゃんのことが気に入ったようだったしな」
「う、うん、機会があれば…」
ティランは何時歌いだすかわからないので、できればあまり会いたくない。
「フィカスさんフィカスさん、あの行列は何ですか! タピオカというものらしいです、美味しそうです!」
アンタローが会話に割り込んできて、フィカスは示された方へ目を向ける。
「…本当だな。…よし、見ている限り客の回転は速そうだ、ナっちゃん、一緒に並ぼう。本当ならナっちゃんを座らせてやりたいが、一人で放っておくと声をかけられそうだからな。何かあれば保護者に申し訳が立たん」
「あ、うん、大丈夫、並べるよ!」
列に並ぶと、アンタローは楽しみで仕方がないというように、フィカスの頭の上でぴょんぴょんと跳ねている。
「フィカスって、こういう列に並んだり、結構庶民慣れしてるよね?」
「庶民慣れ…。ナっちゃんには言われたくないが、まあ、そうかもな。父が健在だった頃は、よくお忍びで城下町に遊びに行っていた」
「小さい頃のフィカスって、あんまり想像できないなー。もう大人びてるイメージしかないもの」
「そうだろうな。周囲は大人ばかりだったし、我ながら出来が良く、生意気なガキだったよ。ナっちゃん、せっかくだ、もう少し積極的にわかりやすく誉めてくれ」
「ええ…? ハイドみたいなこと言わないでよ……。あ、」
ついハイドのことを口に出してしまって、慌てて片手で口を塞ぐ。
ちらっとフィカスを見上げると、別になんてことのない顔で笑う。
「案ずるな。俺には特に魔族に対する嫌悪はない。西大陸は、どちらかというと砂賊の方に困らされていたからな。砂賊は絶対に許さんし根絶やしにするが、魔族はまあ…あまり見かけないしな。置き土産の魔物に困るくらいか。…なんというか、憎めない男だったな、あのハイドというやつは。結果的にナっちゃんを助けてもらったわけだしな」
「う……。そうなんだよね。砂漠にも、魔物が居るの?」
と話し込んでいるうちに、私たちの順番になって、一度話が千切れる。
「わたし、ジャスミンティーで」
「なんだ、せっかくタピオカとやらがあるのに、飲まないのか?」
「うん、カエルの卵みたいに見えて怖いし」
「……。そのカエルの卵を、俺は今から食うわけだが?」
「あ、ごめんねっ」
照れ笑いをすると、フィカスは「まったく」と肩を竦めた。
それからフィカスは適当に、オススメと書いてある物を注文していく。
「…で、なんだったか。魔物か、たくさんいるぞ。小さいサイズの魔物は、長い年月をかけて少しずつ数を減らしているが、サンドワームなどの大きいものは、しぶといからな。三ヵ月に一度、駆除隊を派遣している。それでも、一時期よりは落ち着いてきたからな。ナっちゃんが観光する分には大丈夫だろう」
フィカスは私にジャスミンティーの入った紙カップを渡すと、アンタローと自分のドリンクを持って、店を離れていく。
そのまま器用に吸血鬼のマントを脱ぐと、ベンチにバサリと投げつけ、私たちが座るための敷物にした。
「よし、ここで一休みするか」
「あ、ありがと…」
なんだか、フィカスがあまりにも自然にフェミニストみたいな所作をするので、戸惑ってしまう。
「ほらアンタロー、喉に詰まらせるなよ?」
フィカスは膝にタピオカドリンクを置き、アンタローは「ぷいいっ」と言いながら、ストローに飛びついた。
目を横線にしながら、ズゴゴゴとストローを吸っている。
フィカスはそんなアンタローを見てふっと笑い、自分もドリンクを飲みながら、アンタローの頭を静かに撫でている。
なんだか、いつまでもその光景を眺めていたいような、そういう感覚が来る。
誤魔化すように、私はジャスミンティーに口をつけるのだった。
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「花火って、どこでやるんだ?」
狼男のユウはきょろきょろと空を見渡した。
私はいつものようにデューに手紙を出し、一旦宿に帰ってユウたちと合流した。
夕食を済ませてから、暗くなってきた頃合いを見計らい、みんなで外に出る。
「わからんな。俺も実際には見たことがないんだ。毎週やっているものだし、そんなに長くは上がらないらしいが。とりあえず適当に、高い建物のない方へ歩くか」
フィカスが歩き出し、私たちはぞろぞろとついていく。
ヤーシブの人たちには日常の1ページでしかないようで、特に花火を楽しみにしている様子も見受けられない。
「さすがに音で……わかりそうだからな……すぐに気づけるだろう。しかし、夜になると……ますます不思議な街だ」
ミイラ男のマグは、街のネオンに興味津々だ。
色とりどりのライトに照らされて、フランケンシュタインに、魔女やシスター、カボチャやドクロ、海賊や黒猫と、色々な格好をした人たちが通り過ぎていく様は、なんだか幻想的だった。
「…ちょっと、怖いかも」
私はユウとマグの方に身を寄せる。
「怖いかあ? 楽しいけどなー、俺は」
ユウがいつものようにからっと笑うので、私は少し安心できた。
「ナっちゃんは本当に不思議な娘だな。勇敢なのか臆病なのか、情緒が豊かであるようで、驚くほど鈍感だしな。計り知れん。どう育てたらこうなるんだ…?」
フィカスがマグを窺うが、マグは「勝手に育った」と首を振るだけだ。
「まって、わたし、鈍感だった時なんてあったっけ…!?」
抗議をしようと口を挟んだ瞬間だった。
いきなりパ、と頭上にオレンジ色の光が上がったと思うと、ほとんど同時に、「ドーーン!」と花火の音が鳴る。
お腹に響く重低音は、思ったよりも近かった。
「うわーー、すごい、近い! 大きい!」
みんなで公園に入って、空を見上げる。
「圧巻だな…」
マグもフィカスも、ポカンと見上げている。
「やべー、これ盛り上がるな!」
「ぷいいっ、派手派手です!」
ユウとアンタローが大はしゃぎだ。
ドーン、ドーンと、一定のリズムで花火は上がり続ける。
私も、しばらく花火に見入っていた。
ドーン、と上がるたびに、昔見た花火の思い出と重なる。
川べりであった花火大会。
花火って、近くで見ると、煤が顔に降ってくるんだよね。
おじいちゃんちのビルの屋根から、遠くの方に上がる花火を見た日。
その翌年には、延長線上に高いビルが建ってしまって、もうそこからは見えなくなった。
花火大会の日にレストランを予約して、お母さんと一緒に見た花火。
一時期は台風が来てどうなることかと思ったけど、無事に開催できてよかったねと笑いあった。
閉園することになった遊園地の、最後の花火も見た。
友達と行った日もあった。
部活の後輩と行った日もあった。
田舎のクセに、そういう日だけはいつも、ありえないくらいの人が群がっていた。
…気が付けば、ぼろりと涙がこぼれる。
小説の内容以外でリアルのことを思い出すなんて、もうしばらくやっていなかった気がする。
この世界に来たばかりの頃は、一体この世界は、誰が、何のために用意したのだろうと思ったはずなのに。
もう、最近ではそんなことはどうでもよくなっている。
涙が流れるたびに、私は理解していた。
私は、もうリアルに戻る気はないのだと。
戻ったって、どうせ<ザザ・・ザザザ・・>だから。
私なりに頑張って、もうじき大学3年生も終わるところまでは、来られたんだけどな。
こういう未来を選んでも、いいよね…?
好きなことばっかり詰め込んだ、都合のいい、滅茶苦茶な小説世界だけど。
だけど、当時の私が本当に楽しんで書いていることだけは、ずっと伝わってきていた。
まだ夢があって、挫折も知らなくて、好きなことは好きって言えてて。
ずっと気づいていたけど、気づかないふりをし続けてきた。
私はなんだかんだで、この世界が好きなんだ、ということを。
恥ずかしさばかりが詰まっているわけじゃないってことを。
「ツナ、どうした……?」
マグが心配そうな顔で、覗き込んできた。
包帯ぐるぐるのミイラ男なのに、なぜか、マグは心配そうな顔をしている、とわかった。
「あ、な、なんでもない……」
慌てて私は手の甲で涙をぬぐう。
ユウは、訝し気に私の方を見て、それから空の花火を見比べるように見上げた。
「…わかんねーな、泣くほど綺麗だったってことか? …わかんねえや」
ユウは、少し戸惑っているようだった。
フィカスはポンとユウの背を叩く。
フィカスは、船旅の中で、ユウとマグの事情を知らされていた。
「わからないのは当たり前だ。ナっちゃんとユウは違う人間なんだから。普通のことだ」
「…そっか、普通のことか」
ユウは、ほっとしたようだった。
その時、ひときわ大きな花火が、ドーンと空を彩った。
「…でも俺は、たまに、ツナのことをわかりたくて、仕方がなくなるよ」
花火に紛れるような、ユウの独り言。
「それも、普通のことだ」
フィカスは静かに返した。
「…ごめんユウ、ユウを不安にさせるつもりは、なかったの」
何とか涙を抑え込み、ユウを見上げる。
もう空に花火は上がらなかった。
白く煙っている空だけがある。
「……終わったな。……こんなにも、余韻が残るような……ものなんだな」
「…そうだな。すぐに宿に帰るのが惜しいほどだ」
「だね」
マグとフィカスの言葉に、私も頷いた。
「ぷいぃいっ、次は、次はまだですか?」
アンタローだけが、余韻を理解できずにワクワクと空を見上げている。
「アンタロー、今日はもう終わりだ。いい思い出になっただろう? お前の思い出の中に、いつまでも花火は上がり続けるんだ」
アンタローは、フィカスの適当な言葉に、「そうですか…」としょんもりしていた。
「まあでも、最後の夜でもあるし、せっかくだから、しばらくそこのベンチでだべっていくか?」
ユウが公園のベンチを指さすと、みんなで「そうだな」と頷いて、ぞろぞろと歩き出す。
ふと、私は立ち止まった。
立ち止まったというか、動けなくなった。
金縛りというわけではない。
振り返って、誰も居ないことを確認する。
「……?」
でも、誰かに呼ばれている気がした。
「ツナ、どうした……?」
マグが、ベンチに座ろうとして、こちらを見てくる。
「呼ばれてる…よね?」
どうしてなのか、私はマグに同意を求めた。
「ツナ……?」
「だって、ほら、すごく、呼ばれてるよね、こんなに!」
堰を切ったようにまくし立てると、フィカスが訝しげに私を見た。
「どうした?」
私はなぜか、この感覚が伝わらないことに、苛立ちのようなものを覚えた。
結局、どうやったってこの人たちには伝わらないんだ。
だって、翼がないんだもの。
苛立ちはすぐに憤りのようなものに変わり、私はパッと踵を返して走り出す。
「あ、おい、ツナ!?」
「ツナさぁんっ」
ユウとアンタローが呼び止めてくるが、私は振り返りもしない。
バサリと翼をはためかせると、夜の街の空へと飛びあがった。
<つづく>




