水上都市ヴァンデミエル(下)
「二手に分かれよう。検証してみたいことがある」
宿に戻ると、フィカスが真剣な顔で提案してきた。
「検証って?」
ユウの質問に、フィカスはマグの方を見た。
「マグ、今日の買い出し予定は?」
「冒険用具店で……ユウの予備の上着と消耗品の買い出し……それと防寒着を売り払う……あと、これも売る」
マグは、皿に乗っているホットケーキを手に持っている。
アンタローはちょっと自慢気に、「ぷいっ」と鳴いた。
フィカスはまじまじとそれを眺める。
「説明を聞いた時は半信半疑だったが…精霊とは不可思議な生き物だな。まあ、それはそれとしてだ。俺は、このコートの替えを買いに洋服店に行く。本当なら仕立て屋がいいが、手っ取り早い方がいいからな。ナっちゃんは何か買うものがあるか?」
「あ、わたしは、便箋と封筒を買って、郵便局に出しに行くよ!」
「ならばマグは、荷物持ちのユウを連れていけ。そして、俺とナっちゃんで二手に分かれよう。俺が検証するのは、別々に行動しても、キリ番とやらに引っかかるかどうかだ。俺たちは街の入口で、旅の4人組としてマークされている可能性があるからな。今のところ目立つ動きをしたのはユウだけだし、俺とナっちゃんはノーマークなはずだ。検証は買い物のついでくらいの気持ちでいい。とりあえずはこれでどうなるか、経過を見てみたいと思う。これで全員が引っ掛かったら、明日は同じ店に別々で入ろう」
「ちぇっ、ツナをフィカスに預けるのには不満があるが、まあ妥当な線だな。俺は了解」
「……仕方がない……か。フィカス……手を出すなよ……? ツナに何かすれば……たとえお前でも許さん」
ユウとマグの許可が下りたことに、フィカスはご満悦のようだ。
「ははっ、『たとえお前でも』とまで言われるとは思わなかったな。光栄だ。せいぜい大事にしよう。ナっちゃんも、その信頼も、な」
とりあえず話はついたので、私たちはそれぞれの買い物に行くことにした。
アンタローはお留守番ばかりだと可哀想なので、ユウの頭の上で帽子のフリ作戦をすることになった。
「目立つのは俺だけでいいからな」とユウは理由をつけていたが、なんだかんだであの二人は仲がいい。
別行動になってしまったが、ヴァンデミエルの観光は楽しみなので、私は上機嫌で歩き出す。
腕に巻いた首輪のブレスレットも、軽快な音を立てて、チリチリと鳴っていた。
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「おや、いらっしゃいませ。おめでとございます、あなた方は3333組目のお客様なんですよ」
洋服店に入ると、落ち着いた紳士という感じの店員が、温かく出迎えてくれた。
「………」
私とフィカスは、何とも言えない顔をした。
「本当ならどれでも一着差し上げる、と行きたいところなんですがね。残念ながら、3割引きで購入できる特典が精一杯なんです」
店員が申し訳なさそうに言ってくるのを、フィカスは「それで十分だ」と受け入れる。
なんというか、キリ番の数字といい、妙にリアリティがある対応だ。
「そのキリ番とやらの制度は、この街でしか見かけたことがないが…いつから始まったんだ?」
フィカスはコートを選びながら、さりげなく店員に情報収集を図る。
私も手持無沙汰なので、かわいい服を見たりして、耳をそばだてた。
「そうですね、はるか昔にあって、廃れた制度だったのですが、街おこしの一環として、数年前から復活させたものなんですよ。しかしなんといいますか、毎年リセットされるとはいえ、内容的に、キリ番を踏む方は限られていますからね。あまり広く伝わっては居ないのでしょう」
「なるほどな。確かに祝われる側としては悪い気はしない。だが、毎日客の数を数えるのは苦痛にならないのか?」
「いえいえ、そんなに厳しいものではないんですよ。多少ラフでも構わないから、とにかく続けることが大事だと、町長はよくおっしゃっています」
「…そうか。よし、これを貰おう。そのまま着ていくから、清算後は直接渡してくれ」
フィカスは無造作に、ハンガーラックから裾の長い黒コートを取り出し、店員に預ける。
そして、今まで着ていたボロボロのコートを脱いで、それも店員に渡した。
「そしてこちらの処分も頼む」
「これは…! かなり上質な布を使っておられますね、下取りも可能ですが…」
「いや、いい。先程の雑談に対するチップにでもするといい」
「…かしこまりました」
店員は恭しく頭を下げて、二つのコートを一度カウンターへと持っていく。
フィカスって、こういうところは王族っぽいなあ、と私はひっそり感動していた。
フィカスは私の様子を見ると、こちらへと歩み寄ってきた。
「ナっちゃん、気に入った服があれば買うぞ?」
「…えっ、いいよ、旅には何着も持っていけないし、背中に穴をあけるのも大変だし…」
「そうか。せっかくのデートで何も買ってやれんというのも、なかなか口惜しいものだな」
フィカスは残念そうだ。
「………えっ、デート?」
思わず聞き返すと、フィカスは「しー」と口に一本指を立てた。
あ、そうか、そのほうが自然なのか。
わあ、潜入捜査みたい!
私のテンションは一気に上がった。
「では清算を頼む」
フィカスはカウンターの方まで行くと、手続きを済ませている。
その間にも、私は妄想を膨らませていく。
やっぱりスパイみたいに、コードネームで呼び合った方がいいかな?
そしたら、私はエヌで、フィカスはエフ?
紛らわしいからこれはダメかなー。
バカップルっぽくするなら、ダーリンとか呼んだ方がいいかな?
いやー、それは私が耐えられないな…。
「ナっちゃん、行くぞ」
はっと現実に引き戻された。
その瞬間、フィカスは私の肩を抱くようにして店を出た。
おお、セリフじゃなくて行動でやるのか、確かにこれなら一目瞭然だよね。
……。
でも、年齢的に、兄妹の方が自然では…?
「よし、ナっちゃん、次は雑貨屋だな。探すぞ」
「待ってフィカス、わたしたち、兄妹設定の方が、自然かもしれないよ?」
私が提案すると、フィカスは首をかしいだ。
「俺はナっちゃんが妹であったとしても、今と同様に接するが?」
「えっ、そうなの?」
「ああ。俺は身内には甘いからな。病的なまでに可愛がるだろうな」
なるほど、それでティランが出来上がるわけか。
妙に納得してしまっていると、フィカスはそのまま私を牽引するように歩き出す。
「あらぁいらっしゃぁい、おめでとうねぇ、あなたたちは10000組目のお客様よぉ!」
雑貨屋に入っても、私たちはお店のおばさんから歓迎の儀式を受けた。
フィカスは一瞬だけ怪訝な顔をしたが、流石にもう慣れてきたのだろう。
「見させてもらうぞ」と、キリ番を踏んだ特典の説明も聞かず、フィカスは店内を物色し始める。
きっちりと区分けされた店内だったので、私は労せずしてレターセットを見つけることができた。
すぐに用が終わってしまうのも勿体なく感じて、ついでのように他の品も見て歩く。
「!」
ぬいぐるみコーナーで、私は気になるものを見つけてしまった。
すっごい、ぼてっとした、ブサイクなカモノハシのぬいぐるみだ。
か、かわいい…!
きゅんとしながら思わず手に取る。
大きさは、小さいサイズのアンタローと同じくらいだ。
すると、話好きなのか、お店のおばさんが「あらぁ」と言いながら私の手元を覗き込んできた。
「それねぇ、面白いのよぉ、お腹のところを押してみて?」
なんだろうと思いながら、私は言われるままにお腹のところをぐっと押してみる。
すると、カモノハシから、汚いおっさんの声がした。
「ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん?」
10回くらい「ん?」と言ったら、あとはシンとなる。
「か、かわ……!!!!」
私は感動に打ち震えた。
「でしょお、おばちゃんもそれ可愛いと思って仕入れたんだけどねぇ、全然売れないのよぉ。10000組目のキリ番記念に、あげましょうかぁ?」
「いや、それは俺が買わせて貰おうか。俺たちはレターセットを買いに来た。そちらを無料にして貰おう」
「あらぁ、こっちのぬいぐるみの方が、お高いのよぉ?」
おばさんは驚いた様にいうと、フィカスは大袈裟に肩を竦める。
「おいおい、男が女に贈り物をする喜びを奪うのは、野暮ってものじゃないか?」
「あらぁ、お熱いのね、ほほほ。わかったわぁ、レターセットね」
「ナっちゃん、もう選んでいいぞ」
「う、うん…」
私が口を挟むヒマもなく、トントン拍子に事が進んでしまったので、先程買うことを決めていた、葡萄の絵の入ったレターセットを持ってきて、おばさんに渡した。
「毎度ありがとうねぇ」
おばさんは、ブサイクなカモノハシの首に可愛いリボンを巻いてくれて、「がんばってねぇ」と言いながら、フィカスへと渡す。
清算を終えたフィカスは店を出ながら、まじまじとそのぬいぐるみを見ている。
「…やはりナっちゃんの趣味は変わっているな」
「ええっ、そうかなあ? すごくかわいいと思うんだけど…」
「ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん?」
フィカスはなんだかんだ言いながら、カモノハシのお腹を押して遊んでいる。
あーーたまらん。
ウザ可愛いっていうか、ブサ可愛いっていうか…なんか、いいよね。
私たちはそのまま郵便局に行くと、さっと手紙を書いて出していく。
「フィカスは、ティランに手紙とか出さなくて大丈夫なの?」
「出すなら鳩だな。人を介するのはなるべく避けたい。まあ、鳩は船に置いてきているが」
そっかそっか、王族って色々なことを警戒しなきゃならないから大変だなあ。
「もう夕方か。そろそろ宿に帰るぞ。この街は横に広いから、ナっちゃんも疲れただろう。俺の腕に掴まってもいいんだぞ」
「ありがと、大丈夫だよ。宿に帰った時に、靴を脱いで、ベッドの上にドサーっと倒れ込むときにね、足の疲労がじわじわ~っと広がっていく感じが好き! だから、ちゃんと疲れたいの!」
「…そうか。やはりナっちゃんは変わっているな。ならば、今渡しておこう。ユウとマグの前でやるよりは、雰囲気が出るだろう」
そう言ってフィカスは、私にブサイクなカモノハシのぬいぐるみを渡してくれた。
「ありがとう…!!」
「ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん?」
渡されたぬいぐるみをぎゅっとすると、スイッチが入ってまた汚いおっさんの声が周囲に満ちる。
フィカスは微妙な顔をした。
「…前言撤回だ、雰囲気も何もあったものじゃないな」
ため息をついて髪をくしゃりとかき上げるフィカスの姿に、私は思わず笑ってしまった。
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宿に帰ると、ユウとマグは先に帰ってきていた。
「どうだった?」
私たちを迎えるユウの質問に、フィカスが答える。
「郵便局では平気だったが、洋服店、雑貨屋の二つが、キリ番とやらに引っかかった」
「マジで? 冒険用具店と、食料品店に入ってみたんだけど、俺らの所は全然引っかからなかったんだよなー」
ユウの言葉に、フィカスは唸る。
「…わからんな。ただの偶然なのか、ナっちゃんが強運の持ち主なのか。軽い聞き込みをしてみたが、カウントはアバウトなものでいいらしいというのもな…決定打に欠けるというか。旅行者をいい気分にさせるという目的があったとしても、いまいち理解ができん」
私は話し合いを聞きながら、靴を脱いでベッドに腰かけ、カモノハシのぬいぐるみを膝の上に置く。
「ぷいぃいいいいっ!!」
いきなり、ユウの頭の上に居るアンタローが物凄く怒ったような、威嚇の声を上げた。
「うわっ、どうしたアンタロー!?」
「ツナさん、ソイツは何者ですかっ! そこはボクの居場所ですよ!」
アンタローは毛を逆立てて、カモノハシを睨んでいる。
マグも反応した。
「実はオレも……さっきから気になっていた……どうしたんだ、それは」
「あの、この子ね、雑貨屋で一目惚れしてたら、フィカスが買ってくれたの! すごいんだよ、お腹を押すと鳴くんだよ!」
「ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん?」
早速カモノハシのお腹を押して、「ね!」と掲げて見せる。
「すごくかわいいでしょ!」
「かわいいかあ…?」
ユウもマグも、なぜか反応に困っている。
おかしいな、こんなに可愛いのに。
「旅には邪魔になるかもしれないけど、連れてっていいかな?」
私がそわそわしながら聞くと、マグは「まあ、そのくらいなら」と頷いてくれた。
「よかったな、ナっちゃん」
フィカスが笑いかけてきて、私も「うん!」と笑み返した。
次の瞬間。
「ぷいぃいいいいっ!」
アンタローが、見たことのない速さで、シュっとユウの頭の上からダイブして、私の膝に飛び込んでくる。
バクンッ!
そして見たことがないくらい大きく口を開けて、カモノハシのぬいぐるみを一飲みしてしまった。
「あああああああああああああ!!?」
私は目の前で起こったことを理解した瞬間、悲鳴を上げた。
アンタローの胸ぐら(?)を掴んで揺さぶる。
「ひどい! 返して! せっかく買ってもらったのに!」
「げっぷ! もう飲み込んでしまいましたっ、ぷいぷいっ」
フィカスはもとより、ユウもマグも何も言えずに呆然としている。
「マスコットはボク一人でいいんです! これでツナさんのお膝はボクだけのものですね!」
「何悪役みたいなこと言ってるの!? 吐・き・だ・し・て…!」
アンタローをギューッと絞める。
「ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん?」
いきなりアンタローが汚いおっさんの声を出してきた。
私はびっくりして、アンタローを落としてしまう。
「ぷいぃいいっ、どうですか、ラーニングしましたよ!」
アンタローが、床の上をぴょこんと跳ねて胸を張る。
ユウはそのおっさんの声に、「うわウゼェ…」と深刻に青ざめた。
「うう…! あのブサイクな感じがよかったのに…!」
涙目になりながら、しかしこんなことで泣くのは悔しすぎるので、必死に我慢する。
「ごめんフィカス…!」
「ははっ、アンタローに嫉妬されてしまったな、可愛いじゃないか」
フィカスは余裕の笑顔だ。
マグは不思議そうにフィカスを見る。
「腹は立たないのか……?」
「馬鹿を言え、この程度のことでいちいち腹を立てるほど暇じゃない。たった30分だが、ナっちゃんのとびきりの笑顔が見られたからな。それで良しとしよう」
…あれ、ひょっとして、フィカスって大人カッコイイ…?
ここにきて私は、フィカスへの認識が変わってきた気がする。
「ツナさんツナさん、ボクを撫でてくれてもいいんですよ!」
アンタローがぴょーんと膝に乗ってきたので、私は無言で逆撫での刑をしたり、アンタローの毛に文字を書いたりする。
アンタローは、「やめてくださいっ、ぞわぞわしますっ」と言いながら悶えている。
「というか、ツナは無事にデューに手紙を出せたんだな。なんて書いたんだ?」
ユウの言葉に、私は書いた内容を思い出す。
「無事にヴァンデミエルまで来れたよっていうのと、新しいデューのあだ名を思いついたから、書いておいたよ!」
「どんなあだ名にしたんだ……?」
興味深げに聞いてくるマグに、私はよくぞ聞いてくれました、みたいな顔をして答える。
「あのね、デューって葡萄みたいな色の目をしてるから、黄色葡萄球菌なんてどうかなって書いたよ!」
「菌って…」
なぜかユウがドン引きだ。
フィカスがしみじみと続ける。
「…先程までは、ナっちゃんから手紙が来るなど幸運な奴だなと思っていたが。嫌がらせの手紙とは思わなんだ」
「え!? 嫌がらせじゃないよ! それにデューは幸福度が低いから、何でも喜んでくれるよ!」
「その認識も……どうなんだろうな……というか……黄色とついているのは……もうデューの目の色とは関係がないような……気もするが」
「あ、ホントだ!!? うわあ、失敗しちゃった…」
マグの言葉に、私はショックを受けてしまった。
大人しくピオーネっていうあだ名にすればよかったか…!
「さて、話を戻すぞ。今後の予定についてだ。俺は明日、単独で街を調べて回るつもりだったんだがな。そっちの方は、ユウとマグに任せてもいいか? 予定を変えて、明日はナっちゃんと宿で、少しでも魔法の方向性を詰めておきたい。何かあった時のためにも、その方がいいだろう」
フィカスの意見に、マグが頷く。
「ああ……オレも同意見だ」
「任せてくれよ、聞き込みとかは結構得意なんだぜ! ヴァンデミエルの不穏な噂については、まだ聞かせてくれねーのか?」
ユウの言葉に、フィカスは少し悩んだ。
「…マグはともかく、ユウは顔に出そうな上に、口を滑らせそうだからな…。とりあえず、明日の段階ではそのまま聞き込みを進めてくれ。話すのは明後日にしよう。今のところ、この街から悪意の類は感じないからな。…だが、何か…別の思惑は感じるんだ。それが何なのかまでは、わからないが」
「……そうだな。なんとなくだが……オレもそう感じる。明日はその辺りを意識しながら……探ってみよう」
マグの言葉に、フィカスは保護者のように注意を入れてきた。
「言っておくが、俺はともかく、お前たちの方は単独行動は無しだからな。ちゃんと二人一組で行動するように」
「ちぇっ、なんだよ、信用ねーな」
ユウは唇を尖らせるが、怒ってはいないようだ。
どこか、くすぐったそうに見える。
「それとナっちゃん、今日は寝るときもその首…いや、そのブレスレットをつけて寝てくれ。何かあればすぐに鈴音でわかるからな。これなら見張りを置く必要もないだろう。何があるかわからんからな。きちんと休息は取っておきたい」
「ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん? ん?」
「あ、ごめんっ」
間違えてアンタローの腹を押してしまった。
全員、微妙な顔でアンタローを見る。
「なぜか……前途多難に感じるな……」
マグの呟きに、全員が同意した。
<つづく>




