忘れないよ
「………ははっ、あっははははっ!! こりゃいいや、ケッサクだ!」
ハイドは手の平で顔を覆うようにし、体をくの字にして、牙を見せながら笑いだした。
ユウもマグも、状況が分からず、茫然とその姿を見ている。
「なるほど、よく考えたね、ナっちゃん。ぼくがあんなに有利な状況だったのに、まさか逆転されるなんてな。やられたよ」
ハイドは長剣を腰元に収め、私の方に手を差し伸べる。
すると、ふわりと、私を包むシャボン玉が、ハイドの元へと降下を始めた。
雪の上にシャボン玉の底が接地すると、ぱちんと割れて、私は襲い来る冷気の中、雪の地へと足を付けた。
「いいぜ。屁理屈をこねようと思えばいくらでもできるが、美しくないからな。今回はぼくの負けでいい。いい暇つぶしになったしな。……見逃してやるよ」
ハイドはそう言って、…ほんの少しだけ、寂しげに笑った。
「…ハイド!」
私はたまらなくなって、ハイドの傍に行く。
「はあ? なに? ぼくの気が変わらないうちに行けよ。それとも敗者への同情?」
ハイドは露骨に機嫌を悪くしたが、私は構わず、ポケットの中の、イチゴのアイシングクッキーを取り出して、ハイドに差し出した。
「これあげる」
「……?」
ハイドは、興味無さそうに、そのクッキーをつまんで、裏返したりして眺めている。
「食べてみて。人間は、そんな風に美味しいものだって、作れるんだよ。もし、少しでも美味しいって思えたなら、人間に嫌がらせをするのはやめて欲しい」
ハイドは眉根を顰め、何かを言おうと口を開けたが、私はそれを拒むように、「それと!」と付け加える。
「それと! こんなことをしなくても、わたし、ハイドのこと、忘れないよ」
勿忘草の色で包まれた、ハイドの隠れ家を思い出す。
勿忘草の花言葉は確か、「忘れないで」だったはずだ。
ハイドは、何を言おうとしたかを忘れてしまったかのように、呆けたような顔で私を見る。
しばらくして、「付き合ってられないな」と小さく呟くと、髪をかき上げて、そのままふわりと浮き上がった。
「じゃあな、ナっちゃん。気が向いたらまた相手をしてやるよ」
「ハイド……」
そのまま、ハイドの姿は薄れ、どこかへ掻き消えてしまった。
私は、ユウとマグが来てくれた時に、ハイドに聞きそびれてしまった言葉を思い出す。
(ひょっとして、ハイドって、……魔族の最後の生き残り?)
魔族が減ったと言った時の、ハイドの複雑な表情を見た時、そんな気がした。
………。
私は思考を振り払うように頭を振ると、ユウとマグが座り込んでいる方へと駆けた。
「ユウ、マグ、大丈夫!?」
しゃがみ込み、二人の様子を窺う。
先ほどまで吹雪いていた風が、少し弱まってきていた。
「ああ、ハイドの攻撃はスピードはあったが、重たいものはなかったからな、全体的に軽い切り傷ですんでる。あとちょっとじっとして気合を入れとけば、少なくとも血は止まるはずだ。俺らって回復力は人の倍はあるからな」
「ツナ……すまない……結果的にツナにハイドを……追い払ってもらったようだ」
二人とも傷口を抑えながら、私の無事な様子に安堵しているようだ。
マグは自分のマフラーを解いて、私の首に巻いてくれた。
「ありがとう…。でもね、ユウとマグが来てくれたから、うまくいったんだよ」
「ありゃなにがあったんだ? ゲームがどうのって言ってたが」
ユウの質問に、私はハイドとやっていたゲームの内容を説明する。
が、ユウは結局首をかしげた。
「なんであれで、ハイドの負けになったんだ? アイツ、嘘をついて回避してたんだろ?」
すると、マグが「なるほど」と呟いた。
「そういうことか……。ツナの質問は……『ハイドがオレたちに危害を加えようと考えている』。……これに対するハイドの答えが……イエスであれば……ツナの勝ちだ。ハイドはオレたちから……手を引かなければならない。逆に答えが……ノーだったなら……ハイドはオレたちに……危害を加えることができない」
「あ、そうか、どっちでも同じ答えになっちまうってことか!!」
すっきりした顔のユウに、私は頷いた。
「うん。でもね、ハイドがノーって答えれば、わたしの負けだったから、ユウとマグは助かっても、わたしはハイドの命令を聞かなければならなかったの。だけど、ハイドはわたしに勝ちを譲ってくれたんだ」
「アイツの気まぐれに……助けられた……ということか。だがツナ……今回はよかったものの……次からは、自分が逃げることを……一番に考えないとダメだ……オレたちのことはいいから」
マグの口調は、怒っているというよりも、心配で仕方がない、という感じのものだった。
私は、心配をかけてしまった罪悪感で頷く。
「う……。はい……」
「ちぇ、俺がかっこよくツナを助け出したかったのにさ、結果的に助けられてんじゃ、ダセーことこの上ねーな。…よし、血は止まった。とりあえず、移動すっか。ツナは薄着だし、アンタローも休ませてやりてーし」
「ここに来る途中……洞窟があった……とりあえずそこで落ち着こう」
「ン……わかった」
私はユウたちの身体を支えながら、案内されるまま、洞窟へとたどり着いた。
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ちょうど雪は止み、マグが荷物から取り出した固形燃料に火をつける。
洞窟の入口近くとはいえ、随分と暖まってきた。
ユウは暑いからと言って、私に自分のコートを被せる。
コートの端々には血が飛び散った跡があり、私はなんだか申し訳なかった。
「ごめんね、わたしが、回復魔法を使えればいいんだけど……なんだか、人体に魔法をかけるっていうのが、失敗したらと思うと、まだ怖くて…」
「大丈夫だって! 応急処置もできたし、…それに、嬉しいんだ」
「えっ、嬉しいって、何が?」
きょとんとユウに聞き返すと、マグが言葉を継いだ。
「ツナと……こうして普通に話せるのが……嬉しいんだ。あんな別れ方を……してしまったから……次はどんな顔をして会えばいいか……少し不安だった」
「だけど、戦ったり、怪我したりで、もうお互いそれどころじゃなくなってさ。なんかそれが…かえってよかったな、って」
「あ……そうだね。わたしも、なんだかそれどころじゃないみたい」
一緒に笑いあった。
私は、膝の上でぐったりしているアンタローを撫でながら、改めて二人を見る。
「あれから何があったか、聞いてもいい?」
「ああ、そうだよな、気になるよな。いいぜ」
こういう時の説明役は、大体ユウだ。
彼は一呼吸おいてから、話を始める。
「追いかけてきたら絶交だ、って言われて、ツナが出て行ってから。窓から、ツナが宿を出て行ったのは見えてたんだが、俺らには成す術もなくてさ。なんとか、戻ってくるのを待つしかないって結論を出して、待ってみたんだ。だけど、あまりにも帰りが遅くてさ?」
「絶交は嫌だったが……だが、ツナに何かあった可能性が高い……絶交は嫌だったが……後を追うしかないと判断した……絶交は嫌だが……それでもツナを失うことに比べれば……なんてことはないからな……オレたちはアンタローも連れて宿を出た……絶交は嫌だが」
「ご、ごめんマグ、絶交しないから…!」
なんだか必死さが伝わってきたので、慌ててフォローする。
マグは、安心したように息をついた。
ユウも少し安堵したようで、話を続ける。
「そしたら、ティムが血相を変えてこっちに走ってきたんだ。こんな時間にどうしたんだって聞いたら、ツナのことを知らせてくれてさ。もうそこからは忙しなかったな。まずティムに城までの道を聞いて、そのあと家まで送り届けて。俺らは全力で城まで走って、地下の状況を見て」
「だが、アンタローが……ここにツナは居ない……と言い出した」
「えっ、アンタロー、そんなことがわかるの?」
思わず膝の上の生き物に目を向けると、アンタローはぐったりとしたまま、目だけをこっちに向けてきた。
「はい、ツナさんはよく、ボクに魔力の匂いをつけていましたよね? だからボクには、ツナさんの匂いがよくわかるんですっ」
「そんなことしたことあったっけ!?」
「ぷいぃ、ツナさんは額をよくボクの毛にうずめて、すりすりとしてきましたよね? あれです」
「…ああ!」
ひょっとして、フェザールの設定でそういうのを作ってたのかな?
この小説を書いていたのは高校の途中までで、もうそれ以降は、本文を続ける気力が全然なくて、ひらすらノートの最後の方に、練りまくった設定ばっかりを書き連ねていたんだよね。
たぶん、その中にいろいろと書いてあるんだろう。
「で、ツナが居ないんだったら、もうあの繭みたいなもんは街の連中に任せようって話になって。俺らはまた走ってギルドまで戻って、受け付けに事情を話して、そしたら町長の許可が必要とかで、何とか町長の家に押しかけて、最初は信じてもらえるか疑問だったんだが、ティムの話をしたらすんなり通ったんだよな。なんか、町長の甥だったか何かで、気になってたんだってさ」
「そして駆除隊が結成されて……城へと乗り込んでいった……オレたちは、ツレが魔族に攫われたと……事情を説明して……別行動をとった……」
「そこからはアンタローが頼りでさ。俺らはとにかくいろんなところを歩き回って、アンタローがツナの匂いを嗅ぎつけた方向へ走り出したわけだ。まさかこんなに遠くだとは思わなかったけどな」
二人の顔を改めてみると、目の下にクマがある。
たぶん、ぐったりしているアンタローも、あんまり寝てないんだろう。
私は感謝を込めて、アンタローを念入りに撫でてやる。
アンタローは、気持ちよさそうに、耳をぴるぴるさせた。
「しかもたどり着いた場所が……ただの岩壁で……どうなっているのかと思っていたら……アンタローが、自分ならここを通り抜けられる……と言い出してな」
マグが、その時のことを思い出しながら言う。
まさかの、私の予想通りだった。
ユウが話を継ぐ。
「で、壁に押し付けてくださいっつうから、やってみたらマジで入っていったんだが…なんか途中で詰まったんだよ。どうしたんだって聞いても、口が壁の中に入っちまったみたいで、めちゃくちゃ片目で訴えてくるんだが、俺らにはもう、どうしようもなくてな…」
「壁を壊そうにも……アンタローに傷をつけずに助け出すのは……難しそうでな……もう見守るしかなかった……笑えもしない状況だった」
私が気絶していた時間を合わせると、ユウとマグは一時間くらい呆然と、アンタローの左半分を見ながら突っ立ってたのかな…。
シュールすぎる…。
というか、ユウはなんでアンタローを横向きに入れようとしたの?
普通正面を向けるよね?
ひょっとして、詰まった原因って、そこでは…?
「まあ、そっから先は、ツナも知っての通りだ。あ~~~~……ほんっと、ツナが無事でよかった。あんな別れ方をしてこれじゃ、死んでも死にきれねえ」
ユウは、万感の思いを込めて、頭を伏せている。
マグは改めて私に目を向けて、
「ツナ……なにもされなかっただろうな……?」
「う、うん、ハイドは、ハイドなりに、わたしのことを大事にしてくれたよ。…ごめんね、たくさん、心配かけて。デコピンしてもいいよ?」
マグは、一瞬何を言われたかわからないように首をかしげたが、すぐに「ああ」と思い当たった。
「懐かしいな……そんなこともあった……」
思い出すように、晴れ空色の目を細めている。
そうか、私にとってはそんなに前の話じゃないけど、マグにとっては三年も前の話なんだった。
マグは話を続ける。
「ツナ……謝らなくていい……そもそもはオレたちが……ツナを追い詰めたからだ……。本当にすまなかった……様子がおかしいのはわかっていたのに……あんな顔をさせてまで……強行するべきじゃなかった」
「俺らも焦ってたんだ。このままじゃ、ずるずるとツナを手元に置き続けちまうって。保護者失格だよな…俺らがしっかりしなきゃなんねーのに」
二人とも、思いつめたような顔で、焚火の火の方に目を向けている。
私もつられて、揺れる火明かりに目を向けた。
「わたしも、たくさん考えたよ。二人が、わたしの幸せのことを考えてくれてるんだって、わかってたから。…でもね」
また胸がぎゅっと苦しくなって、じわりと涙が込み上げてくる。
なんとか、我慢しながら、話を続けた。
「でも……わたしの幸せの先に、ユウとマグが居ない選択肢を、用意されているのが、たまらなく…嫌だったよ…!!」
結局我慢できたのは一瞬で、ぼろぼろと、膝の上のアンタローに涙が落ちていく。
アンタローは、小さく「ぷいい」と鳴いた。
「わ、わたしの、幸せの、形を、勝手に、決めつけられるの……すごく、嫌だったよ……!!」
「ツナ…!」
「ツナ……すまなかった……」
私は慌てて、ぶんぶんと首を振る。
「でもね! もういいの! わたし、頑張るよ。もう、こうやって、一緒に居られるだけで、満足できるようにするよ! わたしの世界は、ユウと、マグと、アンタローでできていて、それがすべてで、でも、それじゃよくないって、思ってくれたんでしょ? わたし、ここを乗り越えて、ふたりが、自慢できるような子になるよ!」
どうしても涙が止められなかったので、せめて私は、わざと明るい声を出して、二人へ笑いかける。
ユウは、自分の胸をぎゅっと握りしめるように、衣服を掴んでいた。
マグは、ただ息を呑み、何も言えないようだった。
だって、仕方ないよ。
二人とも、まだ二十歳くらいなのに、私のこと育てようと、一生懸命考えて頑張ってくれてるんだもの。
私が折れるしかないよ。
寂しくても、がんばれるよ。
「そう………だな」
少しの沈黙の後、ユウにしては歯切れ悪く、頷いた。
マグは、いつものようにマフラーを巻きなおそうとして、私にマフラーを渡していたことに気づき、静かに喉を抑えつけた。
「マグ、さむいの…? 返すよ、マフラー」
私がうかがうと、マグは首を振る。
「寒い……な。凍えそうだ……。だが、マフラーでは……収まらない……寒さだからな。……」
「マグ…?」
「いや……。だが、今日みたいに……ツナが攫われてしまわないように……夜の間もなんとか……ツナの部屋を把握できる状況を……考えないとな」
「ううん、大丈夫だよ。あんなことしてくるのは、フィカスくらいだと思うし」
私は、ようやく収まってきた涙を手の甲で拭いながら、なんとか、気持ちを整える。
「…なんだって?」
ユウの表情が引きつって、聞き返してくる。
「え? なにが…?」
私は何を聞かれたのかわからずに、首をかたむけた。
「まさか、フィカスが、来たのか?」
一言一言、区切るように、ユウが聞いてくる。
………。
しまった!!!?
それどころじゃなかったから普通に話してしまった!!?
「ち、ちちち違うの! ちょっと寄っただけで、すぐに帰って行ったよ! わたしが寂しそうだったからって、話し相手になってくれたし!」
私はあわあわしながら、両手を振る。
「ツナ……今日から三人部屋な」
マグが、何かを抑えたような声音で、静かに言った。
「え?」
「あんの野郎、ふざけんなよ…!! よりによってのタイミングで来やがって!! 魂胆が見え見えなんだよ!!」
ユウが、拳を自分の手の平に打ち付け合わせながら、ものすごく怒っている。
「ま、まって、今までのやり取りは!?」
「ツナ……今日から三人部屋な」
またマグがBOTになってる…!
「ツナ、もう誰が何と言おうと決定事項だからな!! くそっ、油断も隙もねえ! ツナは二度と俺らの居ないところで寝るのは禁止だ! いいな!?」
ちょっと!!!!
私の苦悩とか決意とかは、一体何だったの!!!?
なんかすべてが一気に霧散したんだけど!?
「……!?」
何かを喋ろうとして、なぜか私はふらついて、急に体に力が入らなくなってきた。
あ、あれ…?
「ツナ、どうした……!?」
マグが慌てて私を支え、手袋を脱いで額に手を当ててきた。
「熱がある……!」
「マジで!? やべえ、とっとと宿に帰るぞ!!」
「ツナ、なんとか……翼を仕舞えるか……!?」
ユウとマグが慌てふためいて立ち上がる。
うぐぐ、熱って…!
そりゃそうだ、こんな薄着であれこれやっていれば、そうなるか…!
それとも、安心して一気に熱が出たのかな…。
まあ、どっちでもいいや…。
寝て起きても、今度はユウとマグと、アンタローが居る。
そう思うと、なんだかとても、気分は楽だった。
<つづく>




