当てっこゲーム
私は珍しく、夢を見ていた。
ほっぺたがベタっとしたな、と思って見てみると、鳥の糞が落ちてきたのだ。
体中のいろんなところに、べたべたと鳥の糞が落ちてきて、払っても払ってもべたべたしていて、「うわーーどうしよう!」と思ったところで、ハッと目が覚めた。
目を開けると、ハイドが、目を閉じる前と寸分変わらぬ位置で、にこにことこちらを見ている。
「おはようナっちゃん、いい夢を見られたかい?」
彼はくつろぎ直すようにソファーに凭れて、肘置きのところに頬杖をついた。
「…嫌な夢なら見たよ」
「どんな?」
「鳥の糞が、体中に落ちて、べたべたしてきた夢…」
ムスっとしながらハイドに告げると、ハイドはとても面白そうに手を叩いて笑った。
「あははっ、そりゃいいや、そう来るか! ナっちゃんは本当に面白いなァ」
何か含むような物言いだったが、今はそれを気にしている場合ではない。
「わたし、どのくらい寝てた…?」
「もう朝だよ。うとうとと、まるで水飲み鳥みたいで、とても愛らしかったぜ」
「え!? ずっと見てたの…!? ハイドは、ちゃんと寝た?」
咄嗟のことだったので、思わず心配するような聞き方になってしまった。
ハイドはきょとんと私を見返して、困ったように笑う。
「バカだな、魔族の心配なんかするなよ。ぼくらはある程度寝溜めができるんだ。よくあるだろ、長い眠りから覚めた魔王がどうのこうのって冒険譚。ま、別に多少寝なくても不自由はないしな」
「あ、そうなんだ…」
じゃあ、ハイドが寝ている間に脱出は無理そうだなあ。
だけど、この程度では挫けない。
実は私にはもう、作戦が1つ浮かんでいるのだ!
その名も、『成田離婚作戦』だ!
「さて、ナっちゃん、朝ご飯にしようか」
そう言って、ハイドは金色の皮をしたリンゴを放り投げてきた。
「あ、わ、わ…!」
危なげにキャッチする。
「ゆっくりおあがり。そいつは取っておきのリンゴなんだぜ。普通のモノよりも魔力が潤沢に詰まっているんだ。よーく味わって食べるんだぞ」
「あ、ありが…」
じゃない!
危ない、うっかりお礼を言ってしまうところだった!
私は、澄ました顔をして、ツンと顔を背ける。
「なぁに、これ。わかってないよね、わたしが好きなのはイチゴ! それもね、ちゃんとハイドの手で土から作ったものじゃないと心遣いを感じないよ! 全く気が利かないんだから!」
ハイドはビックリした顔をして、私のことを見ている。
「あとね、アロマキャンドルの一つも置いてないってどういうことなの! まったく男ヤモメにウジが沸いてるんだから! もっと女の子の扱いに気をつけなさいよね!」
ふふふ!
どうです、この嫌な女は?
いざ一緒に暮らしてみると幻滅パターンだよ!
ハイドの方から私に興味をなくして貰えば、それが一番無難に収まるもんね。
ここがどこなのかわからないけど、放り出されればこっちのものだよ、頑張って自力で帰ろう。
「これはこれは、女王様」
ハイドは恭しく立ち上がり、丁寧に私に一礼を向けてきた。
「わたくしとしたことが気が利かず、申し訳ございませんでした。やはりあなたは春告げ鳥。わたくしの緩んだ心は、長い冬の眠りから覚めたような心地です。ご安心ください。多少のお時間をいただけるなら、鐘楼が23のカリヨンを奏でるまでに、手近な街を滅ぼして、女王様の望む物資をすべてこの手中に収めてまいりましょう」
「わあああああウソです!! 今のは無しで!!! このリンゴ美味しそうって本当は思ってました!!」
慌てて金のリンゴを掲げながら、まくし立てる。
すると、顔を上げてきたハイドは、とても悪戯っぽい表情をしていた。
「…あっははははっ!! ナっちゃんは本当に浅はかだよなァ! 心の内がバレバレなんだよ。もうちょっと、あの赤毛のことを見習ったらどうだい?」
「え?」
いきなり赤毛と言われて、ハテナが浮かんだ。
「赤毛って…ユウのこと?」
「ああ、そう、そういう名前だったな。覚えておくよ。アイツ、上手に隠しているが、かなり闇が深いぜ。このぼくが、実際に剣を交えるまで気づかなかったんだ。相当なものだよ」
「ユウが…? …それ、本当に、赤毛の方? 白髪の方じゃなくて?」
別にマグの闇が深いとか思っているわけではないのだが、それでも明け透けなユウよりは、色々と溜め込みがちなマグの方が、ハイドの言う内容と合致している気がする。
「白髪の方はダメダメだな、闇の欠片もありゃしない。まったくもって用無しさ。ああ、次にあの赤毛と剣を交えるのが少し楽しみだなァ」
ハイドはうっとりと、その未来に思いを馳せている。
私はまだ、頭の中にハテナマークを浮かべたまま、シャリシャリとリンゴを齧った。
何かの間違いじゃないかなと考え事をしていたのだが、口の中に一瞬で広がった濃い味に、思考が一気に吹っ飛んだ。
「ん…!! おいしい!」
とろけるような甘味なのに、しつこすぎず、後を引く理想の味だった。
「あはっ、気に入ってくれて何よりだ。どうだいナっちゃん、ぼくと暮らせば定期的にその味を分けてあげられるんだぜ? ま、希少な果実だから、毎日は無理だけれど」
「……。……ハイド、これ、半分に切るって、できる?」
「? そりゃできるよ。まさか小動物のように、もう半分は懐へ溜め込む、なんてみみっちいことをやるんじゃないだろうな?」
ハイドはくすくすしながら、からかうように言ってきた。
「ち、ちがうよ…! とっておきって言ってたから…。半分こ、しようと思って」
「はあ? 誰と? あの二人にやるなら三等分だろ? ぼくはアイツラにくれてやる気はないぜ?」
「え!? ちがうよ、ハイドとだよ…!」
「………は?」
ハイドは、固まってしまったかのように、動きを止めた。
「…ナっちゃんって、意味がわからないな。美味しかったんだろ? だったら独り占めしろよ、そんなだからガリガリに痩せているんじゃないか」
「ええ? …ハイドに、借りを、作りたくないだけだよ! でも、美味しかったから、半分は食べたいし…」
うまく言えないでいると、ハイドは、大きくため息をついて、「仕方がないな」と呟いて、歩き出す。
ハイドは私の前まで来ると、身をかがめて、直接リンゴを一口だけ、ガリっと齧った。
「……ほら。ぼくはこれだけでいい。あとはナっちゃんが食べろよ。まったく、めんどくさい女だな……」
ハイドは、困ったように笑う。
そして、私も困った。
「ハイドの歯形のついてるとこ、汚くて食べたくないよ!」
「……。ふふん? 口移しがいいんだったら、そうしてやるぜ?」
「嘘です、食べます…!」
私は渋々、リンゴにシャリシャリと歯を立て続ける。
ハイドはソファーに座り直して、私の様子を満足げに見ている。
うーん…。ちょっと、自分の立ち位置がわかってきたぞ。
要するにハイドって私のこと、珍しいペットみたいに思ってる感じだよね?
若干複雑さはあるけど、これなら確かに危害を加えられる心配もなさそう。
怖いことをされないとわかってしまうと、考え事をする余裕が出てきてしまった。
ユウとマグ、今頃どうしてるかな。
私の迂闊さを怒ってるかな、それとも心配してくれてるかな。
会いたいな…。でも、まだダメだ。
まだ、私の中で答えが出ていない。
………。
逃げたい。でも、考えなきゃ。このままじゃ、よくない。
感情を抜きにして、冷静に考えると、私と彼らの問題の着地点は、二通りある。
ユウとマグが折れて、今まで通り私と、三人部屋以上を取って旅を続けていくこと。
もう一つは、私が折れて、別々の部屋に慣れて、寂しさを克服すること。
どちらが正しいかなんて、わかってる。
独り立ちの意味では、後者が一番正しい形なんだろう。
それに、野営になったらまた一緒に寝起きできるんだから、我慢は一時的なものだ。
だけど……理屈じゃないよ…。
「ナっちゃん」
急にハイドに声をかけられて、私はハっと顔を上げた。
いつの間にかリンゴは食べ終わっていて、そしてハイドはそれを、物凄く不機嫌な顔で見ている。
「今、アイツラのことを考えていただろ?」
「う……それは……」
「不公平だよ、ぼくがこの数年、どれだけナっちゃんのことで頭をいっぱいにしたか、わかっているのかい? せっかく一緒に居るんだから、ナっちゃんも同じくらい、ぼくのことで頭をいっぱいにしてくれないと」
「ええっ、どういう理屈なの…!?」
私が戸惑っている様子に、ハイドは大きくため息をついた。
「おかしいな……そもそもこんなはずじゃなかったんだ。ナっちゃんはもっとぼくのことを憎んで、不条理への怒りで頭がいっぱいになっているはずだったのに。半分ことか、なんなの? ぼくは魔族だぜ、のほほんとしてさ? 自分がされたこととか、状況とか、わかっているのか?」
「それどころじゃないだけだよ! 怒ったりすることよりも、もっと大事なことがあるのに…!」
「はあ? 意味がわからないな。…いや、そうでもないか。ナっちゃんはそもそも、目の前のことしか見えないタイプだからな…。争いを好まない、フェザールの温厚さも原因なのか…?」
ハイドは急に黙り込んで、考え事を始めた。
…言われて気づいたけど、確かに私は、別にハイドが憎いとかではない。
おのれ、とか、このやろーとか、思ってる部分はあるけど、死んでほしいかと言われるとそうでもない。
なんでだろう?
今のところ、致命的な実害をこうむっているのは、ほとんど私自身だからかな?
これでユウとかマグとかにメチャクチャ酷いことをされてたら許せなかっただろうけど…。
結局、あの崖でのことだって、私の中にトラウマは残ったものの、結果的にユウとマグは無事でいる。
なんだかんだでハイドって、遊びで色々やっているからなんだろうけど、詰めが甘いというか…憎み切れないというか。
「決ーめたっと」
唐突にハイドが立ち上がる。
「要するに、ナっちゃんが帰りたいと思っている場所があるのが問題なんだ。だったら、抜本的解決法としては、ひとつしかないよなァ?」
ハイドは、挑戦的な顔で笑った。
「! ユウとマグに何するつもり!? ダメだよ、そんなことは許せない! わたし、もうここから逃げないから、他の人に危害を加えるのは見逃して!」
私はリンゴの芯を放り捨てながら、祭壇から飛び降りて、ハイドに詰め寄る。
ハイドは、露骨に態度を変えた私に、とても満足そうだ。
「あはっ! そんなに喜んで貰えるなんて、これは首を取って帰る甲斐がありそうだ。今までは遊びみたいなものだったが、ぼくが本気を出せば、アイツラ程度、赤子の手をひねるようなものさ」
「やめて!!」
私はハイドの胸ぐらを掴むように衣服を握り、彼を睨み上げる。
ユウとマグは、ハイドはとても強かったと言っていた。
あの二人でも敵わない人が本気になったら、どうなってしまうのだろう。
ハイドは嬉しそうに、金色の目を弧にする。
「ああ、ぞくぞくするよ。怒っている顔もいいけれど、ナっちゃんは泣いている顔が、いっとう可愛いからなァ。いい子で待っておいで」
ハイドはそっと私の手を掴むと、容赦のない力で引きはがしてくる。
「………っ、くっ…!」
やはり力では敵わず、痛みに顔を歪めた私の額に、ハイドは口づけを落とした。
「それじゃあね。少し時間はかかると思うけれど、ぼくはそう長くナっちゃんを一人にはしないでやるよ。アイツラと違ってね。水に沈んだサファイヤの、ひとすじの煌きにかけて誓うよ」
ふわりとハイドは浮かび上がる。
ど、どうしよう、このままじゃユウとマグが…!
何とか引き止めないと!
な、何か、何かハイドが興味を持つ提案をして、とにかく時間を稼がないと…!
ハイドが興味を持つこと…!
私はザーっと記憶を振り返る。
最初に出会った時……そうだ、あの時ハイドは!
とにかく急ぎだったので、私は内容も考えずに口を動かした。
「ハイド、ゲームをしようよ!」
ピタリと空中で、ハイドは動きを止めた。
そのまま、くるんとハイドは頭を下にして、さかさまの顔で私と目を合わせた。
「ゲームって?」
ハイドの表情は、興味半分、からかい半分、といったところだ。
私が内容も考えず、苦し紛れで言った言葉だと見抜いているのだろう。
えーっとえーっと、どうしよう!!
とにかくハイドが興味を持ちそうで、ゲームとして成立しそうなもの…!
おおお思いつかない! でも早く何か言わないとハイドが行ってしまう!
「ハイドが考えていることを、わたしが当てるゲームだよ! ハイドが時間指定して、その期間までに当てられなかったら、わたしの負けで、当てられたら、わたしの勝ち!」
「……。……へえ。ぼくが勝ったら、どんな権利を貰える?」
え、権利? 賞品じゃなくて?
くっ、権利、何か、権利…!
なんだか限定されたせいで誘導されているような気もするけど、仕方がない…!
「ハイドが勝ったら、わたしに何でも言うことをひとつだけ命令できる権利が貰える! でも、わたしが勝ったら、ユウとマグとアンタローに手出しはしないで!」
「ひとつだけ? ケチくさいなァ……でも、面白そうだ。いいぜ、乗った」
ストンとハイドは地に足を付けた。
私はホっと一安心だ。
「じゃあ期間は、三日間でいいぜ。ぼくは優しいからな、そのくらいのハンデくらい、くれてやるよ」
「え……いいの? 長いほど、ハイドが不利になるんだよ?」
ハイドは余裕の表情で、くすくすと笑みを浮かべる。
「きっとすぐにわかるさ、なぜぼくが三日なんて条件にしたのかを。さ、そうと決まれば、ナっちゃんはキチンとぼくの言うことを聞くように。食欲無いとか言わずにちゃんと食事をとって、寝るときはちゃんと寝るんだ、いいね?」
「……わかった」
結局私はまたハイドに物のように持ち上げられて、元の位置、つまり祭壇の上に座らされた。
そしてハイドも、定位置であるソファーでくつろいで、私のことを見ている。
よし、これで三日は時間が稼げるから、その間に何か別の手立てを思いつくこともあるだろう。
でもその前に、先制攻撃だ!
「ハイドは今、わたしのことを可愛いなって思ってる!」
なにせ今の私はフィクション可愛いからね!
これは当たっているはずだ!
「ワオ、すごいセリフだね。でもハズレだ。今ぼくは、ナっちゃんをどうイジメてやろうかと企んでいたところさ」
「うぐぐ…!」
確かにハイドはそんな表情をしている。
「そうそうナっちゃん、弾数は無制限でいいぜ。いくらでもぼくの考えを読んでくるといい」
「ええ?」
なぜかハイドは余裕綽々だ。
でもありがたいので、反論はしないで置いた。
とりあえず落ち着こう。
そう思って私はオカリナを握りしめ、「タッチウッド」と心の中で唱える。
ちらりとハイドの方を見ると、私の仕草に興味津々だ。
「わかった、ハイドは今、わたしが何のおまじないをしているのかと思ってる!」
「いいや? オカリナを吹くのかなと思っていたよ」
あ、そうか、普通はそうだよね。うーーん、失敗してしまった。
でも、そうか、私の仕草で、思考を誘導するという手があるのか。
そうだ、せっかくだから、もうこの機会にオカリナの練習をしよう。
そう思って、改めてオカリナを見る。
サイズは子供用の小さいオカリナなので、若干苦労はするが、指で穴を押さえる分にはできそうだ。
まずは音階だ。
どの穴を塞げばどの音が出てくるか、の部分から探らなければならないので、やらなければならないことは果てしなく多い。
夢中にはなれなかった。
だけど、必死でやった。
やっとドレミの位置を把握した頃にハイドの方へと目を向けると、彼は相変わらず余裕の笑みで、私のことを見守っていた。
「今、ヘタクソだなって思ってたでしょ!」
「いいや? さえずるのが下手な鳥をこんなに愛しく感じるとは思わなかったな…と、しみじみ考えていたよ」
うぐぐ、惜しい、ニアミスだった…!
自分で考えておいて何だけど、このゲーム難しいなー。
他人が考えていることを当てるなんて、よくよく考えてみれば、攻撃側が不利でしかない。
そのためにハイドはハンデをくれたのだろうか?
だとしたら、結構いい人なのかもしれない。
「さ、歌の下手なルリカケス。少し待っておいで、食事にしよう。ここからは普通の果物しか貯蔵していないけれど、ワガママは言わないでおくれよ」
そう言って、ハイドはカーテンの奥の貯蔵庫らしきところへと、ふらりと歩いていった。
そういえば、ハイドに身を隠されたらこのゲームは終わりだな、と一瞬考えたところで、ハイドは普通に戻ってきた。
「わかった、今ハイドは、このゲーム楽しいなって思ってる!」
「いいや。君にひとつだけ命令できる権利の使い道を考えていたよ。とても魅力的な賞品だからな」
またサラリと流される。
そんな感じの応酬が続き、あっという間に一日が過ぎてしまった。
<つづく>




