隠れ家に招かれて
「―――破風には菊に、桐の薹の御紋を御赦免あって、系図正しき薬で御座るっ!!」
私は振り向き様に声のした方を指差して、外郎売という名の呪文を唱える。
すると、
―――くわんっ!! 「イテッ!?」
上からタライが降ってきて、ティムを怯えさせていた元凶の頭にぶち当たった。
確認しなくても、声の主はハイドだった。
やったーーー!
どうだ!!
次にハイドに会った時のために、ずっとずーっと考えていた、タライ魔法だ!!
どんなにかっこつけていても、当たったら大体はかっこ悪いことになってしまう魔法のアイテム、タライ!
当たったらさぞや今までの憤りがスッキリするかと思っていたのだが、今はティムを守らねばという気持ちの方が大きくて、それどころではない。
ハイドの方はというと、今、自分に当たったものをじっと見ている。
くわくわんと地面の上で大きな音を立てて揺れているタライを、ハイドは信じられないものを見るような目で見ていた。
「……創造…魔法……?」
呆けたように呟いている。
「ティムくん、逃げよう!」
今度は私がティムの手を引いて走り出す。
そうか、ここは廃城で、誰も住んでいないから、ハイドは自由に出入りできたんだ…!
ところが、瞬間移動とでもいうのだろうか?
いきなり城の入口を塞ぐようにハイドがふわりと現れて、退路を断たれてしまった。
「おっと、このぼくが獲物を逃がすとでも?」
ハイドは金色の目を細めて艶然と笑い、バサリと片手で青藍色のマントを、通せんぼのように広げた。
えーー、どうしよう、もうハイドにはタライって決めてたからさっきは咄嗟にできたけど、今パっと攻撃方法が思いつかない!
シクったよ、こんなことなら100通りくらい考えておけば…!(アフター・ザ・フェスティバルッ)
でもハイドに時間使うのも悔しかったんだよー…!
やきもきしている私の前で、ハイドは満足そうに、牙を出して笑った。
「やあナっちゃん、ぼくの愛しいルリカケス。待っていたぜ。そろそろこの街に来る頃だと思っていたよ。いい夢をたっぷりと見られたかい?」
「ハイド、今度は何を企んでいるの…?」
とりあえず睨み返すくらいはしておく。
「企むだなんて、あはっ、まあ、実際上手くいったよ。こうしてナっちゃんがぼくの所に来てくれたわけだしね。やっぱりぼくは天才だなァ。ねえティム、呪いの具合はどうだい? ここ数日はとても楽しそうだったじゃないか」
「! ティムくんが嘘をついてしまうのは、ハイドのせい…?」
私は怯えるティムを背後に庇う。
「悲しいな、ナっちゃん。三年間もぼくの愛に包まれておきながら、ぼくの呪いの気配を見分けられないなんて。結構すごいんだぜ、ぼくの呪いは。普通はざっくばらんに言葉のすべてが嘘になってしまうのが主流なのに、ちゃーんとぼくに関わることだけは本当のことが言えなくなるような仕組みにしたんだ。だから日常生活は難なく過ごせるワケ」
「…!」
私は、さっとティムに手を翳した。
ひょっとしたら、何でもできそうという、大雑把な魔法設定の私になら、ティムの呪いが解けるかもしれない。
「おっと、させると思うかい?」
ハイドは、背後から抱きすくめるように私の手をそっと掴み、両手を上げさせてきた。
「わ!? は、はなして…!」
「いや恐れ入ったよ。ぼくはもう、ナっちゃんのことで驚くことなんて、流石に無いと思っていたんだけれど。まさか創造魔法の使い手だったなんてなァ。ますます欲しくなった。そこで相談なんだけれどね」
ハイドは、怯えて震えるティムに、ちらりと目を向けた。
「ティムかナっちゃん、どちらか片方だけは見逃してあげるよ」
「だったらわたしが残る」
速攻で答えた。
「ただし、ティムくんの呪いも解いて、日常に戻してあげて。そうじゃないと、たくさん、抵抗するから」
「…あはっ、それ、脅しのつもり? 一歩も動けないくせに、可愛いなァ」
「お、おねえちゃん…!」
ティムは震えながら、か細い声で私を呼んだ。
「でもそれって、裏を返せば、ナっちゃんは無抵抗でぼくに従ってくれるようになるって意味だよなァ。なんて魅力的なんだろう。いいぜ、せっかく育てた蟻共を退治されることになるのは癪だけど、取引は成立だ。豹猫の爪の、その鋭さにかけて誓おう」
ぐわ、しまった、そうなるのか!?
めちゃくちゃ反抗する気で居たのに…!
ハイドは、掴んでいた私の拳に軽く口づけすると、するりと私から手を離す。
そしてティムの方へ一歩進んだかと思うと、パチンと指を鳴らした。
「はい解いた」
「「え?」」
私とティムの声が重なった。
え、それだけで解けるものなの?
「何を驚いているのさ、そのくらいの小さな悪戯、インプにだってできるんだぜ? そりゃ解くのも簡単さ。ほらティム、ここ数日、言いたかったことを試しに言ってみろよ」
よほど、何の変化も感じなかったのだろう。
ティムは戸惑ったように一度自分の身体をさすってみたりしたあと、私の方を見て、こういった。
「おねえちゃん、この街は危ないことが起こりそうなんだ、逃げて!」
なるほど、そう言いたかったんだね!!?
これが逆になるとああなるなんて、なんて皮肉なことなんだろう。
「あはっ、よくできました。さ、行っていいぜ。早く家に帰って、家族を安心させてやりな。君みたいな素直な子は、苦悩も一級品だったからなァ、退屈せずにすんだよ。バイバイ、ティム」
「ティムくん、行って!」
私は力強くティムに頷いて見せる。
ティムはしばらくの逡巡を見せた後、何かを思いついたような顔をして、それから出口に向けて走っていった。
ティムを見送った後、私は、どうしよう…という絶望に包まれていた。
「ナっちゃん、しばらく見ないうちに、頼もしいお姉さんになったじゃないか。感動したよ」
ハイドは楽しそうに私に顔を寄せてくる。
「…よくいうよ。全部、予定通りなんでしょ?」
「まあね。君は手強いから、人質は必須だったからな」
ハイドは私の髪を一房取って、それに口づけする。
「だけどね、君がたった一人でここに連れて来られたのは、実は予定外だったんだ。しかもこんなに薄着で。まるで、ケンカをして、勢い任せに部屋を飛び出してきたような……ふふふ」
ハイドが、悪戯っぽく私の目を覗き込んでくる。
私は図星を突かれて、サっと頬に朱が走った。
「本当はアイツらの目の前で君を攫って行きたかったんだけれど……こういう予定外なら大歓迎だ。安心しろよ、人間の心無い言葉に傷ついた女の子には、ぼくは特別優しいんだぜ?」
そう言ってハイドは、私を暖めるように、自分のマントで包みこんできた。
そのままふわりと持ち上げられる。
「やっぱりフェザールは軽いなァ、この手の中にあっても実感が湧かない。さて、ナっちゃん、今更抵抗は無しだぜ?」
「…わたしをどうする気?」
念を押されなくても、約束なので、抵抗はできなかった。
「安心しろよ、ぼくの隠れ家に案内するだけさ。この数年ヒマだったものでね。たまには人間の真似事をして、住処を作ってみるのも悪くない体験だったよ」
「……えっ、ここが、ハイドの住処じゃないの!?」
露骨に驚いてしまった私に、ハイドは思い切り噴き出して、笑い転げた。
「全くナっちゃんはわっかりやすいな~! ぼくに捕らえられても、ティムの情報でアイツらがここに助けに来てくれるって思っていたんだろ?」
「うぐ!?」
「このぼくがそんなヘマをするかよ! あっはははっ! やっぱりナっちゃんと居れば、退屈はしそうにない。さ、ぼくの太陽、月の寝床に案内するよ」
ハイドは軽くトンと地を蹴っただけなのに、瞬く間に何十メートルも、城の吹き抜けを浮き上がる。
そのまま城の割れた窓から外に出て、冷たい夜風を引き連れて空高く舞い上がった。
「え!? わ!?」
いきなりのことにビックリして、身が竦んでしまう。
ハイドはまだ笑いが収まらないような顔で、くすくすと私の様子を見ている。
「おいおい、まさかフェザールが高い所が怖い、とか言うんじゃないだろうな? ダメだぜナっちゃん、そんな風に楽しいことは、毎日少しずつ出してくれないと! 今日一日でナっちゃんを味わい尽くすのは勿体ないだろ、あはっ! ほら、怖いならしっかり掴まれよ!」
ハイドは、今までで一番上機嫌な顔をしていた。
せめてもの抵抗で、しっかり掴まるのはやめておく。
と、とにかく、もう、自力で逃げるしかない!
よし、今できることは……道順、しっかり覚えとこう!
気合を入れて、しっかりと上空の景色を目に焼き付ける。
でも本当は、高い所から下の方はあんまり見たくない。
なんでこういう時って、お腹の下の方が、ひゃあって感覚になるんだろう?
「あ~あ、そこで素直にぼくに掴まったら、可愛がってやろうと思っていたのにな。そら!」
いきなりハイドが急降下をするように飛び始めた。
「ひいあああああああ!!!?」
もう本能でハイドの首にしがみついてしまう。
目もぎゅっと閉じてしまう。
急降下したかと思うと、いきなり急上昇を始めるGが、容赦なく私にのしかかってくる。
乗ったことはないけど、ジェットコースターってこんな感じなんだろうか!?
いや、でも感覚はもう紐なしバンジーだよ!
恐怖でほとんど息を止めてしまう。
「や、やめ…! うそつき優しくするって言ってたのに!!」
「そうだっけ? でもナっちゃん、退屈はしなかっただろ? はいお疲れ。目を開けてごらん」
「う……?」
恐る恐る目を開けると、私は既に、全然よく知らない部屋に居た。
………。
道順すら、覚えられなかった…!!
私の役立たず!!
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その部屋は、冷たい岩肌に囲まれており、しかし色調はとても統一された、センスのいいものになっていた。
淡い青を基調とした家具に、選び抜かれた調度品が並んでいる。
ハイドは慣れた調子で、暖炉に向けて指を鳴らすと、ポ、と暖炉に火がともる。
しかし、この部屋には、二点、妙な点がある。
まず、扉がないこと。
一体どうやって入ってきたのか、まるでわからない。
私を逃がさないようにするためなのだろう。
そしてもう一点は、ソファーが向いている方向にある。
リビングの見取り図で例えるなら、ソファーの向かい、普通テレビがあるべき場所に、壁しかない。
その壁の一角は大きくへこんでおり、まるで何かを飾る祭壇のようになっている。
そして、そこには何も置かれていなかった。
私が物珍し気に部屋を眺めていると、ハイドは笑顔を向けてきた。
「最初は寒いだろうけれど、そう広くない部屋だからな、火を入れたからすぐに暖まるよ。そら!」
「わ!?」
ハイドは、高い高いをするように、私の腰を掴んで高く持ち上げてきた。
「ああ、やっと手に入った、長かった…! 苦労が実る瞬間って、こんな感じだったっけ。もうすっかり忘れていたなァ。さあナっちゃん、翼を広げてごらん、窮屈だろう?」
「や、やめて、降ろして…!」
私は足をばたつかせて暴れるが、ハイドは涼しい顔で、そのままくるくると回転する。
「あはっ、ほらほら、言う通りにしないと! ゲストは家主の要求に応えるべきだぜ?」
ダメだ、力では敵わない以上、言う通りにしておかないと、話が先に進まない…!
「わ、わかったから、止まって!」
ぴたりと、ハイドは私を持ち上げたまま、大人しく動きを止めた。
「え…と…」
私は少しもぞもぞと身をよじらせて、出口穴を探りあて…それから、バサっと翼を広げる。
ハイドは目を見開いて、キラキラした目で私を見つめてきた。
「……あはっ!」
「ぎゃあ!?」
いきなりハイドに抱きしめられて、頭のところに物凄い頬擦りをされた。
私が嫌がって腕の中で暴れていようが、お構いなしだ。
「ああ嬉しいなァ、夢じゃないんだ! ナっちゃん、これからはずっとぼくと一緒だぜ?」
………。
今度は、私の動きがピタリと止まる。
なんで、よりによって、ハイドがその言葉をくれるんだろう。
私がそう言って欲しかったのは、ハイドじゃなかったのに。
急に、ユウとマグの顔が浮かんで、涙が込み上げてくる。
なんとか、涙を引っ込めようと必死になっていると、ハイドは不思議そうに、私の顔を見てきた。
「……フウン? もうホームシック? ま、いいけどね、泣いている顔も魅力的だ。さ、ナっちゃん…」
そのまま、ハイドは私を持って、部屋を歩きだす。
それから、ストンと私をソファーの前の、あの不自然な空洞へと置いた。
「君のために用意した特等席だ。大人しくショーウインドウに飾られてごらん。そこでは泣いても笑ってもいい。ぼくは君のすべてを受け入れて、楽しんでやるよ」
えっ、ここ、飾り棚みたいなものだったのか。
びっくりしてきょろきょろしていると、ハイドは私の前にあるソファーに腰かけて、ゆったりと足を組んで私を見てくる。
「……落ち着かないんだけど…」
「だろうね? ああ、眠くなったら言ってくれよ、ベッドはあのカーテンの向こうさ。ナっちゃんは寂しがりだから、ぼくが添い寝をしてやるよ」
「ここでいいです!」
私が言い張ると、ハイドはその様子を楽しむように、くすくすと笑った。
とはいえ、今日は色々あったから、実は既にちょっと眠くなっている。
うう、でも、ここで寝ると、私がハイドの前で安心してしまっているみたいじゃないか。
悔しいから、絶対起きていたい。
仕方なく、会話をして眠気を飛ばす努力をすることにした。
「…ハイドは、青が好きなの?」
「どうして?」
「だってこの部屋、全体的に青色だから」
「ああ…。勿忘草の色さ。いいセンスをしているだろう?」
「ワスレナグサ…。好きなの?」
「……花言葉がね。でも結構苦労したんだぜ、これだけ家具を集めるのも。街ではちょっとした騒ぎになっているみたいで、それはそれで楽しめたけれど」
「…ああ!? あれ、ハイドの仕業だったんだね!? え、でもどうして、家から盗めたの? 入れないよね??」
「おいおい、盗むなんて品のない言い方をするなよナっちゃん。拝借したんだ」
「返す気ないクセに?」
「あはっ、ま、そこはご愛嬌ってな? 人間の家に入るなんて、実は結構簡単なのさ。ナっちゃんみたいに魔力抵抗のあるヤツにはわからないだろうが、チャームを使えば一発なんだぜ?」
「………。…ハイドは、人間が嫌いなの?」
私の問いに、ハイドはピクリと片眉を上げた。
ほんの少しだけ、考えるような間が空いたが、すぐにハイドはいつもの調子で話を続ける。
「ぼくのオモチャになっている間は、好きでいてやるよ。そういうナっちゃんはどうなのさ。随分と酷いことを言われたみたいじゃないか。あんなヤツラ、とっとと見限ったほうがいいぜ」
「………」
答えが返せなかった。
だけど、ここで黙ったら負けな気がして、必死に考えて、なんとか言葉を絞り出す。
「わたしの居場所は、少なくとも、ここじゃないよ…」
ハイドは、見透かしてくるような顔で、くすくすと笑った。
そして言葉を続けてくる。
「他に聞きたいことは?」
「……。わたしに飽きたら、わたしを殺すの?」
「まさか! ぼくはたまにはホントのことも言うんだぜ? 言っただろ、大事にするって」
「え……」
「……なんだよ、そのビックリした顔は。ぼくに何されると思っていたわけ?」
「え…と…。『ナっちゃんの腸内フローラを枕に眠ってやるよ』とか言われるのかと思った」
ハイドはいきなり噴き出して、ソファーの上で笑い転げる。
「ナっちゃんって、ぼくよりよっぽど趣味が悪いなァ、その点に関しては、ぼくは喜んで負けを認めよう!」
「な、なにそれ、嬉しくないよ!」
なんだか恥ずかしくなって、ちょっと頬を赤らめてしまう。
「あー、一通り満喫できたな。さ、ナっちゃん、今日はだいぶ疲れているだろ? 少し眠ったほうがいい。フェザールは虚弱って噂だからな、こんなどうでもいい場面で体調を崩されても困る。それとも、まだ少し寒いかい?」
「…寒くはないけど」
「お腹がすいた?」
「ううん、食欲ない…」
まだこの状況が落ち着かなくて、そわそわしてしまっていると、ハイドは「困った子だ」とため息をついた。
「じゃあ、ぼくはしばらく黙っていてあげるから、とりあえず目を閉じてごらん。そうすれば、すぐに体の状況がわかるさ」
「……なにもしない?」
「しないしない」
ハイドはにこにこして頷いた。
その途端、いい考えが閃いた。
そうだ、眠ってるふりをして、ハイドが寝るまで待ってみよう!
そしたらここを家探しして、脱出の手がかりがないか探そう!
これだ!
という確信の元、私はショーウインドウと称された場所に座ったまま、サっと目を閉じる。
………
……、………
………………
そして気が付くと私は眠りについていた。
<つづく>




