夜の不法侵入者
冷気をはらんだカーテンが、ふわりと翻る。
いつの間にか窓が開いていて、月明かりを背景に、窓枠に土足でしゃがみ込む人影が居た。
砂色の輝く髪は、ハリネズミのようにつんつんと立っている。
相変わらず黒いコートスタイルで、そして相変わらずかっこいいゴーグルをつけている。
「入るぞ」
フィカスは返事も聞かずに、窓をきっちりと閉めながら部屋に入ってきた。
私は驚きのあまり、しばらく言葉を失っていたが、ようやく我を取り戻す。
この男、今度は平然と不法侵入を!?
「な、なんでここに? いや、それよりも、どうしてわたしの居る場所が分かったの!? …まって、ここ、二階だよね?」
「落ち着けよナっちゃん、なんだ、そんなに取り乱すくらい嬉しかったのか? ははっ、冥利に尽きるな」
フィカスは一通り部屋を見渡すと、「狭い部屋だな」と言いながら、私のベッド、つまり私の隣にいきなり腰かけてきた。
私はちょっと逃げ腰になる。
「な、なに!?」
「そう警戒するなよ。向こう側のベッドは毛玉が寝ているだろ。起こしちゃ可哀想だ。そうだろう?」
そう言って、悪びれずに笑う。
フィカスはすっかり落ち着いたように、ゆっくりと足を組んで私の方を見る。
「で、質問は何だったか。ひとつずつなら答えるが」
「……。…なにしにきたの?」
「夜這いに来た」
HENTAI!!!!!
「冗談だ。逃げるな」
逃げ出そうと立ち上がると、フィカスにあっさりと腕を掴まれた。
「久しぶりの再会なんだ、もっと喜んでくれてもいいんじゃないか? これでも海の向こうから急いで来たんだぞ。さすがの愛馬もくたくただ」
「ええ…!? た、頼んでないよ…!」
「だが、随分と寂しそうにしていたじゃないか。話し相手くらいにならなるが、どうだ?」
寂しさを見抜かれて、私はカーッと頬が熱くなるのが自分でもわかった。
「案ずるな、すぐに帰る。顔だけを見に来たのでな。思ったよりも元気がなさそうだが、存外、俺にとってはチャンスかもしれんな」
「………」
私は、諦めたようにベッドに腰かけ直した。
それから、ひとつずつ、質問を重ねる。
「どうして、わたしがここに居るってわかったの?」
「弟が鳩を飛ばしてきてな。ナっちゃんに会ったと。すると存外、居ても立っても居られなくなってな。最初に会ったのがメッシドール、弟が会ったのが宿場町と考えると、次はここだろうと読んだだけだ。街までくれば、このゴーグルの機能で、強い魔力の出所を探ればいい。驚いたよ、以前よりも魔力が上がっているな。もう俺よりも魔力量は上だ」
フィカスは、組んだ足に肘を乗せて、私を覗き込むように頬杖をついている。
「そして美しく育った。俺の読み通り、と言いたいところだが、それ以上だったな」
「……写真、燃やしてくれた?」
「ナっちゃんが俺の庇護を受けるというのなら、喜んで処分しよう」
「…じゃあ、処分しなくていい…」
複雑な顔で言った。
「やれやれ、手強いな。そんなにアイツらと旅をするのが好きか? こんなに寂しい思いをさせられてまで?」
「そ……れは……。部屋を分けるのも、わたしのためだし…」
うつむいてしまう。
すると、フィカスは片手で私の頬に触れ、そっと顔を上げさせた。
「うつむくな。顔を見に来たと言っただろう?」
「やめて…! わたしにだって、見られたくない顔くらいあるよ…!」
フィカスの手を振り払う。
ちょっと、泣きそうになってしまっていた。
フィカスは、組んでいた足をほどくと、やれやれと体を起こす。
「馬鹿な奴らだな。きちんと話し合いをしないからこうなる。そもそも責任を取る気もないのなら、そんな軽い気持ちで連れまわすべきではないだろう。…と、面と向かって言ってやりたいが、残念ながらアイツらに使っている時間が惜しい」
「……? フィカス、本当に、わたしの顔を見るためだけに来たの?」
私の問いかけに、フィカスは眉根を下げた。
「心外だな。俺が体のいい嘘をついたとでも思っていたのか? これでも一国の王だ。やることは山積みなのでな、すぐに帰らねば国が回らん。だが、あと少しの辛抱だ。なあナっちゃん、俺の計画を聞いてくれよ」
フィカスは、ゴーグルの下で、悪戯を思いついた子供のような顔をしている。
「えっ、うん、聞くよ…!」
「今、弟のティランには貿易の体を装って、各国に挨拶回りをさせている。それが終われば、俺は晴れて自由の身だ!」
なんだかフィカスが嬉しそうだ。
私は単純なので、少しその嬉しさが伝播してきた。
「なになに、どういう計画なの…?」
「元々俺は、現場に出向いての実務の方が性に合っていてな。執政はここから全部ティランに引き継いで、俺は諸国を見回って国際情勢を把握する予定だ」
「え!? それって、丸投げっていうんじゃないの…!?」
「ははっ、そうとも言うな。だが、実権は俺の方にあるからな、ティランが老害共に利用されることもあるまい。アイツは元から書類仕事に向いているんだ。傀儡をもくろむヤツラの存在さえなければ、俺はアイツを王にしていた。だが現状では、多分これが、ニヴォゼにとって一番いい形になる」
とても楽し気に夢を語るフィカスが、なんだか眩しかった。
でもたぶんこれ、ティランには寝耳に水の計画なんだろうな。
まあティランなら、兄の言うことなら何でも聞くんだろうけど…。
「これでくだらん見合いの話も、すべてティランの方に行くだろう。そして俺は真の意味で、民の声を直に聞きに行くことができる。あと少しなんだ。今が一番ゾクゾクする。そんな時期にナっちゃんの話が降って湧いたものでな。景気づけの意味も兼ねたというわけだ」
「景気づけって、わたしにはご利益があるの?」
ちょっと笑ってしまった。
すると、フィカスはじっと私を見てくる。
「……? フィカス?」
「ああ、自覚はないんだろうが、ナっちゃんは今、俺の前では初めて笑ったんだぞ。それは感慨も深くなる。正直、快哉を叫びたい気分だ」
「そ、そうだっけ…」
「ナっちゃん」
フィカスは私の名を呼びながら、なぜかいきなりゴーグルを外して、いったん首から下げる。
私は初めてフィカスの素顔を見た。
えっ、目つき悪っ!!!!
三白眼!!!
ど、どうしよう…!
好み…!!!
変態なのに、顔だけは好みだなんて…!!
私はかなり動揺して、しばらくその目つきの悪い顔をじっと見ていた。
瞳の色は、ティランと同じで赤なんだね。
あんまり似てないけど、やっぱり兄弟なんだなあ…。
そんな風に思っていると、なぜかフィカスは痺れを切らしたような様子で、
「返事は?」
「……え?」
あれ、何か質問をされたんだっけ?
ひょっとして動揺して聞き逃してたかな。
いや、流石にそんなはずはない、何も言われてないはずだ。
どういうナゾナゾなんだろう??
「ご、ごめん、なんていうのが正解?」
焦ってしまって、トンチンカンな質問をしてしまった。
「正解って……。まあ、お受けします、とかか…?」
「じゃあ、お受けします!」
「……」
「……?」
「いや、それは違うだろう?」
「どういうこと!? 禅問答!!?」
「???」
「???」
よくわからないまま、なぜかまたフィカスはゴーグルをかけなおす。
「まあいい。この身が自由になれば、また会うこともあるだろう。ゆっくりいくさ」
フィカスはスっと立ち上がる。
「あ……」
帰ってしまう。
また一人になってしまう。
そう思うと、一瞬フィカスを引き留めそうになってしまった。
出しかけた手が、宙をさまよう。
「……そんな顔をするな、ナっちゃん。悪い女だな。仕方がない、横になるといい。眠りの魔法をかけてやる。ナっちゃんは魔法抵抗値が高いから、キッカケ程度になるが、疲れていれば眠れるだろう」
「………ン」
今日はあんまりフィカスに逆らう気が起きず、もそもそと布団の中に潜り込む。
そうしている間に、フィカスは部屋のランプの灯りを消してくれた。
「それじゃあ、おやすみ、ナっちゃん」
フィカスが額に手を翳してくる。
「おやすみ…」
おやすみと言える相手が居るというだけで、なんだか幸せだった。
フィカスの言った通り、私はそのままストンと眠りにつくことができた。
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「ツナ、昨日は遅くまで起きてたみたいだけど、大丈夫か?」
朝食の席で、ユウが心配そうに聞いてくる。
「え? …あ、ひょっとして、音、そっちまで聞こえてた?」
「いや、本当にちょろっとだけだけどな。まあ、起きてるんだな~ってわかる程度というか…」
「そっか…。ちょっと、寝付けなくて」
「そうか…。じゃあ、今日は観光はなるべく早めに切り上げておこうな。ただでさえ、寒いのは体力を奪われるんだからさ」
「………ン」
フィカスのことは、夢じゃなかったみたいだ。
でも、ユウは王族が嫌いだし、話したらまた険悪なムードになりそうで怖いので、今のところは黙っておくことにした。
昨日からあんまり喋らないマグの方を、ちらっと見る。
なんだか…なんだろう。
部屋が別々になったっていう、たったそれだけのことであって、別にケンカしたわけじゃないし、すごく怒られたとかでもないのに。
なのに、なんだか、ぎくしゃくして、距離が遠く感じてしまう。
でも、いつもみたいな感じで居たら、私はきっとワガママを言ってしまいそうになる。
やっぱり四人部屋がいいなって、ワガママ。
ダメダメ、親離れしないと…。
気を取り直すように、私は話を続ける。
「アンタローも、観光に連れてっていいよね?」
「そりゃもちろん! あれだ、バレそうになったら、突然変異の猫ってことで行こうぜ。魔物と思われそうだったから隠してました~って流れな? いやあ、突然変異って便利な言葉だよなー」
「あははっ、そうだね!」
私は部屋に帰ると、さっさと観光の準備をして、いざ出陣となった。
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「うわあ、蜜蝋屋さんだって、初めて見るね!」
雪国なんて初めてなので、興奮と共にきょろきょろと、せわしなくなってしまう。
「おーマジだな、ちょっくら入ってみるかー」
「えっ、でも、冷やかしになっちゃうかもしれないよ、飾り用の蝋燭なんて旅には持っていけないだろうし」
「ツナ……こういうところは……閑散としているより……賑やかしでも……人が居た方がいい……客が客を呼ぶ……そういう原理だ」
「そっか、確かに、お会計待ちの時、いつの間にか人が並んでたりするもんね」
頷きながら、もうマグとはいつも通りに接することができていることに、すごく安心した。
嬉しくてなんだか、むずむずする。
「ぷいぷいっ! 確かにおいしそうな気配がしますねっ!」
「中で騒いだらダメだよ?」
私は腕の中のアンタローを、ギュッと抱え直す。
「ちわーっす!」
ユウは何の迷いもなく、お店の扉を開けて入店していく。
私とマグも続いた。
わあ、すごいなあ…!
店内には、いろんな形をした蝋燭が陳列されてあった。
色とりどりだなあ、と思ってよくよく見てみると、白い蝋燭の表面に、別の色の蝋で絵が描き足されているものがほとんどだ。
絵筆が作り出す緻密な世界観は、見ているだけで気が遠くなる。
「不用心だな……」
マグが、誰も居ないお店のカウンターを見ながら言った。
どうやら普段から店主は奥に引っ込んでいて、用のある客が呼び鈴で呼ぶ、という仕組みのようだった。
「そんだけ治安がいいってことなんじゃねーの?」
ユウは適当に言いながら、適当に商品を手に取る。
「ユウ、壊しちゃダメだよ…!」
私はハラハラとユウに告げると、ユウは「ちぇっ、わかってるよ」と、拗ねたように商品を棚に戻した。
「やはりカンテラに入れるような……実用的なものは少ないんだな……冒険用具店よりも……安く買えればと……思ったが」
「アロマキャンドルとかもあるよ、かわいいなあ。でも、匂いがしたら、やっぱり魔物とかに気づかれちゃうよね」
「ぷいぃ、全部美味しそうですっ」
アンタローが小声で言ってくる。
「えー、もっとこう、絵柄が可愛いとかの感想はないの?」
「ボクの形をしたものがあれば、それは欲しいですねっ、絶対美味しいです」
「共食い…!?」
私とアンタローがこそこそ喋っていると、ユウが私を呼んだ。
「あ、おいツナ、こっち来てみろよ、ツナの好きそうなもんがあるぜ!」
「えっ、なになに?」
ユウの方に寄って行くと、お会計のカウンターの上に籠があり、その中に、大きめのアイシングクッキーが一枚ずつ並んでいた。
「かわいい!」
アイシングクッキーって、淡い色合いのものが多くって好きなんだよね。
鳥の形や雪の結晶の形、スズランの形もあれば、イチゴの形と、様々だ。
「ツナ、欲しいのか……? 全部買うぞ……」
マグがいつものように財布の紐を緩めたがる。
「えっ、全部は食べられないよ、卵(動物性たんぱく質)も使ってあるし…! でも、一枚、欲しいな……いい?」
「もちろんだ。どれがいい……?」
聞きながら、マグはさっそく呼び鈴を鳴らし始めた。
まだ決まってないのに…! 行動が早すぎる、どれだけ買いたいの!?
「はいはい。あら、冒険者さん? いらっしゃい」
奥から、人のよさそうなおばさんが出てきた。
「このクッキーを一枚貰いたい……蝋燭を買わなくても……買えるだろうか? この子が気に入ってな……」
「ああ、そりゃもちろん! 嬉しいねえ、これはアタシが趣味で作ってるようなものだから」
「えっ、趣味で? でも、食べるのが勿体ないくらいキレイなのに!」
「まあまあ、お上手だこと! どれがいいかね、ゆっくり選んどくれ」
「え…と…マグ、やっぱり2枚でもいい?」
「もちろんだ」
マグが柔らかく微笑んだ。
どれがいいかなあ、動物モノとか、まるっこくて可愛いのが好きなんだけど、でも食べるの可哀想になるしなあ…。
「じゃあ、このイチゴのヤツと…。それから、アンタローに、このホットケーキのヤツ!」
私の言葉に、腕の中のアンタローが一瞬ぴくっと動いた。
しかし必死でぷるぷると枕のフリをしている。
ごめんアンタロー、余計きつかったかな…。
でもある意味共食いだし、喜んでくれたよね!
「じゃあオレは……コレだな」
マグも一枚、丸っこいイルカのクッキーを手に取った。
「えー、そんじゃ俺はこれ! 切り札だ!」
いつの間にかユウが後ろから覗き込んでいて、トランプのスペードのエース柄のクッキーを手に取った。
「お前……たまに甘いもの……食いたがるよな……辛党のクセに」
「だって仲間外れみたいで寂しいじゃんか、俺も食う! ツナ、このクッキーは分解して食ったりするなよ、せっかくキレイなんだから」
「もーー!!! なんてこというの! やらないよ! あれはもう、忘れてよ…!」
私はバッと頬を染めて、ユウの胸板をドンドン拳で叩く。
ユウは思い出し笑いをして、マグは拳を口元に当てて笑うのを我慢しているようだ。
「あらあら、じゃあ一個ずつ包もうねえ」
おばさんは、クッキーを一枚一枚、丁寧に透明な袋に入れていく。
あ、この世界ビニールがあるんですね、流石クソファンタジー。
「800エーンになります」
マグが支払いをしながら、私たちはそれぞれにクッキーを持った。
アンタローの分は、私が持っておく。
「ありがとうございました~」
おばさんに見送られて、私たちはまた外の通りに出た。
暖かい所から、寒い所に出ると、キュっと身が引き締まる感じだ。
「うはあ、早くクッキー食いてーけど、この寒さだと外で食うのは無理だな…!」
ユウが身を縮こませている。
私もその意見には賛成で、クッキーはとりあえずスカートのポケットの中に入れる。
「でもわたし、この冷たい空気、薄荷が混じってるみたいで、好きだよ!」
「薄荷か……言い得て妙だな……ツナは面白いな……」
マグと会話をしていると、ユウが唐突に私の方を見て、
「そうだアンタロー、俺の頭の上に来るか? 帽子でいけるだろ帽子で!」
ユウが間違いなく暖をとる目的で、自分の頭を指さしながらアンタローを誘っている。
「いや、アンタロー……オレの頭の上なら……色もそんなに違わないし……自然だぞ」
マグも勧誘に加わった。
「アンタローは、私の腕の中が一番居心地良いよね?」
私も張り合う。
「ぷいぃいいっ、これが……モテ期ですか…っ!」
アンタローは身を震わせながら感動している。
「あ、でも、わたし、デューに手紙書きたいから、アンタロー、ユウのとこに行ってていいよ」
はい、とユウに向かってアンタローを差し出す。
アンタローは、ぷいぷい言いながら、ユウの頭の上に登って行った。
「おー、そうか、そういう話だったな、そういえば」
「じゃあ……まずは雑貨屋……だな」
「アンタロー、ちゃんと帽子のフリしてるんだぞ?」
「ぷいっ!」
そこから手紙を出したり、買い食いをしたり、消耗品の買い出しなどをしているうちに、あっという間に夕方近くになった。
「この街広いね、まだ全然、回り切れてない…!」
悔し気に私が言うと、マグはいつもの調子で、
「まだまだ祭りまで……時間はたっぷりあるんだ……ゆっくりしていこう」
と言った。
「じゃあ、今日はそろそろ宿に帰るかー」
「………」
ユウの言葉が、私の心にずしんと来た。
また、部屋で離れ離れになってしまう。
二人とも、そのことについては全然平気な様子で、寂しいのは私だけみたいだ。
アンタローが寝てしまったら、私はどうすればいいんだろう。
昨日はフィカスが来てくれたけど、今日はどうやって過ごせば……。
「ツナ?」
「ツナ、どうした……?」
気が付けば私は立ち止まって、うつむいてしまっていた。
そして、意を決して顔を上げる。
「ねえ…、もう、この街、出ない?」
<つづく>




