目標は宿題のあとで
朝食後、もそもそと着替えをしながら、情報を整理する。
昨日、原文に書いてあるように図書館の本をすべて読破しなくても先に進めたという、この検証はかなり重要だと思う。
思えば最初の日も、ユウとマグの二人の前から逃げ出してしまった、という部分があったにもかかわらず、先に進むことができた。
おそらく、AとかBとかいう部分をクリアすればOKというチェック項目か何かがあって、それ以外はよっぽどのことがない限り、大雑把な判定で進めるのだろう。
私自身、昔から適当なところが多分にあると自覚しているので、間違いないと思う。
思えば私、頭の中ではうるさくしてたけど、実際には普段と比べて全然喋ってないもんね。
小説だったら流石にもうちょっとナツナのセリフはあるだろうし、その辺りの細々したことまでダメ出しされたら精神が焼き切れていたに違いない。
だけど、このままダラダラと進んでいって、どうなるというのだろう?
目標か何かを無理やりにでも作っておかないと、心が擦り減っていくばかりだ。
そろそろこの小さいサイズの身体にも慣れてきて、着替えは思ったよりもモタつかずにできた。
ベッドの上に置いていたオカリナのペンダントを首にかけ、たったと部屋を出る。
「おまたせ…っ」
二人と合流し、待ちに待った街観光!
考えなければならないことは多いけど、元から刹那主義の私は、今現在をひとまず楽しむことにした。
―――しかし、純粋に楽しめたのは、10分程度に終わることになる。
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「この街はテルミドールっつって、7月に花祭りがあるらしい。街中に花が飾られてすげーキレイなんだってさ」
噴水の前を通りすぎながら、ユウが説明してくれる。
私は興奮に頬を上気させながら、きょろきょろと落ち着きなく、石畳や花壇を見渡した。
「その時期に……来られたならよかったんだが……」
「いいよ、じゅうぶん、たのしめてる…よ!」
私の言葉に、からかうようにユウが横やりを入れてきた。
「もしその時期だったら、ツナははぐれて迷子になってただろうな」
もーーー、すぐそういうことを言う! と口で言えたらいいんだけどなあ…。
ダメ出しが怖くて、まだあんまり喋れない。
ユウのことをムスっと睨み上げて、不満げにぐいぐいとユウの長い三つ網を引っ張った。
ユウは嬉しそうに笑っている。
というか、そもそもこの観光って、ダメ出しは来るんだろうか?
ページの隙間にも物語はある。
だけどこのテルミドール観光は、原文に書かれている出来事なんだろうか?
作者が私じゃなければ、この辺は怪しまないんだけどなー……
そもそも小学生の私が、観光イベントを考えられるほどの想像力を持っているのか? という部分ですごく引っかかるんだよね。
だってほら……
ああ、また同じ顔が……
噴水広場に来てから、そわそわとすれ違う人の顔をチェックせずにはいられない。
女の人なんてみんな、トキめいて☆メモリーズ、略してトキメモのゲームヒロインたちと全く同じ顔してる。
髪型と色だけ違ってみんな同じ顔のヤツ!
そして妙に左向きの顔が多い。
なんだろう、あんなに楽しみだった観光なのに……この潮が引いていく感じ……。
この街怖いよお。
ダメダメ、前向きに捉えよう!
マイペースに街案内をしてくれるユウとはぐれないようにしながら、気合を入れなおす。
こういう時は、同じ顔が多いメリットとデメリットを考えてみよう。
えっと、デメリットは、例えば配達してくれとかいう依頼が来たら詰んじゃうところだよね。
誰がハンスさんで誰がケビンさんだろう? という戸惑いが私を襲うに違いない。
で、メリットは、えーと……モブじゃない、とわかりやすくなる?
そうか、これはいいかも!
この人はモブじゃないかもってわかれば、警戒したりできるもんね!
攫われるかもという話が出たので、その辺りは気を付けないといけないからなあ。
ユウもマグもいい人たちだから、心配をかけたり足を引っ張ったりはしたくない。
そう思っていた矢先、ドンと何かに突き飛ばされた。
「ひゃあ!? ――?」
覚悟していた衝撃はなく、誰かの体温が背中にある。
「……ぼーっとしながら……歩くからだ」
マグが受け止めてくれていた。
「あ、ありがとう……」
本当にごめんね!? 足を引っ張りたくないって思ったばかりなのに!
次からは考え事をしながら歩いたりしません…! と誓いながら、きちんと立つ。
「悪い悪い、大丈夫か? 坊主」
前を向くと、私がぶつかった相手に、ユウが平謝りしてくれている。
私がぶつかった相手は、品のいい格好をした、すっきりとした顔だちの少年だった。
少年は埃一つついていない自分の衣服を、丁寧に手で払う。
嫌味ではなく、仕切り直しの儀式、と言った風情だった。
「ご心配なく、まったくどうということはありません。先ごろ僕の身に起きたことに比べれば、チョウの羽ばたきが鼻先を掠める程度の出来事にすぎませんから」
……! この人、モブじゃない!
「そしてこちらの不注意でもあるのです、何の文句がありましょうか。美しいお嬢さん、あなたにもお怪我がなくて幸いでした」
「身に起きたこと……とは……?」
マグが訝し気に問いかける。
「ああそうでした、せっかくなので問いましょう。みなさん、大いなる僕の熱情を奪い去った卑劣漢がここを通りませんでしたか?」
「? どういうことだ、何か盗まれでもしたのか?」
ユウの問いかけに、少年は洗練された非の打ちどころのない所作で、痛ましげに自分の胸を押さえる。
「ええ、大事なヤママユガを」
!?
「問題は、すべて僕の留守中に起きたことであり、その卑劣漢がヒトなのか、はたまた4つ足の獣であるのか、まるで思い当たる節はないのですが」
え、エーミール!!!?
まさか……
まさか、街の観光イベントが思いつかなかったから、間を持たせるために教科書の登場人物を出してきたってこと!!!?
どういう発想よ!!
いや、そういえば誰が言っていたかは忘れたけど、子供は人間になる前の段階の生き物みたいな感じで、到底大人にはできない発想ができるとかなんとか。
「ねえお母さん、キリンって神様なのね、だって高い所から見下ろしてくるもの」という感じの、愛らしい発想がそこに添えてあった。
それに比べて私はコレだよ。
私も愛らしく生まれたかったわ。
などと思っていたその時、住宅街の方からランニングをしている、微妙に世界観の違う感じの青年がやってきた。
しかし何かを言うでもなく通りすぎていく。
しばらくして、別の青年が、同じランニングコースを走っていく。
…????
なにこれ、すごく気になる…。
バシャーン!
唐突に、遠くの方で水音がした。
なになに!? 水面下で何が起こっているの!?
「犯人を……見つけてどうする……」
「僕にわかるのは、そのような悪辣が形を成して目の前に現れた場合、おそらく侮蔑のまなざしを向けることしかできないだろう、ということだけです」
「そうか……後悔のないようにな……」
「悪いな坊主、残念ながら俺らはそれらしい人物を見てねーんだわ」
エーミールと二人の会話が着々と進んでいるが、私はにわかに騒がしくなった広場のせいで全然集中ができない。
ダメだ、気になりすぎる!!
まだページを戻されたわけでもないし、こんなしょうもないことで疲れるのもバカらしいけど、でも、原文を読みたい…!!
3人が話し込んでいる隙に、私はこっそりと死角に隠れ、祈りの形に指を組んだ。
……お。
一回目の時より数段スムーズに、おへそのあたりから熱みたいなものが広がってくる。
あれかな、初めて行く土地とかはものすごく遠く感じるけど、二回目からはこんなに近かったっけ? と思うのと同じ現象。
大学の時の移動教室とか、初日はもうぐったりだったけど、通い慣れてくると全然平気になっていったもんね。
今回は追い詰められていないので、ちょっと思考に余裕が持てているのを実感できる。
あと、ボクシングのパンチとか、インパクトの瞬間にだけ力を籠めるんであって、そこまでは力を抜くとうまくスイングできるとかなんとか。
力を抜く……呼吸を意識してみればいいのかな?
……で、よし、ここで、祈りを込める。
このシーンの文章、出て来い!!
パッ、と、閉じた瞼の中に、前と同じようにノートごとイメージが出てきた。
きた!
がっつくように、文字に目を通す。
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ここはエーミールが住んでいるまちだった。
ナツナのまえに、ヤママユガを探しているエーミールがあらわれて、なかよくなった。
ヒロシくんは30分で6キロを走り、弟のタカシくんは40分で8キロを走りました。
ヒロシくんとタカシくんでは、どちらが早く走ったでしょうか?
6km÷30分=0.2km/分
8km÷40分=0.2km/分
答え.ふたりはおなじそくど
そのとき、スイミーたちのいる池で、くらむぼんがしんだよ。
かぷかぷしんだよ。
ナツナたちはたのしくまちを見てまわった。
だけど
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このガキ、途中で算数の宿題してやがる!!!!!?
というか、こんなクソ小説に教科書オールスター出すのやめてよ!!! 偉人に失礼だろ!!
おかしいなああ、私の記憶では、当時読んだばかりの長編小説みたいなものを書いているつもりで小説を書いていた気がしてたんだけど、おこがましいことこの上ないね?
うああああ、でもちょっと、ユウとマグがいい人たちだから、だんだん自分の小説を貶めるようなことを思うのに感情移入が邪魔をしてくる…!!
でもこれ、自分で作ったキャラをいい人って感じるのはナルシストってことになるのかなあ!?
業なの? 業だとでもいうの?
何故なのかわからないまま、一生分の報いを、この短期間に受け続けているような…!?
しかしさっきの水音はクラムボンが死んだ音だったのか……別に死ぬ必要なかったよね?
一応合掌して冥福を祈っておく。
クラムボンの正体が何なのかは、いまだに見当もつかないけれど……。
目を開けて振り向くと、ちょうど二人がエーミールに手を振ってお別れをしているところだった。
「さ、観光の続きと行、ぐえっ!?」
ドスッ
こちらに目を向けるユウの腹に、頭突きをするように寄りかかる。
そのままずるずるとずり落ちていった。
「ね、ねむ……い……」
「お、おい、ツナ!?」
やっぱりまだ、ツナって呼ばれるのは慣れないなあ……
そう思いながら眠りに落ちていく意識の中で、覚悟していたページをめくる音が聞こえないことを不思議に思った。
<つづく>