私の正体(下)
雨の中、私を抱きしめるマグの背後に、細身の青年が立っている。
夜空を帯びたような青藍色のマント。
ぬばたまの艶めく髪。
金色の瞳。
サラサラと音がしそうな髪からは、尖り耳が覗いている。
しかしなにより不思議なのは、雨の中にいるにもかかわらず、青年の身体はどこも濡れていなかった。
その人は私と目が合うと、にっこりと嬉しそうに笑い、内緒話をするように、「しー」と唇に人差し指を立てた。
そしてマグの背中に向けて、何か、とがったものを振りかぶった。
「…つ……っ!!」
咄嗟のことでうまく声が出ないのか、それとも本気で泣いてしまったから喉が痙攣して声を出せないのか、そのどちらもなのか。
私は変な声を出して、わずかに身をよじるしか動けない。
「ツナ、どうした…?」
何も気づいていないマグが優しく聞いてくる、その瞬間を合図にするように、青年はマグへ向けて、とがったものを振り下ろした。
「ぅぅうあああああああああ!!!!!」
私は渾身の力を出して体当たりのように、思いきりマグを横手に突き飛ばす。
ドズッ!!
私の右腕に、青年が降り下ろした何かが思い切り刺さってきた。
「うっ、く…! は、ハイ……ドっ!」
私は青年の名を呼びながら、その場にドシャリと倒れ込む。
「ツナ―――!?」
「ああ、大正解さ、ナっちゃん。愛しのハイドが迎えに来たよ」
「貴様!!」
マグが銀のダガーを抜き放ち、尻餅をついた状態からすぐさまハイドへ襲い掛かる。
低い位置からの横薙ぎ一閃。
ギィン!!
ハイドの長剣がマグの一撃に噛みつく。
そのまま、涼しい顔で鍔迫り合いを楽しんでいる様子だった。
「な……んで……」
私のことは諦めるって言ったのに。という目でハイドを見上げると、彼は本当に嬉し気に、牙を見せて笑った。
「あはっ、『たくさん嘘をついた』って言っただろ? まったくナっちゃんは可愛いなァ、ダメだぜ、悪魔の言うことをすぐに信じちゃ。このぼくが、欲しいものを簡単に諦めるわけないだろ?」
「ツナに何をした!!」
「なに、ちょっとね、眠り姫の呪いをかけただけさ。ナっちゃんなら、お前を庇ってくれると思っていたよ。よかったじゃないか、みんな仲良く呪いにかかって、これで本当に『一緒』になれたぜ。あははっ!」
マグが身を震わせて力を籠めるが、鍔迫り合いは一向に揺るがない。
眠り姫の呪い、と言われて、私は自分の右腕に目を移す。
そこには、糸つむぎのつむが刺さっていた。
いやいやいや!?
こんな能動的に刺してくる話じゃなかったよね!?
ちょっとアグレッシブ過ぎない!?
『ま、刺さるんなら何でもいいや!』と思っているだろう小学生の私の顔が浮かぶ。
「といっても、ぼくの芸術作品を、お前のクズみたいな術式と一緒にされたくはないんだけれどね。よくそんな呪いを身につけて歩けるなァ、ぼくだったら恥ずかしくて死を選ぶよ。ああ、それも自慢だったりするのかな。さっきみたいに、女の子を口説くのに使えそうだしね、ふふふ」
「それはどうでもいい! ツナの呪いは、どうすれば解ける……!」
マグの声音は、怒りに震えていた。
「簡単さ。術者である、ぼくの口づけでのみ、魔法が解けるようにしてある。いい感じのマッチポンプだろ? 大人しくナっちゃんを差し出すのがお互いにとってもいい話だと思わないか?」
「ふざけるなッッ!!」
「おいおい、教えを請おうってんなら、もうちょっと下に出ろよ!」
あれ……。
も、もう、目を開けてられない…。
私は二人の様子が、声でしか分からなくなってきた。
ギィン、と高い剣戟の音がする。
すると唐突に別方向から、ものすごくガサガサと乱雑に茂みが揺れる音がした。
「おおおおおっらああああああああっ!!!」
ユウの声だ。
そして、ガァンという激しい音。
なにが起こっているのか、もうわからないけど、ユウが来てくれたことだけは分かった。
「遅いぞユウ!」
「こういう時はよく来たってまず褒めろよマグ! やる気出ねーだろ! 結構距離あったんだぜ!?」
「お前ら、小癪に障るよ。男女の逢瀬の邪魔をするなんて、無粋極まりないぜ。これだからモテない男はみっともない、あははっ!」
「はあ? 何言ってんだコイツ。つーかなんでツナが倒れてんだ死にてーのか?」
こんなに怒ったユウの声は初めてだ……。
とか思っているうちに、だんだん意識が保てなくなってきている…。
「やれやれ、野蛮だな、そんなことで希少なフェザールを育てられるのか?」
「フェザール……なんだそれは?」
「ナっちゃんの種族のことさ。ぼくも長く生きてきたが、それでも名前しか聞いたことのない幻の種族だ。普段は空の上に住んでいるからな。ぼくに寄越せよ、大事にするぜ? 黄昏に照らされた天使像の翼にかけて誓うよ」
「渡すかよ!!」
激しい争いの音が、だんだんと遠のいていく。
何とか気合を込めようとするが、力がどんどん抜けて行った。
いやだ、せっかく一緒に居ていいって言われたのに…。
「あーやだやだ、空気を読めよな。本当だったらお前らのどちらかは死ぬ予定だったのに、しぶとく生き残っちゃってさ」
「やはり、アンタローのことは……お前の仕業か……!」
「あっはははは! 当ったり前だろ! なんだよフーセンガムで空飛ぶって、ちょっと考えればわかりそうなことだぜ? 脳みそまで呪われてるのかよ!」
「ふざけんな! 人をオモチャみたいに言いやがって!!」
「何を自惚れているのさ、ぼくのオモチャは可愛い可愛いナっちゃんさ。そのうえフェザールだって? いい番狂わせだ、俄然欲しくなった。そうだ、取り引きをしようぜ、タダでとは言わない。お前たちのそのチャチな呪いを解いてやるよ、その代わり」
「失せろ……!!」
「あはっ、ま、どうでもいいか。ああ、待っていろよ、ぼくの愛しいルリカケス!」
「させねえ!!」
………、……
……
もう、何も聞こえなくなってきた。
このまま眠っちゃうのか、嫌だな…。
せめて何か、いいことを考えよう。
さっきまでのこと…とか。
ひょっとしたら、私の脳内がうるさかっただけで、第三者視点から見たら、感動のシーンだったりしたのかなあ。
だったらいいなあ。
例えばほら、TVとかでよくある、副音声でお送りしますっていうやつ。
私は副音声でね、そしたらきっと……。
うう…。
この、強制的に瞼がおりた後、そうそう、今度は唾を飲むのが段々できなくなるんだよね。
全身麻酔の時とおんなじだ。
普段何気なくやってることができなくなるって、本当に怖い。
あれ…
なんで私、そんなこと知ってるんだっけ…。
これでユウとマグと、お別れなのかな。
やだな…。
……やだな…。
怖いよ……。
真っ暗だ……。
<つづく>




