体感時間は100時間(上)
目が覚めても、景色はぼやぼやしていた。
そのぼやぼやした天井を見て、私はまだ小説の中にいるんだなあ、と諦観を覚える。
ぼやぼやしているのは風景だけで、登場人物はくっきりしてるから不便はないけどね。
上体を起こし、眠気を覚ますように目をこすっていると、マグが扉を開けて顔を覗かせた。
「起きたか……朝飯の時間だ……」
「ン……」
けだるげに頷いて、ベッドから降りる。
一張羅なので、着替える必要はない。
昨日は精神的にボロボロだったため、宿に着いたら食事もそこそこに熟睡してしまった。
私を一人にするわけにはいかないということで、まあ子供だし、いつも通りの二人部屋を取ってもらい、私はマグと一緒に眠らせてもらった。
だってユウはなんとなく寝相が悪そうだし、いびきもしそうなイメージがしたからだ。
昨日さんざん恥ずかしい思いをしたので、今更異性の隣で眠りにつくことに対しては何の抵抗もなく、平気の平左状態だった。
…あれ?
一緒に眠ったはずのマグが呼びに来ているということは、私はかなり寝坊をしてしまったのか。
うーん、しまったなあ。
空いた時間で、この小説の先がどんな話だったか思い出す努力をしようと思っていたのに。
まあいいや、今日は観光しようって話なんだよね。
正直言って、ちょっと楽しみにしている。
「で、この街にいるうちにナツナの服を何着か買っておこうって話になってさ、そのあとは図書館に行こうぜってことになったんだ」
朝食の席で、ユウが予定を話してくれた。
えーーーー
観光は?? と、目で訴える。
それを察したのかそうでないのか、ユウは笑いながら付け足した。
「安心しろって、この街にはあと数日滞在する予定だからさ、街を回るのは明日からにしよう」
「図書館になら……ナツナのわかる言語が……あるかもしれない」
ああ、そういうことなのか。
マグが付け足した説明で、この予定すら善意のものだと悟る。
「あ、アリガト…」
私はしらじらしいカタコトで感謝を返す。
いやーーー、正直、楽だわカタコト。
もう一生カタコトで居たいレベルだ。
どれが教えてもらった言葉だったかをいちいち覚えていられないため、なんて喋ろうか悩む時間が増えるけど、二人が色々と察してくれるので楽で仕方がない。
図書館に行くということは、もうちょっと言語のバリエーション増やしても不自然はなさそうだし、これはもう行くっきゃないでしょう。
買い物を午前中で済ませるため、ぱぱっと朝食をとって宿を出る。
暑くも寒くもない快適な気候が、いかにもフィクションらしい。
意外なことに、私の服を選んだり小物を合わせたりをしてくれたのは、マグの方だった。
私は彼の提案に頷けばいいだけで、非常に楽な買い物に終わる。
ユウが言うには、旅の間にほつれたり穴が開いたりしたものは、すべてマグが裁縫してくれるそうだ。
やっぱり意外だなとは思うが、ユウが裁縫をしている姿を思えば、まだマグの方が違和感はないなと思い直す。
会計の時、なんとはなしにお店のおじさんの顔を見上げて、あれ? と思った。
なんだろう、この人…会ったことがある気がする。しかも最近。
うーーん、どこだっけなあ…と悩んだが、結局その場では思いつかず、ユウに促されて図書館への道へ急いだ。
図書館に着いた頃には、時間的にお昼前だったので、屋台の軽食を取ろうという話になる。
ユウがホットドックの屋台を指さしたが、何故かマグが首を振って私を見た。
「ナツナ……お前、肉嫌いだろ……」
ギクッ
「な、ナンデ?」
愛想笑いのようなものを浮かべて、マグの顔を窺う。
「昨日の夜と今日の朝……パンとサラダは嬉しそうに食べてたが……動物性タンパク質は……辛そうだった」
ぎゃあ
よく見ていらっしゃる!!!
でもそこ突っ込まないで辛いから!!?
だってそこも、設定なんだよ!!!
痛々しい設定と向き合う時間が善意によってもたらされるこの地獄よ!!
そうなんだよね。
もちろんリアルの私はお肉が嫌いではないし、むしろ好きな方だ。
しかし、この小説の中のナツナチャンはとある理由によって、動物性タンパク質を取ると、すごく疲れてしまうのだ。
この設定は詳しく思い出したくない……。
いやもう昨日晩ごはん食べた瞬間に思い出しちゃってるけど!
でもなんとか、今なら好き嫌いで済ませられそうだし、何とか説明を、ああでもカタコトで、どんな言葉を教えてもらってたっけ!?
「あーー、そういや俺も一個気になってたんだよ!」
ユウが口を挟んできた。
嫌な予感がするが、今思考が詰んでて、あわあわするしかできない。
「ナツナ、お前便所一度も行ってねーよな? どうなってんだ、大丈夫なのか?」
いやーーーーーーーーーー!!!!!!?
何いきなり女の子の便所事情を聴いてきてるのこの人!!!?
というか、そこ観察すんなや!!!!! 変態か!!!!!!?
どうしよう……っ!
実は、種族が人間じゃないんです、私…っ。
いいでしょ物語でくらい、トイレなんて行かないアイドルのような存在になったって!!!
とか言うわけにもいかないし、だって記憶がない設定だから!!
あっそうか、記憶がないんだった。
いける、これなら!!
私は二人に首を振る。
「わからない、きおくない…!」
便利!!
便利設定!!
二人はハっとしたように私を見る。
「そうか、言葉が通じねーだけと思ってたんだが、そういや思い返してみれば、全然状況とかわかってねーみたいだったもんな」
「言葉が違うから……それも伝えられなかったわけか……大変だったな……」
マグがぽんぽんと頭を撫でてくる。
あああ、この嘘をついてだましてる感じ…!
ごめんね二人とも、と思いつつ、説明を回避できた安堵感の方が大きい。
「まーでも、状況としてはやることは変わらねーわけだし、とりあえず買ってくるわ」
そう言ってユウはホットドックを三人分買ってきた。
あれ?話を聞いていたのかなと思って見ていると、ソーセージの部分をひょいと取って自分の口に運び、千切りキャベツだけが乗ったパンを私の手に乗せた。
「ほら、これなら食えるだろ?」
………
……ええ?
なんだろう、シュールじゃないかこの発想?
どう反応すればいいの??
しばらくそのキャベツパンをじっと見てから、とりあえず食べやすいようにギュっと平たく潰して、もぐもぐと立ち食いをしておいた。
その時、二人が私のことを凄くじっと見てきていたのは何だったんだろう?
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うわーーー、図書館はちゃんと図書館してるなあ!
そこは思ったよりもずっときっちりした図書館で、古い本と埃の混じった臭いもする。
図書館が好きだったもんね、小学生の私。
描写を頑張ったんだね、と他人事のように思ってしまう。
「じゃあマグ、後は頼んだ、夕方になったら迎えに来るからさ」
「ああ……」
あれ、別行動?
不思議そうにユウの方を見上げると、彼はいつものように笑う。
「悪いなナツナ、俺はこういう場所苦手でさ、子供を探してる親の探し人が居ないか、聞き込みの方を担当ってことになってんだ」
なるほど、確かにユウはここでやることなさそうだもんね。
「いい子にしてるんだぞ」と言い置いて図書館を後にするユウに、何度も頷いて見送る。
残ったマグは、私にハシゴの使い方や、関係者以外は入ってはいけない書庫の説明をして、あとは自由にさせてくれるようだ。
マグの方でも調べたいことがあるらしく、「何かあったら大声で知らせるように」という注意を何度も言い含めてくると、そこで別行動となった。
そんなに広い図書館でもないので、別行動と言っても、視界の端には常にマグの白髪が見えていた。
本かあ、社会人になってから、あんまり読まなくなったな。
この際だから読んでみようか、と適当な本を手に取って広げる。
そもそも私が書いた小説の中にある本って、どういうものなんだろう? 白紙でもおかしくないよね。
そう思いながら見たので、余計に中身に驚いた。
……小学校の教科書だ!!?
開いたページには、理科のレモン電池の作り方が載っている。
ファンタジーどこ行った!!?
他の本は、絵本だったり、地図帳だったり、当時の私の知識がそこここに保管されている。
こうして見てみると、一度情報を記憶したニューロン? は消えないみたいな話は本当なんだろうなと思う。
シナプスが繋がらなくなったから思い出せないだけで~、という話を聞いたことがあるような?
何の拍子で思い出して、何の役に立つかわからないから、なるべくたくさんの知識を身につけなさい、みたいなことを学校の先生も言っていた気がする。
じゃあひょっとして、私のこの小説の内容も、何らかの刺激を与えれば、シナプスが繋がって先の展開を思い出せたりするんだろうか?
まあ刺激なら不必要なまでに受け続けている気がするけどな……
うーーんと考え込みながらまた一冊本を手に取ると、小さい頃好きだった漫画を発見した。
これ、外側はハードカバーの荘厳な感じの装丁なのに、中身が漫画っておもしろすぎる。
そこからは夢中で漫画を読んでしまい、あっという間に夕方が来てしまった。
「ナツナ……」
マグに肩をたたかれ、はっと顔を上げると、もうユウが来ていた。
「すげー集中力だなーー、まさかここの本全部読んだとか?」
冗談めかしてユウが笑う。
「気になる本……あったか……?」
マグに質問されて、すっかり本来の目的を忘れていたことを思い出した。
申し訳なさそうに首を振って、すぐに言葉を付け足した。
「でもたくさん、ことば、おぼえた!」
そもそも知らない言語で書かれた本を読んで言語習得って無理があるような気がするけど、まあ私の書いた小説だし、これでいけるだろう。
「おっ、やるなーナツナ! そんじゃ俺がクイズ出してやるよ!」
えーーーーー。
ユウが余計なことをしてくる。
ツカツカと本棚に歩み寄ったユウは、適当な本を引っこ抜いて、ぱらぱらとめくった。
「問題です、じゃじゃん!
海・血の池・龍巻・白池とくれば地獄温泉ですが、残りの中からどれでもいいから一つ答えてください!」
知るか!!!!!!!!!!!!?
というか、なんでこのファンタジーには別府があるんだよ!!!!!!
「わ、わかん…ない…」
流石に突っ込みかけたのを我慢したため、弱弱しい声音で答えた。
「こら……ナツナで遊ぶな……」
マグがユウの頭を小突く。
「イテッ、…へへ、悪かったよ、俺の方も収穫がなくってさ、そういうのってこういう流れでも作らねーと言いづらいじゃんか。ま、今日のところは宿に帰るか」
本を閉じて元の棚に戻すユウ。
その時だった。
<・・・・・パラ・・・・・>
そう、ここからまさに、地獄巡りが始まるのだった――
<つづく>




