地獄絵日記(上)
「~♪」
私は鼻歌交じりに川沿いを歩いている。
今日はのんびりと移動をしてもいい日ということで、午前中だけマグとユウにタッタカタッタカ運んでもらい、午後は自力で歩くことになった。
みんな慣れが出てきて、お昼ご飯の時には、もうこういうスタンスで移動するのもアリだなという話になった。
ちなみに私の今日のお昼ご飯は、ナッツ類だ。
ツナの食事は少なくて助かる、とマグが言っていた。
乾き物は喉が渇いて困るけど、マグは昨日の野営で川の水を延々と煮沸して飲み水を作っていたので、水の心配はしなくていい。
次の目的地であるフリュクティドールは山の上にある町らしいので、こうして川沿いを上流に上流にと沿って行けばいいということだ。
川沿いと言っても、石がゴロゴロしているところは歩きにくいので、少し距離は取っている。
川の水面に目をやると、ときおり上流から葉っぱや花びら等の山の植物が流れてきた。
これこれ、こういうのだよ!
こういうのんびりと旅するのがよかった!
小さい頃の私は、バトルシーンがない漫画とかは読めないくらいの性格だったけど、今はやっぱり大人になったということなんだろうな、のんびりするのが好きだ。
しかも一人じゃないのがすごく嬉しい。
「かわのけしき、キレイだね」というと、「そうだな……」と返してくれる人が居る幸せといったらない。
アンタローはすっかりユウの頭の上で落ち着いたようで、よく二人でわちゃわちゃとやっている。
「なあアンタロー、てぶくろ、を反対から読んでみろよ!」
「ぷいぃいい? て、ぶ、く、ろ?」
「違う違う、手袋の、反対読みだってば!」
「て、ぶ、く、ろ??」
「違うだろ、ろくぶてだってば、ろ、く、ぶ、て!」
「ぷいぃいいいっ!!(怒涛の六連攻撃)」
「バカなッ、こいつ、わかってて…!?」
ユウがちょっかいを出す相手が私からアンタローに移ってくれたのは本当に良かったな…と思いながら見てしまう。
「ツナ、大丈夫か……疲れたら言え……絶対だ」
「だいじょうぶ、たのしいよ!」
マグの定期検査にも慣れてきた。
一体何と戦っているのかというツッコミが来そうだが、勝ったな! と叫びたいくらいの充足感を感じる。
そこから30分くらい進んだ頃だろうか。
私は進行方向に、やたらもわもわと土煙が舞っていることに気づいた。
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「……? なんだ……? おいユウ、止まれ」
異変に気付いたマグが、鋭く声を投げる。
「へ? どうした、マグ」
きょとんとするユウを横目に、マグは私を後ろに下がらせるようなジェスチャーをした。
「念のため……戦闘準備をしろ……」
すぐにユウの顔つきが引き締まる。
ユウは無言でアンタローを私の頭の上に乗せてから、剣を抜きながら前方を観察した。
「なんか…来てるな。なんだ?」
ドドドドドドッ、という地鳴りが遠くから響く。
それが聞こえてき始めたと同時に、ものすごい速さで大量の影が近づいてきていた。
「……魔物だ! ダメだ、数が多い……逃げるぞ!」
咄嗟にマグが戦法を変える。
私を片手で抱き上げて、方向転換をした。
「ちっ、確かにあの数は、ツナがヤバいか…!!」
二人で川から離れるように走り出した。
「いやダメだマグ、この方角! アイツらの向かう先、メッシドールじゃねえか!!?」
「……ッ!?」
ザザザとユウが摺り足でブレーキをかけた。
「マグはツナを連れて逃げろ、俺はここで食い止める!!」
「おい、ユウ!」
ユウが一人で魔物らしきものの群れに方向転換をした。
その頃にはもう、土埃を上げている群れの姿が目視できるくらいの近さにあった。
「!」
私は息を呑む。
大群の正体は、軽自動車くらいの大きさの、シャコの群れだった。
ドドドドドドドドッ!
「ぷぃいいいいい!!?(もろもろ、もろもろっ)(恐怖の粒漏れ)」
アンタローは私の頭上で硬直すると、恐怖に毛をぞわぞわと逆立てながら、もろもろと粒を吐き出す。
こ、これは、これは私も怖いよ!!
だって昔から思ってたもん!!
エビとか、人間くらいの大きさで、道路をぴょんぴょん跳ねてたら絶対怖い外見だよね!? って!
それが、よりによってシャコだよ!?
うちはおじいちゃんがシャコを食べるのが好きだから私も食べてたけど、大きくなって外見を知ってびっくりしたもの!!
エイリアンじゃん! って!
ドドドドドドドッ!!
多肢生物の強みなのか何なのか、マグがユウに加勢をするか私を逃がすかで、ほんの数秒逡巡しただけで、もう彼らは目の前に来ていた。
それくらい足の速いのが、100匹は居る。
「マグ、わたしはいいから、ユウをたすけて! しんじゃう!」
シクった、私も恐怖で体がこわばっていて、マグにそう告げるタイミングが遅かった!
いや本当に怖いよ! どんな生き物も自分より大きいってだけでこんなに怖く感じるの!?
「おらあぁあああああッッ!!」
ザブンッ!!
ユウの大剣の一振りで、3匹くらいのシャコの破片が空に飛び散った。
だが100のうちの3が減ってどうなるというのだろう。
とでも言いたげに、他のシャコがユウに飛び掛かった。
「ツナ、耳を塞げ」
ガァンッ!! ガァンガァンッ!!
マグは私にそう告げると同時に銃を撃ち、ユウに襲い掛かった3個体の脳天を、それぞれ綺麗に打ち抜いた。
「……っ!」
耳を塞ぐのは間に合った。
間に合ったけど、近距離すぎてお腹に響く轟音と、そして銃の反動を抑え込むマグの体の力みが伝わってきて、私はいつの間にか物凄い冷や汗をかいていた。
頭上のアンタローは、ぎゅっと目をつむってぷいぷいと震えている。
「マグ、わたしを、はなして! かたてじゃ、むりだよ!」
M500は確か、弾が5発しか装填できないはずだ。ハンドリロードもなしじゃ足りなさすぎる。
焦りと共に私はマグの腕の中で暴れた。
「バカ、死にたいのか……! 魔物は本能的に……弱いものから狙う……今ツナを手放したら……見殺しと同じだ」
「くっそ、コイツら、甲殻類…!! ムダにカテーんだよ!!」
普段と切れ味が違うのだろう、ユウが弱音のような悪態をつきながら、剣でシャコの攻撃を弾いたついでに一匹を串刺しにし、その死骸を力任せに群れの中にぶん投げて侵攻の邪魔をする。
ガァン、ガァンッ!!
マグは頑として私を放さず、弾を撃ち尽くした。
「ぎぢぢぢぢっ、ぎぢぢぢぢ!!」
シャコは、顔の横のよくわからないビロビロしたものを震わせて妙な軋み音を出し、何体かがマグの方へ向き直った。
「おい、そっちに行くな!! こっちに来いよ!!」
ユウはまた何体かを同時に斬り上げながら、焦ったように自分から離れていくシャコたちを見た。
ユウの顔は、魔物の緑色の返り血でぐしゃぐしゃになっている。
どう見てもシャコだけど、血が緑色ということは、やはり魔物なのだろう。
私の耳に、ストンという、ホルスターに銃を納める音が響いたと同時に、すでにマグの手の中には、入れ替えられたもう一丁の銃が握られていた。
ガァンッ!! ガァンガァンッ!!
マグは舌打ちしながら、シャコの脳天ではなく、胴体を撃っての貫通弾狙いに切り替えた。
銃声一度につき、数体のシャコが倒れていく。
致命傷を狙えずとも、なるほど生物とは繊細なもので、足の数本を削がれただけで動けなくなるものもいる。
常人では成し得ないような二人の奮闘でも、まだ半分はシャコが残っている。
ユウは喉をヒューヒューと鳴らして息も荒く、マグは残りの二発を撃ち尽くした。
こんなに?
たった数瞬の迷いと怯えで、こんなにも詰め将棋みたいに追いつめられるものなの?
――ヒュッ、トトトッ!
マグはいつの間にか銃をホルスターに収め、次に腕を一振りした時には、三本のスローイングダガーがシャコの額、喉元、腹と、一直線上に刺さっていた。
シャコは二度痙攣して、横倒しになる。
そのシャコにつまずいて、追手のシャコはもたついた。
「チッ、一体につき三本……は、痛手だな……」
「マグ、もういいから、わたしをはなして! ひとりで、にげられるから!」
マグは何も答えなかった。
「はああぁあああッッ!!!」
ザブン、と波がかかるような音を立てて、またユウがシャコ三体を横一文字に薙ぎ払った。
最初の頃は一撃のうちに真っ二つにしていた個体もあったはずだが、今ではもう、深く切り込みが入っただけのシャコの死骸が転がっていく。
ユウも疲れているのが見て取れた。服もシャコの緑色の体液でぐちょぐちょだ。
シャコの一撃を避ける足取りも、ふらついて見える。
「はあ、はっ、くそっ、あとちょっと……かな!!」
ユウは自分を奮い立たせるように、わざと大声を出した。
「だから、マグは、ツナを連れて、逃げろ、巻き込む気かよ!!」
「………く………そっ!」
置き土産と言わんばかりに、マグはまたスローイングダガーを投げ、一体を倒した。
その顛末を見る前に、すでにマグは反転し、駆け出していた。
「やだやだ!? マグ、もどって! ユウひとりじゃムりだよ!」
私がマグの腕の中で暴れても、マグの腕はびくともしなかった。
最初に100体居たことを思えば、あとはもう20体くらいなのに。
途方もない地獄絵図が目の前に広がっているようにしか感じられない。
多肢生物の足の速さが、逃げ出すマグを数匹単位で追尾してくる。
ユウがシャコの一体を斬り下ろしで倒したと同時、残りの数体が一斉に飛び掛かり、ユウは頭を横殴りにされて大きく吹っ飛んでいくのが見えた。
「―――っっ!」
私はユウの名前を叫ぼうとして、喉が引きつってしまい、息を呑むだけで終わった。
それを受けて、マグは、ユウの方を振り返ってしまった。
糸が切れたように、地面に転がるユウの姿。
目の前の光景に、マグが驚愕した、たったその一瞬で距離を詰められ、
「―――ツナッ!!」
マグが私の上に覆いかぶさる。
バッ、と私の視界の端に、赤い血が飛び散った。
私を庇ったマグの肩の肉を、シャコが食いちぎったのだ。
そして、
<・・・・・パラ・・・・・>
「なあアンタロー、てぶくろ、を反対から読んでみろよ!」
うららかな午後の日差し。
川のせせらぎ。
ユウの明るい声。
私はその場に立ち尽くして、ドクン、ドクンとうるさい心臓の音を感じていた。
<つづく>




