死を覚悟した日(下)
あれは小学校の時だ。
おじいちゃんが町内会の福引を当てて、新品のノート10冊を持ち帰ってきた。
「ナツナにやるわ、使いね」
当時から私は、真っ白なものが大好きだった。
それゆえに勉強机の中には、少ないお小遣いで買い集めた真っ白い自由帳やノートたちを、手つかずのまま、しこたま溜め込んでいた。
その宝物以外の、いわば臨時収入のような10冊のノート。
おじいちゃんのためにも、せっかくだから何かに使いたい。
そう思って、小説を書くことにしたのだった。
ちょうど足元には、母の植物図鑑があるから、登場人物の名前には困らない。
山茶花はユーレタイドというらしい。
マグノリアと紫蘭なんて、ちょっといじれば名前になりそう。
私だって、夏の菜っ葉でナツナだし、もう自分を出してしまえばいいんじゃないだろうか。
そんなちょっとしたきっかけ達が積み重なり、私は小説を書き始めたのだった――
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間違いない、これはあの時書いた小説だ。
どうせ誰に見せるでもないし、勢い任せにただただ文字を垂れ流しただけの小説のため、一度も読み返したりしていない。
ぽつぽつと思いついたときに文字を書き足していたため、最後に文章を書いたのは高校生のテスト期間の時くらいじゃないだろうか?
日々の生活の忙しさもあり、こんなこととっくに忘れていた。
うわあああ
うわあああああああああああああああ
なんで思い出しちゃったの!!!?
いま、もうれつに、はずかしい。
自分を登場人物にしてるよ!!?
しかもうっすらと思い出してきてるけど、これ登場人物がみんな私のこと好きなやつじゃん!!!
夢小説っていうんですか!!?
だって、ちやほやされたいじゃない!?
私がゆとりだからかもしれないけど、ひたすら自分を甘やかしてくれる世界がほしかったんだよ切実に!!!
それにこの頃少女漫画というものを読んだことがなかったので、なんていうか、憧れが凄いこじれてたんだよね!
まあ好きって言っても小学生の好きだから、どうこうなるとかはないんだろうけど、それにしたって恥ずかしいわ!!!!
どういうこと!? 何が起こっているの!?
ほとんど黒歴史の自分の小説が目の前で再現されてるとか、稀代のサディストでもなかなか思いつかない拷問じゃないか!?
先ほどまでの自分の能天気思考ですら恥ずかしくなる。
なにが人生楽しんだもの勝ちだよ、楽しんでみろよ!!!?
そういった、ぎゃーという感情が一気に私の頭の中を駆け巡り、パンクしそうな熱量を抑えきれず、私は頭を掻きむしるようにして駆けだした。
「あ、おい、どうした!?」
ユウが驚いたように立ち上がる。
そうだった、私は今、介抱を受けているところだった。
でももう、ムリだ!!!
恥ずかしすぎてユウとマグの顔を直視できない。
サルのように顔を真っ赤にして、川上へと走り去る。
ドサッ!!
途中で草に足を取られて転んだ。
手足がいつもよりも短いから、勝手が違って、もつれてしまう…!
すぐに起き上がり、べそをかきながらまた走る。
打ったところが痛い…
痛みがある…夢じゃないのかな。
でも、痛みもなんだか、風景と同じでぼやぼやしている。
もう、意味が分からない。
――ガッ!
唐突に、誰かに腕をつかまされた。
振り返るとそれは、息を切らしたマグだった。
振り払おうと必死に腕を振るが、子供の力では全く敵わない。
「……落ち着け……」
優しく、諭すような声音だった。
ワンテンポ遅れて、ユウが追い付いてきた。
「大丈夫か!? ごめんな、驚かせちまったんだよな?」
「オレたちは……怖いことしない……」
二人が交互に声をかけてくる。
ひいいい、も、申し訳ないいいいい!!
かわいそうな二人!!
中身がこんな、自分を小説に登場させるようなイタイ女だとも知らずに!!
あなたがた私に関わると、今後高確率で私をちやほやすることになるんですよ!!
うわっ、ダメだ。
子供の身体のせいか、感情が制御できずに、ぼろぼろと涙をこぼしてしまう。
案の定、動揺する二人の気配が伝わってくる。
マグがためらいながら、掴んでいた私の手を離すと同時に、ユウは私の頭をゆっくりと撫でてきた。
「なんかビックリさせちまったんだな、そりゃそうだよな、自分よりでかい男二人にいきなり囲まれてたわけだもんな」
そうじゃないし、そこじゃないけど、説明もできない。
なんとか泣き止もうと目元をごしごしこする私の様子を見ていたマグが、ふと思いついたように言葉をこぼした。
「……ひょっとして、言葉が……通じてないのか……?」
あっそう来たかあ。
いや………
でも、正しい流れなんだよね、これ。
どうしよう、もうこのまま行っちゃうか。
試したいことでもあるし。
私はしらじらしく、そっと首をかしげて見せた。
「おお、それっぽいな」
ユウは、謎が解けたすっきり感を隠しもせずに、こちらを見下ろしてくる。
「……あと少し行けば街だから……とりあえずそこまで……連れて行こう」
「そうだな。けど道中、呼び名がないと不便じゃないか? なあ、俺が名前つけてやっていいか?」
「いいけど……犬の名前とか、付けてやるなよ……」
「げっ、なんでわかったんだ!?」
「……何年の付き合いだと……思ってるんだ……お前の考えることくらい……お見通しだ」
「だったら俺のレパートリーの少なさだって知ってるだろー。ってことで、名前はナツナで決まりな! なー、ナツナ~」
まるで漫画の中の出来事のような二人の掛け合いをぼんやりと眺めていたら、ぽんぽんと頭をたたかれた。
うーーん、やっぱり似たような流れになっちゃうんだなあ。
ということは、次は…
「ほら、おぶってやるよ、乗りな」
ジェスチャーを加えながら、ユウがしゃがみ込んで背中を見せてくる。
私は戸惑いがちに、よいしょとおんぶしてもらう。
「うっわ、軽いな!? ナツナ、ちゃんと背中に乗ってるよな?」
今度のユウは、言葉の通じない私ではなく、マグの方を見て確認している。
「ちゃんと居るよ……いちいち大げさ……」
マグは呆れたように先を歩きだした。
「おー、んじゃ、しゅっぱーーつ! ちゃんとつかまってろよな、ナツナ!」
そう言って、なつこく笑いかけてくるユウの背中に、私はしっかりとつかまって……
…………
……………………
…………。
覚悟していたページをめくるような音は、鳴らなかった。
やっぱりそうなのか……
昼下がりののんびりとした川辺の風景が横目に流れていく中、しかし私の心の中はズーーンとした絶望で満ち溢れていた。
どうしてあの音を嫌な音に感じたのか。
それは、私がなんとなく本能で理解していたからだろう。
あれは、ダメ出しだ、と。
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一体どういった原理なのかはわからないが、ここは私が小学生の頃に書いた小説の中の世界で、そしてその小説と同じ流れにならないとダメ出しがでて、ページを戻されてしまう。
今までの流れを考える限り、たぶん、これであってる。
とんでもないわこれ!!!!
いや、それよりたまたま最初の方を思い出せたからいいけど、展開が思い出せなかったらどうすればいいの!!!?
阿鼻叫喚の無間地獄に近しくないか!!?
私にはそれほどの罪があったというの!?
ユウの背中に揺られながら、ぐるぐると色々考え事をする。
正直、このナツナの設定も、ユウとマグの設定も、恥ずかしすぎて詳しくは思い出したくない。
いや、正しくは設定が恥ずかしいとかではない。
だって私はファンタジーとか大好きだし、小説も大好きだ。
他人の頭の中を覗けるような感じで、どんな設定でもどんな文章でも、うわーよくこんなの思いつくなあ、と尊敬交じりに大歓迎する。
でもそれが昔自分が考えたものとなると話は別じゃない!!?
これが恥ずかしいのって私だけなんだろうか!?
…いや、そうかもしれない…。
だって漫画家も小説家も、自ら進んで自分の作品を後世に残しているんだもんね!?
ううううう…
でも、しっかりと内容に沿わないと、待っているのは同じことの繰り返しだけだろうし…
それの何がキツイって、ユウとマグは何一つ悪くないのに、一歩間違えれば、同じことばかり言う彼らをウンザリと嫌いになってしまうかもしれないってことだ。
いい人たちだからなあ…それだけは避けたい。
自分が書いた小説の内容をほとんど覚えていないので、なんだか他人事みたいに彼らへすんなりと好意を抱いてしまう。
よし、気持ちを切り替えよう。
私が覚えている内容を整理すると、このナツナはユウたちとは言語体系が違い、記憶もないということ。
一体何に影響を受けたんだ、小学生の私よ…ここからは演技地獄が待っているじゃない!!
幸い、高校で私は演劇部だった。
どうせ誰に見られているわけでもないし、もう開き直って頑張るか!
そうだよね、こんな体験二度とできないよ! まあ二度とやりたいとは思わないけどな!!
「ユウ……ナツナに話しかけてやれ……」
しばらく行ったところで、ポツリとマグが提案してきた。
「ええ? そりゃ構わんが、言葉が通じねーんだぞ」
「だからだ……せめてこの時間だけでも……学習に使ってやれ……街に置いていくにしても……最低限の言語は知っておかないと……誰に騙されるか……わかったもんじゃない」
や、優しいいいいいいい
ついつい感動に身を任せていたが、ふと我に返る。
あれ? こんな細やかなシーンってあったっけ?
もうぺージをめくったら街についてる場面だったような気がするんだけなあ。
うーーーん…
と、そこまで考えて、そりゃそうかと思い直す。
ページの隙間にも物語はあるのだ。
いきなりワープみたいな場面転換じゃなかったわけだし、当然あってしかる場面だよこれは。
「確かになーー。マグは必要以上に喋るキャラでもねーし、よし、俺が教えてやっか!」
暇つぶしを見つけた子供のような表情で、ユウはちらちらと背負っている私を振り返りながら、堰を切ったように話しかけてきた。
「ナツナ、名前ってわかるか? ナ、ツ、ナ、ほら、言ってみ?」
「な…ナ、ツ、ナ!」
私はありがたくその提案に食いついた。
これだったら、しばらくしてカタコトで喋っても不自然じゃなさそう。
ちょっと天才児過ぎる気もするけど、まあいいよね、物語だし!
ユウはものすごくおしゃべりが好きみたいで、「助かるぜマグは全然話し相手にならねーし」、等の愚痴も交えてそこからノンストップで色々な話をしてくれた。
マグは時々、私が眠くなっていないかどうかを確認するように、さりげなくこちらを見てくる。
いいコンビだなあ、とか、これが私が書いた話じゃなければ手放しで褒められるのに……全てが自画自賛に帰結するってトホホだよね。
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たどり着いた街の夕暮れ模様も、不思議となんだかぼやぼやとして見える。
うーーん、このぼやぼや感はなんなんだろう?
しかしこの疑問には、ちょっと考えるだけですぐに思い至る答えがあった。
私の想像力の問題なんじゃないか?
思えば小学生の私に高度な情景描写ができるとは到底思えない。
ここだって、「街がある 人がいる」の二言で終わらせている可能性が大変高い。
つまりこれは、ぼやぼやというよりは、手抜き背景みたいなものなんじゃないだろうか。
書いているのが自分だとわかるだけで、こんな情けない真実が見えてくるなんて…
ということは、ひょっとして私が美少女なのも、私のキャラクターイメージが貧困だからなのかな。
うろ覚えだけど、確か心理学か何かで、人間が魅力的に感じる顔というのは、目鼻の位置が平均化された場所にある顔立ちだっていう話を聞いたことがある気がする。
マンガの線とかも、下書きの方が上手に見えるのは、たくさん重ねられた線の中から、平均的な線を脳が勝手に拾い上げるから、ペン入れしたものよりも上手に見えるとか何とか。
これは私の偏見だけど、歪んだ線というか、個性的な顔立ちというのは、プロの絵描きさんとかにしか表現できない気がしてるんだよね。
だからこの世界にはたぶん、あんまり個性的な顔立ちの人っていないんじゃないだろうか。
つまり、今の私が美少女である理由は、私が非常に無個性で平均的な顔立ちをしているせいじゃないか、という話だ。
………。
なんだかそれはそれで悲しくなるので、やっぱりフィクションだから私は美少女ということにしておこう。
「よっしゃ着いたーー!」
ユウの声に、ハッと考え事から意識を戻す。
門番と2、3言のやりとりがあっただけで、街の中にはすんなりと入ることができた。
さすがアフター魔王、平和だなあ。
まあたぶん、私が戦闘シーンとか書けないという理由で平和な世界なんだろうな…。
「ほらナツナ、自分の足で歩きたいだろ」
そう言って、ユウは私を背から降ろしてくれた。
物珍しさからきょろきょろしてしまったので、気を使ってくれたんだろうな。
「まずは宿をとるか! と言いたいところだが…」
「……先に牧師のところへ行こう……ナツナのことを相談しないと」
「だな」
二人は慣れた様子で街の中央に向けて歩いていく。
この街に来るのは初めてじゃないのかな? と思いながらついていくと、なるほど、街の中心には当たり前のように街の案内看板が立っていた。
どの街でも、冒険者はここで宿屋や教会の情報を得ていくパターンなんだね、よくできてるなあ。(手前味噌)
「こっちか」
指で案内板をなぞっていたユウが、先を歩きだす。
やはり二人の歩調は私にとっては早くて、置いて行かれないように必死についていった。
時折マグが、私が追い付くまで立ち止まってフォローしてくれる。
マグかっこいいなーーー。こういうことがサラっとできるのはかなりポイント高いよ。
本当に、なんで思い出しちゃったんだろう。
私が書いた小説っていう前提がなければ、素直にきゅんきゅんできたのに!
教会にたどりつくと、ちょうど夕のミサの準備が終わった牧師が、庭先で一息ついているところのようだった。
「あ、牧師様、お忙しいとこ失礼しまーす!」
ユウは手際よく事情を説明して、牧師の前に私を押し出す。
柔和な顔立ちの牧師は、私の方を見ると少し驚いたように目を見開いた。
「これは……」
「俺らは旅を生業としてるんで、この子を連れ歩くか、それとも教会に預けていくのが正解か、少し測りかねてて…って状況なんだ」
「なるほど、言葉もわからずとくれば、どちらを選んでも不安がありますね…」
そう言って、牧師は難しい顔で私を見ている。
「しかし今回の件に関しては、迷う必要はないでしょう。冒険者様、どうかこの子の手を片時も離さず、傍に居てさしあげなさい」
「……なぜ?」
いつも平坦な様子のマグが、珍しく声音に驚きをにじませている。
「この子の髪の色をごらんなさい。黄昏の中ではまだわかりにくいでしょうが、うっすらと光り輝いているでしょう。あまり広くは知られていませんが、これは魔力を持つ者特有の輝きなのです」
「魔力って…ナツナは魔法が使えるってことなのか!?」
驚くユウに牧師は神妙に頷いた。
「はい。我々のような一般の者でも、触媒を使えばある程度の奇跡は起こせます。しかしこの子は違う。自らの力でもって、なんらかの魔法を使うことができるでしょう。そしてそれは、見る人が見ればわかるのです。私のような牧師から、裏家業の者まで」
「……つまり、街にいると……」
「間違いなく、よからぬ輩に攫われてしまうでしょうね。それほどマジックユーザーは珍しい」
ちなみに、この言葉に一番驚いているのは他でもない私だった。
ええええええええええええええええええええ
うわああああああああああああああああああ
そ、そうくる!!?
そういう設定で来る!!!?
なにこれ、私に選民思想でもあったということ!!?
いや、でもわかるよ!!
正直、好みだよこの流れ!!!!
流石私だよ、私のツボをよくわかっていらっしゃる!!
三つ子の魂百までっていうけど本当だね!!?
だっていいじゃない、この特別感!
うわーーー、うわーーー
きたきた
きたきた、恥ずかしさが…っ!!!
ナツナチャンスゴーイってよっぽど言われたかったんだろうね…っ!!
「へええ、ナツナ、お前すげーじゃん!!」
やめて!!!!!!!!!?
ユウが無邪気にトドメを刺しに来る。
「じゃあ一緒に旅をしながら、ナツナのことを探してる親でも見つけるしかねーか…」
「いえ、母親を名乗るものが現れたとして、くれぐれも鵜呑みにせず、細心の注意を払ってあげてください。私も職業柄、いろいろな話を聞くもので…」
「……大丈夫だ……ナツナと言葉が通じるかどうかで……だいぶわかるはず……」
「おお、そうか、そう考えっと今俺らが言葉で通じ合えねーのもイイコトだなあ!」
マグとユウはいつも通りに会話を続けるが、私はなかなかそれどころじゃない。
ここに壁があったら、私はウッとなる勢いに任せてバンバン殴っていただろう。
「大変参考になりました、主よ、捧ぐ供え物数ならねど受けたまえ――」
ユウは決まり文句を添えながら、牧師を通して献金をしている。
牧師は十字を切ってそれを受け取った。
その後、お互いにこう言い合う。
「NEMA」
「NEMA」
噴いた。
ネマって。
あー逆さ読みか、ちょっと変えてきたね!!?
そこ異世界感出しちゃったの!!?
なんか…なんか中途半端だよそれ!! やめてよホント、私!!!
もうこの一日で何回死にたくなったかわからないよ!!!
このまま先に進めば、私は自分の書いた小説に殺されてしまうんじゃないか!?
夢小説に、殺される!!(心が)
<つづく>