ラズの話
わたしの名前は、ナツナ。
これはユウがつけてくれた名前で、本名はラズベリーっていうよ!
「早く明日にならないかなーー」
「ナツナ様、よほど楽しみなのですね、もう何度目かの台詞ですよ? とはいえ、実は私も楽しみです。サーカスなど、見たことも聞いたこともないものですからね」
ルグレイが、微笑ましいものを見るような顔でそう言った。
ルグレイは、わたしの自慢の騎士だ。
ルグレイが褒められたりすると、わたしまで嬉しくなる。
でもルグレイは、たくさん褒められると、大体「滅相もない」とか言って、謙虚になってしまう。
だからルグレイに対するわたしの課題は、ルグレイを褒めちぎりたい衝動をいかに抑えるか…が主だったものになってしまう。
「それもあるけどね、フィカスも久しぶりに一緒に行こうって話じゃない? 緑化してからフィカスは忙しいばっかりで、なかなか長時間一緒に居られないから、ちょっと嬉しいんだーー」
うきうきしながらそう言うと、ユウが口を挟んできた。
「フィカスも楽しみらしくってさ、なんでもVIP席? とかいう特別席が用意されてるらしいなー、おかげでツナが観客に挟まれねーかを心配しなくてもよさそうだ」
「お前それ……フィカスが秘密にしておけと言っていただろう……ツナを驚かせたいからとかいう理由で」
「やべっ、そうだった!!?」
ユウの様子に、マグはやれやれといった感じだ。
ユウのうっかりなところは、何年経っても直らない。
そういう意味では、わたしはユウのことをいつも心配している。
一人で生きていけるのかな…という感じで。
わたしより強いし、体力もあるのに、しっかりしてないってだけで、こんなに不安になるなんて。
でもたぶん、マグが隣にいるから、ユウはこうなんだと思う。
甘えちゃうんだよね。
わたしもついついマグに甘えてしまうので、気持ちが緩んでしまうのはよくわかる。
マグの方も、わたしたちが頼りにならないから、しっかりしようとしてる、とかいうわけじゃないと思う。
わたしたちの甘えがわかっているから、期待に応えようとしちゃうんじゃないかな。
「ぷいぃっ、特別アンタロー席もありますか? それとも、粒漏れ席のほうですか?」
アンタローも、わかってないなりに、興味津々だ。
アンタローは最近、いい子になってきている気がする。
昔は自分のやりたいことばっかりをマイペースにガンガンやってるだけだったのにね。
精霊も年月を経ると、成長するってことなんだろうか?
わたしの育て方がいいから、っていう理由だったらいいなーー。
まあ、育てた実感はないんだけど…。
「アンタロー様の特等席は、いつもフィカス様の頭の上ですからね。もし普通のお席が用意されているなら、気分転換になるかもしれませんね」
ルグレイはニコニコとアンタローに返事をしている。
フィカスかあ…。
フィカスは、なんだか難しい。
すごく堂々と接触してくるから、わたしも、と同じようにやってみたら、すごくこわばって緊張した感じが伝わってくる。
難しい…というよりも、実は繊細なのかもしれない…?
とはいえ、わたしにとっての世界はユウたちしかいないから、フィカスが難しいのか、それともあれが普通なのかはよくわからない。
繊細と言えば、ハイドもそうだ。
今頃、どこで何をしてるんだろう。
そんな風にわたしが思っていたとしても、「放っておけよ」と突っぱねられそうなんだけど…なんだかハイドは放っておけない。
外の世界には、いろんな事がある。
楽しいとか、すごいとか、そういうものだけじゃなくて、怖いとか、悲しいもたくさんある。
ときどき、思考が追い付かなくなることもある。
たぶんこれが、トロいということなのだろう。
テルミドールで、図書館という場所に案内された時、外の世界に存在しないものは、無いんじゃないかとさえ思った。
だって、本ですら、あんなに読み切れないほどあるなんて。
人の数は、もっともっとすごいってことだ。
この世界に飽きた人は、人生に飽きた人なんじゃないかな、なんて思ったくらいだ。
情報量もそうだけど、色彩の多さもびっくりした。
話し声、虫の声、鳥の鳴き声、ずっと聞いていても聞き飽きない。
同じ日は全然なくて、日差しが強い日や、風が心地いいときもある。
雪なんて、眺めている分にはこの上なく優しいのに、触ってみたらとても暴力的な冷たさで骨を軋ませてくる。
毎日が目まぐるしくて、ときどき、自分がどこに居るのかわからなくなりそうになる。
そんな時、わたしは、自分がジャムの瓶なのだと思った。
お砂糖と果実とを煮詰めて、蓋をされたジャムの瓶。
だけど、そこに張られたラベルは、自分では読めない。
わたしは一体、何の果実から作られたジャムなのか。
教えてくれるのは、外側からラベルを読める、わたし以外の人だ。
ひょっとしたら、ジャムですらないのかもしれない。
昔は、この瓶の中には、何も入っていなかった。
少しずつ、中身が増えていく。
それが、わたしの世界なのだと思う。
「姫様、また考え事ですか?」
ルグレイの声に、ハっと意識を引き戻された。
「あ…ごめん、ちょっと、ぼーっとしてた」
「ツナは何か、俺が闘技場に出たあたりから、ぼーっとしてることが増えたよなー。まあ、最近はゆっくりできてるってことなんだろうけどさ」
ユウが心配そうに、顔を覗き込んできた。
「無理もない……今までが刺激的過ぎたからな……平穏な日常を続けられて……気が緩んでいるんだろう……オレとしては喜ばしいことだが……」
マグは心配というよりも、複雑な感じの表情だ。
「ン……。自分でもうまく言えないんだけど、…隙間? がある感じ…? ミルクティーだったものがね、ミルクだけになったみたいな。だから、自分の考え事に集中できるっていうか…。外の世界はいろいろあるなーって…。今更だけど…わたしは、わたしの心境まで手が回ってなかったのかな…?」
自分で言っておいて何だが、本当にうまく説明できなかった。
でも、誰も変な顔はしなかった。
それどころか、ルグレイは嬉しそうに笑っている。
「姫様、今からそんな感じでは、明日なんてどうなってしまうか、心配になってしまいますよ」
「あ、そうだね、サーカスだもんね!」
また明日へのワクワク感に軌道修正する。
ユウが、からっと晴れやかな顔で笑った。
「つっても、俺らもなんだかんだで初めてだからなー、お揃いだぜ、お揃い! ピンの旅芸人は見たことあるんだけどさ。あ、ツナ、絶対はぐれるなよ? ツナはチビなんだから、人ゴミに紛れるともうアウトだからな?」
「もーー、わたしが小っちゃいんじゃなくて、みんなが大きいの…!」
ユウはすぐにわたしをチビ扱いしてくる。
でも、わたしは同じ年頃の女の子と話したことが無いので、自分の大きさがどうなのかの基準もわからない。
冷静に考えてみると……。
やっぱり小さい頃からずっとお日様の光も浴びずに、食べ物もほとんどリンゴばっかりだった生活を考えると、成長不良の部分はあるのかもしれない。
人間の中では仕方が無いとしても、フェザールの中でもチビだったら嫌だなあ。
「はぐれた時のために……待ち合わせ場所を決めておく必要があるか……」
マグは準備に余念がない。
「あとは、早めに寝ませんとね。ナツナ様はきっと寝付けないでしょうから」
「となると……そろそろ夕食の準備だな……」
ルグレイの言葉に、マグがのっそりと立ち上がった。
「う……」
わたしは、予定を早められるのが苦手だ。
というか、一日を狭められるのが、なんとなく嫌だ。
なんだか、焦る。
今日が終わっちゃうって思っただけで、やだなって思う。
寝て起きたら、あの部屋に戻っているかも、なんて恐怖がある、…とまではいかないんだけど…。
もっとサーカスの話をしていたいような。
でも、明日の楽しみに取っておきたいような。
前にフィカスが、ちらっと空中ブランコっていう単語を出していた。
ブランコって何だろう?
とかとか、そういうの、話題には事欠かないんだけど、やっぱり知るのは明日にしておきたいような…。
頭の中がうじゃうじゃする。
ふと視線を上げると、マグがじっとわたしのことを見ていた。
でも、急かしてこない。
…たぶん、わたしが何を考えているか、わかってるんだ。
「ツナさんツナさん、ボクをぎゅっとさせてあげますよ!」
アンタローがぴょーんと膝の上に乗ってきた。
「もうっ、アンタロー、ごはんの準備するって言ってるのに…!」
そう言いながらも、ついアンタローを撫でてやる。
アンタローは、ぷいぷいと目を横線にしながら、気持ちよさそうにしている。
アンタローは、何も考えてないように見える。
そのほうが、なんだか、毎日を上手に過ごせるんじゃないかな…と思った。
わたしは、ヘタクソだ。
いろいろ、ヘタクソ。
でも、誰もそれを責めない。
また、ぐるぐると考え事をしそうになっていると、マグがアンタローをひょいと持ち上げ、ユウの頭の上にそっと置いた。
「ツナ……。昨日という日は……もう固定されてしまって……どうしようもできない。だが……明日という日をより良くするために……今日を動くことはできる……」
「マグ……」
考えを見透かされているような気持ちになって、驚きに目を見開いてマグを見る。
しかし、横合いからユウの不満そうな声が入ってきた。
「マグさ、俺の頭のこと、アンタロー置き場か何かだと思ってねーか…?」
「別にいいだろう……他に使い道があるわけじゃなし……」
「お前な…!?」
「ぷいぃ、落ち着きます……まったりです…」
いつものように、ユウとマグがわちゃわちゃやり始めた。
すると、ルグレイがわたしの手を取って立ち上がらせる。
「さ、姫様、行きましょう。今日のご飯も楽しみです。大丈夫ですよ、まだまだたくさん、明日があるのですから。その明日の中には、怯えていた今日を振り返って、『あの時はあんなことを怖がっていたんだな』と、ほのぼのと思い返す未来だってありますよ」
ルグレイは、マイペースににこにこしている。
わたしも釣られたように、にこっとした。
「……うん、そうだね!」
いつも、大事に過ごそうと思ってるのに、すぐに一日が終わってしまう感じだったけど…。
でも、一個ずつ、ちゃんと記憶に刻みながら、生きていこう。
貝殻を拾って、瓶の中に詰めていくみたいに。
そう、わたしは決意だけは一人前なんだ、決意だけは!




