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夢小説が、殺しにくる!?  作者: ササユリ ナツナ
終章 昨日、今日、そして明日
149/159



 私の名前は、ナツナ。

 将来の夢は、優しいおばあちゃんになること。

 なりたい職業は、特撮のスーツアクター。


 スーツアクターってどうやったらなれるのか、全然わからないけど、たぶん、体育大学とか行ったり、養成所とか行ったりすればいいのかな? という、ふわっとした感じでいた。

 とりあえず、それまでにバイトとかをして、お金を溜めておかないとなあ。

 中学校の時から、そういう予定を立てていたので、お小遣いはなるべく使わずに、コツコツと溜めていた。


 私は小さい頃からたくさんの習い事をさせられていて、結局何も身につかなかったと思っていた。

 ところがどっこい、運動神経と、そこそこ引き締まった体は手に入っていた。

 そして、健康な肉体も。

 だから、純粋に、何の憂いもなく、夢を追いかけることができる。

 演技力とか発声練習とか必要かな? と思って、高校では演劇部と放送部に入った。


 そこそこ順調に人生が進むんじゃないかなって思ってた。

 17歳の春までは。


 17の時、いきなり春の健康診断で引っかかった。

 何の前触れもなかった。

 だって、最後に風邪を引いたのは、小学校の時だ。

 一体何なんだろうと思って、大きな病院に再検査に行く。


 その夏、私は夏休みを丸々、入院して過ごすことになった。

 夏の間練習できなかったので、決まりかけていた演劇の主役の話も無しになった。


 病院の先生に、難病の話をされた。

 初めて聞く単語だった。

 そして、長い病名だった。

 私はその時初めて、全然自分に縁が無いと思っていた厚生労働省という省を意識した。

 そこが、指定難病というものを発表しているそうだ。

 10万人に一人、という発症率の病気で、原因不明のものが、ずらりと並んでいる。


 なんでも、私はこのままでは、かなり不味いことになるらしい。

 その前にドナーさんから移植をすることができれば、なんとかなるかもしれない、ということだ。

 つまり、ドナーさんが見つからなければ、アウトということになる。


 お母さんと一緒に、ぼんやりと、説明を聞き終わった。

 部屋の外に出る。

 外に植えてある木々の葉っぱが、妙に綺麗に見えたのをよく覚えている。

 そこから、そうかー、そうか…という感じで過ごした。


 次の日、私は人生設計を考え直すことにした。

 よし、子供に遺伝するかもしれないから、まず、結婚は無しだ。

 相手より私が先に死ぬだろうから、恋愛も無しだ。

 スーツアクターは、どう足掻いても諦めるしかない。

 優しいおばあちゃんになる夢も。

 でも、結構平気だなあ。

 たぶん、そんなに本気でなりたいワケじゃなかったんだよ、きっと。


 平気平気、だって私は単純だからね。

 ゲームさえあれば、毎日楽しいよ。


 ドナーさんが見つかった時のために、やっぱり動けるうちにバイトはした方がよさそうだ。

 医療費は自分で払わないと。

 やっぱり大学ではバイト三昧かなあ。

 まあ、体を使わない、事務系の仕事しかできなさそうだけどね。


 ただ、意外なことで、私は日常生活に躓きを感じていた。

 なんと私は、病人になる方法が、まるでわからなかったのだ。


 担任に、病気のことは、親も交えて伝えていた。

 ただ、担任は、お給料をもらってるだけな感じの人で、親身になってくれるタイプではなかった。

 そのため、体育の先生に話が伝わっていなくて、私は普通に体育の授業をやらされた。


 まあでも、いっか、と思った。

 不幸中の幸いで、私の病気は、急性ではなかったので、まだ動けるし。

 だから頑張って体育をやったし、部活もやった。

 そもそも、「私、難病を患っていて…」とか、言ってもいいのかどうかも、よくわからない。

 言いふらすのは違うような気もするし…難しい。

 だから、普通に日常生活を続けた。


 そうすると、だんだん、色々と耐えられなくなってきて、授業中に寝てしまう。

 あと、休みも増えた。

 せっかく皆勤賞だったのにな。

 たぶん、内申点はボロボロだ。

 でも、病人ってどうすればいいのか、よくわからないから、普通に生活をするしかない。

 家に帰ると、玄関で倒れるように眠る日々だった。

 日々の生活で手いっぱいで、教会にも通う余力はなくなっていた。


 次に困ったのは、薬の飲み方だ。

 私が最後に飲んだのは、小学校の頃に処方された、甘いピンクの粉薬みたいなやつ。

 錠剤の呑み方が、本気でわからない。

 そもそも、物を噛まずに飲み込む、と言うことが、なんかこう…抵抗があった。

 こんなことなら、ビタミンのサプリとかを飲んでいればよかった…。


 私は、それはもう必死で修業した。

 たぶん、普通の人が聞いたら「バカだなあ」という感想しか抱けないようなことをやった。

 ケーキに薬を混ぜ込んで飲もうとしたりとか、本気でやった。

 何度も噛んでしまった。

 でも、噛んだらダメな薬とかがあるらしいので、絶対に良い子はやってはいけない修行だ。

 健康な人生だったことが、こんな形で仇になるとは…!!


 しかし修行の甲斐あって、ついに私は吐かずに錠剤を飲めるようになった。

 その代わり、オレンジジュースとかの、味のついた飲み物でしか飲めなくなってしまった。

 でも、あまりに嬉しかったので、幼馴染に自慢しに行った。

 「俺はコーラで飲めるけど?」と言われて、撃沈して帰ってきた。

 炭酸は、無理だ……。

 でもたぶん、薬の成分に影響が出るかもしれないので、水で飲まないとダメなんだろうから、私も、幼馴染も、良い子はマネしちゃダメな人種だなと笑った。



 そんな感じで、私の生活は、一変した。

 だから、今まで書いていた小説が書けなくなった。


 そもそも私にとっての小説って、楽しい気持ちで書くものだった。

 だけど、今、私は人生を楽しめないでいた。

 だから、どうしても、書けなくなった。


 でも、諦めきれない。

 何度もページを開いては、続きを書くのではなく、10冊目のノート後ろの方に、設定だけを書き連ねる毎日が続いた。

 だけど、あっという間に私は受験生になって、それもあきらめざるを得なかった。

 私は病気になってしまったけど、親は私を大学に行かせたいのだから。


 残念ながら、私の成績では、国立大学は無理だった。

 私大の補欠合格。

 その頃には、少しずつ、日常生活が辛くなってきていた。


 友達に、一緒に教職取ろうよと言われて、気軽にOKをした。

 ところが、そのためには、体育をクリアしなければならなかった。

 大学の体育館は別館で、遠くの山向こうにぽつんとある、という悲しい立地だった。

 頑張ったが、そもそも体育館にたどり着くことすらできずに、不可となってしまった。

 憲法の授業は筆記だからクリアできたのになあ…。

 小さい頃からあんなに好きだった体育が、今では私にとっての壁となってしまっていた。


 不味い、と思った。

 このままでは、無事に卒業できないかもしれない。

 母に恥をかかせるわけにはいかない。

 私は、動けるうちに全部の単位を取ってしまおうと決意した。

 1・2年で履修を取りまくる。

 隙間時間にバイトもやる。


 私なりに、忙しい日々を送った。

 だからだろう。

 もう、小説のノートを開く時間すら、無くなっていた。


 でも大丈夫。

 平気平気、だって私は単純だからね。

 ゲームのことを、悪く言う人もいるのは知っている。

 だけど、私みたいに、病気で動けなくなってくると、あの世界は、窓を開いて外に出かけられるような気持ちになって、とても救いになる。

 私は何度も、ゲームに救われてきた。


 大学4年になっても、ドナーさんは見つからない。

 なりふり構わず、バイトからそのまま準社員として就職した。

 いつまで動けるかわからない。

 とにかく、仕事が始まると、私は趣味の文房具屋さん巡りをやめた。

 文房具って、好きなんだよねー、見てるだけでわくわくする。

 でも、土日は寝て過ごして、体力は温存しておかないとね。

 万が一倒れて、通りすがりの人に迷惑をかけるわけにもいかない。


 ところが、就職して、1年も経たないうちに、ドナーさんが見つかった。

 待ち望んだはずのことなのに、大学3年か4年の時に見つかってくれたら…と、身勝手ながら、ちょっと思ってしまった。

 もはや私は、他者の善意に感謝するという心の余裕がなくなってきていたのかもしれない。

 せっかく慣れてきた職場を、私はやめることになった。

 だって、新人が1年も休職なんて、できるわけがないからね。



 そこからの入院生活を経て私が知ったのは、「死」は、欲求の一つだった、と言うことだ。

 なんか、毎日苦しいと、「喉が渇いたな、水が飲みたいな」という気軽さで、ふと、「死にたいな」と思って、すごくびっくりした。

 たぶん、普段は、「遊びたいな」とか「出かけたいな」とかの欲求が、優先順位の上の方にあって、「死にたいな」という欲求は、ものすごーーく下の方にあるんじゃないかな…と思った。

 その優先順位が、状況によって、上下する。

 自殺という概念の、ほんの端っこの方に、触れた気がした。


 だから、私は、過去の私に言ってあげたい。

 毎日こんな過ごし方でいいのかなとか、不安に思ってるそこのナツナ!

 いいんだよ、その過ごし方で!

 ヤバい欲求が優先順位の上の方に来ない生活なら、何だってオールオッケーだよ、あなたは正しい!


 明日の朝、目が覚めますようにと祈りながら眠りにつくのは、なぜか、惨めだった。

 大丈夫だと、運にすがるような日々が続く。


 でも、もちろん悪いことばかりじゃなかった。

 無菌室は宇宙船みたいでかっこよかったし、何より一人部屋なのでリッチな気分だ。

 やや監禁味があるような気がしないでもないので、若干気分も盛り上がる。

 大丈夫、私は単純なんだから。

 日々のちょっとしたイイコトで救われる、安い自分が結構好きだったりする。


 それでも、この世界のどこかに、永遠があればいいなと、思う時がある。

 私はそれを、枯れない花と呼んでいる。

 私はいつか死んでしまうような存在だけど、この世界のどこかに永遠があってくれるなら、それはどれほど救いになるだろう。

 入院中は、そんなことばかりを考えて過ごした。


 退院後、半年間は、公共の交通機関を使ったり、家の外に出たりしてはダメだった。

 その辺はよかったんだけど、今までゲーセンとかで溜め込んでいたぬいぐるみを、全部捨てなくてはならなかったのが、一番つらかった。

 仕方ないよね、ぬいぐるみって、埃とダニの巣窟だからね…。

 あとはずっと家の中で過ごしたけど、ゲームがあったので平気だった。


 結局、私の免疫がドナーさんの提供してくれた細胞を攻撃しているとか何とかで、病気は完治しなかった。

 でも、日常生活をする分には、平気なまでになった。

 人よりリスクはあるままだが、善意の提供者が私を生かしてくれたんだ、と感謝ができた。

 移植後一年以内なら、ドナーさんへ手紙を送れるので、どれほどあなたに感謝をしているか、ということを、精いっぱいの言葉で書く。

 なぜか、ようやく人間に戻れたような気がした。


 そんなある日。

 長い入院生活で足腰が萎えた私のリハビリに付き合っていたお母さんが、ふと声をかけてきた。


「ごめんね」


「え…?」


「健康に産んであげられなくて、ごめんね…」


 そう言って、母は泣き出した。

 …びっくりした。

 世界が揺らぐくらいの衝撃だった。


 私は、自分のことでいっぱいいっぱいで、母が悩んでいたことに、微塵も気づけなかった。

 母は、自分を、責め続けていたのだ。

 だって、私の病気は、原因が不明だから。

 理不尽な目に合うと、自分の行いか何かが悪いのではないかと思ってしまう人もいる。

 それが、母だったようだ。


 そして、その時、私は、自分が17歳から、まるで成長していないことに気づいた。

 だって、こんな時、大人だったら、なにか、母にかけられる言葉を持っているのではないだろうか?

 なのに私は、まるで自分が被害者であるかのように、ショックを受けた顔をして、突っ立っている。


 自分の腹を痛めて子を産まない父親は、子供の顔を見て、初めて父親になったという自覚を得る、みたいな話を聞いたことがある。

 私は、17の時、大人になることを諦めていたことに気づいた。

 どうせ死ぬから、どうせドナーさんなんて現れないから、どうせどうせ、と未来を見つめることを諦めていた。

 そんな私が、どうして大人の自覚を得ることができただろう。

 私は、恥ずかしいくらい、子供のままだった。


 その後、気が付けば私は、部屋でぼーっとしていた。

 話を聞いていただろうお父さんが、静かにやってくる。

 なんでも、お母さんは、精神科で、精神安定剤を処方してもらっているくらい、の状態らしかった。

 全然気づいてなかった。


 ……私は、誤解していた。

 「うちは家族仲がいい方だから、私は幸せなんだろうな」と思っていた。

 だが、違った。

 うちは家族仲がいい方だから、母は、不幸だった。


 私は…。

 この家に、居てはいけなかった。


 それがわかった瞬間、私は狂ったように、色々と調べ始めた。

 そして、それらしい理由を見つけてくる。

 次の日、私は家族にこう告げる。

 「都会に行けば、難病者支援をしている、難病者でも働かせてくれる会社がたくさんある。また、症例数もたくさんあるから、何か今より良くなる手が見つかるかもしれない。私は、一人暮らしを始める」と。


 特に反対はされなかった。

 父と母のことは、まあ弟がいるし、大丈夫だろう。

 ちなみに私は、いろんな人に、「絶対一人っ子だと思った」と言われる。

 あんまりお姉ちゃんはできてないからなあ、と自分でも思う。


 だけど、これで、頃合いを見測り、私は病気が治って、元気になったよ、という虚偽の報告をすることができる。

 遠くに住んでいれば、家族には確認のしようもない。

 私は残った貯金をはたいて、都会に引っ越した。



 一人暮らしを始めてびっくりしたのは、保健所に、特定疾患の指定難病受給者証の変更更新に行った時のことだ。

 それまでは母がやってくれていた手続きを、自分でやる大変さといったら。

 だけど、驚いたのはそこではない。

 係の人が、手続きの方法を丁寧に教えてくれる中で、ビックリするような話があった。


「こんなに手続きが複雑で、有料の証明書が必要なのは、不正受給者がいるからなのよ」


 その不正受給者のせいで、本当に必要な人が割を食っているらしい。

 きつい世の中だなあ、と思った。

 2つ目に驚いたのは、引っ越し先は、難病者へのお見舞金制度があったことだ。

 調べてみてわかったのだが、私の住んでいた都道府県は、かなりの借金を抱えており、公務員の給料は減らされ、そして難病者補助の支援金もかなり削られていた。

 それぞれの自治体で補助制度が違うとは…というのも驚きだったが、県知事とかの政策か何かの失敗で、県民が割を食うのかと、その辺りもびっくりした。

 やっぱり首長はちゃんと選ばないとダメなんだなあ、と、自分がいかに世の中のことに興味がなかったのか、思い知った。

 やっぱり私は、まだまだ子供だった。


 そこから、ちょこちょこと、今まで興味がなかったニュースを見てみたりした。

 すると、国会議員の人が、「糖尿病とか腎臓病とかの病気はほとんどが自己責任だから、自己負担にさせればいい、国の金を使うなんて馬鹿げている」と言っていた。

 …びっくりした。

 まず不正受給とかをしている人を怒らないで、ちゃんと正規の手続きを踏んだ病気の人を批判することから始めるのが、こういう人たちなのか…。

 やっぱり病人は国家の足手まといとして見られるのかなあ…。


 いや、大丈夫だ。

 だって、私は単純だもの。

 楽しいゲームとかしていれば、こういう嫌な気持ちも散っていくだろう。

 明日からまた、就職活動を頑張ろう。


 生活が落ち着いてきたので、実家に残してきたいくつかの荷物を送ってもらうために、母に電話をした。

 ぜんぶ捨てた、と言われた。

 …びっくりした。

 そこまで?

 そこまで、母にとって、私の存在は、負担だったのか。

 いや、私のことを思い出すから、捨ててしまったのだろう。

 だけど、それを確認するのが、なぜか怖かった。

 私は「そっか…」とだけ言って、電話を切った。

 急に、帰る場所がなくなったように感じた。

 元から帰るつもりはなかったから、好都合と言えば、そうなんだけどね。


 でも、大丈夫。

 だって、私は単純だもの。

 こういう時は、気分転換のゲームに限る。

 だって、ストレスを溜めたらダメだからね。

 健康に、親よりも一秒でも長く生きないと。

 大丈夫、生きていける。



 ある日、好きな刑事ドラマを見ていると、いきなり思考が凍り付いた。

 私と、同じ病名が聞こえてきたからだ。

 もうとっくに克服した病気なのに、心臓が、どきどきとうるさくなった。


 そこは、病院のシーンで…。

 親とDNAが違うことが判明するっていう、演出で、病気が使われていた。

 いや、いいじゃない、ありだよ、あり、フィクションだし、ドラマチックだし。

 なのに、どうしても、頭の中が真っ白になっていく。

 内容が耳に入ってこないほどの衝撃。

 ある一点から、どうしても目が逸らせない。


 だって…。

 だって、私と同じ治療を受けたはずの、その子役の男の子には。

 髪の毛が、生えていた。


 ダメだった。

 たったそれだけのことで、私は、ダメになった。

 いきなり泣き始めた。

 馬鹿みたいに泣きじゃくった。

 もう、何もかもがどうでもよくなった。


 驚くべきことに、私は…。

 私は、どうやら、我慢をしていたらしい。

 平気だと思ってた。

 だけど、全然平気じゃなかったらしい。

 だから、いきなり、はじけてしまった。


 そんなはずはない、私は単純で、だから大丈夫だ、と、何度も言い聞かせる。

 だけど、どうしてもダメだった。

 涙が枯れて、泣き止んでも、私はぼーっと、テレビを見つめていた。

 深夜の、クラシックが延々と流れ続ける番組なんて、久々に見たなあ。


 動かなきゃ、お風呂に入って、眠って…と、冷静に思うのだが、ピクリとも体が動かない。

 窓の外が明るくなってきた。

 お昼になった。

 夕方になった。


 ダメだよ、ストレスを溜めたら……。

 ごはんも、食べないと…。

 そうだ、外に散歩に行こう、と無理やり思った。

 すると、のろのろと体が動いた。

 どうやら、全然関係のないことなら、やれる気分らしい。



 引っ越し先の近くには、大きな川があった。

 私の実家の近くにも同じような川があったので、なんだか懐かしくて、その光景は好きだ。

 ぼんやりと、川沿いを歩いてみる。

 前日の雨で、川の嵩は高い。


 徹夜なんて、久々にしたなあ。


 そんな風に、どうでもいいことを考えられるくらいには、私の気持ちも回復してきていた。


 すると、川上の方から、小学生くらいの男の子が3人、ワーワー言いながら走ってくる。

 遊んでいるのかと思ったが、みんな必死の表情で、緊迫感が凄い。


「たかしー!!」「たっくん!!」


 必死に誰かの名前を呼びながら、川の方を見ている。


 釣られるように目を向けて、私は驚いた。


 同じく、小学生くらいの男の子が一人、川を流れてきていた。


 溺れかけてる!!


 徹夜なんて、するものじゃない。

 こんなマンガみたいな展開に戸惑うどころか、ナチュラルハイになっていた私は、それを見て、こう思った。


(死に場所来た!!!!!!!!!!!! あの子を助けて死のう!! ヒーローっぽい!!)


 私は上着を脱ぎ始める。


「これ、電話!! これで救急車呼んで!!」


 私は前から来た3人の男の子たちに、スマホを放り投げる。

 マスクをつけるようになってから、フェイス認証が反応しなくなったウザさで、ロックなんてかけてないから誰でも使える。


 男の子たちは、慌ててスマホをキャッチして、戸惑いながら私を見る。


「助けてくるね!!」


 私はそう言いながら、薄着で川に向かって走り出す。


 大丈夫、着衣水泳は、中学校の頃に授業で習った!

 そして、溺れてる人には前からじゃなく、後ろから近付けばいいとかの知識もある!!


 ザブン、と躊躇なく川に飛び込んで、その冷たさで、私は我に返った。


 ―――いや、ダメじゃん!!!

 ここで私が死んだら、あの子、気まずいじゃん!!!

 よっしゃ生き延びよう!!!


「わあああーーーっ!!!」


 実際は、こんな叫び声なんて上げてなかったと思う。

 口をあけたら、水が入ってくるからね。

 でも、そんな気合で泳ぎだす。


 火事場のバカぢからって、本当だ。

 結構普通に泳げるし、普通に男の子の傍まで行けたし、順調に男の子を、水面に飛び出た大きな岩のところまで引っ張っていけた。

 そして、無理やりその岩に掴まらせる。

 急き込む男の子の背中を撫でようとしたとき。


   ドゴッ!!!


「!!!!?」


 みぞおちに、物凄い衝撃が走った。


 見ると、自転車のハンドルが、みしり、と私の腹に食い込んでいた。


 ………は?


 あ、ああ!

 そういうことか!!

 この子、自転車ごと川にダイブしちゃったんだね!!?

 雨上がりって道が滑るから!?

 土手って結構容赦なく斜めだからなあ…!!

 で、重量の差か何かで、自転車は遅れて流れて来たってこと!?

 くそっ、他の子は自転車を置いてきてたってことか、流石にわからなかった…!


 ということを、一瞬で、ばーーっと理解した。

 だけど、一口でも水を飲んじゃったら、もうダメだ。

 私は、めちゃくちゃパニックになってしまった。

 男の子を岩場に残し、助けに来たはずの私が、流されてしまう。


 く…そ…。

 あとちょっとだったのに…!!!

 やっぱり、素人が手を出す事案じゃなかった…。

 よい子はマネしちゃダメな奴だった…。


 何かが、手に当たった。

 必死につかむ。

 岩場か何かであってくれ。

 そしたら、きっと、誰かが、助けに…。


 ………。


 そこで、意識が途切れた。



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