ユーレタイドとマグシラン
サリサリと、ラジオのノイズのような音が、だんだんと意識の中に増えていく。
全然、何にも抗えなくて、私はぼんやりしていた。
そこから、どのくらい経ったのだろうか。
ふと、私の目の前が翳った。
見上げると、空中に腰かけるようにしている、ハイドのシルエットがそこにあった。
逆光で、顔は見えない。
「ねえ、ナっちゃん。人間ってさ、小さい頃に、ごっこ遊びをするよね」
口調も声もハイドと同じなのに、私は、その人がハイドではないように感じた。
「正義のヒーローになったり、お医者さんになったり。でも、その時の誰かって、どこから来るんだろうね? そして、どこに行ってしまうのだろう」
その人は、少し遠くを見るような仕草をした。
「知っている人の見様見真似のモノマネ? きっとそれだけじゃないって、ぼくは思うんだ。だって、まだまだ世界の狭い子供たちが、どうやって見たこともない人になりきったりするんだろうね?」
私は、ぼんやりと、その人を見返す。
「あれはね、ぼくたちなんだ。あの時確かに、君たちの中に、ぼくたちは居て、一緒に遊んだんだよ。大人になっていくにつれ、ぼくたちの存在は、忘れ去られてしまっても…いつも、ずっと、一緒に遊んだ君たちの幸せを願っている。無理しないで、たまには休んで、笑って、楽しんで、生きて…って」
やはり逆光で、その人の顔は見えない。
「ぼくたちは、どこから来て、どこへ行くのか、知らないし、わからないけど、それでも色々な人間が、ぼくたちに呼び名をつけていく。幻、夢、生存本能、はたまた、ドーパミン、βエンドルフィン、セロトニン……挙句の果てには、ホットミルクとブランデー。面白いよね。ぼくたちは、ぼくたちでしかないのに」
くすくすと、ハイドのような仕草で、その人は笑う。
この人は…私だけの友達じゃない。
きっと、世界中の誰かの、かつての友達であり、今の友達なのだろう。
「だからぼくは、いつものように、君に告げるよ。元気でね、って。無理しないで、たまには休んで、笑って、楽しんで、生きて…」
ふうっと、空気がため息をつくように震えた。
「……ぼくは天才だからな。先が見えると、いつも、諦めてしまう。どう足掻いたって、無駄だろうって」
「……、…ハイド…?」
急に、ハイドになった、と思った。
相変わらず、逆光のシルエット。
先程と何一つ変わってないけど、目の前にいるのは、ハイドだ。
「さっきのナっちゃん、泣きわめいちゃってさ。不格好で、なんて美しくないんだろうって、思ったはずなんだけどね。でも、なんでかな……」
そのシルエットは、世界に溶け込むように、光る粒子になって散っていった。
「本当に馬鹿で馬鹿で、愛しかったぜ。じゃあな」
その言葉だけを残して。
<ザザ、ザザザ・・・>
ノイズが大きくなっていく。
誰かが私を揺さぶって、名前を呼んでいる。
私は、その名前だっただろうか。
今、いくつだったっけ。
17? いや。15…?
パチーン!!
いきなり目の前で、猫だましの衝撃が来た。
「ひゃあ!!?」
飛び上がるような勢いで、びっくりしてしまった。
ユウが、私の目の前で、両手を打ち合わせた姿勢のまま、固まっていた。
「…ああ、よかった、ツナ、俺がわかるか?」
「…ユウ、マグ…。わたし、どうしたんだっけ…?」
びっくりしたからなのか、ちょっと頭がすっきりしている。
ユウとマグが、ほっとしたような表情を浮かべた。
「ツナ、待たせ過ぎてしまったな・すまない……ユウの呑み込みが悪くてな」
「あ、なんだよ、俺のせいにすんなよ! ツナ、組み紐ができあがったんだよ! で、ジャッジして貰おうと思ってさ!」
「ジャッジ…って?」
きょとんと聞き返すと、ユウは嬉しそうに、いつもの顔で笑った。
「俺とマグの編んだ組み紐で、どっちが気に入ったかってジャッジだよ! これさ、勝負事なんだよな~。な?」
ユウがマグを見ると、マグは「まあ…」と不服気に頷いた。
「わあ、じゃあ、見せてもらう!」
私はうきうきしながら、二人が差し出した手の平を覗き込んだ。
「! すごい、これ…!!」
カラーアイビーというだけあって、色とりどりの蔦を編みこんで作られた組み紐だった。
マグの手に乗っているほうは、きちんと編みこまれた緻密なデザインで、ユウの手に乗っているほうは、ガタガタと左右のバランスが悪くて、雑だな、という感じだった。
だけど、色!
ユウの方の色合いは、とても爽やかな鮮烈さで、私の好みだった。
一方でマグの方の色合いは、グレイとか、緑は緑でも、どうしてモスグリーンの方を選んだの? という感じで、ひたすら地味だ。
これは…。
『携帯のストラップ現象』、と私は名付けている。
こっちのデザインで、こっちの色合いだったら、絶対買うのに!!
という、微妙に好みに合致しそうで掠っていくあの感じ…!!
この二つを合体させれば完璧なのに!!
ぐわああっ、もどかしい…っ!!!!
これを選べっての!!!?
なんて残酷なことをさせるの!!?
私は、うーんうーんと唸って、ひたすら二つを見比べる。
しかし、なかなか結論が出そうになかったので、もう正直に伝えることにした。
「あのね、色はユウのが好みで、形はマグのが凄く好みなの、本当に!! ごめんね、選べないっていうか、どっちも選びたい!!」
必死になって伝えると、ユウとマグは、お互いの顔を見合わせた。
そして、ぷっ、と一緒に噴き出した。
「そっかそっか、引き分けかー。まあ、しょうがねーよな。そういうのもありだぜ、あり」
「そうだな……オレたちらしいといえば、らしいしな」
二人とも、どこか満足げだった。
でも私は、申し訳なくて、ちょっと項垂れてしまう。
「ごめんね、時間をかけて作ってくれたのに…」
「いや、これでいいんだよ。じゃあマグ、俺は右側な」
「わかった……」
私がハテナを浮かべている間に、ユウとマグは、私の両側に来て、髪を一房手に取った。
そして、自分たちが編んだ組み紐を、私の髪に編み込んでいく。
「わあ…」
マグの手際がいいのはわかるが、ユウも意外にちゃきちゃき手を動かしていく。
やはり、毎日自分の髪をみつあみにしているから、髪を編むのは慣れっこなんだろう。
「ほら、できた!」
ユウもマグも、満足げに私を見た。
鏡が無いのが残念だが、それでも、私自身もその出来栄えを気に入っていた。
「ツナ、よく似合っている……」
「ありがと、マグ、ユウ……うれしい」
私は髪をつまんで、照れたように微笑んだ。
「………」
そのまま、ユウとマグは、この時間を惜しむような表情で、じっと黙った。
私も、何も言えなくて、じっと二人を見つめ返す。
「……名残惜しいが」
切り出したのは、マグだった。
「そう…だな。ツナ、アンタローの時間稼ぎのおかげで、俺はついに、見つけることができた。それを、今から伝える」
ユウの言葉に、私は首を振った。
この時間が、終わってほしくない。
だけどユウは、困ったように笑って、幼い子をあやすように、私の頭をポンポンと撫でた。
「ツナ、よく聞くんだ。『ダンボールノナカ』。これが、俺が見つけた答えだ」
私は、ぱちくりと瞬きをした。
「これがいったい、どういう意味を持つのか、そして、何なのか、俺にもわからねえ。だけど、この言葉があれば、ツナはちゃんと元の場所に戻ることができるはずだ」
「……長かった。長い、長い、旅だった……。この一言を見つけるために、オレたちは……。だが、もう、それも終わる」
マグが、スっと立ち上がる。
「……やだ…!!!」
私は咄嗟に、引き留めるように、マグのマフラーの端を掴んだ
ぼろぼろと流れる涙を、マグはそっとぬぐってくれた。
「ツナは、相変わらず、泣き虫だな……」
マグは、愛しげに微笑むと、いつものように、頭を撫でてくる。
ユウも、続いて立ち上がった。
「…じゃあな、ツナ。俺たちは、ここまでみたいだ。いやーー、楽しかったなあああ!! めちゃくちゃな話で、ハチャメチャなことばっかやったけど、もう、今となっては全部楽し―――、……っ!!?」
いきなり、ユウの目の端から、ぼろっと涙がこぼれた。
「な……」
ユウは茫然としている。
私もマグも、驚いたようにユウを見た。
「あ……。……あ~~…、そっかそっか、これが、『悲しい』か……。マジか……。勘弁してくれ、こんな時に……。こんな感情なら……し、知りたくなんて……なかっ、……っ」
ユウは、自分の顔を隠すようにして、私とマグをまとめて抱きしめた。
「こんなじゃ、お別れなんて……できねーじゃん……せっかく、いい感じだったのに……!!」
「ユウ…!!!」
私も、マグごとユウを抱きしめ返した。
マグも、ぐっと腕に力を込めている。
ユウは、嗚咽を我慢するように、言葉を漏らす。
「い、いやだ…!!! もっと一緒に居たい、もっとずっと、たくさん旅して、笑って…!! な、なんで…なんでこんなことに、なっちまって…!!!!」
「ユウ! ユウ、わたしも…!!」
「オレもだ……!」
マグは、ぐっと喉を鳴らした。
そして、絞り出すように、言葉を選ぶ。
「だが……行かなければならない。このままでは、ツナが、残ると言い出しかねない……からな」
マグは、ゆっくりと体を離した。
ユウは、手のひらで乱雑に、目元をぬぐっている。
「ああ……そりゃダメだ…。それだけは、避けねーとな…。せっかく、見つけたのが、無駄になっちまうしな」
「や、やだ、行かない…で…!!」
ユウとマグを追おうとした。
だけど、体に力が入らずに、結局膝をついてしまった。
ユウは、いつもの、からっとした笑顔を向けてきた。
「じゃあな、ツナ、元気でな。しっかり生きるんだぞ!!」
「ツナ……。みんな、ツナのこと、大事に思っているからな……」
マグは頷いて、そして二人とも、私を通りすぎるように、私の後ろへ向かって歩き出す。
動かなきゃ…。
でも、振り向けない……どうして……。
やがて、フ、と、何かが消えたな…という、空虚な感覚が来た。
そうして私は、この空間に一人になった。
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胸が、切なくて、ぎゅっと痛い……。
辛くて辛くて、このまま死んでしまうのではないのかと思った。
周りには、綺麗な花畑が、色とりどりの花弁を風に舞わせている。
だけど、私は一人だった。
きれいだねと言い合える人も居ない。
だから、もう、いいや……と思った。
もう、私も、みんなと一緒に終わろう。
こんなつらい気持ちで、生きていくことなんて、絶対にできない。
ここで終わろう。
きっと、怖くない。
一人で生きていく方が怖い。
辺りが、だんだんと薄暗くなっていく。
夕暮れ色の空気だ。
でも、それでいい。
「ダメに決まってるでしょ!」
いきなり、知らない人の声が響いた。
その瞬間、ずるり、と私の中から、何かが抜けだしていく感覚が来た。
私の目の前に、エメラルドグリーンの髪色の、翼の生えた女の子が仁王立ち、腰に手を当てて、怒ったように私を見下ろしている。
あれ、私が目の前にいる…?
「もうっ、ナツナ、せっかくユウが見つけてきたものをムダにする気なの? そんなの、絶対ダメなんだからね!」
私が喋っている。
だけど、声がいつもと違って聞こえる。
そうか、自分の声って、骨伝導で、他の人に聞けるものとは違って聞こえるんだっけ。
「ここに残るのは、わたしだよ。私じゃなくて、わたし。あなたは、髪色の黒い、翼のない私。小説の主人公は、わたし!」
ナツナは、胸に手を当てて、自慢げにそういった。
「みんなのところに行くのも、わたし! この役割は、譲ってなんてあげないんだから! あなたは帰らなきゃダメなんだからねっ」
ナツナは、ちょっと怒るように言ってくる。
すぐに、ふっと、笑顔になった。
花が咲くような、フィクション可愛い笑顔だった。
「…でも、一緒に居て、楽しかったね。わたしは、私でよかったよ。ありがとね、ナツナ」
そして今度は、真面目な顔になった。
くるくると表情が変わるのに、忙しなさは感じなかった。
「ねえ、ナツナ。あの時、マグが言ってたよね。『知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない』って。それがマグの人生観だ、って。わたしね、格好いいなって思ったの。人生観があるって、カッコイイ! だからね、わたしも、考えてみたよ」
そう言って今度は、困ったように笑う。
「『忘れなくても、幸せになれる』って。わたしとナツナの共通点は、タイムマシンがあっても、過去に戻ってやり直しなんて、絶対にしたくないってこと。過去の方がつらいものね。だけど、あの部屋に閉じ込められて、一人ぼっちで居たことを忘れなくても、わたしは幸せになれたよ。だから、これがわたしの人生観。ナツナ、だから、大丈夫だよ。幸せになれるよ」
辺りがどんどん暗くなってくる。
女の子は焦ったように、辺りを見渡した。
「大変、もう夜が来る。ナツナが捕まらないように、ちょっと乱暴な手段しか思いつかないけど、ごめんね?」
そう言うと、ナツナは、もう動けない私を、優しくトンと突きとばした。
「ナツナ、ユウの言葉を思い出して! それでまた、一緒に飛ぼうよ! あの空を、あの時間を!」
私を突き飛ばしたナツナが、見る間に夜に包まれていく。
私は、それを見上げながら、深く深く、落ちていく。
何か言いたかったけど、もう喋ることもできなかった。
………。
もう、私は、自分が落ちているのか、それとも空に昇っているのかもわからなくなっていた。
意識がふんわりと遠のいていく。
これが、死ぬってことか……と、どこか、他人事のように思う。
後は目を閉じれば、完成。
死んだら、どうなるのかな。
そうだ、私は今、一人暮らしをしていた。
お母さんか弟が、荷物を整理しに来るかな。
そういえば居たね、弟なんて。
まだ引っ越しをして、そのまま開けずに置いてるダンボールとかがあるんだよね。
………ダンボール…?
なんだっけ…。
なにか、引っかかるけど、思い出せない。
お母さんが来たとして、私の遺品整理をやるんだろうな。
申し訳ないなあ…。
おばあちゃんが亡くなった時、私が一番ダメージを受けたのは、部屋にかかっていたカレンダーだ。
だって、「カラオケ」とか、「旅行」とか、今後の予定が書き込んであったんだもの。
あの辛い感じを親にさせるのは、本当に申し訳ない。
それとも、形見になるようなものを探すだろうか。
そう、ダンボールを開けて…。
脳裏に、その光景が浮かんでくるようだ。
ダンボール…ノナカ…。
ダンボールの中?
中身…?
………。
あ、そうだ、小説!!
ノートが10冊入ってるままだ!!!?
え!!!!!?
お母さんに見られる!!!?
自分を主人公にした、あのクソ恥ずかしい小説を!!!?
いやああああああああああああああ!!!!!?
うぐおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!
「死んでたまるかあああああああああああああああ!!!!!!!」
声にならない叫びをあげた瞬間、私は、バッと目を開いた。
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「患者さん意識を取り戻しました!!」
知らない女の人の声がする。
ピ、ピ、という機械音もする。
全体的に緑っぽい、知らないところに居た。
騒がしい。
口元には、酸素の吸入器みたいなものがある。
でも全然理解できない。
いや、その瞬間、私は他のことを一気に理解できた。
私は、以下のことを、たった1秒の間に、ぐわーーーっと理解した。
『あーーーーそっかそっか!!!
走馬燈ね!!!!!?
そういえば、やたら昔のこととか思い出したよ!!!
いや、でも、なんか物凄い捻くれた走馬燈だったよ!!?
ああ、生存の確立を上げるための記憶を探る効果もあるんだっけ、だからかな!?
それともあれかな!?
死の間際って、脳内麻薬とかの脳内快楽物質を多量に出して、幸せな夢を見させるとかいうアレ!!
いや、幸せな夢…だったかなあ!!?
もうちょっと自分に都合が良くてもよかったような!!?
結構本気で殺しに来てたよ!!?
あれ、でもドーパミンがどうのって、5分とかの話じゃなかったっけ!?
えっ、じゃあ、たった5分の話だったの!!?
まあいいや!!
あれっ、何がいいんだっけ?
なんだっけ???』
ぐるぐるぐるっといろんなことが頭の中を駆け巡り、そして訳が分からない状況で、あっぷあっぷしていた。
幸せな夢、と思ったが、夢というものは、起きて時間が経つにつれ、忘れていく。
そして、今回も、例外ではなかった。
私は、夢の内容を、忘れた。
ぼんやりとした視界に、虹色の漢文が浮いている。
中学で習ったやつだ…。
『有朋自遠方来、不亦楽』
なんで、論語……。
友…。
誰かの顔が浮かぶ。
ぬばたまの髪、金色の目、尖った耳。
牙を出して無邪気に笑う、誰かの顔。
誰だっけ…。
いや、二次元っぽいから何かのキャラかな…。
そんなことを思いながら、目を閉じた。




