ハイドランジア
「ぷいいぃいいっ!」
アンタローが、キリっとした顔で、魔道車の方からぴょこぴょこやってくる。
私は茫然と、目の前に横たわっているハイドを見ている。
ハイドは荒く息を吐き、苦悶の表情を浮かべて、額には玉の汗がある。
私を庇って、私の父親を解呪して、こうなった。
それがいったい、魔族のハイドにとって、どんな得があったというのだろう。
「あ……。回…復…を……」
のろのろと頭を働かせる。
その頭に、アンタローがぷいぷいと乗ってきた。
「回復……しなきゃ……」
そう言っただけで、ぼろっと涙がこぼれる。
フィカスが補助するように、そっと私の肩に手を置いた。
「ナっちゃん、大丈夫だ、俺がついている。治すことだけを考えてみるんだ。相手を治したいと願えば、ナっちゃんなら叶えられる」
私は、私の全権をフィカスにゆだねるようにして、フィカスの言うままに、魔力を使った。
なんとか、弱い光が手の中に灯り、ハイドは弱弱しく、「ヘタクソ…」と笑った。
そうしながら、散り散りに乱れた思考を、なんとかかき集める。
こんなの、嘘だ…。
ハイドが死ぬのが正解…?
なんで?
その方がドラマティックだから?
意味がわからない。
絶対に、そんなの認めない。
そもそも、ユウやマグが怪我したときにはページが戻ったのに、どうしてハイドだけはダメなの?
こんなの、酷すぎるよ…!!
今まで助けられてきた、ページが戻る現象が、まさかこんな形で弊害になるなんて…!!
だけど、どうすればいいのだろう。
だって、あんなにハッキリ、書かれて…。
考えろ…。
抜け道を、探そう…。
材料は、あるはずなんだ…!!
そうは思っても、どうしてか、体の芯の方に力が入らない。
いけない、この感情は…絶望だ。
私、諦めかけてる…。
ダメだダメだ、絶対ダメだ…!
ハイドが居なくなるなんて嫌だ!!
切り替えろ、気持ちを切り替えろ、この切り替えさえうまく行けば、なんとかなる…いや、してみせる…!!
それでも見つからなかったら、もう、私はこうしてハイドを治し続けて、一生を過ごそう。
同じ場面ばかりでも、もういいよ。
ハイドが死んでしまうよりも、よっぽどマシだ。
ああ、そうすると、私はもう、ここから先、こうして苦悶の表情を浮かべているハイドしか、見ることができないのかな。
それはちょっと、悲しいな。
ハイドは、皮肉な笑みを浮かべながら、私のことを馬鹿にしてくれないと。
いや、だめだ、こんなことを考えてしまう時点で、もう諦めてるってことになるのに…!!
たぶん、これは、私が、事実を受け入れていないから、思考が飛び飛びになるんだ。
きちんとハイドが死ぬことを受け入れて、ちゃんと向き合って…じゃないと、上手くいかない…と、私の中の冷静な私が考えている。
だけど、どうしても、その一歩が踏み出せない。
死ぬことを受け入れて、それからを考えるなんて、なんて残酷なことなんだろう。
「…もう、いい。もう、動ける」
いつの間にか、治療はうまく行っていたらしい。
ハイドの言葉に、私は顔を上げる。
アンタローは、「活躍しましたよ、褒めてくださいっ」と言いながら、ユウの方にぴょーんと跳ねて行った。
ハイドは上体を起こし、ひどく疲れたような笑顔で、私を見ていた。
「~~~~~っ!!!」
その笑顔にたまらなくなって、私はハイドにしがみつく。
「痛…っ!!」
衝撃で、ハイドは痛がっている。
やはり、完治はしていないらしい。
「ハイド…! ハイド、行かないで…!!」
私は、泣いているのがバレないように、ハイドの肩口に顔をうずめて、必死にしがみついた。
「はあ…? なんだよ、ナっちゃん、ついにぼくの元へ来る気になったってこと? 遅いんだよ…。本当にナっちゃんは、トロくって、バカだな。ぼくは今、ナっちゃんを攫う気分じゃないんだ、また今度な」
そう言って、ハイドは困ったように、私の髪を撫でてきた。
一度目はぎこちなく、二度目、三度目になると、触れることに慣れてきたように、丁寧に私の髪を梳く。
「また今度って、いつ…?」
そんなどうでもいいことを、なぜか今は、聞きたくて仕方がない。
今度という言葉が、嬉しかった。
「…ぼくの気が向いた時に決まっているだろ。ナっちゃんに選択権はないからな。ちゃんと良い子にして待っていろよ」
「悪い子だったら、行かないでくれる…?」
「……あはっ、今日はどうしたのさ…。熱烈だね…。けれど、よせよ。ぼくの中ではな、弱っているところを見られることくらい屈辱的なことなんて、なかなかないんだぜ。放っておいてくれ」
ハイドは私を優しく突き飛ばして、傷口を押さえながら立ち上がった。
私はもう、何も言えず、涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、すがるような視線でハイドを見上げた。
「…そんな不細工な顔するなよ。まったく、それでお姫様だって話なんだからな、とんだ詐欺だぜ。じゃあな、ナっちゃん」
そう言って、ハイドは、困ったような顔で笑った。
もう少し、その憎まれ口を聞いていたかったのに。
また、その時は来たようだ。
<・・・・・パラ・・・・・>
そこから私は、機械的にハイドの傷を治した。
今度は、涙も出なかった。
ただ、ハイドの憎まれ口が聞きたいという、その一心で、回復を続ける。
そんな脆い決意が、理知に繋がるわけがない。
私はまた、何の考えもまとまらないまま、ページがめくる音がする恐怖の時間を待つしかなかった。
ルグレイとフィカスが、よろめきながら立ち上がったハイドと同じようなやり取りを始める。
アンタローは、「活躍しましたよ、褒めてくださいっ」と言いながら、ユウの方にぴょーんと跳ねて行った。
ああ、また…ページが戻ってしまう。
「……ツナ」
胡乱な視線をさまよわせていると、マグが、座り込んだままの私の前に片膝をついて、顔を覗き込んでくる。
なんだか、マグと久しぶりに会うような気がする。
そんなことは、全然ないのだが。
「ツナ……どうした。何を悩んでいる……?」
「え……?」
マグは、他のみんなに囲まれているハイドを見るでもなく、私を見ている。
「ハイドが治ったのに……ちっとも嬉しそうじゃない……何があった……?」
マグの瞳は、心配の色を湛えていた。
「マグ……」
「話してみろ……ツナの中にある言葉を……聞かせてくれ。何か……抱え込んでいることが……あるんじゃないのか?」
私は、驚いたように目を見開いた。
でも、そうだった。
私の変調に、いつも一番最初に気づくのは、マグだ。
「マグ…!!」
ぼろりと、結局涙がこぼれる。
話したところで、何の解決にもならないはずなのに、なぜか、どこかが、救われた気がした。
マグは静かに頷いて、聞く姿勢を保ってくれた。
「マグ…どうしよう、怖くて認めたくないのに、でも認めなくちゃいけないことがあって、それをしないと、先に進めないの…! わたしはみんなと先に進みたいのに、その方法が思いつかなくて、もう、もう、ダメかもしれなくて…!!」
口に出したら、余計に悲しくなって、後から後から涙が出てきた。
「もう、どうすればいいのか…! わかってるのに、わからないの…!!」
マグは、吟味するように、私の言葉を聞き終えると、「そうか」と言った。
「ツナ。ツナがこういう時……欲しがる言葉を……オレは知っている。『大丈夫だ……ツナならできる』……『頑張ればきっと上手く行く』……そういう言葉だろう。だが……オレには今、こういった言葉は……言えない。こんな言葉は……ツナを追い詰めるだけだ。ツナは時々……何かを成し遂げるためには……追い詰められることが早道だ……と考えている節がある」
「………」
「ツナ……。失敗してもいいんだ……。できなくてもいい……。たとえそれがどんなに致命的なことでも……オレが一緒に背負う……。それが罪なら……分かち合う……。罰があるなら……すべてオレが引き受けてやりたいが……一緒に受けよう……と言うしかないな。だが……本当に、今ツナが悩んでいることは……罪なのか? 罰があることなのか?」
私は、大きく瞬きをした。
「それは誰が与える罪だ……? ツナ自身じゃないのか……? 自分で自分を追い詰めるな……。認めたくないことは……認めなくていい……。回り道をすればいい……。その回り道には……罰はない。オレが保証する……全部、自分の思い込みだ……。それはツナの視野を狭める……結果になる。この世界で……やってはいけないことなんて……本当にあるのか? 真の意味で他者を裁ける人間など……どこにも居ない。虫一匹潰すことを罪という者も居れば……その程度は許されるという人間も居る……正しい基準など……どこにもない」
私は、マグの言葉に相槌も打てず、黙って聞いているしかなかった。
「もちろん、ツナのためにならないことなら止めるが……。そう、今、ツナの周りには……ダメなことをしたら……止めてくれるやつがたくさんいる……だから、好きにしていいんだ。ダメだったら、止めるから。逃げたっていい。悔しいが……オレはツナの傍にずっと居られるわけじゃない……いつか自分一人で決めたり……立ち向かわなければならない時が……必ず来る。だが……今はオレたちが傍にいる……甘えていい。そして……ダメだった時の自分を許す練習を……少しずつしていけばいい……許さないでいる必要なんてない」
マグの言葉は、難しくて、私にとっては、すぐに飲み込める内容でもなかった。
だけど、上手く言えないが、何か…何かは、伝わってきた。
「ツナ。まずは、楽になれ。楽になってから、色々考えてみるんだ。楽にする方法は、何でもいいから」
<・・・・・パラ・・・・・>
苦しげな顔で横たわるハイドを見る。
今、私は、楽しくもなんともない。
楽になる方法なんて、思いつくはずもないのに。
マグの言葉だって、断片的にしか把握できていない。
「失敗してもいい・オレたちが傍にいる・なにをしてもいい・逃げてもいい」
だけど、なんでだろう。
とても、気持ちが楽だった。
何一つ、解決なんてしてないはずなのに。
マグはいつも、同じことを言ってくる気がする。
私が生きていて、喋ったり、悩んだりして、でも、ただそれだけでいいのだと。
私は大きく深呼吸すると、気合を込めて、ハイドに回復魔法をかける。
先程よりも、光は強く、体にも力が入る。
今度は、フィカスも補助に回らなかった。
ハイドの表情は、先程よりも早く、和らいでいく。
よかった…。
苦痛なんて、長引かない方がいい。
だけど、やっぱり、何一つ解決していない。
いや、これから、解決していかなくちゃならない。
そうだ、もうダメかもしれないって決めつけてたのは、私だった。
こんな、なんでもありな、滅茶苦茶な世界なのに。
ハイドは私の手を振り払い、ルグレイたちに囲まれて、やいやいと会話をしている。
アンタローも、ユウの方へと行ってしまった。
私は、振り払われた手を握りしめ、座り込んだ状態のまま、考え事を始める。
原文に書かれたあの部分は、回避ができない。
だけど、なんとか…抜け道を思いつくような、余白があるように感じた。
ユウに、手紙を書いたことを、思い出せ。
結果的にハイドが生き延びている、という事実を、観測者である私が認識さえしなければ、この場は乗り切れるはずだ。
ハイドの生死を、うやむやにすればいい。
だけど、どうやって?
あんなにハッキリと、ハイドは塵になったと書かれているのに。
そうだ、だからこそ、私は一度、心が折れかけたんだ。
でも、でも、ある…はず。
いや、違う。思いつくまで、私はこのページが戻される現象を続ける覚悟だ。
「ツナ、どうした……考え事か?」
マグが、座り込んだままの私の前に片膝をついて、顔を覗き込んでくる。
「マグ……」
マグは、先程の戦いで、ぼろぼろだ。
ぼろぼろなのに、私のことを気遣ってくれる。
それだけでもう、嬉しかった。
ふと、マグの手元に目が行った。
「マグ、それ…」
「ああ、さっき拾った……ツナのクッキーだ。ハイドに返して……やらないとな」
アイシングクッキーから、なぜか目が離せない。
ハイドはあの時、虫ピンで、時間を止めた…って言ってた。
時間……。
……。
思いついた。
だけど、どうしよう。
これは、一発勝負になってしまう。
失敗したら、ハイドは本当に死んでしまう。
残酷な嘘もつかなければならない。
そんなことが、私にできるの?
悩んでいると、マグはまだ、心配そうに私をじっと見ていた。
マグ…。
全部…言ってみよう。
「マグ…。マグ、どうしよう…。失敗していいって言われても、絶対に、失敗したくないことがあるの…! でも、うまくいくか、自信がないの…!!! 全然、ないの…!!」
ともすればまた泣きそうになるのを、必死に我慢する。
マグは、吟味するように、私の言葉を聞き終えると、「そうか」と言った。
「ツナ……。そういう時に怖いのは……ツナだけじゃない。オレもユウも……怖いときは怖い」
「マグも、怖いって思うことがあるの…?」
「ある。さっきだって……ツナをあのまま魔法王に……連れていかれる未来だってあった……と思うと、ぞっとする。大事なものを失うことは……最高に怖い。誰だってそうだ……とオレは思っている。なぜなら……やり直しなんて……きかないのだから」
「…やり直しが……きかない……?」
私は、きょとんとしてしまった。
やり直しが、きかない。
……。
「…ふ、ふふふふっ…!!」
「ツナ?」
「ふふふ…っ、あははは! あはは、そうだよね、それが、当たり前だもんね!!」
おかしくておかしくて仕方がなくて、私は肩を震わせた。
馬鹿みたいだ!
一発勝負なんて、当たり前のことで、悩んでいたなんて!!
当たり前が当たり前じゃなくなっていたから、それがすっかりわからなくなってしまっていたなんて!!
「ふ、普通のことで、悩んでた、みたい…!! あははっ、あははっははは!!」
私は、泣いていた。
泣きながら笑っていた。
マグは、そんな私を馬鹿にするでもなく、ただ、「そうか」と言って、優しく私の頭を撫でた。
私は泣いた。
みっともないくらい泣いた。
<・・・・・パラ・・・・・>
そして、勝負の時が来た。
アンタローは、私の頭の上で粒を吐いて、ハイドは苦しげな顔で荒い呼吸を繰り返す。
私は、圧迫止血を続けていた手を、ゆっくりと…離した。
覚悟を決めたはずなのに、その残酷な嘘をつくのに、本当に勇気が必要だった。
「ハイド、どうしよう…! や、やっぱり、わたし、人にかける魔法、が、怖くて、回復魔法、が、つ、使えない…!!」
途中で挫けそうになって、どうしても、どもってしまった。
なんとか、必死に言葉を絞り出す。
ハイドは、別に何とも思わなかったようで、表情も変えない。
「はあ…? バカじゃないの…ハナっからナっちゃんにそんな器用なこと…期待していないって。ぼくはそこまで…残酷じゃないぜ…。ナっちゃんがトロいのは…今に始まったことじゃ…ないからな」
フィカスも、私に無理強いはしたくないのか、動かなかった。
ハイドの顔色は真っ白で、だんだんと呼吸が浅くなっていく。
誰も、何も言わなかった。
沈黙を水とするなら、誰もが溺れ死んでしまうような、そんな時間だった。
「もう…いいから…あっち、…いけよ。放っておいてくれ…」
ハイドは、弱弱しく言葉をこぼした。
そんな弱ったハイドを見たくなくて、絶対に我慢しようと思っていた涙が、ぼろっとこぼれる。
誰も動かないと悟ったハイドは…。
フ、と、諦観を浮かべた。
生きることを諦めた、そういう表情だった。
「ハイド…!!」
やっぱり無理だ!!
治療しよう!!!
やり直しになってもいい!
覚悟は粉々に砕けちり、私は急いで、バッとハイドに手をかざした。
「………」
ハイドは、朦朧としていたのだろう。
だって、私の手を、握ってきたのだから。
ハイドは、一筋、涙をこぼした。
「ナ…ちゃん…、ぼくと…、友達……に……」
まるで、頭をハンマーで殴られたかのような。
それくらい激しい衝撃を受けた。
考えていたことの何もかもが吹き飛んで、何もできないくらいの衝撃だった。
こんなに弱って。
死の間際まで、言えずにいた言葉が、それだった。
ハイドは、最初に会った時から、ずっと、私と、友達になりたかったのだ。
ただ、この一言を告げるためだけに、こんなにちょっかいをかけてきていた。
握られた手の平から、ハイドの気持ちが流れ込んでくる。
遠くから見かけた、人間とは違う気配を持った、異質な女の子。
ずっと、友達になりたかった。
自分と同じで、世界の中に、一人ぼっちで居るように見えたから。
途中で何度も諦めようとした。
執着は美しくないと、振り払おうともした。
だけど、どうしても、あの女の子を目で追ってしまう。
魔族の一人が、まだ少年だったハイドを逃がすために、数百年にわたる眠りの呪いをかけ、人間の目からハイドを隠した。
ハイドが目覚めると、世界に魔族は、ハイド一人だけになっていた。
人間は、魔族を嫌う。
悪魔である自分は、歓迎される場所を、持っていなかった。
拒絶ばかりであふれた世界。
人間と友達になることは、早々に諦めた。
そこから、長い長い年月を、ずっとずっと、一人で過ごしてきた。
だけど、やっと見つけた、あの子なら。
あの子なら―――
そうだ、私は小さな頃から、ルグレイと手を合わせるだけで、正しく相手の気持ちを読み取ることができたじゃないか。
フェザールには、弱いテレパシーがある。
私は…。
私は、ハイドの、手を握るべきだったんだ。
今までたくさん顔を合わせて来たのに、どうしてそうしなかったのか。
「ハイ…ド…ハイド…!!! 友達だよ、わたしたち、ずっと前から、もうとっくに、友達だよ!!」
私はハイドの手を思い切り握りしめた。
涙で滲んで、ハイドがよく見えない。
だけど、最後に、嬉しそうな顔で、笑ってくれたような気がした。
パ、と、私の手の中から、ハイドの感触が消える。
ハイドは塵となって、その場に小さな砂の山を作った。
それは、先程までハイドだったというのが信じられないくらい、何の変哲もない、ただの塵芥だった。
くらくらする。
大波のような喪失感に、身を任せそうになる。
胸がぎゅっと痛くなって、このまま死んでしまうんじゃないかと思った。
それを振り払うように、私は大きく息を吸った。
「死なせない!!!」
<つづく>




