救いの手
シークの姿は、瞬く間に揺らぎ、歪み、膜が剥がれ落ちるかのようにして、今までの姿が失せていく。
地面に転がっているトンガリ帽子すらも、幻だったかのように消えていった。
ぬばたまのサラサラ髪から覗く、尖り耳。
金色の目。
夜を塗りこめたような、青藍のマント。
「ハイ…ド……?」
私は、茫然と呟いた。
「…あはっ、見つかっちゃったな。ダメだぜナっちゃん、ハイド・アンド・シークは『もういいかい?』の合図から始める遊びなのにさ! ま、『もういいよ』なんて言葉を言う気は、さらさらなかったんだけれどね?」
ハイドは、痛みに歪んだ顔で笑いながら、さらに強く、魔法王の腕を握りしめる。
ユウたちも私も、目の前の状況について行けず、茫然とその様子を見ていた。
「それにしたってお前たち、これだけ人数が居て、なんで誰もこの男の呪いに気づかないのさ。本当、人間ってボンクラ揃いだよなァ。見ちゃいられないぜ」
「呪いだと…?」
魔法王は、訝し気にハイドを見る。
「ああ。多少厄介な呪いだから、天才のこのぼくですら、ここまで近づかないと解いてはやれないんだけれどね。お前たち、よくここまで弱らせておいてくれたな、そこだけは褒めてやるよ。それじゃ、大人しくしていろよな、お・と・う・さ・ま!」
ハイドは、片手をかかげ、魔法王の額にトンと人差し指を置いた。
「魔族風情が、戯言を! オルティ・イズーチカ!」
バチバチバチバチイッ!!
「が…あ…っっ!!!」
ハイドを貫いた剣に、電流が走った。
ハイドは牙を見せながら、苦痛に身をのけぞらせる。
「ハイド!? やだ、やだやだ!!」
私は慌てて立ち上がり、ハイドに駆けよる。
「来るな!!」
電撃の中で、ハイドの声が鋭く響いた。
あまりの気迫に、私の足はびくっと止まる。
「く…そ…! オイタが過ぎるぜ…!! 待ってな、すぐに、終わらせてやるから…!!」
ハイドは口の中で何事かを呟くと、思い切り、トン、と魔法王の額を押す。
魔族の呪文は、耳で聞き取れないような響きを持っていた。
「―――!!?」
その瞬間、電撃は消え、魔法王の体から、はじき出されるように、黒い煙のようなものが霧散していった
魔法王は大きく目を見開いて、茫然と空を見つめたまま、硬直している。
「はあ、は、あ…っ、安心、しろよ、…う、うまく…いった…っ!!」
ハイドは、魔法王を掴んでいた片手を放すようにして、一歩下がった。
ズブリと、ハイドを貫いていたエネルギーの剣が抜けていく。
支えを失って、魔法王は、そのまま後ろから地面へと倒れ込み、意識を失ったようだ。
それにつられるようにして、ハイドもそのまま、背中から地面に倒れた。
その時、何かがハイドの懐から転がり出て、地面へと放り出される。
「ハイド!!」
私は駆け寄って、ハイドの傍にしゃがみ込む。
ハイドは、傷口を押さえて、つらそうに息をしていた。
私は急いで上着を脱ぐと、ハイドの傷口の上に当てて、圧迫止血を試みる。
だけど、衣服は瞬く間に赤く染まり、止血ができているようにはとても見えなかった。
ユウたちも、なんとか歩ける程度までフィカスの回復治療を受けていたようで、よろよろとした足取りでやってくる。
「ナっちゃん…よく聞け……あ、あれ…は…反転…の、呪いだ…。愛は裏返り…憎しみに…変わり…信念も、信条も、裏返る。よかったな、ナっちゃん…こんなところまで…わざわざ殺しに来るなんて…相当な想いだぜ…。人間って…不思議だよな…愛は隠せても…憎しみは隠せない…。だ、が…かけるのも解くのも……よほど近距離でないと……かからない…呪いだ…。おそらく、身内の…誰かに…か、…かけられたんだ…ろうね」
「なんですって…!?」
ルグレイが表情をこわばらせる。
「そんなことどうだっていいよ!! フィカス、お願い、回復魔法を!」
私が悲鳴のような声を上げると、フィカスは沈痛な面持ちで首を振る。
「すまない、もう魔力がない…」
「そんな…!?」
今まで我慢していた涙が、一気にボロボロと溢れる。
「あは…。泣くなよ、ナっちゃん…。どうだい、シークは…。…よくできていただろう…。まったく、また計画が狂ったよ…、お前たちの懐に入って、掻きまわしてやろうと思っていたのにさ…。ほんと、ナっちゃんは手強いな…」
「ハイド、ハイド…!!」
もう私は、名前を呼ぶくらいしかできなかった。
「……? これは……ツナの……?」
マグが、ふと何かに気づいて、地面に転がっていた何かを拾い上げる。
私はそれを見て、息を呑んだ。
あの時ハイドに渡した、イチゴの形の、アイシングクッキー。
「うそ…。捨てたって、言ってたのに…」
「…? ああ、それ…。そうか、さっきの衝撃で…虫ピンが外れたのか…。安心しろよ…まだ食えるぜ…。ピンで…時を止める魔法をかけておいたから…解けたのは…たぶん今だろうし…な」
ハイドはもう、意識が朦朧としてるのだろう。
全然会話になっていない。
「……死なせない」
私は、泣くのをやめた。
ばさりと、思い切り翼を広げる。
「アンタロー、おいで!」
「ぷいいぃいいっ!」
アンタローが、キリっとした顔で、魔道車の方からぴょこぴょこやってくる。
そして、ぷいぷいと私の頭の上に登って来る。
「アンタロー、粒を吐いて!」
「ぷいぃいいっ!!(もろもろ、もろもろっ)(きりっと粒漏れ)」
もう、回復魔法をかけるのが怖いとか、四の五の言っている場合じゃない。
私の魔力もそんなには残っていないかもしれないけど、それでも、絶対にハイドの傷を治してみせる!
アンタローの吐き出す魔力の粒は、地面に落ちる前に、スッと空気に溶け消えていく。
私はそれを吸い込むような気持ちで、深呼吸をする。
ハイドの傷口を押さえたままの手の平に、意識を集中させる。
「手当」とは、手を当てると書く。
患部に手を当てることが、どれほど大事かを、私は意識した。
もう心を落ち着ける言葉だとか、考えている暇が一秒たりとも無いので、とにかく、体によさそうな単語をひたすら並べてみることにする。
「―――カテキン、リコピン、オレイン酸、ベータカロチン、ポリフェノール…!」
もうパっと思いつくのが成分でしかないのだが、気にしている余裕がない。
私はものすごく真剣にそういった単語を並べながら、怪我が治るイメージを浮かべる。
肉がタンパク質でふさがって、骨髄の造血幹細胞が血液成分を発生させて、…ヘモグロビンとか、そうだ、白血球は多すぎちゃダメで…!
あと…大根の戻し切りのイメージで、傷口をくっつける…!!
細胞同士が手をつなぐイメージで…!
素人なりに、精一杯、怪我がふさがるイメージを保ち続ける。
「いいぞ、ナっちゃん、初めてにしては上手く行っている…!」
フィカスのその一言が、どんなに嬉しかったか。
少しだけ自信をつけて、願いと祈りをかけ続ける。
心なしか、ハイドの呼吸が落ち着いてきて、顔色も少しだけよくなってきているように見えた。
このままいけば、完治させられる…!
いや、してみせる!
そう、強く思った瞬間、バシンと手を払われた。
「え?」と思っているうちに、ハイドは傷口を押さえながら、猫のように俊敏な動きで、大きく私から距離を取るように飛びずさった。
みんな、驚いたようにハイドを見る。
「……なに、余計なことをしているわけ? ぼくは魔族だぞ。わかっているのか? 哀れみか情けか、どっちにしろ、ごめんだね」
まだ、ハイドの息は荒い。
私は慌てて立ち上がる。
「ハイド、まだ傷がふさがりきってないのに!」
「寄るな!!」
言葉でぶたれた、という表現がふさわしいような、明確な拒絶だった。
反射的に、足を止めてしまう。
「お前ら、ホント能天気だよな。ぼくが何をしようとしていたか、わかっているのか? ぼくの狙いは、そこの赤毛だったんだよ。ソイツを魔族にして、それからソイツの目の前で、白髪を殺してやるんだ! すると、感情の爆発で、稀代の魔王が誕生する! 美しいシナリオだろ? 赤毛には、魔王の素質があるぜ。魔族は感情を爆発させるなんて、みっともない真似をする奴は少ないからな」
ハイドは、見下すような顔で笑う。
が、当のユウ本人は、ため息をつきながら、一歩前に出てきた。
「そんだけ元気なら、もう大丈夫そうだな。なんだかんだでその予定は遂げられなかったわけだろ、もういいって。さっさと行けよ。そんで、また色々めんどくせーこと考えて、遊びに来いよ。どうせいつも、うまく行きっこないんだからさ」
「オレは……運の悪い奴というのは……ユウくらいしか見たことがなかったが……お前も相当だな……ハイド。まさかお前に……同情をする日が来るとは……。わざと詰めを甘くしている……とも受け取れるほどだ」
マグも、ユウに続いて静かに語りかける。
二人とも、全然怒っていないようだ。
ハイドは、カーっと顔を赤くした。
「馬鹿にしているのかよ…!! だいたい、ナっちゃんがあのクソジェルミナールの子孫だって? 笑わせてくれるぜ、どういう展開なのさ! ぼくは驚かされる側に回るのは、あんまり好きじゃないって覚えておけよな、まったく、気が利かないったらありゃしない!」
しかし、誰もその言葉を取り合わず、ルグレイは一歩前に出た。
「ハイド様、陛下を救っていただき、ありがとうございました。なんとお礼を申せばいいか…!! 本来は私の役目ですのに、ナツナ様のことも庇っていただいて…! フェザールはか弱い種族です、あのまま切り裂かれていたら、ショック死されていたかもしれません。どうか私のことは手足と思い、これからは好きにお使いください」
「はあ…!? お前…ぼくは、魔族だぞ…」
「? そうらしいですね。ですが、私にとっては、ハイド様は恩人以外の何者でもありません!」
ハイドは、物凄く嫌そうな顔をして、逃げるような姿勢で、ふわりと浮かび上がる。
フィカスがそれを見上げた。
「ハイド、気が向いたらいいから、返事はちゃんとしに来てくれ」
「返事って、なんのだよ」
「もう忘れたのか? ニヴォゼ王室直属のマジック・アナリストの地位に誘ったはずだが?」
「………」
ハイドは、ぽかんとした顔でフィカスを見た。
「ぷいぃ? いつの間にかシークさんが消えましたよ?」
「……ふふ!」
頭の上できょろきょろするアンタローの仕草を見て、私はどうしてもこらえきれずに、口元を押さえて笑ってしまった。
ハイドは、毒気を抜かれたような顔で、ふいっと視線をそらす。
「……まったく、付き合ってられないな。もういい、またいつか遊んでやるよ。じゃあな」
「ハイド!」
マグが、何かを放り投げた。
ハイドが受け止めたのは、イチゴの形の、アイシングクッキーだ。
「今度はちゃんと食えよな!」
ユウが笑顔で言う。
「………」
ハイドは返事も返さずに、そのまま、フっと姿を消した。
「よかった……」
私は、心から安堵の息を吐く。
アンタローは、「活躍しましたよ、褒めてくださいっ」と言いながら、ユウの方にぴょーんと跳ねて行った。
本当にギリギリの戦いだったけど、なんとか…なんとか、収まってくれた。
回復魔法の成功も、思い出すだに、奇跡のようだ。
「なんだかんだで、ハイドには助けられたな。昼寝をしたばかりだが、もう動けそうにない。一休みをするか」
フィカスの言葉に、返事をしようとした、その時だった。
<・・・・・パラ・・・・・>
「ぷいいぃいいっ!」
アンタローが、キリっとした顔で、魔道車の方からぴょこぴょこやってくる。
………。
そして、ぷいぷいと私の頭の上に登って来る。
「……?」
手元に目を向けると、私は包帯代わりの上着の上から、ハイドの傷口を押さえ、圧迫止血をしている。
ハイドの顔色は真っ白で、ハアハアと、荒い呼吸を繰り返している。
………。
………は?
「ぷいぃいいっ!!(もろもろ、もろもろっ)(きりっと粒漏れ)」
アンタローは何も言わずとも、自主的に魔力の粒を吐いてくれた。
「あ……」
ようやく、何が起こっているのか、少しだけ理解が追い付いてきた。
ページが……戻った……?
え、なんで??
だって、ハイドも治って、全部、うまく行ったのに。
ハイドが、治って……。
……まさか…。
いや、ダメだ、今はとにかく、ハイドに回復魔法をかけないと、死んでしまう!
だけど、懸念が頭から消えずに、私まで、緊張で物凄く息が荒くなってきた。
「ナっちゃん、大丈夫だ、俺がついている。治すことだけを考えてみるんだ」
肩に、フィカスが優しく手を置いてくれた。
「っく…、…う……っ!!」
私はもう、全然余裕も何もかもなくなって、ぼろぼろと涙をこぼす。
「な、治って…治って、治って…!!!」
絞り出すように、願いを込める。
頭が働かず、もはや呪文でも何でもなかった。
「ハイドから、痛いの、消えて…!!!」
何とか、手の平から、じわりと暖かい光が出た。
だけど、先程うまく行った感じに比べたら、滅茶苦茶弱い光だ。
「………」
ハイドは薄眼を開けて、ぼんやりと私を見ている。
「…ナっちゃん、いいぞ、その調子だ…。大丈夫だ、相手を治したいと願えば、ナっちゃんなら叶えられる…」
フィカスが、とても優しく落ち着いた声を出すので、私も少しずつ落ち着いてきた。
本当に少しずつだが、ハイドの怪我が治っていく、かすかな手ごたえがあった。
「……ヘ…タク、ソ…」
ハイドは、とても弱弱しく、牙を見せて笑った。
先程の、元気に悪態をついていたのとは全く違って、私は悲しくなってまたぼろぼろと泣いた。
「泣くなよ…まったく…。治すなら…ちゃんと…治せよな……大人しく…していてやるからさ…」
「ハイド…! ハイド、死んじゃいやだ…!!!」
私はそう言いながら、ハイドに言っているわけではなかった。
神様、お願いします。
原文に、それを書かないでください。
それ以外だったら、どんな恥ずかしいのでも、何でも、受け入れますから…!!!
だけど。
だけど、私は知っている。
原文を書いたのが、神様でも何でもないことを。
「う……っ、く……っ!」
何とか、嗚咽をこらえながら治療を続けると、ハイドは、困ったように笑った。
「馬鹿だなァ、ナっちゃんは…。魔族のためになんて泣くなよ…。安心しろよ…ヴァンデミエルで貸し一つって…言っただろ…。あれをまだ返してもらってないんだ…死んでたまるかよ…。…あーあ、なんでぼくが元気づける側になっているのさ…。これじゃ、あべこべだろ…」
ハイドは、さらりと私の髪を掬い上げるようにして、指を絡めてきた。
私の頬に、ハイドの手が当てがわれ、涙をぬぐってくる。
ハイドの手は暖かくて、私はそれだけで嬉しかった。
だけど。
私は、原文を読まなくちゃダメだ。
早く読んで、この不安は気のせいだったと、確信したい。
読みたくない。
怖い。
だけど、だけど…!
気が狂いそうな葛藤だった。
しかし、ハイドはもたもたしている私を叱咤するでもなく、辛抱強く、後から後から込みあがってくる涙を、静かにぬぐってくれる。
みんな、何も言わず、私たちの様子をじっと見ていた。
それは、とても優しい時間に感じた。
終わらないで欲しい、残酷な時間でもあった。
「…もう、いい。もう、動ける」
ハイドの方から、その時間を打ち切ってきた。
先程とは違い、ゆっくりと、確かめるように立ち上がっている。
「この服は貰っていくぜ? 包帯にしちゃ、みすぼらしいけれどね」
ハイドは、血まみれになった私の上着で傷口を隠すように抑えたまま、まだ疲労の残っているような顔をしている。
まだ、全快していないんだ。
「ハイド様…!! 陛下を救っていただき、ありがとうございました…!!」
「様って…ぼくは魔族だぞ?」
ルグレイとハイドが、先程と同じようなやり取りを始めた。
今だ。
原文を見るなら、今しかない。
私は座り込んだまま、目を閉じて、そっと指を組む。
「ぷいぃいいっ!!(もろもろ、もろもろっ)(きりっと粒漏れ)」
幸い、アンタローはまだ魔力の粒を吐いてくれている。
この残った魔力では、たぶん、全文は見られない。
が、やるしかない。
なるべく、最低限の結論だけを見るように、イメージして。
私は深呼吸をして…願いを込める。
このシーンの原文、でてこい!
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ハイドは力尽き、風化をするように、塵となった。
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………。
<・・・・・パラ・・・・・>
<つづく>




