死を覚悟した日(上)
うっすらと目を開けると、心配そうに覗き込んでくる顔が二つある。
一人は夕焼け色の長い髪を三つ網にしている17、18くらいの青年で、瞳の色は新緑色。額には、瞳と同じ色のバンダナが、鉢巻きのように巻かれていた。
もう一人も同い年くらいで、銀に近い白髪を無造作に流している…ほとんど、ざんばら髪をしている、と表現してもいいような青年だ。
目の色は晴れた空の色で、季節外れのマフラーを、顎を埋めるように巻いている。マフラーの色は上品なグレイだ。
二人とも奇抜な…というより、RPGに出てくる軽装の冒険者スタイル、といった、現代社会ではなかなか見慣れない格好をしていた。
「……?」
どちらの顔にも見覚えがなく……というより、見覚えよりも現実感がない。
それくらい整った顔立ちで、赤髪の人はちょっと幼さの残る愛嬌のある感じがするし、白髪の人の方は人形のような、静謐な質感?がある。
まるで泥のような眠りについた後の目覚めに似た、ここがどこなのかわからないあの感じ。
そういった重だるさから抜け出してみると、私が今置かれている状況は、赤髪の人に支えられ、介抱を受けている最中のようだ。
「お、目が覚めたみたいだな、大丈夫か?」
心配と興味が綯い混ぜになったような瞳がこちらを見据えてくる。
貧血で倒れて迷惑でもかけたのだろうか?
一度だけそういった経験があったため、焦ったように上体を起こし、尋ねた。
「ここは…?」
不安げに辺りを見渡してみても、やはり受ける印象は同じだった。
昼日中の川べりということはわかるが、どこか輪郭がぼやぼやとしていて、現実感がない。
「ああ、言葉は通じるみたいだな、そこだけでもよかった!」
赤髪の人の安堵感が伝わってきて、私も少しだけ安心した。
雰囲気的にこれは夢なんだろうな、という安心感だ。
少し遅れて、彼は私の質問に答えてくれた。
「ここは、もう少し行けばテルミドールの街、って辺りかな。なあ、それよりもさ、どうして空から落ちてきたんだ?」
好奇心を隠し切れない、といった様子の赤髪の質問に、心の中で笑ってしまった。
空からって!
先週金曜にやってるロードショー見たからなーーそれかーー影響受けやすいからなーー私。
でもどうしよう!?
この質問にはすごく答えづらいというか、そもそも自分の事情も分からないし、まさか「ロードショーを見たからです」とか言えるわけがない。
「ええと…!?」
内心に収めるどころではなく、表面に出るほどにうろたえてしまった。
会話というには不自然なほどの間が空いてしまい、ますますあわあわしてしまう。
「………ユウ、あせらすなよ……かわいそうだ……まずは自己紹介からだろ……」
今までだんまりだった白髪の人が、唐突に口を開いた。
YOU?
ど、どういうことだろ?
あ、私に名前を言えってことかな?
「あーーそりゃそうだな、そうだよな、悪い悪い!」
赤髪の反応を見て、ああユウって名前なのか、早とちりしなくてよかった…と胸を撫で下ろす。
「俺はユーレタイドってんだ、で、こっちの愛想の悪いのがマグシラン。長ったらしいから、ユウとマグでいいぜ! お嬢ちゃんはなんていうんだ?」
そう言ってなつっこく笑いかけてくる赤髪のユウと、じっとこちらの動向を見守ってくる、白髪のマグ。
というか、お嬢ちゃんだって! うわー、ちょっと嬉しいね、私の方が年上でしょうに!
「 」
と口を開こうとして、ハタと制止する。
名前って、どうすれば!!!?
私の本名は夏菜だけど、でもユーレタイドとマグシランってめちゃくちゃ西洋ネームなのに、私だけ「あ、夏に採れるナツナです~」っておかしいよね!?
リアルでいうと、「太郎です」「二郎です」「貫天院殿純義誠忠大居士です【注1】」とか名乗るようなものじゃない?
「その…!」
なんとか…なんとか無い知恵を絞り出そうとして、そして知恵が無いことを思い知る結果になった。
そうだ、スマホゲームとかのハンドルネーム【注2】は…ダメだ、横文字とは程遠いし…!
く…! いい人たちそうなのに、こんなに歯切れの悪い態度じゃ初対面で怪しまれる…!
もう無理に空気を読んだりせず、普通に名乗ったほうがいいのかな?
でも、でも…!
泣きそうになっていると、またマグのほうが助け舟を出してくれた。
「……ひょっとして、名前……わからないとか……?」
………
それだ!!!!!!
それだよ、天才か!
確かにここは記憶喪失のフリでもしておいたほうが、逆に話がスムーズに進むのでは!?
天啓を授かったような心境で、マグの言葉にうんうんと何度も頷いて見せた。
「あちゃー…マジか、そりゃ普通じゃねー事情はありそうだし、トントン拍子にってワケにはいかねーだろうなとは思っちゃいたが…」
ユウは困ったような顔で頭を掻いている。
しかし私も同じ心境だ。
夢みたいな展開なんだし、もうちょっとスムーズに色々と思いついたりすればいいのに。
「……あと少し行けば街だから……とりあえずそこまで連れて行こう……」
そう言ってマグは川の下流の方角を見やった。
ちょっとぼんやりした感じだなという印象だったけど、いい人だなあ、この人。
ユウのほうも、厄介事だとか手間だとかとかいう印象を抱いた様子は全く見られず、むしろこちらの頭を撫でてきた。
「ごめんな、考え無しに色々聞いちまってさ。怖かったろ。そうだ、詫びといっちゃなんだが、呼び名がないと不便だよな、俺が名前つけてやるよ!」
おお…なんだか、言い方はおかしいかもしれないけど、善行が手馴れている。
子供をあやすような態度なのはちょっと気になるが、至れり尽くせりを感じてしまう。
当の私も、新しい名前が付くと思うとワクワクしてきた。
一生懸命に何度も頷いて、ユウの方を見上げて待つ。
「うーーーん、そうだなあああああ……」
社会人になって何年も経つ私は、こういう時に余計な口を差し挟んで思考の邪魔をしてはいけないことを知っている。
社会人と言っても色々なスタンスの人がいるだろうが、私は基本的に、笑ったり突っ込んだりという感情は涼しい顔で内側にとどめておくタイプだ。
たまたま就職先に話好きの人が多かったため、この聞き上手で居ようとする習慣が染み込んでしまっているだけだが。
しかしだからこそ、ユウがどんな名前を付けてこようが、いい名前ですねとか、気に入りました的な返答をする自信がある。
つまり、この時間は純粋にワクワクできた。
「よし、決めた!」
きた!私の新しい人生が始まる!
「ナツナって名前はどうだ?」
なんでだよ!!!!!!!!!!!!!
おかしいだろ!!!!!!!!!!!?
二の句が継げず、愕然としていると、マグが呆れがような声を出した。
「お前それ……ヘレボラスさんちの犬の名前……」
しかもチャンワンっ!
「おっ、よく覚えてたなーマグ、だってちっこい生き物ってアレぐらいしか思いつかなくってさー」
ちっこいって…男女差はあるけど、そんなに背丈は違わないよね?
そう思ってなんとなく自分の手の平を見てみる。
……ん?
毎日見ているのより、明らかに小さい。
手足も短い。いや、もともとスラっと長くはないけどね。
ユウを突き飛ばすようにして立ち上がり、焦ったように近くにある川の水面を覗き込む。
うわ!!!!?
なんか目と髪の色がうっすらと蛍光緑なんだけど!!? というのが一番最初に気になった。
ふわふわとした、ねこっけの長い髪。
年の頃は10歳…いや、12歳くらいかな?
ポンチョのようなゆったりとした質感のいい服に身を包んでおり、その淡い色合いは、きちんと髪の色と合わせたものだった。
首からはオカリナのような小さな楽器のついたペンダントをぶら下げていて……って、これ川の水面だよね?
こんなに色までくっきり映すって、やっぱり現実とはちょっと違う感じがする。
そんなことを考えながら右頬を触ってみると、水面に映る少女はちゃんと左頬を触っている。
これが私ということ…?
いや、でも、これが私でいいよ。
ものの2秒でそういった考えに切り替わった。
だって美少女じゃない?
なんかもう、それだけですべてを受け入れられるよ。
大方の人はそういう気持ちを分かってくれると思ってる。
その時、一瞬だけ、記憶に引っかかる何かを感じた。
「…??」
なんだろう。
小学生くらいの少女が、高校生くらいの二人と一緒に…?
夢なわけだし、何かの本で読んだ光景とか?
…なんだろう??
もうちょっとで思いつきそうな…感覚がよぎったとき、ユウが慌てて声をかけてきた。
「どうしたんだ、何か思い出したのか? それとも名前が気に入らなかったとかか!?」
こちらを覗き込んでくるユウの表情には、心配で仕方ない、という感情が溢れていた。
「な、なんでもない…!」
その様子に罪悪感を抱かない人間がこの世にいるだろうか? というレベルで申し訳なくなってきた。
親切にしてもらったのに意味の分からない行動ばかりして、恩を仇で返すとはこのことだ。
「名前気に入った! よ!」
急いで付け足す。
「……混乱しているんだろう……無理もない……記憶喪失になったことはないが……オレだって同じ立場なら……なんらかの焦りはあるはずだ」
後方でマグが静かに声をかけてくる。
改めて、対照的な二人だなと思う。
というか、マグには先程から助けられてばかりなため、その静かな物言いといい、救いを感じ始めている。
とっつきにくい感じなのに優しいって、いいなあ。
「そうか、そういうことならいいんだが……とにかくこんなトコじゃいつ魔物が出るかもわからねーし、ナツナ、ひとまず街まで歩こうぜ。歩けるか?」
うん、と頷いて同意を示しながら、あ、魔物とか出る系の世界なんだ、とひそかに情報整理をする。
「魔物……魔王が倒されてから、あんまり見かけないだろ……むやみに子供を怖がらせるなよ……」
フォロー魔のマグが付け足す。
ほうほう、アフター魔王の世界なんだね。
よかった、魔物ってピンキリだし、建物くらいでかいイモムシが出たら私は絶対悲鳴をあげて逃げ出すことだろう。
じゃあ、のんびり異世界旅旅行って感じの道程なのかな?
…うーーーん。
でも、名前のことといい、なにかおかしいんだよねえ、この世界というか、この状況。
具体的に何が、とは言えないんだけど…
相変わらずぼやぼやしている世界の輪郭をムズかしい顔をして眺めていると、何かを察したユウがしゃがみ込んで背中を見せてくる。
「ほら、おぶってやるよ、乗りな」
優しさの化身か!?
「あ、ありがと…う」
咄嗟にお礼を言ってしまったため、同意を示したことになってしまった。
申し訳ないが、もそもそとおんぶしてもらう。
ちょっと考え事に集中したいし、ここは好意に甘えよう。
「うっわ、軽いな!? ナツナ、ちゃんと背中に乗ってるよな?」
ユウが立ち上がりながら確認してくる。
大げさだなーと思いつつ、軽いと言われて喜ぶ女のサガが発動して、にこにこ笑顔で頷き返した。
「おっしゃ、しゅっぱーーつ!」
まあいいや、いろいろと!
とりあえずこの二人に拾われた幸運に感謝しつつ、ここがどういう場所なのかどうかもよくわかってないけど、道中楽しむつもりでガンガンに観光していこう!!
人生楽しんだもの勝ちっていうもんね!
よーーし、前向きに、旅を楽しむぞーーー! おーー!
<・・・・・パラ・・・・・>
その時、確かに耳に届いた音は、まるで本のページをめくるような音だった。
そして私はなぜかその音を、とても嫌な音だな、と感じた。
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「お、目が覚めたみたいだな、大丈夫か?」
今や見知った二つの顔が、心配と興味が綯い混ぜになったような瞳で覗き込んでいる。
………は????
一瞬何が起こったか理解できず、上体を起こしてきょろきょろと辺りを見渡す。
昼日中の川辺。
どうやら私は、またもやユウに介抱を受けている状態になっており、…しばらーく考えて、ひょっとして熟睡してユウの背中から落ちたのかな、という結論に達した。
「ご、ごめん二度も!」
早口でまくしたて、力こぶを作って見せる。
「げんきだよ! ケガない!」
思考が追い付かず、カタコトみたいな喋り方になってしまった。
それを見て、ユウは安心したように笑う。
「ああ、言葉は通じるみたいだな、そこだけでもよかった!」
…????
「なあ、それよりもさ、どうして空から落ちてきたんだ?」
きょとんとしていると、矢継ぎ早に質問がきて、ますますわからなくなる。
「………ユウ、あせらすなよ……かわいそうだ……まずは自己紹介からだろ……」
「まって! ユウ、と、マグ…だよね?」
おそるおそる問いかけると、二人の動きが固まる。
「な、ナツナだよ、わたし…!」
必死に自分を指さす。
「ええと…ひょっとして、どっかで会ったことあったっけ? 悪い、お嬢ちゃんみたいなかわいい子、忘れるはずがないんだけどなーー、ちょっと記憶にねえや」
ユウは、悪い、と片手でごめんネをしてくると、すぐに片眼をつむって笑いかけてきた。
「ひょっとして、俺に惚れこんで空飛んできてくれたってことか? いやーーモテる男はつらいぜ!! なんつって」
「ナツナ……か。話が早くて助かる……何か事情がありそうだが……あと少し行けば街だから……とりあえずそこまで行こう……落ち着いて話せる」
ユウの話は無視しながら、マグは川の下流の方角を目で示す。
…………
が、がんばれ、私。
ひょっとしたら私にはエーテルの流れか何かが見える的な予知能力があって、最初のは未来に起こる出来事を前もって知って~みたいな流れで、これが本番なのかもしれない。
それだったら失敗しらずの観光生活を送れそうだし、おおいに結構な話になるよ!
もうそういう設定か何かであってほしい!
「じゃあ俺らの歩調に合わせるよりかは楽な方法がいいよな。ほら、おぶってやるよ、乗りな」
あ、この流れも一緒なんだね。
そりゃそうか、状況が多少変わったところで、この人たちの性格が変わるわけじゃないんだから。
「ありがとう…」
今度は素直に感謝しながら、もそもそとおんぶしてもらう。
「うっわ、軽いな!? ナツナ、ちゃんと背中に乗ってるよな?」
いやーーー、二度目ともなるとなんか喜びの方の新鮮味が薄れて辛いわ色々と! 串揚げだって二度付け禁止なんだよ!
うんうんとユウに頷いて見せながら、ついつい苦言めいたことを考えてしまう。
いや、ダメだよこれは、よくない!
人生楽しんだもの勝ちっていうもんね!
幸い私はよほどのクソゲーじゃない限り、どんなゲームも普通に楽しめるタイプだ。【注3】
「おっしゃ、そんじゃしゅっぱーーつ!」
歩き出すユウの背にしっかりとしがみつきながら、街においしい食べ物がありますように、と前向きに未来に思いを馳せた。
<・・・・・パラ・・・・・>
また、あの音がした。
「お、目が覚めたみたいだな、大丈夫か?」
…………
おかしいだろ!!!!!!!?
いやさすがにこれは、どうなってるの!!!?
新手の拷問か!!!!?
これがゲームだったらコントローラーを放り投げるレベルだよ!
まあ私は一度も投げたことはないけど!
でもまた同じ問答が待ってるかと思うと苦痛でしかない!
ユウもマグも言葉が通じるどころか、優しいし全然悪くないのに……苦痛を感じてしまうなんて、ひどすぎる……
………
今、何かが、また引っかかった。
言葉が通じる…
………。
……。
………あ
うわああああぁああああああ!!!!!?
おおおおおおおおおおお思い出した!!!!!!!
シナプスがバリバリつながる、電流に似た衝撃が走る!!
そうか、通じちゃ駄目だったんだ!!!!
<続く>
【注1:貫天院殿純義誠忠大居士】
近藤勇の戒名。別にナツナが新選組の大ファンというわけではなく、ナツナは小学生の頃、長い名前を覚えたい症候群を発症しており、百人一首を覚えたり、じゅげむのフルネームを覚えたり、ボスニアヘルツェゴビナ等を嬉々として覚えたりしていた。
しかし百人一首は音だけで覚えて作者も意味も分かっておらず、じゅげむは日常的に使うこともなく、ボスニアヘルツェゴビナに至ってはどこにあるのかもわかっていない。
役に立つことは一度もなかった知識である。
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【注2:ナツナのハンドルネーム】
ナツナのハンドルネームの一例として、「カゲバラさん」「カゲバラーズ」等がある。
なぜこんなにもこのワードに惹かれるのか、いつか陰腹を切る日を望んでいるのかどうかは本人にもわからない。
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【注3:どんなゲームでも楽しめる】
そう思うきっかけとなったのは、インターネットデビューして、いろいろな人のゲームレビューを見たからだった。
ゲームをやっているときは何とも思っていなかったし、楽しかったなーとすら思っているゲームが、RPG三大電波主人公が出るゲームとして名を馳せていることを知った時の衝撃といったらなかった。
ナツナは特に何も考えずにゲームや漫画の内容をすべて受け入れて読んでいるので、よくそういう世間とのズレが生じる。
批判的に見る、という能力の欠如ともいえるのかもしれない。
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