田中家
俺はいま豪邸の前に立っている。
うちからゆっくり歩いて大体三十分の高級住宅街のど真ん中である。
「……ここで本当にいいのか? 表札は田中となっている。きっと大丈夫だろう」
週末の土曜日。
今日はバイトもない。七瀬はお姉さんと花園に連れられて街に繰り出している。なにやらおしゃれを学ぶ特訓をするらしい。
俺は田中に見てもらいたいものがある、と言われて田中のうちにお呼ばれされた。
「ここで待っていても仕方ない。……友達の家に行くのは久しぶりだ」
中学の頃、祭りの時に花園の家へ行った時以来だ。
少しだけ緊張する。
俺はインターフォンを鳴らそうと手を伸ばしたその時――
「……君は誰だ?」
俺の肩に感触があった。
振り向くと、タンクトップ姿の男性が俺の肩に手を置いて立っていた。
全身が総毛立った。全くもって気が付かなかった。
決して油断していたわけではなかったのに、ここまで無防備な背中の接近を許したのはあの小学校以来だ。
さっきまで閉まっていた入り口の門が開いているという事は田中家の人なのだろう。顔立ちが田中そっくりだ。きっと田中のお父さんに違いない。
「し、失礼しました。お、俺、いや、僕はこの家の田中……さんにお呼ばれされた藤堂剛です」
初対面の大人とはどんな風に話していいかわからない。おかしな敬語になってしまう。
「そうか、私は田中善治。波留ちゃんは私の愛娘だ。息子はどうでもいいが、波留ちゃんにつきまとう輩は俺が許さん」
「い、いや、俺は田中と学友である! つきまとうだなんて誤解だ」
「学友? ……藤堂剛。確かに波留ちゃんから名前は聞いたことはある。いつも波留ちゃんが楽しそうに話している男の子じゃないか!! さて、俺が納得するまで、尋……質問に答えてもらう!!」
「あ、ああ、別に構わないが……」
なんだ、このひとは? 田中の父上だと思うが、圧力がすごい。人間関係以外では戸惑うことが少ない俺が、困惑してしまう。
田中氏は俺にどんどん質問を繰り広げる。
「――波留ちゃんの好きなものは」
「――波留ちゃんが私にくれた初めのプレゼントは」
「――波留ちゃんが赤ちゃんの時――」
質問が質問の意味をなしていないような気がしないでもないが、俺は時折相槌をしながら話を聞く。
内容は田中の自慢話みたいなものだ。
もうすぐ約束の時間になってしまう。
遅刻をするのはいけない事だ。しかし、田中のお父さんを名乗る彼を無下にするわけにはいかない。
さっきから肩に乗っている田中氏の手の圧力が増している。
俺は身体を流して田中氏の手から逃れようとした。
が――
「まて、逃さんぞ。なぜ逃げようとした? 何かやましいことでもあるのか? ……私と勝負したいのか? 私に勝ったら波留ちゃんにあわせてあげよう」
俺の困惑がヒートアップする。奇妙な体術で俺の腕を取ろうとする。俺はとっさにその手を振り払ってしまった。田中氏は怪訝な顔で俺を見つめている……。
本当に田中の父上なのか? しかし面影はある。田中に似て非常に端正な顔立ちだ。
顔と身体のバランスがおかしい。
勝負とは? 田中氏が何を求めているかわからない。……もしや、田中の友達として最低限の力を見せる必要があるのか?
ならば、これは闘争だ――
逃げるわけにはいかない。
田中の友達として恥ずかしいところは見せられない。
「仕方ない。田中氏、胸をお借りしよう」
「……なるほど、君が初めてだ。私に驚かず逃げなかった奴は」
田中氏がゆっくりと両手を差し出す。俺はその両手を組み合わせるように握りしめる。
田中氏からの圧力が徐々に高まる。
俺も田中氏の腕を壊さないように、徐々に力を込める。
「……」
「……」
言葉はいらない。お互いの拳から伝わってくるものがある。
田中氏の圧力が止まらない。俺もそれに同調するように力を込める。
かなりの力を加えているのに、田中氏は微動だにしない。
こんな経験は初めてだ。
「……こ、これは」
「……学生にしては……この力量は」
田中に会うための必要な試練だ。
田中は非常に可愛い。それに気さくだから勘違いしてしまう輩がいると聞いた。
……俺も勘違いだったのだろうか? そんな事はない。俺と田中の間には確かな絆がある。
俺は田中氏の気持ちを理解している。
田中氏は田中を本気で愛している。だから大切な人を守ろうとしているんだ。
ならば、ここからは全力で臨むのが筋だ。
俺がより一層力を入れようとした時――
「ちょっと何やっての!! パ、パパ、恥ずかしいからやめるじゃん!!」
田中が玄関から飛び出してきたのであった。
田中氏から初めて動揺が見られる。
力が抜けたと同時に俺は手を離すのであった。
田中が眉間にシワを寄せて怒っている……。
こんな表情は初めてだ。なるほど、これがギャップというものだろう。とてもかわいいと思ってしまった俺がいる。
「パパなにしての!? 今日はお友達が来るって言ったじゃん!!」
「そ、それは、その、波留ちゃん……。だって男の子だなんて思わなかったし」
「パパ……、ちゃんと言ったじゃん。ていうか、藤堂は私の大事な友だちなの! 早く入ってもらってよ!」
田中氏は俺を一瞥して鼻を鳴らす。
「合格だ。藤堂剛、家に入ってもかまわないぞ」
「パパっ! お客さんなんだからね! 本当に怒るよ! もう、藤堂ごめんね? 変なパパでしょ?」
「いや、田中を愛しているのがとても伝わってきた。良いパパさんである」
「おいっ! 君がパパって呼ぶんじゃない!」
「しからば田中氏、お邪魔します」
田中氏がしょうがない、といった表情でうなずく。
田中は何故か俺の腕に抱きついてきた。
「えへへ、何もない家だけど上がるじゃん! ジュースとケーキ用意してあるから!」
「あ、ああ、それは嬉しい事だが……」
俺と田中との距離感を田中氏が見て、身体を震わせていた。こっちにまで聞こえてくるほどの歯ぎしり。血が滲んでいるではないか……。
田中は俺の手を引っ張って玄関まで走るのであった。
……それにしても、門から玄関の扉までが非常に遠い家だ。
*********
「藤堂剛、君が波留ちゃんに変な事をしたら全力で潰す」
田中氏はその言葉を残してリビングから出ていったのであった。いや、気配は廊下にある。きっと話を聞いているのだろう。
田中がケーキを頬張りながら俺に言う。
「なんかパパがごめんね。普段はすっごく優しくてカッコイパパなんだけど、私が男の子と一緒にいるのを超嫌がるじゃん」
「ふむ、良いパパさんではないか。……田中氏の仕事は格闘家なのか?」
「え? 違うよ。普通のサラリーマンだよ! 筋トレが趣味なだけじゃん」
「む? そ、そうなのか? いや、そういうことにしておこう……」
「それに私が初めて男の子の友達をお家に呼んだから緊張しちゃったと思うじゃん。変なパパだけど許してね」
「もちろんだ」
パパさんの筋肉は明らかに筋トレで鍛えたものではなかった。あれは実践で鍛えられたものである。
この前お姉さんを助けた時に対峙したボディーガードよりも数十倍強いだろう。
「弟はパパといつもトレーニングしているの。ていうか、みんな自由人すぎるじゃん。昨日は藤堂の事を話したら、一緒にトレーニングしたいって言ってたよ」
「ふむ、ぜ、善処しよう……」
「ぷっ、懐かしね、それ。久しぶりに聞いたじゃん」
「確かにそうだ。懐かしいな……」
本当に懐かしい。田中はいつも俺を導いてくれた。田中がいなかったら俺は間違った方向に進んで取り返しの付かないことになっていただろう。
そんな田中はなぜ俺を家に呼んだんだ? まだ理由を聞いていない。
「あっ、パパの話はこれぐらいにして……」
廊下の気配が薄くなった。足音は聞こえないが、きっと移動したのだろう。
「ふむ、本題か」
「うん、今日はね、藤堂に見てもらいたいものがあってね……。そ、その、最近ずっと一緒にいられないのも理由だけど……。ちょ、ちょっと待つじゃん!」
田中はそう言うと、リビングの隅っこに置いてあったノートパソコンを取りに行った。
とてつもなく広いリビングだ。俺がいた小学校の教室くらいの広さはあるだろう。
戻ってきた田中がノートパソコンを起動させる。
「えへへ、これ見てほしいじゃん。ほら、藤堂こっちに来るじゃん!!」
「あ、ああ」
俺は田中に言われるままに背後へと回る。
田中と距離が近い。田中からは良い匂いがする。
少しだけ胸がドキドキする。
ノートパソコンにはなにやらアニメ風のキャラが描かれていた。
アニメ風の画像が田中の動きにあわせてゆらゆらと動く。
「これは……一体?」
「えっとね、これは私の分身みたいなものじゃん。Vtuberって言うみたいだけど、弟に作ってもらったんだ」
俺はこれが何を意味するのかわからなかった。
アニメのキャラが田中?
困惑している俺に田中は説明を続ける。
「Vtuberはアバターを使って、色々配信する人の事を言ってるじゃん。ゲームをする人や雑談する人、色んな人がいるのね。で、私は……、これを使って歌を歌おうと思ってるじゃん」
「なるほど、理解した」
「それでね、やっと準備ができたから配信する前に藤堂に見てもらいたかったじゃん」
「俺に?」
「うん、藤堂に。だって、藤堂と出会わなかったらこんな風に思わなかったじゃん。流石に顔出しは嫌だし、芸能事務所には入りたくないし、それでも、私の歌が誰かに届けばいいなって思ったじゃん。だからこの方法を選んだんだ」
田中は後ろを振り返り、俺と向き合う。
俺は思わずどきりとしてしまった。
「だから、藤堂、初めての配信を見てほしいじゃん」
***********
俺は遠くから椅子に座って田中の奮闘を静かに見守っている。
慣れないPC作業なのか、準備に戸惑っている。
配信はもう始まるんだろう。
田中からは緊張の様子がうかがえる。
そして、深呼吸をして、一言だけ言葉を発した。
『今から歌を歌います』
無駄な言葉を使わない田中らしい一言だ。
その一言で田中の空気感が変わった。
無音の中、田中は歌を歌い始めた。きっと頭につけているヘッドセットから楽曲が流れているのだろう。
リビングには田中の歌声だけが広がる。
とても心地よい歌声であった。
なぜだか田中との出会いを思い出す。
あれはシェフのお店でアルバイトをする初日であった。
その頃の俺は金に困っていたわけではない。中学を卒業しても自分が普通の生徒と違うと理解していた。
少しでも一般社会に馴染みたかった。
学校以外の場所で人間関係を学べば成長すると思った。
『ふーん、藤堂って私と同じ学校じゃん! てか、ここでは私が先輩だからちゃんと言う事聞くのよ』
『その変な敬語やめてよ。同学年なんだからさ普通の話すじゃん』
『あちゃ〜、また怒らせちゃったか……。シェフに報告しに行くじゃん。一緒に謝ろ!』
『よーすっ! もう上がりでしょ? 一緒に帰るじゃん! あっ、ジュースでも飲もうか!』
『あははっ、藤堂ってなんかパパに似てるじゃん』
『マジうざ……、あっ、藤堂の事じゃないからね。……男の人ってなんで下心丸見えで接してくるのかね』
『へー、一緒にランニングしてる後輩がいるんだ。……藤堂って運動できるんだ。びっくりじゃん』
『ね、ねえ、私とカラオケ……、ううん、なんでもないじゃん! 一緒に帰ろ! ところでさ、藤堂って幼馴染といい感じなんでしょ? つ、付き合ったりするの?』
『リセットしても大丈夫。だって、私は藤堂の事信じてるもん』
ほんの数分しか時間は経っていないだろう。
だが、俺は記憶の奥底をずっと旅していた気分だ。
何故か込み上げてくるものがある。
悲しい気持ちではない。田中の歌声によって呼び起こされたものだ。
気がつくと、田中はヘッドセットを取り外して深い息を吐いていた。
「ふぅ……、終わったじゃん! あーー、緊張した。てか、おかしくなかった? あれでいいのかな?」
俺は自分の動揺を田中に見られたくなかった。
きっと俺は今酷い顔をしているだろう。
「……素晴らしい歌だ。田中との思い出が脳裏に駆け巡った」
田中は恥ずかしそうにうつむく。
「えへへ、良かったじゃん。だって、この歌は藤堂と出会った時の気持ちを込めて作ったんだよ」
「そうか、とても光栄な事だ。……田中」
俺は立ち上がり田中に近づく。
以前、俺は淡い好意を抱いていた。その気持ちはリセットして消した。
リセットしても再び浮上したその気持ち。
そして、リセットを壊して過去の記憶と感情を思い出した。
田中への想いをなんて言っていいかわからない。
ただ、いまは田中を抱きしめたい想いにかられる。
「……やはり田中には敵わないな」
「なによそれ。……褒めてくれてるの? ……へへ、じゃあ甘えてのいいのかな?」
俺と田中が見つめ合う。
胸のドキドキが止まらない。身体がふわふわして体幹が安定しない。
田中のキレイな瞳に吸い込まれそうだ。
俺はそのまま自分の手を田中の顔に近づける。
田中はなぜか嬉しそうに目を細めていた。
そして――
「ごほんっ――」
いつの間にかリビングに入ってきた田中氏の咳払いによって、俺たちの動きが止まってしまった。
一旦ここでお休みします。定期的に更新するので、次の再開は11月中を目処に考えています。『にゃんポメ』のコミックスの二巻が10月27日に発売するので、『にゃんポメ』の連載再開の準備に入ります。




