間違いでしたと・・・
暖かな光が降り注ぎ、柔らかな風が頬をなでる。
鳥達は、軽やかに鳴きながら、翼を広げ空へと羽ばたき、暖かな日差しが優しく肌を温める。
穏やかで、心地良い・・・
「エレノア。」
春の陽気・・・
「おい、聞いているのか?」
そんな中で聞こえて来るのは・・・
「また昔を思い出して、ボーッとしてるだろう。」
ここ三ヶ月ほど、毎日聞いている声であり、エレノアの溜息の原因である。
「はあああぁぁぁ・・・どうしてこうなってしまったのでしょう・・・。」
王城の中庭に置かれたベンチで、悲痛な声を上げ、両手で顔を覆うエレノア。
対して背後から聞こえてくるのは、溜息混じりの呆れた声。
「何だ?まだ言ってるのか?」
「ええ、言いますよ。私は、アレが王家の結婚の儀式だったなんて知らなかったんですから。」
苛立ちと共に両手から顔を上げ、振り返れば、白地に煌びやかで細やかな金の刺繍が施された、眩しいほどに煌びやかな正装を身に纏ったブライアンが立っていた。爽やかな笑顔と、自信に満ち溢れた立ち姿・・・何故、今まで王族だと気付かなかったのか、不思議なほどの存在感・・・どうやらその隣に、これから一生立たなければならないらしい。
それも、泉でハルデスと言う名の花を受け取った為に。
プロボーズを受け入れてから、一週間後。家族から祝福されながら屋敷を追い出され、大歓迎されながら城へと連行されてから、数日が過ぎた頃、エレノアは気付いた。城に来るまで普通だと思っていたが、どうやら王族としての振る舞いや、隣接する国々の知識やマナー。この国の法や国内情勢まで、勝手に徹底的に叩き込まれおり、ただのお飾りの王妃としてでは無く、王を支え共に決断していける王妃に、勝手に仕上げられていた。
その事を、怒る気も、喜ぶ気も、感謝する気も無いが・・・一つだけ気になる事はあった。
王妃教育を受けていたらしいのに、なぜだか肝心の王族に関する事だけが、スッポリと抜けていた・・・それはまるで、誰かがわざとエレノアに学ばせなかったかの様に・・・その誰かは、多分目の前の人物の様な気がするが・・・
とにかく、そのおかげでエレノアは知らなかった。エレノアの薬指の付け根に付いている青い花の模様の意味や、王家の結婚の儀式について何も知らなかった・・・
王族の者は、結婚したい相手をあの泉に連れて行き、泉の底に住まう精霊に伴侶にしたい事を伝える。すると精霊はその相手がふさわしい相手か見定め、精霊が認めれば花を持ち帰り、相手に求婚する事ができ、相手が受け入れれば、結婚成立となる。その証が薬指の付け根に現れた青い花の模様・・・
つまりは、婚約ではなく・・・結婚・・
エレノアは現在、既にブライアンの妻なのである。
「儀式など、大した問題では無いだろう。俺が求婚して、エレノアが受け入れた。それだけの話だ。」
「それだけ・・ではありません。私、本当は平民に嫁ぎたかったのに・・・」
エレノアは平民に嫁ぎたかったからこそ、両親に内緒で兄に紹介してほしいと頼んだのだ。
「婚約であれば、破棄する気だったのか?」
「そうではありませんが・・・。」
平民だと思っていた人が王族で、婚約だと思っていたのに結婚で、全て無かった事にしたい訳では無いが、不満ぐらいは漏らしたい。
「貴族の家に産まれ、貴族として育ち、友人も貴族ばかり。何故平民に嫁ぎたいと思うのか分からん。」
「それは・・・。」
ブライアンの言いたい事は分かる。平民となってしまえば、気軽に両親や友人達と会う事が出来なくなってしまうし、生活環境だってかなり変わるだろう。それなのに何故、行きたがるのか・・・
理由はきちんとある。しかし、それをブライアンに伝えるには、とても勇気がいる。普通の人であれば、『そんな事?』と言われる様な事なのだが、嫌なものは嫌なのだから仕方がない。
「見ている限り社交界が苦手という風にも見えなかったし、学ぶ事が苦手という風にも見えない。」
「そうですね・・・どちらも大好きというわけではありませんが、嫌いでもありませんね。」
考えながら言えば、何故かブライアンの顔が思い詰めた様に曇っていく。
「ならば・・・俺の事か?」
「え?」
「俺の事が嫌いなのか?」
「違います、そうではありません。私は・・・」
「無理をしなくても良い。かなり強引だった事は自覚している。ただ、エレノアが結婚相手を探していると聞いて、他の者に取られたく無いばっかりに、俺が焦ってしまったのが悪かったのだ。」
悔しそうに、悲しそうに手のひらを強く握り込み、声を絞り出すブライアン。
愚痴をこぼす様な感覚で言ってしまった言葉が、こんなにもブライアンを傷つけてしまった事に罪悪感を感じるが、平民に嫁ぎたかった理由は話したくない。話したくないが、ブライアンに誤解されたままではいたくない。
エレノアは、小さく溜息を吐き出し、渋々話しはじめた。
「違います、本当に違うんです・・・結婚式と、その後のパーティーが嫌なのです・・・。」
「は?」
ブライアンの反応は、当然だと思う。多くの女性にとって、結婚とその後に開かれるパーティーは、憧れであり、幼い頃より夢見ている女性も多い。
「私は、結婚式とその後のパーティーを、したくないのです。」
「俺との結婚式、と言う事か?」
「違います。人形の様に着飾られ、派手で盛大な会場で、大勢の来賓の方々に穴が空くほど見られる貴族の結婚式が嫌なのです。」
「しかし・・・女性は、豪華な結婚式を夢見ているものだと聞いたが・・。」
「私にとっては、見世物にされる様な気分なのです。」
「だが既に、婚約を発表してから、社交界で皆に注目されていただろう?喜んでいる様には見えなかったが、別に嫌そうにも見えなかったぞ?」
「それは、嫌なら反撃できますから良いのです。ですが、結婚式はどうです?一方的に観察され続け、それに対して出来る事と言えば、優雅に、幸せそうに微笑む事だけなのです。」
友人や親戚の結婚式やパーティーに出た事は多々あるが、嫌な気分になる事は無かった。ただ、自分が花嫁として、皆の注目を浴びる事を思うと、逃げ出したくなる。
人形の様に着飾られ注目を集め、微笑み続ける。しかも、笑みを崩そうものなら、何か結婚に不満があるのかと、疑いの眼差しを向けられるのだ。
「そんな事か・・・」
「そんな事ではありません。」
「そんな事だろう。たった1日我慢すれば、一生俺と一緒に居られるのだぞ。」
「・・・だから、逃げずに我慢してここに居るのです。誰でも良いから『結婚式は、しなくても良い事になりましたので、今日はゆっくりとお休み下さい』と言ってくれるのを待ちながら。」
「エレノアは、俺の事が嫌いで結婚式をしたくない。訳では無いんだな。」
「そんなわけが無いでしょう。それなら、全力で逃げています。」
「それならば、エレノア。平民との結婚を選ぶほど嫌な結婚式を挙げるのは、誰と結婚する為か教えてくれないか?」
そんなの決まっている。言わなくても分かっているはずだ。それでも、先程までの不安そうな表情が、嬉しそうな表情に変わっているのを見ると、言葉にして、その表情が更に変わるのを見たいと思ってしまう。
「それは・・・ブライアンの為です・・・・。」
自分の頬が赤く染まるのを感じながらも、ブライアンの表情が変わるの待ったが、その表情はエレノアの期待に反して不敵な笑みへと変わっていた。
「ほう、俺の為?で、他にも言う事があるだろう?」
「他・・ですか?」
「俺は、まだエレノアが逃げてしまわないか、不安なんだ。だから、俺の不安を消す事の出来る、魔法の言葉をくれないか?」
何を言えばいいか、分かっている。
分かっているからと言って、簡単に口に出来る言葉では無い。
気恥ずかしさから、ブライアンの顔を直視する事が出来ず視線をそらし、顔に熱が集まるのを感じながら、ボソリと呟く様に言葉を絞り出す。
「・・あ・・・愛してます・・・。」
「俺も愛しているよ。だから、今日だけは我慢してくれるね。」
エレノアが照れながら言った言葉を、ブライアンはさらりと返す。しかしその声には、喜びと愛しさが滲んでいる気がした。
「・・・はい。」
だから、エレノアは気恥ずかしさと喜びに頬を染め、ゆっくりと頷いた・・・
ゆっくりと頷いた・・・・のだが・・
その瞬間、パンパンと手を叩く音が響き渡る。
それは、互いの気持ちを確かめ合った事への、祝福の拍手では無い。むしろ甘ったるい雰囲気を消し去る合図。
「だそうだ。全員全力で準備だ!!」
ブライアンの大声が響き渡り、柱の陰からお揃いのメイド服に身を包んだ女性達が、わらわらと現れ、エレノアを取り囲む。
「だっ騙された。」
どうやら、女性達はブライアンの合図があるのを、ずっと柱の影から見ていたらしい。
つまり全ては、ブライアンの計画通りだったのだろう。女性達に半ば引きずられながら、連行されていくエレノアに、ブライアンは満面の笑みを向ける。
「嘘はついておらん、エレノアの事は本当に愛しているよ。だが、それはそれ、これはこれだ。結婚式を開き、国の内外にこの婚姻を周知させる事は王族の務め、嫌だから逃げるなど出来るわけが無いだろう。それとも何か?エレノアは、俺に嘘を言ったのか?俺の事を愛しているから、今日だけは我慢するのでは無かったのか?」
結婚式は今日であり、あと数時間後まで迫っていた。
それなのに、エレノアはドレスを着付ける最中に、城の中庭まで逃げ出していたのだ。
「それは・・・。」
「まあ嫌いなものは仕方がないな・・・それならば、皆の視線が気にならない様にこんな物を付けるのはどうだ?」
どこから取り出したのか、透けるように薄く白い、大きな布がふわりと風に揺れる。布の端を細やかで美しい刺繍が囲い、溜息が出そうなほどに美しい。
「これは??」
「ベールだ。こうやって被せれば、エレノアからは見えるが、客からはエレノアの顔が見えなくなる。遠い異国では、邪悪なものから花嫁を守るために、身に付けるらしいぞ。」
頭からスッポリとベールを被せられ、視界が薄っすらと白く染まる。
「なんて素晴らしい!!!これがあるなら、私、結婚式に出ます。」
美しいベールに気を取られているエレノアは気付かなかった。
見えないだけで、根本的な解決にはなっていない事を・・・
そして、ずっとベールを被ったままではいられない事を・・・
誓いのキスの後・・・
「あの、ブライアン様?ベール元に戻して下さい。」
「戻す訳が無いだろう。花嫁の顔が見えない結婚式などありえん。」
「でも・・・。」
「ずっとつけて良いなど、言っておらん。」
「騙された!!」
「何とでも言え、まだパレードに、パーティーが残っている。途中退場など出来ないからな。」
「うう・・・誰か、この結婚は間違いでしたと・・。」
「言って良いのか?」
「良くない。」
「なら我慢だな。」
「うぅぅ・・・はい。」
その日、花嫁は国中の人々に祝福され、嬉しさに、終始涙を流しながら喜んでいたそうだ。
「違うのに・・・羞恥心で、泣いていたのに・・・みんな、勝手に勘違いして・・・。」
「皆が喜んでくれたのだから、良かったではないか。なんなら、もう一度やるか?」
「いや!!絶対嫌!!!」
本編完結です。
夜にオマケを投稿します。