青年期 3
兄に紹介されて半年、二人はひっそりと逢瀬を重ねていた。
屋敷で会う時は、兄に頼み友人としてブライアンを招いてもらい、外で会う時は、人目のつかない森や草原へとピクニックに出かけていた。
その間、両親から一度も結婚や婚約の話は無く、ブライアンに関しても特に何も言われる事は無かった。後々考えれば一応兄の友人とはいえ、年頃の男性が頻繁に屋敷に出入りし、エレノアと親しげに話している。その事に対して、両親が何も言わないのは変なのだが、その時は、両親の口から結婚や婚約の話が出て来ない事に安堵するばかりで、変だとは思う事は無かった。
「おや、その様な姿で遠乗りをするおつもりですか?もしかして、私に抱えられて乗りたいと、敢えてその様な姿で来られたのですか?」
現在 エレノアとブライアンは、エレノアが暮らしている屋敷の馬小屋に居る。
今日は、馬で遠乗りに出かける予定で、丁度 馬に鞍を付けてもらっている所へブライアンがやって来たのだ。
「あら、乗馬には横乗りと言われる乗り方がある事を知らないのですか?」
今日エレノアが着ているのは、紺色のドレスで、何時もとは違い、ワイヤー入りのパニエは身に付けていないものの、ふんわりとしていて、一見すると乗馬には向きそうに無い。
「知っておりますが、横乗りではゆっくりとしか走れないでしょう?今日の目的地は少し遠いので、私と共に乗った方が早く着きますよ。」
「あら、ゆっくりと馬に乗りながら、会話と景色を楽しむのも良いかと思ったのですが。」
半年の間に、二人の距離は随分と近くなった。もちろん物理的な距離では無く、心の距離だ。
物理的な距離で言えば、二人はいまだに寄り添う事も無ければ、腕を組んで歩く事も無く、馬車や階段などでエスコートをする時以外、手を触れず、互いに一定の距離を保っている。
それでも、二人の心の距離が近づいていると言えるのは、互いを見つめる時の温かな眼差しと、皮肉を込めた話し方だ。一見すると仲が悪い様にも見えるのだが、エレノアには、まるで気の置けない関係の様に感じられ、心地良かった。
「それは、とても魅力的なお誘いですが、今日はどうしても行きたい所があるんです。」
勿論、婚約もしていない男女が二人だけで外出する事は無い。
馬小屋の入り口では、メイド達と共に、今日の付き添い役として連行されたエレノアの兄が立っている。
「 どうして・・・どうして、私が付き添いなのだ・・・行きたくない。何故せっかくの休日に、付き添いなど・・ハァ・・リリーちゃん・・。」
リリーとは、半年ほど前に産まれた、兄の娘ローリエの愛称だ。
義姉は、跡取となる男子が産めなかった事を、申し訳無く思っていた様だが、兄の方は産まれたばかりの娘を見た瞬間、涙を流して喜び、現在進行形で溺愛している。そんな、娘と引き離された事が不満らしく、ずっと小声で文句を言っていたのだ。
「森の中へ、今の時期しか咲かない珍しいハルデスという花を、一緒に見に行きたいのです。」
ブライアンは、あくまでエレノアに向かって言っているが、その言葉に反応したのは、エレノアの兄だった。
「ハルデス・・?」
「その花を贈られた相手は、必ず幸せになれるという花なのですよ。しかし、確かに貴女とゆっくり話をしながら、のんびりとするのも良いですね。」
ブライアンはあくまでエレノアに向かって言っているが・・・・・
「行こう!!早く行こう!!エレノアお前は、滅多に横乗りなんてしないし、何時もは男性用の乗馬服を着ているだろう。早く着替えて、早く行こう!!」
先程まで、全身で行きたくないと言っていた人とは、別人の様に目を輝かせている兄に、思わず溜息交じりの声が漏れる。
「お兄様は付き添いのはずですが・・・。」
「何を言っている。ブライアンさ・・・君がせっかくお前の為にと計画してくれたのだから、行くべきだろう。」
兄の言葉は力強いが、その目が泳いでいる様に見えるのは、多分気のせいでは無いだろう。
「お兄様は、リリーと義姉様にその花をプレゼントしたいだけではないですか?」
「えっと・・・・・勿論だ!!他の目的が無ければ、付き添いなどしていられん。俺・・・私は、本当は、家から・・・リリーとアリアから離れたく無い。」
何故か一瞬戸惑っている様にも見えたが、それでも全力で言い切った兄に、ブライアンは苦笑いを浮かべ、エレノアは大きな溜息を吐き出した。
「兄様・・・分かりました。分かりましたよ。」
そう言い、エレノアはもう一度大きな溜息を吐き出してから、自分のスカートの端を掴むと、力一杯 引っ張った。途端にシュルシュルと音をたて、ドレスのスカート部分だけが取れ、現れたのは乗馬用のズボンとブーツに包まれたエレノアの脚。
「これで、よろしいですか?」
「おっお前、ちゃんと履いているじゃないか!!」
「少し面白いかと思いまして、先日作ってみたんです。それに、先程のままでも、婦人用の乗馬服と同じなので、そのまま馬に跨る事は出来ますよ。私は、婦人用の乗馬服で跨るのが嫌いなので、婦人用の乗馬服の時は、横乗りしかしませんが。」
ニッコリ笑うエレノアの姿に、兄はようやく、エレノアが最初から横乗りでのんびりする気など無く、単にブライアンとの会話を楽しんでいただけなのだと気づき、眉間に皺を寄せた。
一方ブライアンは、驚いた様子も無く、楽しそうにクスクスと笑っている。
「そちらの乗馬服も、とても似合っていますよ。」
褒められると、頬が微かに染まり、口元が緩みそうになってしまう。それを必死にこらえ、エレノアは平静を装う。嬉しく無い訳ではない・・いや、かなり嬉しい。でも、照れている所を見られるのが恥ずかしくて、つい何時も平静を装ってしまう。男性から見れば、可愛げの無い行動だと分かっているが、恥ずかしいものは、恥ずかしい。
「ありがとうございます。それでは、そろそろ行きましょうか?」
さらりと返答したのに、何故だかブライアンの顔は、嬉しそうにほころんでいた。
「そうですね。それでは会話は、目的地に着いてからの楽しみにしておきましょう。」
優しい笑みを浮かべながら、馬小屋の外へと促され、二人はゆっくりと外へ出た。
そこには、話をしている間に準備の整えられた馬と、馬に乗った屈強な男が二人ほど待っている。彼等は、ブライアンがエレノアのために用意した護衛だ。本来ならエレノアの護衛なのだから、エレノアが連れて来るべきなのだろうが、最初の日に『彼等は私の部下ですし、護衛任務の良い訓練になりますから。』と言われ、それからずっとブライアンと出かける時には、少し離れた場所から彼等が見守ってくれている。
そんな彼らには申し訳ないが・・・
「約束覚えていますか?」
互いに馬に跨ったのを確認した後、ブライアンが不敵な笑みを浮かべながら、エレノアにたずねる。
「はい、もちろんです。」
エレノアも同じ様に、不敵な笑みを返すと、二人は同時に馬を走らせた。
それは軽やかに・・・では無く全力で、砂埃を立てながら・・・
砂埃を立てながら走り去る、エレノアとブライアン・・・
そんな二人を誰も追いかけない。
メイド達も、エレノアの兄も、ブライアンの護衛も・・・
ただ、二人の背が見えなくなると同時に、その場にいた一同はホッと息を吐き出し、二人が走り去った方向とは逆にある屋敷の中へと入って行く。
「やっと行ったな。」
歩きながら、溜息混じりに漏らした兄に、ブライアンの護衛の一人が返事をする。
「やっと行きましたね。」
「私は、妻と娘の所に戻るから。君達は馬を預けて、屋敷でゆっくりしていてくれ。」
「ありがとうございます。」
そう言って、エレノアの兄とブライアンの護衛は、笑みを交わした。
しかし、その場で笑みを浮かべていたのは、二人だけでは無い。
その場に居た者達皆が、楽しそうに笑い合っていた。