青年期 2
兄と約束してから、一週間後。
「初めまして、妹のエレノアです。」
今日の為に選んだ、とっておきのドレスに身を包み、優雅にお辞儀をしていた。
その目の前には騎士服に身を包んだ青年が、優しい笑みを浮かべ立っている。
濃いブラウンの髪に海の様に青い瞳、騎士という事で、鋭い眼光の険しい男性を想像していたが、目の前の青年は、まるで作り物の様に整った顔立ちをしている。身長は見上げるほど高く、それでいて細過ぎず太過ぎず、バランスが良い。
「私は、王直轄騎士団、第1部隊所属のブライアンと申します。」
ゆっくりと、優雅に騎士のお辞儀を返すブライアンに、エレノアの心は踊っていた。
王直轄騎士団と言えば、実力者揃いで、理想の筋肉と強さを持っている可能性が高い。加えて、王直轄騎士団ならば、爵位が無くとも両親は何も言わないだろう、嫁ぐには充分過ぎる相手だ。
「私は、アリアの所に行ってくるから、しばらく二人で話をしていると良い。」
兄は、普段の粗雑な雰囲気を隠し、穏やかな笑みを浮かべている。家族に接する時と、外で人と会う時とで切り替えているのは分かるが、友人の前で隠しているのは珍しい。
あまり仲の良い友人では無いのかもしれないが、そこは問題では無い。兄が紹介するほど信頼してる相手という事が重要なのだ。
「はい、ありがとうございますお兄様。」
片足を微かに引きずりながら足早に去っていく姿が、何故か全力でこの場から逃げている様に見えたが、多分気のせいだろう。
そんな兄の背を眺めながら、これからいったい何を話そうかと考えていると、緊張した硬い声が聞こえてきた。
「あの・・・失礼だと分かってはいるのですが、先に、不躾な質問を一つしても良いでしょうか?」
挨拶を交わして直ぐにしなければいけない『不躾な質問』とは、よほど重要な事なのだろう。何を言われるのか、不安になりながらも、聞かないわけにはいかない。
「なんでしょう?」
「率直に聞かせていただきたいのですが・・・・私を選んで下さるかどうかは別として、私は貴族ではありません。それでもよろしいのでしょうか?」
親が選ぶにしろ自分で選ぶにしろ、普通の貴族令嬢は、自分の身分と同じくらいの身分か、上の身分の者と結婚したがるものだ。
しかし、エレノアは違う。それに、そもそも兄に、『出来れば貴族では無い方を』と言ったのはエレノアなのだから、問題などあるはずが無い。
しかも・・・
「ブライアン様は、次男だと聞きました。」
「そうです。」
兄に出した条件をほぼ満たしている相手なのだ。
ぼぼなのは、後一つ大切な条件である筋肉が残っているからだ。しかし、その条件は貴族令嬢であるエレノアには、確認出来ない為、兄を信じるしかないだろう。
「でしたら、何も問題ありませんわ。勿論、ブライアン様が私を選んでくだされば、ですが。」
それを聞き、ブライアンはホッとした様に表情を緩め、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「私は、貴女のお兄様からお話を頂く前から、貴女の事をお慕いしておりました。ですから後は、貴女が私を選んで下さるか、です。」
甘く、柔らかく、蕩けるような笑みを浮かべるブライアンに、エレノアは頬を赤く染める事も無く、キョトンと首を傾げる。
「何処かで、お会いしましたかしら。」
「ええ、貴女は覚えてらっしゃらないと思いますが、随分と昔に。」
「昔・・・ですか?」
こんなにも印象的な顔をしている人を、忘れるとは思えないが、絶対とは言い切れない。
なんせ8年ほど前、ブ・・・膨よかな体型の少年に会った直後に、生活が一変したからだ。
日々、一流の教師が代わる代わるエレノアに知識を押し込み、常にマナーの教師が張り付き、空いた時間は気分転換と言う名の、剣術と体術の稽古。つまり、少年へ無礼を働いたために、貴族令嬢として徹底的に再教育を施されていたのだ。
あの日の事は、いくら母の許しを貰ったからと言っても、怒りに任せてやり過ぎたと思っていたし。むしろ、家に迷惑がかからなくて良かったと、ホッとしていたくらいなので、エレノアは逆らわず、積極的に再教育を受けていた。ただ、最初の1年は慣れていない怒涛の日々に疲れきり、学んだ事は覚えていても、それ以外の事に関しては、ぼんやりとしている。だからもし、その時期に会っていたのなら、覚えていない可能性が高い。
しかし、それはエレノア側の事情だ、ブライアンには関係無い。そう思い何とか思い出そうとしてみるが、一欠片も思い出せない。
「申し訳ありません、やはり思い出せないのですけれど・・・・何時頃の話でしょうか?」
「フフフ秘密です。ですが、あの時の貴女はとても魅力的だったとだけ言っておきましょう。」
昔・・・?
あの時・・・?
魅力的・・・?
ますます分からず混乱する姿を、ブライアンは目を細め、楽しそうに見ている。
「ですから、お話を頂いた時は、とても嬉しかったのですよ。」
大半の女性が、頬を染めるだろう、蕩ける様な笑顔を向けられていたが、思い出す事に必死で気付いていない。
いや、気付いた所で、普通の女性の様な反応はしなかっただろう。
全くとは言わないまでも、エレノアは、顔の造形にはあまり興味が無い。美醜の区別は付くが、エレノアにとってそれは顔の皮一枚の事。何かでうっかり傷付けば、あっと言う間に美は、醜へと変わってしまう物に興味は無かった。
「気になってしまいますので、はっきりとおっしゃってください。」
不満そうに言うエレノアに、ブライアンは少し考える様なそぶりをしてから、ニヤリと笑う。
「そうですねぇ・・・少しお恥ずかしい話ですので、私と結婚していただけたら、その時にお話ししましょう。夫婦の間に、あまり秘密は持ちたくありませんから。」
その言葉に、エレノアは小さく溜息を吐き出し、苦笑いを浮かべる。
「それでは、結婚出来なければ、ずっと気になってしまうではありませんか。」
「そうですね、貴女の心にずっと私の事が残るのなら、ずっと秘密にしておくのも良いかもしれませんね。」
エレノアが、全く覚えていないと言う事は、本当に昔会っていたのだとしても、軽く言葉を交わした程度のはずだ。いくら怒涛の日々で、人の顔を覚えられない状態であったとしても、きちんと紹介された相手を忘れているとは思えない。
しかし、そうなると、何故ブライアンがここまで、積極的に言ってくるのか分からない。
思い至る事はただ一つ・・・
「女性の扱いに慣れておいでなのですね。ですが私は、誰かと分け合うほど心は広くありませんので、その辺は覚悟しておいて下さいね。」
貴族の男性の多くが、結婚前に恋人がおり。そして、結婚後には愛人がいる。
幸いエレノアの父は母一筋であったが、政略結婚の多い貴族社会では希な方だ。しかし、せっかく自分で選ぶのなら、結婚前はともかく、結婚後に愛人を囲う様な方は遠慮したい。
「それは、私と結婚する気があるという事で、よろしいのでしょうか?」
「その可能性はあるとだけ、言っておきますわ。だって、まだ貴方の事は何も知らないもの。」
「それでは、これから私がどれほど一途な人間か、分かってもらわなければなりませんね。」
「フフフ・・・楽しみにしておきますわ。」