第八話
僕には、これと言った魅力が無いことを自負しているが、最初からこのような「底的な」考えの基に言動している訳ではなく、いくつかの転換期を迎えている。人間、おいそれと劇的な変革を遂げるのなら、それはそれで困りようだろうが、習慣的生物である人間は、ころりと自らの意志を弯曲させたりしない。すくなくとも、僕はそうだった。
母の死因は「胃癌」だった。
発覚当時、すでに転移の徴候が見られ、消火器内科の医師によれば、自覚症状がないとは考えいにくいとのことだった。
母は自身の体内を侵食し続ける病の存在に気付いていた。しかし、母は僕が自宅で倒れているところを発見するまで、病院へ足を運ぶことはなかった。当然僕には感ずかせることもさせなかった。
母が特別病院嫌いだったかと言われては、僕は否定するしかない。母はそれまでも、感染症の予防接種に自ら赴いたし、担当医の話を僕に聴かせてくれることもあった。
母は胃癌のことを隠したかった。と、そうのように憶測を立てることが、最適解だった。
あの偶像のような母が、僕や世間に何かを作為的に行ったとして、気付けるかどうかは、まだ議論の余地があるだろうけれど、そうして僕は区切りをつけた。遺品も遺産も、僕の記憶の中にある母の存在も、すべてをかき集めても何かが足りない。
コンサバトリーの再生を試みたとて、僕には何もわかることはなく、憶測の領域を出ることはない。
別に知っておかなくとも、僕は生涯を全うするだろう。虚勢を張ることがどれほど醜くとも、誰かに露呈する訳でもなければ、自己完結していることに耐えられない人間でもないだろう、僕は。
僕が学生生活を送っている間、自宅にいた母は家事と内職をしていた。父が遺した遺産の長期存続と、僕が大学までの資金援助を行うためのと思われた労働。旧式の入力装置でカタカタと打鍵し、通信相手の相談に乗るといった一風変わったアルバイトの収入を、母が教えてくれることはなかった。
両親が遺した金額と、母がアルバイトで稼いだ分を、憶測で概算するなどというのは、僕にとって本当に意味のないことだと思う。母の頑張りがどれほど僕を支えてくれたのだろうかと知って、どのような反応を見せれば、最適解なのかさぱりわからないから。
世の中わからないことだらけで嫌になる。
特筆しているのは、対東アジア諸国への対応についてだ。テロ武装するべきだとか、自由貿易協定の破棄だとか、尋ねられてくるだけで嫌になる。
「君は、憲法改正をするべきだと思う?」
どうでもいいと、回答してやればいくらか別の道を歩めただろうが、僕が常道として用いたのは、意見の同調とそれらしい大義。それらで尋ねた人物らは納得してくれた。議論は僕を置いてヒートアップし、いつも時間が来て着地しないままに終わる。いち学生が議論を重ねたところで、政策を動かすのは賢い官僚と与党の関係者。
僕の見解は、陰謀論だなんだで一蹴されるべきものばかりだ。これで社会問題が解決されることはなく、学者ほどの知識を得た人間の頭脳を有していなければ、精確さを欠くだろうことだ。すべての可能性を加味し、すべての線を一つに編み込むことをしなければ、予測などそうそう的中しない。
感情を抜いて議論をしても良いというのなら、そんなのは機械に任せておけばいいと貶す。人間は、快楽を貪っていれば良いのだから。と、そんなことを僕は思う。
底的な考えは、「みんな絶望している状態」を原理としている。その中から幾らからマシになるだけ。だから別に、この家に猟奇的殺人犯が入り込み、僕に刃を突き刺そうとも、刺し傷から熱が溢れ、鮮血が刃を伝って、猟奇的殺人者の手を伝って、母の愛した植物らに見守られながら、僕は母を感じることなく、逝ってもいいと思える。
車で轢かれたときの衝撃が、脳震盪によって奪われた記憶の断片が、僕に死を想像させる。周囲の情報が脳によってシャットアウトされたように、虚無に吸い込まれる。寝て起きれば、七時間ほど過ぎているように、僕による死の捉え方は、そのように「底的」だが、当たらずとも遠からず。おそらく絞首刑に処させる罪人の喘ぎは、自身の首を圧迫し、意識あるところまで辿り着いた延長上に過ぎない。それらだけでなく、たとえばサウナだとか、包丁の刃をなんとなく指先でなぞったときだとか、死の香水はそこら中に転がっている。
問題は、どのような死に様になるか。普遍的な死を迎えるとき、人間はどのように死を迎え、何を想い、何を遺すかだ。
その手がかりが僕には遺されていると思いきや、この有様だ。僕は冬の時代を迎え、植物らを枯らしてしまい、そして気がつけば母の許諾なしに、他人を家に入れている。
このとき母がなんと言うか、僕にはさっぱりわからない。これまでの僕の人生は、友達を家に招くなどということはなく、特別な協調性の欠落はなかったと胸を張れる。団体行動にはついていけていたし、上には上が、横には横がいた。
母は、そんな僕をどのように思っていたのだろうか。なんだこいつと息子ながら軽蔑していないだろうか。
「まだ、迷っている」
ああ、矮小だな。僕は後になってこれで良かったのかとねちねち吟味する。後ろめたさであり、後悔であり、良い結果に転じても先のことを案じる。びくびく臆病、僕は大義がなければいつもそうだ。
きっと、女性と話せたのは「感じていた」からだと思う。抽象画のときはこれほど感じることもなかったが、なぜだがそれには過敏に反応していた。
その女性に、あの母との共通点はあるだろうか。たとえば、女子校出身者だとか。世帯所得が一千万以上だとか。そんなどうでもいいことでもいいから、「同じ女性だから」というのは、僕が節操ないみたいで勘弁してもらいたい。ソファでよがる人間が、そういってもどうにもならないだろうが。
「よろしいですか」
はい。と、僕は背中からの問いかけを肯定した。振り返るまでもなく、僕は「いつか紹介することになるだろう手間を省けた」と考えながら、女性の控えめな声音を耳にした。
「キューガーデンのようですね」
キュー王立植物園。イギリス・ロンドンにある二百年以上の歴史を歩んできた世界遺産。植民地からの熱帯植物も含まれるそれは、多くの種を保存し、広大な土地は美しく、イギリス庭園を堪能するには外せない場所。僕もキューガーデンをモデルにして、このコンサバトリーが造られたことには考えついた。
鮮やかなピンクを帯びたイングリッシュローズはかなりの確率で、ここにあったように記憶をしている。僕がまだ幼い頃(いまでもそうだが)、美しく咲くイングリッシュローズを見た気がするのだ。
しかし、母が亡くなり、越冬して、僕が植物らを保存しようと決意したとき、枯れた枝や床に落ちた葉から植物を特定していくにつれ、コンセプトとは異なることがわかってきた。
「そうでもないですよ」
女性は僕に回答求めるような沈黙を生み出す。僕が振り返って、その表情を窺えば済むものだが、それでは僕も女性も味気ないと感じることだろう。
「英国様式のデザイン性だけを好んだのではなく、植民地の歴史、英国の歴史を愛したのだろうと思います。それはもうどす黒く。センシティブに」
僕が調査を依頼したのは大学の教授やら、研究機関やら。図鑑での確認を怠らなければ、異なる機関や有識者に再度の確認をしてもらうこともしない。
結果は、僕の想定したことではなく、植民地支配を行った地域原産の植物が一定数を有している訳ではなかった。
傾向としては、コンサバトリー内の温度や湿度を一定にしても枯れることのない、調和のとれた種だけが共に生存していた。
「ここは、選ばれたものしか生きれない世界なんです」