第五話
「企業に拾われたというのは、言葉の綾でなく、両親が勤めていた企業に拾われました。私がお客様とお向かいしているのは、企業が私に投資していただけたからでございます。このような装いも、私が口にした昼食も、企業の経費として賄われております」
「不自由とは思わないのですか」
そうして声に出した言葉が、嘘のない真意だった。女性の発した具体例が、女性にとって何かしらの抵抗感やらを感じているのではないだろうかという僕の見解は、女性の言葉によって否定された。
「私は、生得的であることを嫌悪いたしません」
「それはまた、肩身が狭いご経験を多く積まれたことでしょう」
女性はふと微笑みを浮かべる。僕に向けたというより、ふと振り返ってみれば、そこにあったのは苦笑いだった自身に向けた、自虐的な微笑みだったのではないかと感じる。
「そのようなことはありませんよ」
女性の声音は、企業の家畜だとしても美しい。
「生得的を受け入れるなどとうことは、ヒトであるなら見受けられる行動でございます。私は、社会的に特殊な部類に仕分けられるでしょうが、ヒトとしての欠落はございませんとお医者様のお墨付きを承っております。私は、生得的なヒトであると承認されていることに、感謝を覚えます」
「失礼いたしました。こちらの誤りだったようで、僕はてっきり企業からの縛りは、あなたの生得性さえも剥奪してしまわれないのかと。認識しておりましたことに謝罪を申し上げます」
お心遣い、痛み入りますと、女性はそうして言葉を添えてくれた。胸に左手を当て、二、三秒瞼を閉じて謝罪の意を体現してくれた。そして、瞼を持ち上げしっとりと言葉を紡ぎ出すこともしてくれた。
「お客様のお言葉は、私にとって刺激的でございます。想像し得ることでしょうが、私は過度な刺激から隔離され、抑制された身でありますゆえ、お客様のお言葉が、棘のように私の心に刺激的な感覚を授けております」
それには言葉の通り、感謝の意が心に伝わってきた。辛辣な言葉ですらも、女性のとっての刺激性を有するならば、自身にとって雄弁に捉えられることは、僕にも経験があった。
「お客様は、生得的であることに抵抗感を覚えますでしょうか」
鼻から漏らす溜息は、さながら蒸気機関車であったと思う。尋ねてくるだろうことに、どのように応えて良いか検討ついていなかったための、重苦しい溜息を出した。
「どうでしょうか。私は、生得的であるか否かを議論するほど、事象に困窮している訳ではございませんし、あなたのような職種であるなら、仕事上そのようなことを想うところはあるでしょうが、いかんせん私は、凡庸な職務をこなすことで生計を立てております。呑気だと思いますか」
「いいえ。他者に呑気であることを咎められる筋合いなど、生来有することのできないものだと私などは存じます」
それはまた、独善的な解釈だなとは、口にも表情にも出さないよう努めた。隠蔽したかったと、それが僕に備わっている防衛本能の一環と思えたのなら、僕ものうのうと自論を振るってみせただろうが。
「僕を軽蔑したりしていないでしょうか」
女性はふふっと、無音の微笑みとは異なる、控えめに吹き出すような微笑みをみせた。
「その客観性は、確かにどちらつかずになりましょう」
他者にどのように見られているか。それを把握しようとするのは、防衛的行動と位置づける。そして、再度問いかけ仄めかす。
「僕は、鬱陶しいほどに客観性に敏感ですよ」と。女性は僕の行動を理性的として受け取ったようだが、僕はただ単に、ありのままを表現しただけだ。
なぜなら、僕がそれらを図ったとは、自身でも証明・立証することのできないことだから、これらを表現することは控える他ない。言うなれば、楽観的であり独善的であると、僕は思ったりする。
「私が作為的に行うことのできることは、ここらが限界でございます。私は、あなたのような察しに秀でたお方との対話でしか、驚愕させることができません。それは私が簡潔に説明することもできましょうが、それではつまらないと思ってしまうほど、私も冬の時代を過ごしたのです」
僕は、ソファやテレビが鎮座しているリビングスペースを見つめた。
特別なものなどない。ソファも僕が生まれる頃にはすでにあったもので、多少なりの経年劣化を感じられるものの、まだまだ買い換える気にはならないし、テレビも五、六年でがらりと市場変化が見られる時代だが、いまのままで不満はない。AV機器もまたしかり。
「エチケットを破ることになりましょうが、あのソファには僕の体液が染み付いております。冬の時代を過ごした、穴蔵とでもいいましょうか。僕はそこで一ヶ月を完結しておりました。用を足すことから、自慰行為まで。このお話を信用していただいたのは先生だけでございます。僕を助けてくださった、お医者様ただひとりだけでございます」
僕がソファから視線を戻し、女性の方に向き直すと、女性は未だソファを向いたままだった。さすがにやり過ぎただろうか、セクハラで訴えられることはないだろうかと、今更ながら思ったりもする。このような醜い姿のそれが法廷に立てば、僕は裁判官の偏見によって、不利益を被るかもしれない。
そうなれば監獄へ行き、再就職もままならないまま、この土地を売ることになり、僕は路頭に迷うような人生を送ってしまう。高度情報化社会の利点を最大限に活かした粛清が僕に下される。そんなことにはならないよう、僕も身の程を弁えた人生を歩んできたつもりだけれど、さすがにやり過ぎた。オブラートに包むこともできただろうに、ディテールを仄めかすこともできただろうに。ああ、穴があったら入りたい。
「そのお医者様は、さぞかし高尚なお方なのではないでしょうか」
それは現代版説法だから、人々を科学的に救うお人だから、僕はお医者様を尊重しているし、救ってくれた実感もあるし、高尚なお方と敬うのは至当かもしれない。
「私を担当している先生は、そう持て囃すと、調子に乗るお方なため、そのような言葉を用いて説明するには、少しだけ憚れるというのが、本心でございます」
「心中お察しいたします」
女性はそうして僕の視線を合わせ、微笑みを浮かべた。ひそひそと他者の悪口を漏らすのは、これほどに愉快であり、信頼の構築に役立っていただろうか。童心のころ、いつもこの安堵感のようなものに身を委ねていたいと思ったからこそ、僕はきっといじめられる同級生を助けられなかった。それが間違いだったと後悔する気にはなれなが、僕はきっと感じにくい子供で、大人のままだ。
それなら今が過敏かと言われれば、それはまた否定されるわけで、僕はどっちつかずの曖昧模糊野郎だ。
「それで、「監査役」の打診でしたか」
「はい」
ついつい主旨から脱線してしまったが、「監査役」として生活を共にするか否か、という問題について話していた。
「結論から言えば、私もあなたも「体験」してみることで、何かを見出せるのではないかと考えているのではないですか?」
夜光に照らされた女性の表情には、僕を冬の時代へと招いた母の遺香が移ってしまったかのような、芳醇さがあった。
あるいは慈愛、あるいは狂愛か。母の遺したはずの愛が、僕にはあのハーブティーのように、難題だ。
「では、よろしくお願いいたします」
僕と女性は互いに深々と礼をし、握手を交わした。冷ややかな女性の手から、母のような温もりは感じることはなかった。