第四話
僕がほとんどの時間を過ごすリビングダイニングは、高天井が目を惹く造りになっているが、独りで暮らすには開放感というより、孤独感というのが優っている。どれほどヒーターで部屋を温めようと、涼しさを心地よく思おうと、僕にとってこの広さは、過剰である。
モダンテイストの内装と、それに合わせられたインテリア家具類。大迫力の映像を観るための大きなテレビとAV機器と、独り暮らし用に買い換えた炊飯器やらスチームオーブンやらの、キッチン家電類が僕のお気に入りだが、傍目からして、僕が快適に過ごすためのリビングダイニングは、つまらないだろう。床を這うロボット掃除機も正常に稼働し、掃除の手間をひとつ減らしてくれている。
いつも独りの広い空間なだけに、女性が訪れる日は落ち着かないことが多々あった。女性は勧めた席に座り、お手洗いにも行かず、麦茶に口をつけてくれたからでも、閾をまたぐ際のアクションしか起こしたことがないのだが、それでも最初はざわついた。
「いつも麦茶ですみません」
そうして言葉をかけ、お話の準備を整える。ジャケットを脱ぎ、適当な菓子を皿に移し、テーブルまで運ぶ。僕の分の麦茶をグラスに注ぎ、女性の正面の席に座る。四人掛けのダイニングテーブルは、デザイン料が取られるような家具で、椅子も現代北欧テイストな木製で、結構な値段なものだと見ている。
「お構いなく」
女性は夜光が照らす窓側を背に、そうしていつものように応えてくれる。
ご生憎さま麦茶のストックが切れるまで、お出しするお茶は麦茶だけに限定される。申し訳ないことだが、キッチンや階段や玄関を背に着席する僕も、おすそ分けする人物がいなくて非常に困っているわけで、ネット通販の当選を断るほど贅沢に浸るつもりはないわけで、別に断れなかったわけではなく、自宅に配送させてきた大量の段ボール箱を見て、在庫処分を咬まされたと察した。
「では、お話を始めさせてもよろしいでしょうか」
「はい。よろしくお願いします」
女性は姿勢を正すまでもなく、若い女性らしい声で話し出す。
「まずお客様のご予定について、お話いたします。お客様には近日中に、私どもの施設に来訪していただくことを強くお勧めいたします。契約上、私どもはお客様のご希望に沿うように尽力いたしますが、私どもの方針として、お客様のご理解ご協力が、欠かすことのできないプロジェクトであるため、施設への来訪をお願いしております」
「はい。理解していますので、ご心配しなくともそちらに協力します。ちょうど明日は休日です。そちらの都合が合わなければ、一週間後になりますが」
休日を家での読書や映画観賞などで潰してしまうくらいなら、急なことでも応じることができる。
「お客様のご都合が合われるのなら、私どもは何時でも対応させていただきます」
そういうことならと、僕は麦茶を一口つけ、一口サイズのせんべいをつまむ。市販品の、木製のお皿に出した菓子は、ほとんど僕がつまむようになっている。女性が僕の出したものにあまり口をつけたがってないことくらい察しているし、麦茶もおかわりを勧めても断りを入れる。
これでも、僕なりに溶け込めるよう努力をしたつもりだが、女性にその気がないのなら、僕はそういうことに気遣わないと諦めた。おそらく女性側も、そういうことだろう。
「その施設というのは、どちらに?」
「当日午前九時にお迎えに参ります。お客様のご希望がございましたら、指定していただくことも可能ですが、いかがいたしますか」
「特にありません」
卓上のウェットティッシュを一枚取り、せんべいで付着した指先の汚れを拭き取り、バーゲンで大量購入した安物のテッシュで水分を拭き取る。
「承りました。では、明日午前九時にお迎えに参ります。続いて、契約上での新たなご提案をさせていただきたいと思います」
そういうことを事前に訊いていたのなら、僕は麦茶を少しも溢すことはなかっただろう。ティッシュで卓上の麦茶を吸っていきながら、女性に尋ねる。
「それは伺っておりませんが」
「驚かせて申し訳ございません。ですが、そちらに不利益をこまねくようなことは、私どもにとって最も重要視しております「信頼の欠落」に直結すると考えております。どうかそのお心を落ち着けてください。私どもがご提案させていただくのは、監査でございます」
ティッシュをひとまとめにし、卓上近くのゴミ箱に捨て、女性と同じよう姿勢を正し、訊ねた。
「監査とは、つまり私の生活ですか」
「左様でございます」
一瞬だけ、僕はこの「生保レディ」が、「お前のようなオタクと私が仕事上とはいえ、同じ時を過ごしてやっているから、損はないだろう」と、内心思っているかもしれないと思った。女性の腹が読めないのなら、このようなことは冒涜でしかないのだが、女性の上司の腹づもりに、僕がやましいことを考えているのではないだろうかと、あわよくばを含んだ者もいるにはいるだろう。
女性はこちらの言葉を待たず、補足の説明をつらつらと続ける。
「私は、お客様が弊社のサービスをご堪能していただくため、力の限り補助をさせていただく理念を抱いております。ここ数ヶ月のお客様の生活を観察させていただいた結論として、私は不躾ながら、補助が必要になるかと判断致します」
それは、とびきり不躾な文言である。「おそらく僕の思考は女性に伝わっていないのだろう」と思わせる言葉を、女性は続けた。
「そこで、私が上司に相談し、お客様の許諾をいただけるのなら、私がお客様サービス期間中、監査役として職務を全うしたいと存じ上げます」
「それはこちらとしても、幾らかの不安材料を払拭することのできる提案でしょうが、あなたのような人が家に居られると、僕はさらなる不安材料を招くことと、不束者ながら予測します。ただでさえ、来訪者の幾度となる訪問に対応し、仕事終わりで疲れ切っているゆえ、そのような提案にはいささか抵抗感を覚えますと同時に、あなたがもし、「監査役」を事前に想定しており、僕に負担になるようなことを作為的にしているのなら、そちらの理念であられる「信頼の欠落」に繋がりかねないのでは?」
女性は僕の言葉に口を閉ざしている。女性のここ数ヶ月の来訪は、「監査役」のための布石だったのではないか。こうして「信頼の欠落」とは異なるベクトルを図ったことが、軋轢を発生させにくくするための布石。そう辻褄を合わせるのが、最も適当だろうと僕は思った。
「ええ、そのような意味もありましょう」
女性は隠すことなく、僕と視線を合わせながら、普段とは異なる少しの圧を込めて言った。
だから僕も、言葉を返す。
「私は、「信頼の欠落」の蓋然性があると思いますが、あなたの見解をお聞かせ願いますか」
女性は腹をすでに括っているように思えた。背もたれに背をつかず、お手本のような綺麗な座り方で、女性は真摯さを体現し続けている。会ったときからずっと、女性は僕と真摯に向き合ってくれた。仕事でも構わない、建前でも構わない、痛みを覚えた僕に、温もりを与えてくれた人間はいない。
「私は、最初はこのような措置をとる必要性などないと考えていました。あなたはお客様でございます。私どもは、お客様のようなお人を敬わなければならない立場におりますゆえ、お客様のご理解・ご協力がどうしても欠かすことのできない要素でございます。しかし、私はお客様が歩まれる道は、薔薇の道と想定いたします」
「ほう。このままでは、私が選んだ選択は、御社が提案なされたプロジェクトを受けるに、大きな弊害や損害を被ると、おっしゃりたいわけですね?」
「はい。私は、お客様の脆弱性をこの目にし、プロファイリングを日々続けてまいりました」
「それだけの前例があるということですか。あなたのこれまでの説明では、先端技術のパイロット版だと伺っておりましたが、こちらの誤りだったでしょうか」
「いいえ。しかし、私どもは以前から研究を重ね、最も適正な人物かを算出して参りました。そのためのコンピューターの開発技術部門への投資があり、それらの技術を基に実証実験段階へと移行させてきました」
女性から感じられる、言葉の説得力というのは、一心に僕の瞳を見つめ続けるからだろうか。それとも、これまでの女性にはなかった、感情の込もった「なにか」があるからだろうか。
「まるで、お若いあなたが最初から関わってきたかのようなお言葉ですね」
女性は目を閉じ、部屋に差し込む夜光を見遣り、そしてこちらに向きなす頃には、蠱惑的であるとすら感じる雰囲気を纏って、静かに力強い言葉を発した。
「ええ。わたしは、幼くして両親を亡くし、企業に拾われた身ですから」