第二十一話
お久しぶりです。約4ヶ月ぶりの更新となりました。完結に向け、ゆっくりのペース配分とはなりますが、今後ともお付き合いしてくださると幸いです。
僕は十代の貴重な時間を浪費してきた。
別にそうしたくて過ごしたわけではなく、いざ振り返ってみればそうだっただけのこと。荒涼とした大地がそこにはあるだけ。
ただ僕は、ここまで歩いただけでも大したものだと自分を褒めたい。オタクで、しかも冴えない僕のことを気にかける人物などおらず、母との距離も定かではなかった時間を、よく乗り越えてくれたと。
だから別に驚いたことには後悔などない。焼きたてのパンは美味しいと感じるのと同じで、僕にとっては非日常の体験だったから、そのことはどうでもいい。
僕が興味を抱いたのは、落涙の理由だった。
僕なんかよりずっと大地は潤っていて、木々は背比べをするかのように茂り、花や虫は知恵を駆使して生きる。地上をのっそのっそと歩く大型の哺乳類は、まとわりつく小虫など気にも止めず、縄張りを巡回する。鳥の声はよく通る。どこまでも、大地の隅々まで聞こえる美しい声。
情緒的だった。スコールのようで、大粒の雨水が激しく大地に降りかかる。両手いっぱいに広げた手よりも大きな葉と、打たれてお辞儀をする葉。木々の合間を通って打つことはあまりなく、ほとんどが木々に沿って地面へと落ちる。
地面に落ちる音は、しっとりとして。ただそれだけで。どんな地面なのかはわからない。
僕とは違う。僕とは何もかもが違う。僕は何も持っていない。
風はいつも強く、背の低い植物も育っていない。地面は乾燥して、落雷のような線を描いている。遠くを見渡しても、平べったい大地が地平線まで広がり、太陽の日差しは肌を焼くほど厳しい。まるで熱波の中、息もできない空洞に閉じ込められてしまったような、荒涼とした不毛の大地。
本来は、わからないのかもしれない。僕の歩んできた道は、あまりに違いすぎて手の届かない場所にあるのかもしれない。
けれど、僕がここにいる理由がわかるのなら、いまいるところかは、動けそうな気がする。
本当に、僕の人生はどれも確証を得ないことばかりで、わからないことばかりで、嫌になる。
たくましいと女性に抱いたのは初めてのことだったかもしれない。
母は確かにたくましかった。清廉であり、我欲を手にしたといえる。けれどそれは、精神的なことだけで完結される。母の身体はとても丈夫とはいえなかった。
あれは先生にお会いする前のこと。母のカルテを見たお医者様の大層訝しい表情が、今でも記憶に残っている。おそらくお医者様の中で、早々に「困った患者」と分類されたことだろう。母は、診察室で注意を受けてもか細い声で、弱々しく返答をするだけで、気力がなかった。
そっけないのではない。まったく、これっぽっちも、興味がなかったのだ。母は病魔が肉体を蝕んでいくのを感じながらも、治療の話ではなくともずっと冷めた表情で、窓の外を眺めている。
僕もお医者様も手が出せなかった。僕にいたっては、手出しすらも戸惑った。近くにいながら、僕は母に一矢報いることすらできなかった。
いや、しなかったというべきだろうか。そこの記憶はどうも曖昧だ。何もしなかった、という漠然とした記憶だけが、数年分の空白として認識しているだけ。僕はその時、社会的な貢献をしていなかった。
大学を出て、身に入らない就職活動を終えて、採用をいただいたのにもかかわらず、すぐにやめた。社会的な大義は、母の診断書だけで事足りた。
両親の貯蓄から母の医療費と、僕の生活費を賄った。節制を心がけて、できるだけの出費を抑えながらお見舞いと拙い家事をこなす日々。
苦ではなかった。そしてまた、楽しいものでもなかった。
病院の面会時間とほぼ当時に病室に訪れ、母と沈黙の時間をごす。僕はそれが苦ではなかった。淡々と何かの課題をこなしていくわけでもないのに、進んでいるという感覚だけが、その当時の僕の生きる理由だった。
それでいいと思っていた。僕は日々をこなしている。そう思えるだけで僕は外聞も気にせずありのままで生きていられた。後ろ指を刺されたとて、陰口を叩かれたとて、僕は僕らしくいられた。
この大地のように、悠然といられた。
「あなたは、社会的なリソースを欠いていると思わないのですか。そのような方便は自己正当化するための都合の良い解釈でしょう?」
果たしてそうだろうか。労働というのは、賃金を得るためにその存在価値をリソースとしているのではないだろうか。「貨幣は鋳造された自由」という言葉に現れる通り、労働とは社会生活のリソースなどという高尚なものではなく、そこに金がなければ生きていけないという、ある種脅迫的な共通観念に縛られている存在ではないか。
一体、どれほどの人間が社会的リソースを意識し、労働に順次していることか。
「では、あなたは怠惰を貪る悪魔とでも言いたいのですか?」
悪魔ではない。天使でもない。何にでも喩えづらい、人間的な活動の模索。
他者から疎まれ、上司の怒りを受け、少しづつストレスを貯蓄していく生活を行うよりも、ずっと人間的な活動。何からも縛られず、受けるままに、社会の喧騒などから隔絶された場所での活動。心が凪ぐのをただ感じ取り、植物のかぐわしい香りを知覚する。
そして、死んでいくのだ。ただ心をいくままに、他者の手間など考えず、母の残り香とともに死ねればそれでいい。
「社会では、あなたのような人物を自堕落と云うのです。あなたの言葉もきっと正しいのでしょう。けれど、社会を構成するみんながそれをしてしまっては、現状を維持できない……そうでしょう?」
たしかにそうなれば、文明の維持は不可能だろう。ただそれは、ありえない。いやありえたとしても、人間的と名称付けられることはないだろう。
多様性の尊重された社会は、おそらく素晴らしいものなのだろう。過去の遺恨も諍いもない、幼い子どもが一緒におもちゅで遊ぶように、歴史も何もない原初からのスタートが実現することによって誕生する社会。想像するだけで素晴らしい。
ただ、そうはならない。人は教訓から学ぶことで、大きく前進をする。
それは決して、純度が高いわけではない。
学ぶということは、それだけリスクがある。どのような思想であっても、それに至るまでの過程での学びや模倣は、同時に不純物を吸収するということだ。たとえ、不純物を排出し、純粋な部分を獲得した人物がいるとしても、多様性の尊重には遠く及ばない。
「では、あなたは捨てるというのですか。その不純物の人物を、救済はないと断言できるのですか」
なぜ、そこまで僕が十字架を背負わなければならない。悔い改めたのなら、それは状況の一つの帰結でしかない。僕だけじゃない。他者が介入することではないんだ。
「……あなたの言葉の端々は理解を示すことができません。あなたの行動原理は他者からの理解を突き放しているように思えてなりません」
そうかもしれない。僕もまだ、これといった結論は出ていない。けれど、僕のような境遇の人物を批判してはいけないことだけははっきりと伝えたい。僕はこの思考が貴重なものか、ごくありふれているのかさえわからないから、満足のいく返答はできないのかもしれない。
僕は頭が悪いから、テストでもろくな点数しかとれていなかったから、見落としや欠陥があるのだと思う。
僕は、これが共感できる人物を欲しているんだ。多様性の中に埋もれてしまっている、学びの純度がほとんど同じの人物を。
だから君は、きっと奇跡を起こしている。君はいつも幸せそうだった。それが本当の笑顔なのか定かではないけれど、停滞を続ける僕よりはずっといい。笑顔が少ない家庭だった。母の笑顔を見たのはいつだったか、もう忘れてしまったくらいに。
「あなたはいつもつまらなそうだった。わたしが見えていない……。見ようともしなかった」
あの頃の僕は、まだ淡い幻想に期待していた。実益がなかったからではないだろうか。僕はまだ孤独という概念に執着していたから。
「あなたは独りよがり……。いつまでも子供のまま」
その状態を子供と云うのなら、僕は子供のままでいたい。
僕も子供は嫌いなんだ。喚くし、理性を知らない。けれど自分がなる分には、あれほど利己的にいられる状態は他にないのかもしれない。
僕は上半身をむくりと起き上がらせた。いつもとは違うキングサイズのベットは慣れないもので、ホテル気分が払拭しきれなかった。気分がもやもやはしないが、落ち着いてもいない。動物的な警戒心というやつだろうか。
知らない場所での、知らない人々に囲まれた場所では警戒心は解けない。誰かがいるという認識がある時点で、そこはテリトリーの内側。
進化論は論理的な科学だと思う。科学は信用に足るものだと思う。
こうしている今も、科学に支えれれていると思う。
だけれど、さっきみた夢のことは説明できるものではない。そもそも、否定から入ってもいいのかもまだわからない。
夢の中の僕は、きっと僕だ。頭が悪い。
それに、あの女性には見覚えがある。僕が脳が液体にとらわれていないかぎり、僕の夢は僕だけのものだ。僕にしかわからないことで、僕だけの苦悩でなければ、この夢は意味をなさない。
まだ未練があると知ると、憂鬱になる。決別した気になっていただけで、別離していない。こうして夢に映し出されるだけで、心をきつく縛り付けられる。
そんなことさっさと忘れてしまうべきだと表面上ではわかっていても、実行を恐れている。
警戒心が強いということは、臆病でもある。
僕は彼女の言葉を信用できていない。誰だって、こんな施設を見ていたら困惑する。だから僕が、テリトリーをここで形成するまで時間をかけていかなければならない。
母のためではなく、僕のために。
僕だけのために。