第二話
「何かお訊ねしたいことはございませんか」
リクルートスーツに身を包んだ若い女性は、僕とは生まれることはなかっただろう関係性について、不明瞭な点を洗い出そうとしていた。
「なぜ、私なんですか」
女性は想定していただろう質問に返答する。
「あなたが最も適正だと、私どものコンピューターが算出いたした結果でございます」
さっきから毅然としており、若さゆえのたどたどしさが感じられない。場慣れしている。と、オタクの僕がこんなことを想像することにあまり意味はないだろうが、女性は特別な訓練を受けているように思える。
「あなたは、コンピューターの意思に服従している自覚はありますか」
女性は先ほどのように時間をかけず、解答した。
「はい。この事実に批判的な感情をお持ちの方もいらっしゃると思います。しかし、このような世間では、そのような考えをお持ちの方々にとって、さぞ肩身の狭い感情を強要させられていることでしょう。私どもは、そのような方々を批判することはありませんし、強要することも当然いたしません。ご理解していただけるよう、真摯な説明に力を尽くす限りでございます」
そうもすらすらと言葉が滑らかに出てくるとなると、余計に怪しく感じてしまう。あまつさえ、オタクの僕が言葉を交わすことが憚られるような美貌の持ち主ただというのに、その滑らかさが恐ろしいし、話している僕は申し訳なさや羞恥心に苛まれていることも重なって、居心地良くない。
「それが御社の理念であると?」
「いいえ。これは私の理念でございます。優良企業とて、何もかも優しさで賄っているのなら、不躾ながら、このような行動は取っておりません」
こちらが用意した市販の麦茶にも触れず、一度も姿勢を崩すことなく、理念に従って真摯に説明をし続けている。四人掛けのダイニングテーブルと拳一つ分の間隔を空け、木製の古い椅子にちょこんと座り、僕とは違い肘もつかず、ダークブラウンの大きな瞳にコンタクトレンズをつけ、僕の目を見続けている。
何かで聞いた、客室乗務員が異性に好かれる理由は、目を合わせ続けているからというのは、あながち間違いではないのだろうが、女性の纏う雰囲気はクラスで浮いている不思議ちゃんのそれに類似している。
「そうですか」
自覚があるのなら、ここ数十回の訪問には、よほどの自信と大層な理念があってこそ成り立っていると。つまり女性は、上司に契約を勝ち取ってこいと命令されたわけでもなく、高度なコンピューター上司の指示通りに動いているわけでもなく、自身の理念で動いていると。そうも捉えることができたりする。
「あなたは、このようなことを幾度もされてきたのですか」
「はい。それはもう何件も担当させていただいております」
女性は微笑み以上に表情を崩すことはない。
「それもコンピューターが算出した結果があり、信頼し、懇切丁寧に説明してきたということですか」
「はい。左様でございます」
女性は意識したような瞬きを一度した。女性が僕の認識の中に入った時、ネットで検索をかけてひと昔前の「生保レディ」という言葉に女性は当てはまるだろうことを知った。勝手に他人の自宅などに押しかけて、有事に備えませんかとお金の話を持ちかける。それは余暇を持て余しているご老人や、お喋りが苦にはならない人はいいかもしれないが、そう何度も他人の自宅のベルを鳴らす勇気に感服するような僕は、困りようだ。
「私の他にも、同じような境遇に置かれている方がおられる。という認識で相違ないですか」
「はい。ですが、詳細を教えることは叶いません」
「知ろうと思ってはいませんよ」
「失礼いたしました」
目礼とともに謝罪を受け取り、どうするか悩み、視線を卓上へと落とす。両肘をついたすぐそばには、女性が持ってきたパンフレット類。フォントを調節し、見やすく解りやすくを追求したパンフレットは、「生保レディ」としての必需品ではないだろうか。
きっぱりと断れることもできるだろう。女性の初来訪を仕事の疲労を理由に断ったように、大義があればオタクの僕にも勇断することは容易だろうが、それがないだけでこの有様だ。まったく何年経ってもこういうところだけは、いつまでも変わってくれない。変わろうとしても、方法が分からなければ、時間が解決してくれることだと思っていた。
母が亡くなって、約二年が経ってもなお、こうして優柔不断の性分は変わらないままで、オタクで、異性はおろか同性の友達の一つも作れず、両親が遺した遺産と、生活費を賄うための中小企業の事務仕事に囲まれる日々。
冴えないなんてレベルをとっくに超越している。びくびく生きて、びくびく死んでいく運命がもうすでに決まっているようなものではあるが、「悲観的になることはないよ」と建前で喜ぶことはもうなくなったが、自殺願望があったりはしないし、実際やるとなれば恐ろしくて、僕にはそんなエッジの効いたことはできない。
「こうして悩んでいる人間に、何か念押しすることはしないんですか」
僕の唐突なつぶやきにも、女性は毅然として応えた。
「あなたは、未だお客様ではないので」
たったそれだけ、それだけで女性は立場を仄めかした。過干渉でも非干渉でもない、女性は僕が知識として得た「生保レディ」と異なる。
後ろで束ねた、肩ほどまである黒髪。肌は若々しく色白で、きゅっと締まった唇と形が整った日本人らしい鼻。そして、大きな瞳と長い睫毛。リクルートスーツには皺ひとつ見当たらず、汚れも当然のごとくない。清廉や清楚、誠実なんて言葉が女性の評価に適当だと思える、人間の女性。
女性はおそらくだが、僕が警察に突き出すまで、自宅への訪問をやめることはないだろう。仕事で疲れているからと、こうした余裕のある時間帯に予定を合わせてもらい、有給を取った日から当日までの一ヶ月は、そわそわしていた過去を猛烈に否定したくなる、仕事とプライベートの線引きができないオタクが、僕だ。
異性として目の前の女性を捉えている。人間としての本能がそうしているのか、あまりにも刺激がない日々から脱出したいのか、「こうだろうか」と予測できても、理解できることはないのだろうと思う。
「してもいいかもしれない」
「折れた」というのだろうが、こちらとしては「うんざりした」ということにしておきたい。女性との泡沫の夢を終わらせたとでも言えば、僕は少々浮かばれる。
「では、あなたの承認を得たということで、よろしいですか」
「そういうところは、念押してくれるんですね」
すごい嫌な奴だ、僕は。なんてことを口走ってしまったのか。後々になって後悔すると意識の中にはあったのに、潜在的なところでそんなことを考えていたと、声によって証明されると、本当に嫌になる。
「はい。あなたの承認を得ると、私にとってあなたは、お客様になられます。お客様が幸福でいられるよう、私どもは全てのお客様と真摯に向き合い、共に歩んで生きたいと想っております」
盃が麦茶というのも、オタクの僕らしいと、声には出さなかった。