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第十九話

 顧問税理士を話すときは、(堅物人間全般そうだが)要らぬ緊張を催される。襟の白が白ければ白いほど、シャツの皺がなければないほど、苦手意識がどんどん成長していく。

 人間硬度が高い人間というのは、総じて、俺のようなぽっと出を嫌う。積み重ねによって上り詰めた人間は、幸運全振りの俺にとって、どこまでも足手纏いで、資源回収要員としての使役物でしかない。

 男性は、このような劣等感すらも親切心をもって接してくれるだろうか。

「私、こういうものです」

 俺が近ずくと、男性は名刺を差し出した。

「保険ですか」

 保険会社の社員だというのはわかったが、そんなことはどうでもよく、なぜここに居るかを説明願いたいところだ。

「お客様には、ぜひご紹介させていただきたいプランがありまして、今回訪問させていただいた次第です」

 新手の詐欺か何かだろうか。それとも、この会社には常識という概念が欠落しているのだろうか。そう説明するしかない無礼だ。

「そういった類のものには、今のところ興味はありませんし、今日はこのように立て込んでいて、とてもそのようなことをお話しする状況ではありませんが」

 こちらの尤もな見解に、男性は物怖じせずに答えた。

「ええ。お客様のお言葉は、尤もでございますが、井の中の蛙大海を知らずと申します。お客様にはどうか、視野の広い回答をご用意していただけると、お客様を含め、万人が報われると存じます」

 貶されたのだろう。しかし、こうもかくかくした言葉で言われると、怒りの感情がふつふつと湧き上がってこない。言葉のマジックだな。なんて感心するのも大概にしなければ、人間としての尊厳を失っているようなものだ。

「とにかく出ていってもらえませんか。井の中の蛙だろうと、なんだとうと、このような無礼な人に保険金を預けるというのは、ありません。お引き取りください」

 これで食い下がらなかったら、いよいよ警察沙汰だ。この場合、迷惑防止条例違反とかになるのだろうか。

「わかりました。では、串揚げ団子様へのご提案は急遽取りやめということで」

 俺はその時男性の笑みに戦慄した。

 先程までのにこにこ顔と同じはずなのに、その偽装した笑顔がこの上なく冷たく感じる。

 串揚げ団子。俺のユーザーネーム。

 関係者しか知らないような事を知っているというだけで、男性の存在は遠くからぐっと近くに引き寄せられる。

「著名でいらっしゃるようで、私もあなたの腕前は賞賛されるべきものだと思います。なんでも、先日行われた国際大会で優勝したとか。立派な実績を打ち立てたということは、価値あることでございます」

 もうそこまで知られているのなら、無理に取り繕って。というか、もうすでに押し黙っているところで、俺は正体を明かしているようなものだ。

「わかりました。あなたの事情にも応じます。ただし、荷物を搬入するまで待ってください。お話はそれからということで。いいですか」

 男性は礼儀正しく、はっきりと言葉を放つ。

「はい。それほどの余裕は、まだありますでしょう」

 荷物の搬入が始まる頃には、日が傾き始め、どんどんと冷え込んできた。業者から手渡された搬入リストに目を通していると、ヒーターが数台あったので、先に開封しコンセントを繋いで、部屋を少しでも暖かくする。

 まず組み立て式のテーブル類が搬入され、続いてソファなどの家具類。白物家電はキッチンあたりに運ばれ、肝となるパソコンやテレビ、最新ハードとソフト。ゲーミングチェアは、自宅でも使用している逸品と同じモデルで、よく揃えたなと思えるものが、練習場を埋め尽くした。

 総額いくらになるのだろうか。家具類はネットで漁ったようなアウトレット品のように見えるが、ゲーム環境に妥協は見られない。議決されたこととはいえ、よく説得できたものだと感服するばかりだ。

 引っ越し業者からのサインを求められ、応じると、三人組の業者は立ち去っていく。どう見てもおかしな三人組だった。黙々と荷物を搬入することは、あるにはあるだろうが、業者にして愛想がなさすぎる。

「あれも、あなたの差し金ですか」

 トラックを見送った後、男性に疑念の言葉を浴びせた。

「お客様。保険業を生業としておりますと、お客様のプライバシーを尊重することが多々あります。ぜひお話は中で、ゆっくりといたしましょう。それに、この寒さです。お客様のお身体に不調をきたすようなことがあっては、私どもの本質から逸してしまうというものですから」

 そんな気遣いが欲しいわけじゃない。ただ、俺が納得できるだけの理由を述べてくれれば、不快感から自ら脱するというのに。と思うだけだ。

「わかりました」

 玄関の戸を閉め、リビングに入ると、座る場所も見当たらない「段ボール部屋」に立ち尽くす。足の踏み場もないわけではないが、「落ち着いて」というのからは、かけ離れている現状だ。

「お客様。このままではお話もままならない状況ではないかと疑問を呈します。二階に移動し、何もない一室にて、床に尻をつき話し合うことは、できなくはないでしょうが、それはあまりに不恰好ではないでしょうか。大の成人男性二名が、これから大切な対話を行おうというのに、あまりに無様だと思いませんか」

 それもそうだ。目の前には、三人がけのソファがあるし、開封して、ぱっぱと組み立てれば、尻を汚すようなことはないだろうし、冷えもしない。

「そうですね」

 カッターでダンボールの封を開け、ソファ本体と脚を取り出し、男性と共に取り付けていく。取り付けると、二人で両端を持ち、「せーの」の掛け声でソファに適した位置に移動させる。

「さて、これでひと段落つきました。寒さというのは、年々厳しさを増していくもののようですから、私たちが杖をつく頃には、おちおち外を出歩くことも困難なのかもしれません。異常気象と騒ぎ立てても、人間でどうこうできるにも限りがありますから、このようにこそこそと寒さに怯えているうちが、幸せかもしれません」

 男性はそのようなことを語りながら、ソファに腰を下ろし、ふうと一息ついた。

「お客様。少し汗ばんでいるようですが、お疲れではございませんか。もしそうでしたら、ぜひ私に温かい飲み物を作る機会をいただけないでしょうか。幸運なことに、あそこにはエスプレッソマシーンが一台ございます。一杯だけなら、それほど時間を費やさずともお身体を温めることができるでしょう」

 男性の視線の先を見ると、確かにエスプレッソマシーンが一台ある。先ほどの業者が作業をしている時は、安易に手伝うなどと言える雰囲気ではなかったため、今日は精神消耗激しい一日となったことは指摘通りだった。

「それでは」

 と、男性は腰を上げ、キッチンの方へと向かい、エスプレッソマシーンの段ボールに手をかける。

「あ」

 男性はそうして小さく声を漏らすと、白々しいほど視線をしっかりと合わせ、中指の流血を見せた。確かに流血しており、直線に浅く切れていた。

「大丈夫ですか」

 俺の言葉に男性は気丈に振る舞う。

「ええ。このくらいの傷は大したことありませんが、絆創膏があるなら、幸せです」

 不幸なことに、ここには絆創膏がなく、徒歩圏内の薬局まで出向くべきは、ホストであるこちら側だろう。だが、しかし。しかしだ。この男性のために、寒空の下、薬局まで出向くのはかったるい。

 いや、有り体に言ってしまうのなら、もう付き合いきれない。

「お客様。それよりも、もう開封してしまったものというのは、幾分か価値が下がってしまう気にはなりませんか。包装箱があるかないかで、価格も変動すると聞きます。このエスプレッソマシーンも同じではないでしょうか。こうも意気込んでおいて、物事を投げ出してしまうというのは、いち大人として無責任や後ろめたいと思うもの。私の失態で大変恐縮ではありますが、お客様にお喜びいただくことが何より重要だと感じます。いらぬお節介だとお思いでしょうが、保険業というのは、そのような側面を有していると私は存じます」

 今やその言葉遣いは、堅物より粘着物に聴こえる。

「俺はそのように存じません。そして、その傷はどうかご自分で処置してください。たとえば、塩を塗って殺菌するだとか。あるいは、塩を塗って味付けするだとか。早く対処しなければ、後々、とんでもない目に遭いますよ」

 にやりと男性は笑った。

 注文の多そうな保険屋は、この上なくめんどくさい。

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