第十七話
コンビニの缶コーヒーを躊躇いもなく購入できるのは、雇ってもらっているバイト先と、どこかの個人スポンサーの皆様と、ネットに上げる動画広告を観てくれる人々のおかげ。世間では、「ヴァーチャルバイト」なんて言葉が流行しているが、それら最先端とは異なり、有象無象のいち人間で、カリスマほどの求心力を持っているわけでもなければ、最先端を切り開いていくインフルエンサーでもない。
俺にあるのは、ちょっと秀でたゲームテクニックだけ。プログラム上のスコアがちょっといいだけの人間。
このような一芸がなければ、俺は今頃どうしていただろうか。この時代が来なければ、家に引きこもり、両親の脛を齧っていただろう。
末恐ろしい想像だ。
目を覚ますと、ぱらぱらと窓を打つ雨音が聴こえてくる。長旅の疲れと時差ボケが重なって、体を思うように動かせないが、それでも外出しなければならない。
彼女に呼び出されているのだ。早速で悪いけれど、支社に来て欲しいとのことだ。
日本に帰国してはや三日。彼女の呼び出しを無下にするわけにもいかず、支社への召喚が命じられた。
スウェットから着替えるのは、カジュアルな装い。ほとんどネット情報で仕入れたおかしくはない格好。一張羅というのだろう。服装に着替え、身支度を手早く済ませる。
ワンルームマンションを出て、電車に乗り、ターミナル駅で地下鉄に乗り換え、高層ビル群近くの駅で降車し、訪れたことのある日本支社の入るビルを訪れる。
しばらくお待ちくださいと言われ、待つこと数十分。連絡を寄越してきた彼女が現れる。
「やあやあ、お久しぶり。あれから数日経つけど、どう?」
受付スペースのすぐ隣に設けられた談話スペース。ソファとローテブルだけの談話スペースに座る彼女に尋ねられた言葉の意味がよくわからなかった。
「いやいや、その反応はなしでしょ」
「なしって、砕いて説明願いますか」
はあと、大きな溜息をつく彼女。それが社内で白い目で見られない格好なのだろうか。紺色のジーンズにボーダーのトップス。カーディガンを外せば、それなりにダサい。
それはさておき、俺のような旅の疲れは見受けられなかった。旅慣れしていると、時差ボケまで概算して、出発時間やら機内での過ごし方やらを考えるらしいが、彼女にそんな高度なことができるとは到底思えない。彼女の場合、適応能力が素晴らしいと言うのだろう。
「ネットニュースを観なかったわけじゃないでしょ?広報部課長のブログにもちゃんと載ってあったし」
「なぜ課長さんの名前が出てくるんですか」
彼女は周囲をきょろきょろと見遣って、口に手を添え、ひそひそと話し出す。
「広報部の課長が煩くてさぁ。やれアクセス数が少ないだの、やれ感想が一言も寄せられていないだの。聴く身にもなって欲しいわけ」
今時、個人ブロガーなんて廃れていると思っていたが、細々とやっているとこにはやっているものだと感心する。
「需要があるんですね」
「え、ああ。世間は広いからね。クソゲーと一緒で、忘却を願っても消えてくれないものってあるの。クソゲー収集家もいれば、クソブロ……奇特な日記を観ている人もいる」
白々しい言葉の修正に、彼女なりのユーモアが窺えた。気遣ってもらうのは大変恐縮で、社会人経験ののない俺なんかが、素直に笑って良いものか。
「これでもダメか」
「なにがダメなんですか」
ん?と、彼女は首をかしげる。
「いろいろとダメ」
彼女はそうして言うと立ち上がり、端末を操作し始める。俺のポケットに振動があり、確認すると、彼女からのメッセージを受け取ったようで、俺はそれを読み上げた。
「残念なお知らせから」
彼女の表情を窺おうと、視線を上げ観るが、彼女は瞼を閉じて、腕を組み、フラットな体つきを恥ずかしげもなく見せつける。
続けろという意味らしい。
「残念なお知らせから。あなたへのチームのお誘いは今のところない。こちらでも連絡ミスがないか、つぶさに確認をしているけど、三日経ってもオファーがないということは、かなり希望薄。国籍不問のチームなんかもあるにはあるけど、まだまだ数が少ないから、あの大会きっかけに声がかかることはまずない」
彼女は鼻息荒く溜息をついたが、それでも俺は、事前に作成されたと思われるメッセージを続けて読み上げた。
「ごめんなさい。あなたに期待を抱かせてしまった、私の失態です」
彼女は俺がそうして読み上げると、丁寧なお辞儀をした。社会人の、いち大人としての謝罪の意志は、俺なんかに向けるようなものではないと感じた。
「祭りの最中に言ったことを真に受けるほど、俺は出来た人間ではないですよ」
「それって結構傷つくかも」
下を向きながら、彼女はそうして冗談を言う。
「ジレンマでしょう?どちらを選択しても、現状が打開されることのなかった悪い結果ですから」
彼女がチームの勧誘を示唆しようと、しなかろうと、俺はあの場で高揚感に触れることはあっても、浸れることはなかったし、嘆いたとて、チームの勧誘が来るというわけではない。
「じゃあ許してくれる?」
「こんなことに許すもなにもないでしょう」
彼女は姿勢をゆっくりと戻し、しばらく見つめてから、歯を見せ笑った。
そこから逃れるように視線を端末に戻すと、続きがあることに気づき、読み上げた。
「あなたなら許してくれると思っていたよ」
その不気味な笑みはこれが原因か。
「素直に腹たちます」
「まま。これで悪い知らせは終わったわけだし、次行こう次」
反省からの切り替えが早いところ、ますます怪しい。疑わしきはすべてを粛清すべきだと、どこかで耳にしたことがある。
読み上げを続ける。
「では、続いていい知らせを。インタビューが数件入っている。大手ゲーム雑誌様と、うちと、ゲーム専門ウェブマガジン様。うちからは、ちょっぴりだけしか出せないけど、全部含めるといい収入になると思うよ。というか、こっちもプライドがあるし、駆け引きに負けたとなれば、私も落ちぶれたということになるから、吐き出させるんだけど。まま。見積もりより少なくなるということは、万が一にもありえないから安心してもらっても構わない」
惜しげも無く、フラットな胸を張る彼女を無視して、痛々しい絵文字が多用されているメッセージを読み上げていく。
「それと、うちから推薦して、来年のエキスポ参加の正式オファーを出すことが決まった。本社との兼ね合いもある私と、有望選手数名を連れて、あっちのミニ大会にも参加してもらう予定。ご褒美旅行とでも捉えてくれたら問題ない」
その大会で勝っていれば、誇りも保たれるということだろうか。勝っておいて損はないとでも言いたげな文章に、少しだけ疎外感を覚える。
「プロとしての自覚を持てとでも言うつもりですか」
「まさか。ただ、あなたはチャンスを逃すのかなーって思って。それほどの阿呆は、どこで生きていくにも厳しいだろうなと思って」
彼女はどこからか、隠し持っていたのか、大人気TPSの予選大会開催の広告を見せびらかした。最新ハードのシリーズ最新作は、いろいろ事情が芳しくない。
「ライバル会社の大会に出場していいんですか」
「もちろん。それは会議で議論されたことだし、私たちは別にあなたを雇っているわけでもないもの。あなたが海外のチームに所属しようと、どんなゲームをプレイしようと、大会に参加しようと、それで負けようと、私たちはあなたが活躍することを祈っているというだけ。言ったでしょ?売れて欲しいって。大成したら、私たちの大会が誉になるって」
発売間もない時点での、予選大会開催の知らせということは、ベンチマークを仕入れ、大会を開催するに値すると踏んでのことだろう。それに、プロは発売前に実機に触れ、感覚を手に馴染ませているのは当然の事実だ。
「勝てるとお思いますか」
ソロ部門の予選開催は年明け一月下旬から。まだ数ヶ月と見るか、もう数ヶ月と見るか。
「それはやってみなければわからない。というのが見解だけれど、こちらも言葉だけで、あなたに期待を寄せているわけではない。ここから数ヶ月は、完備した環境を提供するし、「串揚げ団子」の使いっぱとして奔走する」
なぜ、と俺の表情はそのように問いかけていたのだろう。彼女は語気強く、理由を述べた。
「あなたに着眼しなかった、連中にわからせてやるため。あなたが優勝した暁には、搾り取るだけ搾り取って、ヒィヒィ言わせてやる」
彼女の握り拳は、硬く屈強で、みしみしという効果音が聞こえてきそうなほどだった。
「なんかお姉さんみたいですね」
「え?ああ。そりゃあ、生意気なのが二人もいたらね、こうなるよ普通」