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第十四話

 就活生くんを応接間に案内し、手早くお茶を淹れ、母から逃れるように応接間へと戻る。応接間のヒーターの電源を入れ、熱と声が極力漏れないよう戸をすべて閉める。

 張り替えたばかりの畳と大きな机。書院造の応接間に顔見知りを入れることはあったが、大人になってからは初めてのこと。背中には代々受け継がれてきたであろう掛け軸と、木彫りの置物。両親の趣味のものはなく、おじいさまかそのまた先かの当主が飾ったものを、今も保管している状態。

 雪見戸からは、専属の庭師にしか委託しない和式の庭が広がっているが、京都の風情ある庭を一目見れば、そこの庭などは、お金を払って手入れするようなものではないと思わざるおえない。

「お構いなく」

 就活生くんの言葉に、少し驚いてしまった。そういうところちゃんと言えるのに。っと、思いかけて思いとどまった。

 就活生くんにもペースがある。みんながみんな、わたしのように端的な解決を望んでいるわけではない。

 畳の縁を踏まないだとか、座布団がどうのこうのを取っ払っていて、大地主とは思えないほどの品格の欠落だが、ここ数ヶ月の海外生活が身に馴染んで、そういうところ気にならない。

 いく先々のお国柄にいちいち染まっていたら霧がないし、人間そんな簡単じゃない。っと、こういう御託は有効だったりする。相手は知り得ない情報に当惑し、その間にとんずらこけば、負けはしない。

 今回は、両親との会敵が予測されるが、この場合、有益な情報を得た時点で、こちらの勝利は決まったも同然だ。セントビンセントおよびグレナディーン諸島大使とのぎこちない会話を思い出せば、こんなのは苦にならない。

 いつもそう。「あの時と比べれば」で、大抵どうにかなる。

 それがわたしの貯蔵だもの。底だもの。兵糧尽きたら戦は終わり。こちらの敗戦が決まったも同然。

「ど、どうぞ」

 着信があり、就活生くんがわたしにスマホを両手で渡す。もしかしたら、就活生くんは、わたしの苦悩している様相を腹底で愉しんでいるかもしれない。道化を演じることは割とスタンダードな戦法だ。馬鹿と思わせる巧みな演技力が必要になってくるが、天然モノというのもある。後者は見分けるにコツがいる。

 わたしは試されている気になる。仕事でもないのに勘弁してもらいたいのだが、無視するわけにもいかないだろう。

「もしもし」

「あ、お待たせして申し訳ございません」

 応答したのは先ほどの男性で、上司への確認と許可どりを行なってきてくれただろう。五分の遅れなど、会話中のもたつきと比較すれば、許せることだ。

「構いません。こちらも落ち着けたので」

「左様ですか。それでは、私どもの弁明をお聴きいただけるというですね。それは誠に、なんといっていいやら。ご厚意承ります。こちらとしてもお客様には多大なご迷惑をおかけている事実に、どのような謝罪の念を寄せればよいものか、決めあぐねていましたので、なんとも……」

 良心に響くものがある言葉だ。

「よろしいですよ。そちらが悪というわけでもないですし、そうも畏れては、話しにくいものです」

「お心遣い感謝いたします」

 男性は一拍をおいて、溜息に似た吐息を漏らし、それまでの低音域から少しだけ調子を上げた。

「お客様はてっきり、癇癪持ちなのかと、慄いていました」

 わたしは就活生くんの表情が気にかかった。わたしに悪い印象を植え付けないでほしい。

「父はその気がありますが、わたしは母似なのにで、呵責するようなことは滅多とないです。ただし、分を弁えない人間に対しては、少々対応が違ってきますが」

「そのような事態は避けなければならないでしょう。お客様のお気持ちを鎮めることは、私どもの本懐にございます」

 その本懐も、もうすぐ崩れそうなほど不安定なのは指摘しないでおこう。ややこしくなる。

「では、これから始めさせていただいてもよろしいですか」

 わたしは足を崩し、就活生くんにも足を崩すよう促した。スマホをスピーカーにし、机の真ん中付近において、就活生くんとともに電話口の声に耳を傾けた。

「まず、お客様が最もお求めになられているでしょう、私どものサービスについてお話しいたします」

 胸の鼓動が感じられた。無意識的に生唾をの飲み込んでいたことに気づくと、男性はサービスについて淡々と話し始めた。

「サービスとは、「故人記録の集積による人工人格の形成」でございます」

 耳にしたことがある。人工知能に対し、自身の人格をコミュニケートすると、人格はそのまま生き続けるというものだ。

 構想として、それは実現できるのだろうが、いち人格を保存するほどのデータ量と、その保管場所。国または国に準ずるものくらいの規模と人員と資材と資金がなければ、不可能ではないだろうか。人格というからに、それは従来の模造品ではなく、限りなく人間の人格に近い存在。ということになる。

 素人以上の事は、想像すらもできないが、そのようなことが実現できた前例をわたしは知らない。

「形成して、それが可能だとして、わたしにどうしろと?なんのメリットがあると?」

「お客様は、我々のコンピューターによって適合を承認されました。現状では情報の機密性が損なわれる可能性がありますので、これ以上の発言は認可されておりませんゆえ、ご了承ください」

「わたしがそちらに赴けば、可能性はゼロではないと。このような認識で相違ないですか」

「はい。ただし、ご期待に沿うかは保証しかねます。確率で表現するには、私の権限で及ばないことが多く、お客様のご要望に沿うご回答を提示できない可能性が高くなります」

 電話口では、このあたりが限界だろう。その機密性やら、表情やら、理由は様々だが、わたしが納得するには、電話口だけでは限度があるし、たとえわたしの納得できる回答を提示したとしても、実際に合わないことには信頼などできはしない。

「こちらでもなんとなく全容が掴めてきました。つまりは、あの人が何かをしたことで、あなたと彼が、わたしの前に現れた。そういうことでしょう?」

 男性はわたしの言葉に、すぐさま答えた。

「ええ、お察しの通りでございます」

 男性の感謝が込められた言葉に、わたしの感情は揺らめきを覚える。

 これは虚弱だ。わたしには似合わないとあの人が言ってくれた、わたしに潜む脆弱性だ。

「それで、わたしに協力しろと。人格形成の出来を評価しろと。あなた方の思惑はそんなところでしょうね」

「ええ。そのような意味もあります」

「他にも被験者としての対象が存在し、目の前の彼のような人物の役目は、モニタリングというところが妥当でしょう」

「被験者ではなく、お客様。または適合者とお呼びしております」

「どちらでも同じでは?」

「いいえ。私どもは、お客様と真摯に向き合い、お客様がより良い人生を彩られるよう尽力していく企業です」

 就活生くんは、わたしと視線を合わせ、決して外そうとはしなかった。その時の表情は、罪悪感と真摯に向き合うようなものに、わたしは見えた。

 決して喜んでいるわけではないわたしと、罪悪感を負っているような就活生くんと、利益を主張する電話口の優男。

 どの意志を優先させるべきかなんて、わかるはずもない。わたしはあの人のように聡慧でもなければ、懐深い人間でもない。

 図太くて、ぶっきらぼうで、地主の娘のような落ち着きもない。辣腕を振るうことしかできない。それしかできないような女。

 あの人は、なぜわたしなんかを選んだのだろう。気にすることではないと高を括ったこともあったが、あの人が亡くなって、何もかもなくなって、わたしはどうすればよくわからなくなって、目の前のことに夢中になっていたら、いつの間にか、辺境の地へと辿り着いていた。

 もうここはわたしの色では染まらない。他人の色か、大地の色。

 わたしが積み上げてきたものは、ああも簡単に焼けてしまったから。

 真っ赤な豪炎に、迸る雷鳴に。神話の一場面のような光景の中、あの人はわたしの色が染まらないところまで逝ってしまった。

「御社の社風は、とても息苦しそうですね」

「いいえ。住めば都とという言葉は実在いたしますよ。お客様」

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